移住した日
叶わないことを願っていても仕方がないので、錆びるほど聞いたお気に入りの曲を無限に続くのではと思うほど何度もループしていたあの頃、私が自分のやりたいことを優先させ移住を決意することはまずないと思っていました。今でも、転職とともにこの地に引っ越してきた一年前を振り返ると、若さゆえの突拍子もない行動力だったのではと感じています。
失礼な話ですがrootfieldで働くことを決める以前は、山梨県がどこに位置しているのか、どんな文化がありどういう人が暮らしているのか、さらには富士五湖と呼ばれる湖があることや富士山が山梨県にも含まれていることなど、本当に何も知らない状態でした。ですから、ここでの生活が想像できるはずもなく、“きっとどうにかなるだろう。いや、どうにかするのだ。”と思う事しか、あの時の私にできることはありませんでした。
本格的に移住をする前に一度河口湖町へ行くことも考えましたが、コロナ規制がまだ続いていた時期でもあり断念し、結局下見をすることなく引っ越すこととなりました。当時まだ彼氏であった現・旦那は、車で山梨まで先に行くことになり、(鹿児島県志布志から大阪まで、さんふらわあというフェリーが出ています。)私は飼い猫を連れて飛行機で後を追いました。空港まで迎えに来てくれた旦那に話を聞くと、
「鹿児島とは全然違う、まだベッドが届いてないから持ってきたシーツにくるまって寝ようと思ったんだけど、寒すぎて車中泊しちゃった。」
そんなはずはない。今は5月で、鹿児島は温かかったはずなのにと。その時が、違う土地に来たことと、その場所にこれから住むのだという実感がわいた瞬間だったかもしれません。寒い中シーツで一晩しのいだ旦那にも、感謝ですね。
羽田空港から山梨へ向かう途中、初めて都心の高速道路を車で走りました。後部座席では、これまた初めての飛行機を体験した飼い猫が、何度も足を組み替えながら長旅の疲れによる重たい睡魔に負けていて、しばらく走っていくつかのトンネルを抜けると、さっきまでの光は少なくなり、きちんと整列した背の高い街灯だけが暗い路面を照らしていました。休憩がてらに立ち寄ったサービスエリア。車から降りた瞬間のひんやりとした冷たい空気に驚かされ、南国育ちの私に得も言われぬ高揚感を与えたのでした。
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│余談│
高速道路にて。
何事もなく山梨へ着いたわけもなく、2・3回下り間違えたり車線を間違えたりしています。二人でひーひー言いながら高速は乗り切りました。
その道中、もう一つのハプニングが。
飼い猫トナーさんが簡易トイレ(カバーなしの長方形型ポータブルトイレ)に入ったので、“お、ちゃんとトイレできそう”と様子を見ていたところ、高速にしては少し急なカーブに差し掛かりました。しっかり体はトイレに収まっていたのに、曲がった遠心力に負けて前足で踏ん張るとお尻が持ち上がりました。そのまま弧を描くものを見たときは、その不格好な姿勢と愛おしさで笑うしかなかったです。その後しっかり掃除しました。