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ギリホリで豪金管バンドへ♬もとおかさんの体験談♬
オーストラリアに渡豪されたバンズマンシリーズ第二弾!
金管楽器マルチプレーヤーのもとおかさんにインタビューさせていただきました。
NB:この度はインタビューにご協力いただきありがとうございます!
担当楽器と、いつから始めたのか教えてください。
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もとおか:在豪中はB♭ Cornet です。18歳の頃から始めました。
その前は、中学生の時にプログラミングの勉強の途中で「PSG音源」や「FM音源」の操作を学び、楽器の演奏は何もできないクセに調律法とかを勉強しているという変わった中学生でした(笑)。
高校の吹奏楽部でE♭ Bass や Bass Trombone を担当しながら主にEuphoniumを担当したんですが、高校卒業後はCornetに転向。その後はジャズバンド等で Trumpet や Trombone も演奏していました。
NB:色々な楽器をされて多才ですね!日本で所属しているブラスバンドについて教えてください。
もとおか:現在は、東京都東部で活動している「Brass Band Fellows」で B♭ Bass を担当しています。 また、大阪府南部にある「BRIGHT BRASS ☆ STORM」でも活動していました。BB☆SではSoprano Cornet、B♭ Cornet、Euphonium を担当しました。
NB:オーストラリア滞在時の所属バンド、地域について教えてください。
もとおか:シドニー南東部で活動している「Bondi Brass」というバンドに、2012年から1年間所属しました。
NB:ボンダイはビーチが有名な所ですね❗️
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NB:渡豪した経緯についても教えてください。(オーストラリアを選んだ理由、ビザ等の滞在方法、当初から現地でバンドをやるつもりがあったか、などなど。)
もとおか:2011年の東日本大震災を機に、日本以外の海外を拠点に生活する手段を探し始めたんです。いきなり永住とは行かなくても、いざとなったら永住できるような状態を作ろうと思い、そのためにまず海外に行ってみることにしました。
日本を出たことすら無かったので調べるのに苦戦しましたが、そんな中見つけたのが Working Holiday という制度でした。ワーホリは30歳以下という年齢制限などをクリアすれば旅行も、勉強も、仕事も出来るビザで、当時29歳、ギリホリをすることにしました。その後ワーホリビザが切れる時期にバンドのコンサート等が入り、数ヶ月間の滞在延長をするべく、学生ビザも取得しました。
オーストラリアを選んだ理由は
それなりの経済規模があること
英語圏であること
ワーホリビザが容易に取得できること(英国ですと、年間1〜2回ほどの抽選に応募して当選しなければなりません。)
私にとってブラスバンドは生活の一部ですので、渡豪後にバンド活動したいという気持ちでCornet も持って行きました。
NB:どうやって現地のブラスバンドを見つけましたか?
もとおか:オーストラリアの文化の理解のためには、コンテストに本気で挑むバンドよりは、地域行事での活動量が多いバンドに所属する方が良いだろうと思い、インターネットで検索して探しました。その中で活動の様子、募集楽器、練習場所や練習日程など私の都合に上手く合致するところを選びました。
NB:どのくらいの頻度でリハーサルがありましたか?また、コンサートやコンテストはどのくらいの頻度でありましたか?
もとおか:リハーサルは毎週火曜日の夜、2時間ほどでした。きちんとしたコンサートというのは年1回で、他は地域行事への出演がたくさんありました。コンテストへの出場はありませんでした。
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NB:今までに思い出に残っているリハーサルやコンサートについて教えてください。
もとおか:一番思い出に残っているのは、Redfern Oval というラグビー場でラグビー大会の決勝戦の前に、その神聖なるグラウンドの真ん中でオーストラリアの国歌 Advance Australia Fair を演奏したときです。ラグビーはオーストラリアで最も人気のあるスポーツの一つです。栄誉ある舞台で、入国&入団したてほやほやの外国人である私も一緒に演奏させてもらえたのは、とても感動的でした。これが私にとってのオーストラリアでの最初の本番演奏でした。
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NB:日本とオーストラリアで、何か違いを感じたことはありますか?
もとおか:ここでの話はオーストラリアで一般的な話なのではなく、私が所属していたバンドに限った話だと思いますが、まず最初に驚いたのは Cornet の並び順です。多くのバンドでは前列が Solo Cornet で、後列が Soprano, Repiano, 2nd, 3rd といった並びになっていることでしょう。
ところがこのバンドでは、前列が2nd, 3rd で、後列にSoprano, Solo Cornet, Repiano を配置するのが伝統でした。どうしてこうなったのかは質問してもよくわかりませんでしたが、次のようなものではないかと推測しています。
Repiano と Flugelhorn の距離が近くなり、その連携が取り易い
Cornetの子供たちがバンドに入ってきたとき、多くの場合は 2nd や 3rd を担当するけれども、後ろから Solo Cornet 等が聞こえてきた方が教育上良い
Tenor Horn の立場で見た時に、Solo Cornet との連携よりも、2nd/3rd Cornet との連携を密にする頻度の方が高い
もとおか:次に驚いたのが、楽譜は常に原譜を使い、コピー譜を練習に使うことはほとんどしないということです。原譜の持ち帰りもありません。合奏以外の場所でバンドの曲を練習することはソロ曲を除いてほとんど無く、合奏中の曲の体験を通して合わせましょうという練習スタイルです。これできちんと練習になるのかな?と不安に思ったものですが、結構きちんと練習になるものです。
他にも、音出しを誰もしなくていきなり合奏が始まるだとか、本番の曲が当日決まったりだとか、練習後の宴会でお酒を飲んだのに車を運転していたり(注:酒の量や血中アルコール濃度などの諸条件を満たしていれば合法)、バンドが法的には会社の形式を取っていたり、経費精算が小切手だったり、郵便局の私書箱を使うのが一般的だったり、驚くことは多くありました。
NB:私の所属バンドはコピー譜使ってますね。でも、過去に田舎のバンドにいた時は全員音出しなしで始まったり、当日にバンドのフォルダ内から曲リスト発表され、あたふたした思い出があります笑。あと、一時間にビール一杯はOKとかで、皆でリハ後にビール一本飲んで車で帰宅もよくありました笑。
NB:将来渡豪してみたいと思っている方に一言アドバイスをお願いします!
もとおか:少し逸れた話をすることになります。バンド活動ができるのは、生活の基盤…衣食住と、それを支える健康そしてお金あってこそのものです。多額の貯金や親族等からの支援のある方は別として、多くの場合は収入が重要になることでしょう。収入があるからこそバンド活動ができるので、まず仕事を見つけて少し慣れてからバンド活動をするのがお勧めです。バンド活動ができる程度の時間的&金銭的余裕のある仕事を見つけるのが大事ですね。 ワーホリビザや学生ビザではなく、最初から就労ビザなどで渡航される皆さんは、堂々と渡航直後からバンド活動するのが良いでしょう。
NB:その他何かメッセージ等ありましたらお願いします!
もとおか:思い出話をもう一つ。 確か2013年4月の ANZAC Day の頃、夕方に Sydney の Hyde Park という大きな公園を歩いていると、The ANZAC Memorial という建物を照らす夕日がとても綺麗でした。写真を撮影していないのが残念です。その景色から、日本の童謡「夕焼け小焼け」を思い出しました。
それで、同年7月にはバンドのコンサートを開く予定だったので、夕焼け小焼けをブラスバンド用にアレンジして持ち込んだところ、演奏させてくれることになりました。6拍子のスウィングやアドリブソロなど簡単には演奏できない要素をいくつか仕込んでしまったものの、バンドの皆さんに気に入ってもらえたらしく、私が日本に戻った後でも時々演奏してくれているようです。喜ばしい限りです。 編曲できるorやりたい皆さんにとっては、現地のバンドに日本の曲をアレンジして持ち込むのもきっと素晴らしい体験になると思います。権利関係には気を付けつつ、ぜひトライしてみて下さい!
NB:もとおかさん、貴重な体験談をありがとうございました!
もとおか:ありがとうございました!