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つれづれ旅行記録

一日目。
福島は会津を目指し、早朝5時に自宅を出発。
「いーかげんにしてよ」とうらみ節のご主人。

だって、どしゃぶり。
雨オンナ健在。
久々の遠出にはしっかり、本領を発揮するのだ。エッヘン。
天気予報でも福島の降水確率70%(翌日80%)の保証付。

今回の旅の目的は会津まつりの藩公行列をみること。
この分じゃ、中止だろう。

ところが、頼れるぜ晴れ男!!
宇都宮でもザバザバ降っていたのに、郡山付近まで来たらなんと雨が降ってない。
(ぶあつそうな雲はあるけど)
あ~、よかった。

無料駐車場に車を停めまして、そこから先の移動手段はバスに切り替えます。
ハイカラさん号に乗って、いざゆかん。
めざすは鶴ケ城。

この周遊バス。市内の観光名所をぐるり周遊しているため、目的地につくまでかなりのミチクサをくいます。
そのかわり乗り放題で500円。

バスを降りて歩いていくと、お城のまん前にピンクなご休憩どころが!
うーん、観光名所のまん前に堂々と。
まさか観光客の疲れを癒すためではあるまいに。
中では出陣式が行なわれていましたが、我々はとりあえずこのあとの行列目当てなので、
真正面から写真の取れる好位置をキープです。
写真撮影は私が担当。
おかげでほとんどデジカメの画面越しでしか見られませんでした。
(しかも半分以上、ご主人に“これいらないなぁ”と消去されました)

鶴ケ城は幾多の変遷を経て、悲劇で幕を閉じた名城。
葦名家にはじまり、伊達正宗、蒲生、上杉・・・最後の時を迎えたのは、松平家9代目。
賢公と今でも名高い、松平容保が京都守護職になったことが悲劇の始まりと言われていますが・・・彼をなくしては新選組もまた存続しませんでした。

さて次は会津武家屋敷に「れっつごーだぜ」とノリノリ。
なんせ観光はまだ始まったばかり。
ところが、やっぱりすんなり行かなかった。
今回のアシに選んだ、周遊バスが待てども待てども、来な~い!
ヤバイ。
せっかく行くのだからと、無理に詰め込んだ(←貧乏性)観光予定が・・・
もう。ハイカラさんったら・・・
・・・結局、徒歩で次の目的地を目指すことに。
バスで20分かかる道を歩くこと、1時間程度。
あとから思えば、バスマップを参考にしたのがよくなかった。
前述のとおり、このバスは市内を周遊してます。
実に無駄の多いルートマップで、我々はてくてくと歩いたのです。

もうそろそろ武家屋敷という頃、ふと見れば「天寧寺--近藤勇の墓 250米」の看板が。
実はここも、観光予定に入っている。
さて・・・。
既に時刻は正午をまわっていた。
散々歩いたのと朝早い出発のおかげでかなりハラペコだったのですが、
「ついでだ。250メートルの寄り道くらい変わんないさ」
とわき道に足を踏み入れた我々。
わずか数分後に、背中に《後悔》の二文字を背負うことになろうとは。

最初の嫌な予感は、案内板。
“ 近藤勇之墓 300M ”
これに、まず私がパニックにおちいった。
「さ、さっきは250メートルってあったよね・・・?」
ご主人も浮かぬ顔である。

嫌な予感が現実感を帯び始めたのは、案内板の示すとおりに向かいはじめた頃である。

・・・ここを行くのか・・・?

着いた。
足が小刻みに笑っている。
いっそ膝小僧にスマイルを描いてしまいたい。

ここは土方歳三が指図をして建立させたと言われています。戒名は松平容保が贈ったものらしいです。
処刑されてさらされていた近藤勇の首を奪って葬られているとも、遺髪であるとも言われています。
手をあわせてご冥福を改めてお祈りして、写真を撮らせていただきました。

ようやく武家屋敷についたところで、まずは昼食。
途中で何件も『会津ラーメン』ののぼりを見かけたのに、ご主人は強硬に
「喜多方ラーメンを食べるんだ」と主張してやまなかった。
なぜなのだ。
会津なんだから会津ラーメンでいいんじゃない?
で、やっと見つけた「喜多方ラーメン」がおいしかったこと!
「ね?」とご主人。
ここで“そりゃこれだけ運動したあとならさぁ・・・”と言わないのが良妻なのである。

会津武家屋敷は、家老屋敷邸ほか重要文化財の旧中畑陣屋をはじめとする歴史的建造物が軒を連ねる歴史博物館です。
坂本竜馬の暗殺を実行した人物といわれている佐々木只三郎のお墓もこちらにあります。

今度は定刻どおりにやってきたハイカラさんに乗って、人気観光名所“飯盛山”に。

これが国の重要文化財“さざえ堂”。
六角3層構造で、内部に階段のないらせん状スロープを登っていくと、いつのまにか頂上についていつのまにか下っている。
行きも帰りも同じところはとおらないという、世界にも例をみない独特な建築なのだ。

日没近し。
急げ、観光。

白虎隊士のお墓です。会津というと、まず悲劇の代名詞として飯盛山で自刃した19名の若き少年兵が浮かびます。
この日もお線香が絶えることなく立ち上っていました。

旧滝沢本陣。こちらも国指定の重要文化財。
参勤交代の際の休息所にもなり、白虎隊出陣・新選組進駐の地でした。内部には当時のなまなましい砲弾痕や刀傷が残っています。

飯盛山から再びバスで移動。
時間がないからと主張する私を推して、ご主人が降り立ったのはこちら。
土方歳三が負傷した足の治療をした宿泊所「清水屋旅館跡」。
今では石碑と案内板のみで、跡は銀行になっています。

徒歩で阿弥陀寺の斎藤一(藤田五郎)のお墓に。
土方と袂をわかち、会津にとどまり本人の希望でここに眠っています。
私は、この斎藤一さんが好き。

ここで一日目の観光は終了です。
今夜は東山温泉にご宿泊。おんせん♪おんせん♪

二日目です。
足のだるさも温泉で癒され、ほどよく回復したよう。
しかし、それもほどなく再び悲鳴をあげる運命だとはお釈迦様でも思うまい。

前日、日没のため行けなかった松平家院内御廟へ向かう。
こっちだよ~と誘う案内板に、前日の記憶再び。
もしかして、えらいお方の墓地って、めったに人の寄り付かない山上にある?

的中。↓ ↓

・・・いざ行くのだ、私の足。
朝からちょっぴりたそがれちゃった我々。
(かなりの傾斜と距離。お目当ての容保公のお墓は一番奥の高い位置に・・・)

飯盛山でお土産を購入したあと、次の場所に車で移動。

かなり見つけづらいところにある新選組殉難の地。
母成峠の戦いに敗れこの地に宿陣していましたが、西軍の急襲により死者をだしました。
全滅したといわれていますが、実際には7名ほどの隊士が維新後も生存していました。

新撰組関連の史跡めぐりはここまで。
最後に我々が向かったのは、大内宿。

天気に恵まれたこともあって(そうなのだ。結局快晴。降水確率80%はどこいった?)
車はものすごい渋滞で駐車場待ち。
運良くあっさり駐車できちゃった我々、渋滞車両を横目に街道筋へ。

国の重要伝統的構造物群保存地区(ながいなぁ)に指定されちゃっている大内宿は、江戸時代旅人のための宿場町として栄えました。
両脇にずらっと並んだ茅葺き屋根は、うん圧巻。
この宿場内のおうち、実はどこも同じ間取りなんだそうです。

おそば、みそ田楽、いわなの塩焼き・・・いっぱい食べておなかも満足の大内宿。

4時間かけて、おうちに無事たどりつきました。
(長いな、今回。)

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