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芸術と承認欲求

ピアノブームが再来してるnichiwaです‪🔆‬

今回は最近考えた、芸術と承認欲求について書いていこうと思います。

とは言っても、私別に芸術家なわけではございません!(え?)
ので、ここから出てくる芸術という言葉は、広義に"自己表現"と捉えていただけますと幸いです( .ˬ.)"


はじめに

突然ですが、私不登校時代、暇すぎてとにかくいろんな趣味に手を出してたんですね。

覚えてるものを上げてくと、

・理想の家の間取りを妄想して図面にする
・ミシンで人形の服やカバンを作る
・羊毛フェルトちくちく
・ピアノを弾く
・アニメを見る
・小説を読む
・文章を書く
・塗り絵
・お絵描き
・ドラム
・ベース
・ダンス
・歌を歌う
etc……

ざっと思いつくのはこの辺です。
未だにハマり続けてるものもいくつか。

そして最近、自己探究の一環でこの趣味達を分類してみたんです。

すると、

・裁縫
・音楽
・ダンス
・絵
・創作(読む/観る&書く)

ざっとこの5つに分けられました。
さて、ここで一つ気付くことが。


「あれ?全部自己表現じゃね?」


そう。
小説や映像作品を読む/観ること以外の全てが、自己表現の手段なんです。
アウトプットの方法とも言えるかな。
一般的には芸術と呼ばれる分野ですね。


ここで私はひとつ疑問に思いました。

「これらを趣味としてる動機は、もしかして承認欲求なんじゃないか?」と。

一抹の不安と、好奇心。
承認欲求について考えてみることに。

本題

自己表現という行為

まず、自己表現すなわち芸術という行為には、必ず対象が存在がします。
それはSNS上の人かもしれないし、友人や家族かもしれないし、未来の自分かもしれない。

なににせよ、吐き出し先がないと芸術は成り立たないと、私は思っているんです。
「対象のためにやってる訳じゃない。」とか思いつつも、深堀ってみると欲が浮き彫りになったりする。

そして、それと切っては切り離せないのが、承認欲求だと思うんです。


承認欲求

最近よく聞きますが、そもそもの定義ってなんなのでしょう?

ググってみました。

他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という願望であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。

Wikipedia

だそうです。
(さすがWikipedia!)

簡単に言うと、「認められたい!すごいって思われたい!一目置かれる存在になりたい!」って感じかな?

この承認欲求、わりと煩悩のように扱われがちですよね。

確かに、某SNSで肌を晒しながらくねくねしたダンスを踊る方々を全肯定できるかと言うと、難しい部分もあります。

でも私は、承認欲求を一概に悪いものだとは思いません。

少なからず、私が起こしてきた承認欲求を含む行動はいい方向に働いてきました。


私の経験

承認欲求がいい方向に働いたエピソードが3つあるので、紹介していきます。

フリースクールに通うきっかけになった
不登校でフリースクールに通う最後の一歩を踏み出せないでいた時、当時興味のあった洋服が背中を押したという話です。
「せっかくお洒落な服を買っても、それを着ていく場所も見てくれる人もいなかったら意味ないじゃん」と、ふと気づいたのがきっかけ。第三者からの反応が欲しかったんだと思います。

・音楽を続けるモチベーション
シンプルに、「カッコイイって思われたい」ってやつですね。バンドマンは多いんじゃないかな。
私の場合、初めて私にバンドとしての楽器を教えてくれてた方々がすごく褒め上手だったので、その"褒め言葉"を求めてやってた部分があります。これこそ承認欲求ですね。
高校生になってからは中々会えていませんが、未だに練習する中で意識したりします。「いつかライブハウスで会えたりしないかな💭」という妄想がモチベーションなっていたりします。笑

言葉を発信するきっかけになった
私実はこのnoteを始める前から、Instagramに読書感想文を投稿しているんです。(リンクはプロフィールから!)
その理由は、自分の言葉で誰かに影響を与えたかったから。このnoteも同じです。だからスキの通知が来ると、毎回幸せな気持ちになります。
そしてこれも承認欲求ですね。言葉として表出した自分自身を認められたいと思ってる。

以上上記3つが、私の承認欲求を含む行動がいい方向に進んだエピソードです。

そしてこれらは私にとって他者と繋がるきっかけになりました。
体験談にもある通り、3つ全ての行動を起こした先で、コミュケーションが生まれてきました。


芸術と承認欲求

さて、承認欲求について長々と書きましたが、本題の"芸術"に話を戻しましょう。

ここで私の分類分けした趣味一覧をもう一度。

・裁縫
・音楽
・ダンス
・絵
・創作(読む/観る&書く)

これらと承認欲求の関係性こそが今回語りたかったことです。(前置きが長い…)

音楽と書くことについては、経験談の通り。
その2つ以外も、ハマってから極めるに移行したきっかけは、誰かからの褒め言葉だったように思います。

興味を持ってやってみたら案外上手くできた

褒められた

嬉しいからもっとやる。褒められたい。

というのがお決まりのパターン。

書いてて思ったけど、子供みたいですね。笑でも案外核をついてるのでは?
単純で、素直で、だからこそ何かのタイミングで「褒められたい。認められたい」という欲が暴走しだす。私は経験ないけど、こうやって苦しんでる人がいるから、承認欲求は卑しいものだとされているのかな。


でも私は芸術という分野では特に、承認欲求は悪では無いと思うんです。

だって、それこそがコミュケーションや他者との繋がりを生むから。
経験談のところで書いた通りです。


芸術には、特に私が趣味としてるようなものには、一人でできてしまうものも多くあります。

自分だけが満足できるものを生み出し続けるのも悪くないけれど、よりよい物をと思ったら、やっぱり一人きりじゃ限界がある。

(ちなみに私の言う一人きりというのは、誰かが発信した情報を間接的に得ることを含みません。)

だから、自分も周りもしんどくならない程度に承認欲求を持って、ニーズを考えながら創作するのが一番いいのかなと思います。
対象(=見てくれる相手)が存在する芸術は特にね。

だから、自己表現において承認欲求の強さは武器です。

欲求の強さ分、画面の向こうにいる人や、作品を受け取る人のことを考えてるってことだから。
自信もって自分アピってこ!!


さいごに

私は、承認欲求は芸術のみならず他者と関わる上でも必要な欲求だと思います。

なぜなら、共存できてる状態、さらに言えば多様性が認められてる状態は、ある意味承認欲求が相互に満たされてる状態だと思うから。

そのためにまずは、自分の欲を認めて、受け止めるところから。

たまには自分に正直に、承認欲求ダダ漏れで、「私を見てー!!」ってやってみてもいいんじゃないかな。


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