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宝石の国所感

こ〜んに〜ちは!クラン辺利田です。
早速なんだけど、皆様は宝石の国という作品をご存知だろうか。

そう、無料公開の度にツイッテァ〜で地獄地獄と大喜利が始まるあれであります。アテクシはあれ結構好きです。エンタメとしてみているので。

アテクシは宝石の国を中学生の頃より単行本で追っかけており7〜8年になります。具体的には6巻辺りから追いかけていたんでしょうかね。
好きな漫画は?と聞かれたら、ノータイムで「宝石の国!」って答えちゃうくらいには大好きだったしずっと追いかけていた漫画でした。

それに対する所感、聞いてかない?って記事です。よろしくお願いします。



宝石の国の好きなとこ



宝石の国の良さはなんと言っても、人間の形をした人外たちの物語であることでした。そのくせ、「感情」「歴史」「文化」を少しずつどこか外側から撫でるような、それを知らないもの達が、知識を持つものからこれを吸収し、理解しようと築きあげようと長い年月を積み重ねている、そんな印象を覚えていたんです。

「月人」と呼ばれる敵役の配置も素晴らしかった。初めの頃は月人は「無感情」「無性」「無会話」だったわけであり、敵役として登場していながらその目的は宝石たちを装飾品にすること、そのくせ時々矢などになって帰返してくる、行動原理のよく分からない、どこかふわふわとした印象をずっと受けていました。

総括してしまえば宝石の国ははじめ空想っぽい、我々人間にとっては現実味のないふわふわとした掴みどころのない物語であったのです。(そこが好きでもあったのですが)

その中で強烈に我々を物語に引き込む存在がいました。そう、フォスフォフィライト(以下フォス)です。
主人公であった、物語の主軸として語られたというのは確かに我々を引きずり込む要因としてはあげられると思います。

しかしして、「フォスの行動は理解ができる。またわかりやすい」のです。

フォスの行動原理は4つだけ
「落ちこぼれが」「仲間の役に立ちたくて」「自分を認めて欲しくて」「行動を起こす」

めちゃくちゃ分かりやすくないですか?

また単純でありながら行動力のあるフォスの視点から物語を眺めると、(たぶん)ずっと停滞していたであろう現状は勢いを持って動き、またフォス変化に伴って、彼の周りの宝石も変化を見せることになります。心情の変化や関係性の変化、さらに言ってしまえばこれまでの慣習まで彼はひっくり返しました。

その変化は苦しみと悲しみを伴いつつも、世界として物語として「宝石達の世界が」何かしらの希望を持って前に進むものでした。

「月に行くまでは」


宝石の国のちょっとアレなとこ


以下全て個人の愚痴です。明確な根拠はございません。

人間というものの否定がそもそもの物語の根幹であるところです。
仏教的な、しかも原始仏教的な考えの物語であることは何となく最初の頃から匂わせてあり、有識者の方々による考察により、アテクシも読み始めた当初から知るところではありました。 

でもよぉ、価値観がもう理解できないとかじゃなくて、理解した上で、拒否感のあるものになっていくんですよ。

浅い知識の猿が申し上げますが、アテクシは「生とは苦しみである」という言葉には大共感致しておりますし、「死んで無に至る」というのが最高の安寧であることにも同意いたします。

でも言わせてくれ。

ただ、「生とは無駄に満ちている」とは思いません。「生が無駄である」ということはありません。「人の感情が、欲が、悪である」んな事ある訳ありません。
今生きてる人間としての自分がアテクシは大好きです。悩み苦しみ、ものや事、感情を欲し、人に環境に全てに迷惑をかけながらそれでもやりたいことをして、生きている自分が好きです。

人間を否定されるのは辛いです。今生きている自分を否定し、自我を殺し歴史や文化をなくし、価値観すらもなくなって、そこに残るものが安寧だなんて、つまらなさすぎる。満ち満ちた結果がそれならば、アテクシは汚い人間でいい。欲しいものがずっとあって、何かが足りないと足掻き続ける人生を楽しいと思っていたい。

アテクシは人間の欲を否定しませんしたくありません。それは生きたいと思うことへの原泉だから。自分を自分のまま認め、それを受け入れることは停滞であり、そこには無しかありません。安寧だとは思います。

以下1万年前後の話を読んだ当時の叫び⬇(読まなくても良い)

です。(読み飛ばしてもおk)(「」部分がそれに当たります)
「苦しくは無いと思います。でも、喜びもありません。そしてこの喜びすらも毒だと言うのならそれはきっと、生物として生まれてきた意味がありません。
生の全てを苦しみとして捉えるとするなら、それはあまりにも長く、絶望に満ちているでしょう。きっと、フォスは希望を抱き、間違えて、 絶望して、欲を取り払った。彼の望む安寧がそこにはあったのでしょう。

生きるのに他人の許しはいらないんです。死ぬのにもです。あの物語は大好きですが、人を否定しておきながら人の許しとも取れる祈りがなければ無になれないなど無理がすぎる。」

割とめちゃくちゃなこと言ってますね!!

アテクシは人よ強欲たれと思います。(その対価は支払うべきであり、罪は精算すべきですが。)

まとめ


まぁ長くなりましたがまとめると
価値観があんまりにも合わなくて読むのがすごく辛くなりましたってことです。

どこかで拝見した意見である「これはもう人外の物語として一気に読んでしまう方がダメージが少ない」がリアルガチです。

あえて詳しくは述べませんが、宝石が人間らしくなる過程をまじまじと眺めながら、それに伴って行われるその理解はできても共感はできない行動の数々に違和感と多少の嫌悪感を持ちながら、唯一視点として行動原理や考え方を見てきて理解を示せるフォスへ起こる辛い出来事の数々。

スゲェ価値観歪んじゃうって。

実際アテクシの人格形成の大部分に影響してきてる漫画なんですが、
(なんたって長期にわたって読んでたからね)もうなんかこう、人ってこんなんなんだ。生きるのって無意味じゃん。頑張ることが巡り巡って誰かを害することになっていて、この感情はひとりよがりでしかないなんて思うの、つらすぎるって。

アテクシこの記事書くために読み直したんだけど、マジでつらすぎたので、Dr.STONEの七海龍水とフランソワの「欲しい=正義です」ってセリフリピートして癒されました。人間肯定してくれてありがと安心すりゅ……。いきてていいんだアテクシって……。

最後に

ま、そんな感じで地獄地獄と言われてはおりますが、漫画としての技巧や話の組み立て方、ギャグとシリアスの緩急、先生のセンスがひかる効果音等評価されるべき点はいくらでもあるし、面白い漫画であることには変わりありません。

ただ、人におすすめできる万人受けする漫画か、一言ににおもしろいよ!と言って人に本当に渡していいかは悩むところです。

端的に言えばちょっと思想が強いんですよね。いや、あの、カルトとかそういう話じゃなくて、原始仏教的、人の苦しみ=欲になってしまっているので、そういった思想をこのまま飲み込んでいいかはこの漫画で判断すべきじゃないというか……。

超絶おもろいけど、人に勧めるかどうかは迷う作品それがアテクシにとっての宝石の国です。


う〜ん今回も今回とてもしっちゃかめっちゃか。ほなまたどこかでお会いしましょ。さいなら〜!

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