揺蕩うように生きてはいけませんか
私は小さい頃からこれといった夢を持ったことがない。
あったとしても、作文に書くほどではないものばかりだ。
周りの子がケーキ屋さんだとかお花屋さんだとかプリキュアだとかの、将来ほぼ確実に変わるだろう一時の夢を語っていた時代から私は妙に現実的だった。
「どうせ数年後には変わるだろうに。」
「大人になるまであと何年あると思っているんだ。」
それは成長するにつれて増していった。
現実を目の当たりにし、己の無能さに打ちひしがれる度に、気軽に夢を口にできなくなった。
私は言葉を信じている。
だからこそ、不確定な妄想を語りたくないのだ。
それが責任となって、いつか帰ってくるような気がするから。
言葉にすることで、あやふやな未来しか見れない、自分のからっぽな人間性がバレてしまうのが怖い。
でも、もうそんなことも言ってられない。
今年、私は17歳になる。
大人になってしまう。
守られる存在ではなくなるのだ。
そろそろだ。
そろそろ確実な夢を語れるようにならなければならない。
分かっている。
分かっているけれど、
大人から定型文かのように将来を問われる度、私は迷子になる。
言葉が出てこなくなる。
「今探してるところです」なんていう、一つも面白くない返答をしてしまう。
何故クラスメイトはあれほど簡単に、自分のやりたい事が見つかるのだろう。語れるのだろう。私もそうなりたい。
高校生になって、大人にならなくても夢を叶える方法があることを知った。
高校生ブランドが如何に有効で、刹那的なものかも体感した。
一般的な高校生より、濃厚な一年を過ごした実感もある。
でも今の私には、言葉として発することが出来るほどの夢がない。
全て細切れ。
興味関心止まり。
停滞。
苦しい。
いっそ揺蕩うように生きてはいけませんか。
時々の欲求に正直に、流浪の旅をするように生きてはいけませんか。
それほど先を見ることが大切ですか。
今興味のあることを
今実践してみて
今の感情を大切にしながら
今を生きる。
瞬間瞬間の欲求を満たし続けることを繰り返せば、幸福であれるとは思いませんか。
ひとつの夢を持ちひた走るのも良いけれど、そうやって貪欲に死を迎える人生も悪くないと思うんです。
でも無理なんだろうな。