「雑草魂」 二年 二上 彰太
今回、noteを担当させていただきます、日大明誠高校出身、商学部商業学科2年の二上彰太です。(にかみとかふたがみとか言われることが多いですが、フタカミです。)
私が大学サッカーをしている意味をこの場を借りて書かせて頂きます。
上手な文章ではありませんが最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
私には姉が三人いて全員バスケをしている。そんなバスケ一家に生まれたのが俺だ。当たり前のように、バスケの道への誘惑は半端なかった。バスケットボールの体験にめっちゃ連れて行かれた。(笑)
そんな中で自分で大好きなサッカーを選んだ。
幼少期からサッカーを始め、小さな町クラブを経て山梨の日大明誠高校に進学した。私の辿ってきた道は決して強豪のチームでもなく、エリートな道でもなく、いわゆる凡人である。
そんな私がなぜ大学でサッカーを続けているのだろうか。
「自分の限界にチャレンジしたい。」
「四年間で大きく成長したい。」
このように思ったきっかけは、高校三年の全国高校サッカー選手権に初出場した時のことだ。
全国のレベルも知らない私が唯一小さな頃から目標としていた舞台である。素晴らしいスタジアムで大勢の応援団がサポートしてくれた中、初戦敗退。大舞台で全国のレベルを知らされ、何もできない自分の不甲斐なさに非常に悔しさを感じた。それでも全国には更に上がいる。
そんな上のレベルにもう一度チャレンジをしたいと決心をし、多くの方の支えの中で私は大学サッカーに進んだ。
大学サッカーが始まってから、私は毎朝4時半に起き、練習に向かう毎日を過ごしている。
当初は、みんなどうしてこんなに上手いのだろうと感じる毎日であった。入学当初、何も出来ずサッカーをこなしているだけになっていた。サッカーにストレスを感じていた。
そんな中、私は第五中足骨を骨折した。
全治4ヶ月。
サッカー人生で初めての挫折かもしれない。
小さい頃からサッカーを続けてきてこんなに上手く行かなかったことはない。
私は、高校大学の先輩である鈴木大さんのnoteを思い出した。
「塞翁が馬」
この言葉の意味は、「人生の幸不幸はその時点では判断できない」
怪我をした時はその時は、本当に苦しかった。しかし、怪我をしたことによってサッカーのことを考える時間が増え、大学サッカーに来た意味を再確認することができた。また、復帰後怪我をする前よりも行動に移すことが増え、前向きにサッカーをできるようになった。
まさにこの言葉の通りである。
「怪我をした時は苦しかったが、今となっては自分を大きく変えるきっかけとなった。」
私は現在は、Bチームでプレーをしている。
サッカーをやるからにはトップチームを目指して、チームを勝たせられる選手になりたい。
四年間の中で、上手く行く時も行かない時もある。どんな時でも何か行動を起こして自分の成長の糧にしたい。
大学サッカーという場は成長するためのきっかけがたくさん含まれている。
グラウンドや、IPCなど日本でもトップクラスに整った環境の中でサッカーに向き合えていることに感謝をしなければいけない。また今ある環境を最大限利用して、四年間努力をし成長したい。
そして、日大サッカー部の関東一部昇格のためにピッチ内外で貢献していきたい。
長々と拙い文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
いつも支えてくれている両親や、このコロナ禍でサッカーができていることに感謝しています。これからもチャレンジャー精神を持って頑張っていきます。そして、今後とも日本大学サッカー部を応援よろしくお願いします。
二上 彰太 (ふたかみ しょうた)
<経歴>
FCVIGORE→TACサルヴァトーレ→日本大学明誠高等学校