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「彩り」 4年 青木 晴暉
サッカーと出会って13年が経ちました。
サッカーが沢山の経験をさせてくれました。
サッカーのおかげで成長することができました。
サッカーをして幸せを感じることができました。
サッカーを始めてほんとに良かった。
今までの人生の中で一番大切にしてきたサッカーが終わりを迎えようとしています。
正直まだ実感はありませんが同期の引退ノートが更新されていくのは寂しい。ほんとに現役を引退するんだなって。
サッカー人生を少しだけ綴ってみようかな、少しね、、
皆さんお疲れ様です!
ご挨拶遅れました!
今シーズン、日大サッカー部の雰囲気を少しでも良くできるように常に声を張り上げてきました!
四日市中央工業高校出身、文理学部体育学科
青木晴暉です!
冒頭では普段の自分とは違う感じで表現してみようと思ったんですけど、やっぱり明るい方が居心地がいいのでテンション高くいこうと思います!
最後まで読んでもらえるとほんとに嬉しいので、よろしくお願いします!
プロサッカー選手になるために、50人以上のプロサッカー選手を輩出している
三重の名門「四中工」に入部した。
ここで自分なりにサッカーと向き合い続けました。
2年生のときには全国大会ベスト8をピッチの上で経験することができた。
3年生では主将を務めることになり初めて重責を担う立場で1年間闘いました。
自分のことしか考えれないし、自分のことで精一杯だった奴がまさか主将になるとは思ってなかったな。
同期約40人全員も同じことを思ってたよね、(笑)
今年も全国に行って伝統を守り続けるという目標を掲げてスタートした新チーム。冬の強化期間を乗り越えラストシーズンが始まろうとしていた矢先に悪夢のような出来事が起きた。
コロナウイルス感染拡大。
約3ヶ月間活動停止。
夏のインターハイも中止になった。
直近の目標が無くなり、部活動が再開するのかどうかもわからない。
公立の工業高校ということもあって、
大学でサッカーを続けるのは5人くらいでほとんどの選手が高校サッカーで最後になる。
強い覚悟を持って入部して高い熱量でこれまで高校サッカーにかけてきた選手たちの熱量が失われるのはチームとしても自分自身も1番あってはならないと不安を抱えながら葛藤していた。
誰か辞めてしまうかもしれないと思ったこともあったかな。
リーダーとして1年間一切弱いところを見せないようにチームの事だけを考え、選手全員が同じ方向を目指せるように取り組みました。
その年は無事に冬の選手権が開催された。
結果は県予選敗退。
全国には行けなかった。
自分の責任、実力不足でした。
まだまだ努力が足りなかった。
ただ、1つだけ自信を持ってできたことがあります。
それは同期一人も欠けることなく最後までサッカーができたこと。
活動ができなかった3ヶ月間、
市内の施設に頭を下げサッカーができる環境をつくりました。
限られた回数の中で県外の選手にも電話でお願いして無理矢理でも誘ったこともあった。
(静岡のシュンスケ)
選手が本気でサッカーをしている姿が自分自身の支えになっていました。
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大学4年間を振り返ります。
2024年7月24日水曜日午前8時頃、
幼い頃からの夢であったプロサッカー選手になることを諦めました。
その背景には沢山の学びや経験がありました。
大学1.2年
ありがたいことに1年目の後期からトップチームで活動をさせてもらい、2年目には1部昇格という今までにない興奮を味わうことができた。
毎日のように先輩に付いていき、
自主練で一緒にボールを蹴ったり、
おしっこがプロテインになるぐらい飲んだり、
筋トレは食事の箸が痙攣するまで追い込めと言われたり、
怪我は骨が折れたら怪我。
頭を強打してもサッカーは脳が揺れてからが勝負だと。
センターバックとしてゴールを守る為には当たり前のことを身につけられた。
プロになるための下積みとして必死に毎日を過ごした2年間だった。
3年生
2023年シーズンは関東1部リーグ。
プロになる為には最高な舞台が用意されている。
開幕スタメンの枠を本気で狙い高みを目指してやっていた。
しかし、
開幕前の紅白戦。
途中で監督にプレーを辞めさせられた。
何もなかったかのように「大丈夫です」と言ったがダメだった。
足首の痛みを誤魔化しきれなかった。
診断結果はひびが入っていた。
いや、折れてへんやん!
と思いながら寮で映像を見返したら必死に走る産まれたての子鹿のような自分がいた。
それから復帰までの3ヶ月間は同じ怪我人生活を送っていた仲間と刺激し合いながら乗り越えてみせた。
こうよう(4年久御山)たつみ(4年日大山形)
あのときはありがとう。
復帰して登録されたのは1、2年生主体のBチームのIリーグ。
自分でもなんとなく予想はしていたし、結果を出してまたトップチームに戻ればいい。
て、思ってたけどいつの間にか
3、4年生主体のBチームの社会人登録になってた。
しかもフォワードにポジション変更。
センターバックとしてこの大学に入りプロを見据えて勝負すると決めていたからさすがにフォワードは無理だろと思ったけど、やるしかなかった。
チームのために自分ができる最低限のことを直向きにやり続けた。
環境が変わったり、理不尽で不利な状況になったりすると自分にベクトルを向けることができなくなるのが人間の弱い部分。
どうせやるなら変なプライドなんか捨ててチームに必要な人間であることを証明するために全力でやり続けること。
結果が出なくても、行動し続けた過程が最終的にチームに良い影響を与える。
1年間Bチームで出場機会はあまりなかったけど
ポジションが変わったことでよりチームに必要とされたいという感情が大きくなった。
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2024シーズン
4年生にとっては最後の年、
サッカーに全力を注ぎたい。
日常のようにプロになりたいと言っていた同期が
「大手行きたいな」「起業するわ」
「説明会行こうよ」「サッカーしたいけどな」
現実を受け入れ目的が変わる選手もいれば、
自分を信じてプロを目指す選手もいた。
去年まで意味がわからなかった4年生の気持ちが理解できた瞬間だった。
その輪に入り込む嘘の自分を演じながら就活をした。
どうせやるなら全力ということで
関東リーグ開幕までには納得いく就活ができた。
そして最後の新チーム。トップチームのホワイトボードには自分のマグネットがあった。
天皇杯予選、関東リーグはフォワードとして出場することができ、
チームが苦しいときにプラスの声を出して、
前線から守備の選手に対して常に指示を出して、
自分の役割を真っ当した。
プロになるチャンスが毎週のように訪れる。
サッカーを続けたい、その一心でプレーした。
そしてリーグ戦第7節、東洋戦後そのままチームを離れ地元四中工へ教育実習に行った。
母校の教育実習は少し特殊かもしれない。
いや、おかしいか。
教育実習生はほぼ選手扱い。
朝練に選手として参加して、
生徒に授業をして、
午後練も参加して、
夜のスクール、トレセンを指導して、
帰って指導案を作り、3時間寝て朝練、
土日は遠征に帯同する。
チームに戻ってまた闘える準備期間としては、
最高な3週間だった。
実習を終えチームに戻る。
また高い熱量でサッカーと向き合うが、
同じポジションの下級生が結果を出す。
そこには好調なトップチームの姿があった。
居場所がないように感じ、焦りしかなかった。
今まで通りチームを鼓舞して結果で証明するしかなかった。
自分を信じて名前を呼ばれるために、プロになるためにプレーした。
それから1回もベンチにすら入ることができなかった。
そして、、、
2024年7月24日水曜日の朝練後に監督から、
「明日からBチームで頑張ってこい」
この瞬間にプロを目指すことを辞めた。
今まで一緒にサッカーをしてきた仲間、
サッカーを本気で指導してくれた方々の存在。
いつも遠くで応援してくれる友達、
沢山の人が自分を成長させてくれたのに、
1番に伝えないといけない人にも言えなかった。
そんな人たちがいたから目標のために頑張って来れたのに、「サッカーを辞める」という言葉が、
その人たちを裏切ってしまうのではないか、
そう想うと怖くて、情けなくて、、
しかし、ウメ(4年八千代、社会人チーム主将)が
「はるきBの雰囲気変えてくれよ」
何気ない声掛けだったかもしれないけど、
この一言で心が救われました。
今まで自分がしてきたことに意味があったんだと
チームに必要とされている人間なんだと知ることができた。
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決して、Bチームの雰囲気が悪い訳ではなかった。ただ、トップにいれない悔しさがちょっとした行動や言動にネガティブ要素が混じっていただけ。
それを少しでもポジティブな方向にするために、練習から率先してプラスの声掛けをしたり、
自分が犠牲になるようなプレーで仲間を活かしたり、時には厳しい言い合いをして削り合ったりしたこともあった。
それが自分に求められた役割だと信じてやった。
最終的に社会人チームは目標としていた昇格圏内のリーグ2位という結果を残し、
市原カップはグループリーグ突破を果たしたがトーナメント1回戦敗退。
チーム全員が勝ちに貪欲になれたこと、
チームのために闘いたいと思える選手が増えたことが結果に繋がったと思う。
プロになることを辞めてからの数ヶ月間、
今までで一番サッカーを楽しむことができた。
本当になりたかった姿はプロではない気がする。
誰かの頑張りが報われたとき、
気持ちが落ちている選手が頑張れたとき、
目の前の人の笑い顔を作ったとき、
そんな誰かの笑顔を見ることが幸せであり、
その笑顔を作ることに喜びを感じてた。
これが本当のなりたい姿。
まだ来月に控えるインカレが4年生には残されている。絶対にチャンスはあると全員が信じて、
必ず社会人チームの4年生が1人でも多くメンバーに入れるように最後まで走り抜けよう!
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心ある人の支えの中で今の自分があります。
最後に沢山の人に感謝を伝えたい。
これまで青木晴暉に関わってくれた全ての方々、応援してくれた方々、本当にありがとうございました。
今まで指導してくれた監督、コーチへ
サッカーに対する熱量が高い指導者ばかりでした。
沢山の刺激を与えてくれました。
ありがとうございました。
大学の友達へ
学校では気軽に声を掛けてくれて、関西弁をいじってくれて、試合にも応援に来てくれた人もいたね。ほんとにありがとう。
地元の仲間へ
帰省の度に一緒に年越しをして、お酒を飲みながら思い出話で笑い合うあの時間が幸せでした。
たまに東京へ遊びにきたときは時間を空けてすぐ会いに行くぐらい勇気を貰える大切な存在です。
最後まで応援してくれてありがとう。
後輩へ
どの学年も個性があって生意気で来年から少し不安やけど沢山接してくれてありがとう。大学生活あっという間やでとりあえず落ちてるゴミ拾っとこ。高い目標掲げて頑張ってください。
コーヤ、カイト、タケ特にこの3人。
高校からの後輩へ
こうして日大にいるということは偉大な先輩方が努力して結果を残してくれたからだよ。
後輩たちのために一生懸命努力してね。
ヒラオ、ヒラソウありがとう。
同期へ
まず、1年間チームの先頭に立って目標を示し続けてくれた主将コウキ(前育、横浜FC内定)。支える必要がないぐらいピッチ内外の行動、リーダーシップでまとめてくれた。双子揃ってプロが決まったとき嬉しかったな、自慢したいので絶対に活躍してね。
インカレ取るよ!
まあ簡単に、
いつも意気が合ってた山形コンビ。
サッカーバカすぎる横浜FCコンビ。
同じ学部でパッとしない文理学部。
平井大と彼女が大好きな山田のほっくん。
甲府内定双子の弟。
企画運営班長のセルヒオ・ブスケツ。
イケメンだと信じたいミヤ。
ずっと気まずい明誠。
かんぺい。
ヴェルディの泥棒サカイ。
めっちゃいい奴カイ。
支持率が高いと思われる社会人主将ウメ。
高校日本一、日夜も日本一、山梨学院のソウタ。
4年間苦しいことの方が多かったけど、この仲間がいたから乗り越えることができた。
ありがとう。
最後インカレに向けて全員が闘おう。
最後に家族へ
これまでたくさん苦労させました。感謝してもしきれないです。
4年生になって初めて開幕戦と最終節を三重から観に来てくれて嬉しかったです。
最終節のあと、言えなかった事を両親に伝えた。
サッカー辞めるねって伝えたら父から「サッカーやって来れて良かったね」と言われたときサッカー頑張って本当に良かったなと強く思いました。
母は一回もサッカーに触れてこなかったけど、陰でいつも応援してくれていました。
姉は写真撮りにきてくれてありがとう。
妹はやりたいができていることに感謝を忘れないでね。
家族の存在が大きな支えとなり、誰かの為に頑張ろうと思えたきっかけになりました。
本当にありがとう。これからもよろしくね。
日大サッカー部には今年最後のインカレが来月に控えています。
サッカー部一丸となって精一杯闘います。
皆様の応援が選手たちの支えとなり、それが大きなパワーになります。
熱い応援よろしくお願いします。
今後とも日本大学サッカー部へのご支援、ご声援よろしくお願いいたします。
あと、朝練の前に必ず聞く曲を紹介します。
Mr.Childrenの「彩り」
是非聴いてみてください。
青木 晴暉(あおき はるき)
〈経歴〉
大矢知サッカー少年団→アフェラルセ四日市→四日市中央工業高校