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「チーム愛」4年 平賀 禎大

初めまして。


日本大学 文理学部 4年
体育会 サッカー部 総務の平賀 禎大(ともひろ)と申します。


まず初めに、日頃より日本大学サッカー部へのご支援、温かいご声援ありがとうございます。
また、大学サッカーの発展においてご協賛いただいているスポンサー企業様、
ご尽力いただいている学生連盟をはじめとした全ての方々に心より御礼申し上げます。
総務にならなければ気づかなかったことや見えなかった視点から
私たちが大学サッカーと向き合えることが“当たり前”ではないことを改めて実感いたしました。
引き続き素晴らしい大学サッカーを、
そしてこれからの日本大学サッカー部をよろしくお願いいたします。


本題に入る前に、これを読んでくれた人に少し考えていただきたいのが
『大学サッカー』の見える姿と見えない姿です。


日本の義務教育を終え、高校やユースでサッカーを続けた人間が
プロになる、コーチになる、クラブスタッフになる、教員になるなど
様々な夢や目標を持って集う場所が『大学サッカー』です。

早い時間から朝練をしたり、強化期間問わず走ったり、他大学のオフを気にしたり。。
もちろん楽しいことだけでなく、辛いこともたくさんあります。
しかし、週末になると各大学のプライドをかけて熱い試合が繰り広げられ、
両親や応援してくれる人たちのために一生懸命プレーする。

そんな素晴らしい『大学サッカー』の背景をここで紹介させてください。

『大学サッカー』は選手やスタッフだけではなく、大学によってはマネージャーがいて、各大学、地域に学生連盟(以下学連)の人たちがいます。
学連の人たちが毎週あるリーグ戦のために平日にミーティングの開催や、大会があるたびに設営、運営、管理などをしてくれているおかげで試合を円滑に進めることができます。
そういった背景を知る人は多くはいませんが、大学サッカーには学連の人たちが必要不可欠であり、これから大学サッカーをやる人たちは学連の人たちに感謝の気持ちを忘れずにプレーしてほしいと総務として接した学連の方への微力ながらの感謝も込めて伝えたいです。
これから大学サッカーを観る人は『大学サッカー』が選手だけでなく学連の学生と一緒に作り上げられていることを知っていただけるとより大学サッカーの魅力が増すのではないでしょうか。




ここからは私の4年間を振り返ります。




まだ外は真っ暗な朝5時ごろに起きてカーテンを開け、

練習会場に向かう途中に早歩きの慈英「仙台ユース/4年」に追い抜かれ(あれは結構うざいとキング酒井「東京Vユース/4年」だけでなく後輩からもクレームが溢れる)

6時に整列をし、挨拶をしてから練習に取り組むこの日常があと1か月もないことをこのnoteを書きながら実感しています。

入寮してすぐの頃にかんぺー「佐野日大/4年」、きょうせい「鹿児島実業/4年)」と間違ってラグビー部の風呂に入ったのが懐かしいです。



同期のnoteは当たり前ですが全て読ませてもらい、感動や笑いが続いているところで、

棘に囲まれながらもしっかりと芯のあるバトンを副将 弘達「前橋育英/4年」から受け取ったので

受け取りやすいように少し整えて梅「八千代/4年」に渡してあげようと思います。










大雨の中、父が運転してくれる車で稲城にある寮に向かい、

ギターが部屋にある少し怖そうな同部屋の4年生と

個性豊かな同期20人を含めた約80名の仲間との日常が始まった。




幼少期のころは『良い子だね』

最近は関係が深くなるほど『真面目だね』

とよく言っていただくそんな私のここで過ごした4年間を振り返る。




1年目


前回のnoteでも述べたが、高校サッカーで全国大会に出られなかった私は

長年苦しまされた足首の手術を1月にしてから大学のサッカー部に入部した。

それからはプレーをしなかった半年間のうち、4か月ほど外から大学サッカーを見た。

そこで実際に感じたのは 『チームの温度差』だ。

様々な実績や経験を経て入部した選手たちが
それぞれのカテゴリーで100%の力を注ぐことが難しい場合もあると知った。

そこにはプライドだけではなく、学生にしかない悩みもあった。


復帰してからの私は1.2年生主体のiリーグで出場機会をいただき、1年間試合に出場し続けた。

しかし、冬の新人戦全国大会では1分も試合に出場できなかったことで、悔しい思いを抱えたまま新シーズンを迎えた。



2年目



ここで私に転機が訪れた。

それは、全く試合に出られなくなったことだ。

1個上の先輩にベンチの温め方を学ぶという屈辱的な時間が増え、自分の存在意義を考えた。

この辺りから私に明確に浮かんだ考えがある。


それは



『チームをピッチ外からも支えたい』

『チームに愛を持つ』


最初は小さいことだったかもしれない。

公式戦前になつくん「徳島市立/2024年卒」と掃除することから始まり、
副務になる覚悟を決めたあたりからチームに対する愛が芽生えた。

試合には出場していなかったが、夏の御殿場合宿での優勝や関東リーグで活躍する同期がいたことが自分のことのように嬉しかった。

この時期が1回目のnoteを書いたすぐ後ということもあり、『この時の気持ちは忘れたくない。』と強く感じた。


これらの積み重ねがチームを勝たせる自覚とチームに向き合う姿勢につながり、
幸いにもiリーグでの出場機会やゴールにつながり、
シーズン終盤にはトップチームに上がることができた。

正直Bチームにとわくん「町田ユース/2023年卒」がいたのは大きかったし、試合に出られない自分にとって活力となる存在だった。

だからこそ一緒にトップチームに上がって最終節メンバーに入れなかったのは悔しかったし、彼の涙は鮮明に覚えている。


あとよくジョイフルのチーズケーキを一緒に食べさせてもらったことも覚えている。


こうした間に日大は18年ぶりの関東リーグ1部昇格を果たし、
自分にとっての新たなステージが用意された。







3年目


関東リーグ1部開幕スタメン



春先の茨城合宿からは考えられないことが起きた。

マッチアップは現在日本代表にも選出される選手だったし、
関東1部にはプロになる選手ばかりいた。

とてつもない実力差を経験したのち、
3試合目からはスタメンに自分の名前はなかった。

まあ正直妥当だ。

そこからはベンチ、ベンチ外と試合に出場しない時期が続いたが、
師匠栗田さん「川崎U-18/2024年卒」に練習終わり毎日クロスを教えてもらい、
夏の中断明けの東海戦はベンチ外だったが、次の試合の拓殖戦に出場した。

4月ぶりのスタメン出場でクロスからアシスト未遂をした。
あのプレーで初めてチームに貢献できた気がする。

そこからはアシスト、ゴール、全くよくない週と様々あったが
インカレまで全試合にスタメンで使ってもらった。







4年目



総務兼選手として迎えたラストイヤー



シーズンが始まる前に怪我をした。


全治2か月


さすがにやっている。


これからチームを引っ張りたい、支えたいと思っていたのに怪我で離脱。

春先の茨城合宿には帯同せずに稲城でリハビリをした。

そんな時に父から一件のLINEが入る。



『ちなみに3年前の今日は入寮日だったね ファイト✊』



ナイス父さん。


ここからさらにリハビリのギアを上げ、なんとかリーグ開幕に間に合った。



迎えた4月7日の開幕戦


こうよう「久御山/4年」率いる企画班ときょうせい率いる広報班の連携のおかげで観客席にはたくさんの観客がいた。

2ヶ月ぶりに復帰した自分の立ち位置は残念ながらベンチメンバーだった。

しかし、あそこから見た景色はこれまでサッカーしてきた中でも1番と言っていいほど感動したし、試合前なのに泣きそうだった。




高校の最後の試合がコロナ渦で無観客だったから


違う。


自分がベンチで悔しさからの嫉妬


それもあるけど違う。





チームに愛を持ったから



これだと思う。
そのくらいこのチームにいて良かったと心から思った。


その後は去年のように試合にでることはできず、ベンチ外9割スタメン1割の期間を長く過ごしたが、相変わらずチームへの愛は変わらなかった。



そんな時、いのけ「町田ユース/4年」から学校帰りにナンを食べながら

『なんでそんなにチームのためにやろうと思うの?』

と直球ど真ん中ストライクな質問をいただき、

『チームが好きだからじゃないかな?』

と答えたが自分でもなんでなのかはわからない。なんだけに。


すみませんでした。これはいのけが言ったことにしてください。


でも一つ言えることがある。

それは

チームへの愛を捨てずに持ち続けていられたのは、総務として色々な人へのリスペクトできる視点が見られたから。


実際に日本大学サッカー部や外部に注目すると様々なことに気づく。


試合告知が遅れたりミスがあったりすると必ず怒られるし、褒められることはそんなにない広報班(かっこいい告知画像を作ってくれたらみんなも拡散やありがとうを言おう)

一生落ち葉も落ちているごみも指摘される環境整備班(これはチームの問題として捉えて、皆でグランド内、外問わず目を配ろう)

社会人担当だけど仕事が上手くいかなくて怒られるやつ(副務やってくれてありがとう)

怪我が重なって不安なはずなのにチームメイトを応援したり総務の活動を感謝してくれたりする後輩

カテゴリー関係なく目標に向かって努力する同期

来年総務になる可能性から不安が溢れるが不満はこぼさない頼りになる松本「帝京長岡/3年」

また、日大担当や他大学、関東大学サッカー連盟や全日本大学サッカー連盟の学連の人たちの仕事ぶりにも注目するとまだまだ自分にできることがあると再確認できた。


このチームに属して選手だけでなく総務としてもチームの成長を実感し、チームが勝つと総務としての仕事が増えることで大変さや辛さ、犠牲心をもって過ごした日々もあったが、チームの勝利の喜びに勝るものはない。

だからこそ俺たちが今年掲げた『頂戦』にみんなで挑みたい。

試合に出場する選手は出場できない選手や応援してくれる人々のために全力で戦おう。

結果を残してくれた社会人の4年生のためにも誇れる日本大学サッカー部になるためにインカレに臨もう。

それが私のこのチームへの愛と求める結果です。


と言っていたらインカレ前に怪我をしました。
サッカーの神様がほんの少しいじわるをしてきた気がします。
怪我をしたことはまだ親には言えていません。
そして初戦の日の朝また父から連絡をいただきました。

『今日の立ち位置はわからないけどインカレ頑張れ💪』

最後の力を振り絞ってインカレに向けて頑張ります!!






最後に

AZUL SC、FC 古河、 佐野日大高校、 そして日本大学サッカー部の指導者、関係者の皆様、在籍中は誠にありがとうございました。
AZUL SCではボールを運ぶコツと負けず嫌いな心を、
FC 古河では雑草魂とかけがえのない仲間を、
佐野日大高校では理不尽に耐える忍耐力と仲間のために頑張る力を、
日本大学サッカー部ではピッチ内外の大切さと人の視点に立って考える力を与えてもらいました。
皆様から頂いたご指導、ご鞭撻はかけがえのない財産です。
また、皆様のおかげで素晴らしい仲間と一つの目標に向かって努力することができました。
本当にありがとうございました。



同期へ

まだ引退じゃないけどまず4年間お疲れ様でした。
元気で、サッカーが好きで、気まずいコンビが1組しかない仲のいい学年だったかなと思います。
ひとりひとりに目を向けると個性豊かで癖の強いチームメイトばかりでした。
私の立場上、学年の幹部、総務としてみんなの意見に耳を傾けることが多く、
チームのルールや罰に文句を言う人たちの愚痴に付き合うことがありましたが、
みんな口をそろえて『弘貴が言うならしょうがない』と言っていましたね。
目標に向かってまっすぐに努力することができ、リーダーとして方向性を示し、叱らなければいけないときは叱る。
これは主将だけでなく副将にもある能力です。
慈英のことをみんなの前で指名して怒るようなことは私には真似できません。
私はこっそり2人の時に『気をつけろよ。次はないぞ』というタイプです。
リーダーは嫌われてしょうがない、嫌われなきゃいけないってよく聞くけど
背中で示し、発した言葉を裏切らない行動をとり続けて結果を出すと、それに乗っかる仲間に溢れ、チームは成長できるのだと実感しました。
自分にはなかった厳しさを持ったリーダー像を学べたこと、結果が出ることを信じて努力を継続する姿、文句を言いながらもなんだかんだチームのために力を貸してくれる、与えてくれる素晴らしく尊敬できる同期に出会えてよかったです。
寝坊してももう起こしてあげられないので、しっかり目覚ましをつけてこれからも頑張りましょう。


後輩へ

総務をただこなしてしまい、何かこのチームに残せなかったことが心残りです。
言葉で感謝を伝えてくれたり、試合の時に応援してくれたりとありがとうございました。
一つだけ気になるとしたら、ipcの風呂やケアルームではもう少し静かにした方がいいかもね。
期待できる選手ばかりなので引き続き頑張ってください。
あと、皆で大地を支えてあげてください。
これからも応援しています。


家族へ

まずは幼少期からこれまで何不自由なく過ごさせてくれてありがとうございます。
大好きなサッカーをここまでさせてくれたのに大きな恩返しができずに申し訳ない気持ちがあります。
けど、それ以上に感謝の気持ちでいっぱいだとこのnoteを書きながら思いました。
お母さんは俺が夜遅く帰って来て朝早いときは必要なサッカー用具を乾かしてくれて、
高校の時には毎日美味しくて栄養価の高いお弁当を作ってくれたね。
お母さんのおかげで健康な体を手に入れることができたので、今度はお母さんが身体には十分気を付けて下さい。
お父さんは朝仕事前に俺を駅まで送ってくれて、試合の応援に来てくれたときはサッカーの映像を撮って残してくれたね。
今でも実家に帰るとこっそり観ています。本当にありがとうございました。
お父さんの好きな野球を息子2人ともやらなかったことは予想外かもしれませんが、これは幼馴染の陸斗の強引な誘いがあったと聞いています。
今度陸斗と一緒に直接謝らせてください。

ここでは書ききれない感謝と思いがたくさんありますが、2人の息子で良かったと思ってもらえるような恩返しができるように頑張るので、これからもよろしくお願いします。

また、尊敬できる兄と妹も今までたくさん迷惑かけましたが、これからもよろしくお願いします。




簡潔にまとめたつもりでしたが書きたいことが多くて長くなりました。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

最後になりますが、現在日本大学サッカー部はインカレに勝ち進み、熱い戦いを繰り広げています。
引き続き温かいご声援のほどよろしくお願いいたします。

noteも残すところ2名となりました。
社会人チームを率いて関東1部昇格を決めた梅原と
我らが主将 熊倉弘貴「前橋育英/4年」のnoteにもぜひ注目してみてください!

平賀 禎大(ひらが ともひろ)

〈経歴〉
AZUL SC→FC 古河 →佐野日本大学高校

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