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「3548文字」 四年 西羽 開

こんにちは。
今回noteを担当させて頂きます、文理学部体育学科
4年 西羽 開(にしは かい)と申します。

まず初めに、新型コロナウイルス感染拡大に伴い医療従事者の皆様をはじめとする関係者の方々、大学サッカーの開催にあたりご尽力頂いている全ての皆様に深く感謝申し上げます。

昨年に引き続き今回またnoteを書く機会を頂き、

最上学年として、昨年度務めさせて頂きました総務として、そして2日後に行われる全国大会で主将を務める者として、自身が日本大学サッカー部に入部してから4年が経ち気づいたこと、自身の思い、また後輩達に向けて、今思っていることを生意気にかっこつけて書いていきたいと思います。

本当に大変長く拙い文章となりますが、ご一読頂けますと幸いです。








なんだこの大学サッカー部は。

私は入部して早々にそう感じた。

ミスをしてもヘラヘラしながら練習をやる選手。

練習中に就活の話をしている選手。

練習5分前に寝癖を付けながらグラウンドに合流する選手。

部屋がゴミ屋敷の様な選手。

仮病を使い練習を休む選手。


そしてそれらを許す周りの部員。


私は当時かなりイライラしていたのを思い出す。

しかし、私はすぐに日本大学サッカー部に慣れた。


勿論悪い意味で。



初めての親元を離れた生活。

自由な時間が圧倒的に増える大学生活。

高校生までとは違い自身が様々なことに対して選択を迫られる。

私はそこであることに気づいた。



今まで自分自身で選択をしたことがなかったのではないかと。

詳しく言うと、


「自分で決め、その決めたことに対して責任を持って行動をしたことがなかったということ。」



遡ってみる。


日本大学サッカー部に自ら進んで入りたいと思ったわけではない。

進路にかなり困り、当時の高校のサッカー部の監督が頭を下げてくださり、ぎりぎりスポーツ推薦として入部することが出来た。

たった1割の自分の実力と9割の高校のサッカー部の監督のお力と言っても過言ではない。


少し遡る。


高校生の時、成立学園サッカー部で2年次に副主将を、3年次に主将を任された。

自分で志願した訳じゃない。

監督やスタッフから任されて、頼られるのが嬉しくて良い気分になってやってみた。

この表現が正しい。

そんな主将がチームを引っ張っていたら選手権決勝前にチームが分裂するのも当然の結果だろう。

もう少し遡る。


成立学園サッカー部に入部を決めたのも、ほぼ確定していると言われていた鹿島アントラーズユース昇格に最後の最後で叶わず、同じチームメイトだった仲間に誘われたから。

自分で高校をリサーチして比べて選択して決めた訳ではない。


更に更に遡る。


サッカーを始めたきっかけはなんですか?

そう問われた時に大体の人はワールドカップで活躍する選手を見てかっこいいと思った。
サッカーをやってみたら楽しくてサッカーを始めたいと強く思ったなどである。

私がサッカーを始めたきっかけは当時太っていたから。

太っていた私に対して、両親がさすがにスポーツをやらせないとまずいと思い、幼稚園のクラブにサッカークラブしかなくサッカーを始めた。
(本当だったら私は左利きなので、野球をやらせたかったらしい、、、)


私のサッカー人生を振り返ってみると、幼い頃から大学生になるまで自身の人生を自ら選択することはなく他人に頼り、他人任せになり、他人に従ってきた。

それを気づくのに13年以上かかってしまった。

大学2年生に変わる時にスタメンとして試合に出場していた。

何故私はスタメンで使われているのか、全く理由が分からなかった。

あっという間にスタメンから外された。

その理由はすぐに分かった。

自信なさげにプレーをしている。消極的。

それは今思うと自身で人生の選択をしてこなかったから自分に自信がなかったからだ。

それからは腐っていく一方だった。

Bチームのぬるま湯に浸かり、楽しいの勘違いの連続。

毎日深夜2時まで起きていてたったの3時間睡眠で練習する。

何という体たらく。

今思うと本当に両親には申し訳なかった。
この場を借りて謝罪をしたい。



しかし、私はあることをきっかけに自分と向き合うこと出来た。

それは私が当時大学2年生だった時の、
関東2部リーグ昇格をかけた決定戦である。

前年度に関東2部リーグから降格をしてしまい、1年での関東リーグ復帰を目標にして挑んだ試合である。

延長後半残り1分。

1対2で負けていた。

ラストプレー。拓郎さんのフリーキック。

決めた。

まだ試合が決まった訳ではないのに涙が溢れ落ちてきた。

PK戦の最中も泣いた。

勝った瞬間号泣した。

チームが1つになるということ。

それを体現したのはまさしくこの試合だった。

今でも鮮明にあの瞬間を覚えている。



私はこの試合に救われた。


情けなさでいっぱいだった。


私は何の為にこの日本大学サッカー部にいるのだろう。


チームの為に行動したい。


私はそこでサッカー人生の中で初めての選択をした。



総務になろうと。その為に副務になる事を決めた。


ただの選択ではない。



責任が伴う選択をした。


誰もがやりたがらない総務という役職。

チームメイトから、また両親から言われた。

事務作業等に追われてサッカーからチーム編成から離れていくよ?と

私はそうは思わなかった。

初めての覚悟のある選択。

チームの裏方の仕事をしながら表舞台に立ってやると。

一昨年の11月頃、当時総務だったクロコさんが教育実習でチームから抜けて、代理で総務の仕事を行なった。

これまで以上に追加登録やら事務作業やらに終われる日々だった。

一昨年の関東後期リーグ
集中応援
対青山学院大学戦。

スタメンとして試合に出場することが出来た。

自分の決断は正しかった。そう強く思えた瞬間だった。

引退までチームの為に動こうと再確認出来た。

新チーム、4年生になり監督やスタッフから主将やれば?と言われた。

ありがたい助言を頂いたが、私の心の中には迷いは全くなかった。

総務をやる。

私しか総務を務める事が出来ない。

そう断言出来るくらい自信があった。

覚悟を決めた選択を、副務をやると決めた時に出来たからだ。

決断した時から現在に至るまで、本当に良い経験をすることが出来ました。


私は本当に運が良いと思います。

素晴らしいサッカー人生を歩む事が出来たから。

先程、日本大学に入ったことや主将を務めたことなど、不満がある様な言い回しに聞こえたかもしれません。
誤解を招いてしまったら申し訳ありません。

全くその様なことはなく数々の素晴らしいチーム、指導者に出会い、沢山の素晴らしい経験を出来たと胸を張って言えます。

本当にありがとうございました。


少し自分のことを話し過ぎました。





これからは後輩達に向けて。


早期解散を監督が決断し、リーグ戦は終わっていないが11月末でメンバー以外の部員、4年生は早期引退、それ以外の選手は冬オフに突入した。

長い長い冬オフ。

楽しんでいることでしょう。

関東後期リーグ、最後の最後に4連勝。

今日本大学サッカー部は例年に比べてとてつもない速度で成長していると言える。

それはチーム全体がもたらした勝利、成長だったのか。

違う。

間違いなく違うと断言出来る。

何故最後に4連勝出来たのか。

理由は明白。

部員が減り外的要素が減り、試合に集中出来る環境が整ったから。

残っている部員や広報部、学連などチームの為に動く選手のみが力を合わせたから。


あえて厳しく言わせてもらう。





邪魔者が消えたから。





こんな屈辱的なことを言われて悔しいと思わない部員はいないだろう。



未来ある後輩達へ。



監督が良くおっしゃいます。


覚悟を持って階段を降りて来いと。


私から最後に伝えたいことは、


チームの為に動いて欲しい。


覚悟を持って決断して欲しい。


そしてその決断に責任を持って欲しい。


私は自ら決断して価値のある時間を過ごす事が出来ました。

皆んなにも悔いなく素晴らしい時間を仲間と共有してもらいたい。


耀や憲也、坪が厳しい要求するでしょう。

力になってあげて下さい。

八重がうざいほどチームのプラスになる提案をするでしょう。

渚生や舜介が練習中、言葉遣いの悪い要求をしてくるでしょう。

程よく受け入れてあげて下さい。

まだ私は引退していませんが、少しOBの様な目線になっています。

来年後輩達がどんなチームを作ってくれるのだろう。

今からとてもわくわくしています。





生意気で可愛い後輩達へ。





期待しています。

本当に長々とまとまりのない文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。

私が今思っている事を全て伝える事が出来ました。


最後になりますが、

1月7日、2日後に全国大会が始まります。

日本大学サッカー部が18年振りに全国大会に出場するという事で、仲間と共に新たな歴史を創りたいと思います。

3回戦まで無観客試合となりますが、youtube配信されますので、ご声援のほどよろしくお願いいたします。

・西羽 開 (にしは かい)
・出身地 埼玉県
〈経歴〉
・吉川ホワイトシャーク→レジスタFC→鹿島アントラーズつくばジュニアユース→成立学園高等学校→日本大学

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