「サッカーが教えてくれた事」4年二上 彰太
今回noteを担当させていただきます。4年二上彰太です。
【サッカーが教えてくれたこと】
「サッカー」
5歳の頃。太っていた僕の運動不足解消のために体験に行った。
「GKグローブ」と「一人だけ色の違うユニフォーム」に憧れGKになる。
当時「太っている奴がGKやる説」が流行っていた。
太っていた僕はその説を立証しそうになる。
「キーパーって難しいし、すごく深いし、結構疲れる」
「俺が失点しなければ負けることはない!」(すごく大事なポジションじゃん)
その時からGKにプライドを持ち本格的にサッカーを始める。
長くGKをやり、気づけば大学まで続けていた。
前置きが長くなりました。
大学サッカーもあっという間に終盤に入り引退noteとなりました。
太っていた頃の時代から現在までのサッカー人生を全て書きたいところですが、長くなるので大きく三つに絞ります。拙い文章ですが最後までお付き合いください。
新入生合流日
みんな強そうなユニフォームを着て、ゲキサカで見たことのある奴らが稲城に集う。
「え。俺だけ通い?!」(みんな寮生)
「毎朝4時30分起き?!」
(4時21分にアラームが鳴り、4時23分に起きる。この二分間がたまらない。)
「目が覚めると朝か夜か分からなくなる」(真っ暗)
「こいつこんなシュート打つの?!」(ミヤハラ ヒカル)
環境の変化に驚きながらも「大学サッカー」の扉を開いた。
【① 大学サッカーで成し遂げたかったこと】
「所属したチームの後輩たちに無名のチームからでも這い上がっていけることを証明したかった」
これまで決して強いチームに所属したことがない。
高校時代、選手権初出場をしたが四日市中央工業に初戦敗退。
奇遇なことに相手チームのキーパーは現在同期である有留だった。敗退をした時、後藤監督やチームメイトから「大学でリベンジして来いよ」と言われ送り出された。
全国で負けた相手のキーパーと4年間共にプレーをできる。こんな良い機会はない。
しかし、現実は勝負にもなっていなかった。現在大学サッカー終盤になるが、一年の時から技術やチームへの貢献度、一人の選手として勝てた部分はなかった。素直に悔しかった。
ただ、二つだけ私の中でやり遂げたことがある。
4年間毎日欠かさずに継続した。
「靴をそろえること」
普通の人からすれば当たり前のことかもしれない。
だけど本気でやった。どんなに疲れても、どんなに酔っぱらって帰ってきても。
自分以外の寮生活はあらゆる場面で周囲から指摘を受ける機会が多い。
しかし、その中で自分は自宅での行動を誰かから見られることはない。
だからこそ常に自分のことを自分で律する必要があった。
これをすることでサッカーが直接的に上手くなるわけではない。
誰かが見ているわけでもない。
ただ、細部にこだわることで少なからずチャンスが転がってくることは実感をしていた。
よくスタッフが口にする「人」として「サッカー選手」として「心」を成長させるための一つとして継続をした。
「タイムに入ること」
一年から沢山走った強化期間の中で記憶の限りすべてのタイムに入った。
昔から決して足が速いわけではないが、高校から意識をしていたこと。
これも当たり前のことかもしれないが、サッカーがどんなに下手でもできる。
沢山サプリメントも買ったし、食事にも気を遣っていた。走り込んだこともあった。
じゃないとタイムに入れない。みんなについていけない。
みんなと比べたら「頑張る」の基準が低いかもしれない。
もっとサッカーを頑張れよと思われるかもしれない。。
しかし、これらは大学入学前の自分には備わっていなかった部分である。
細かい部分にこだわることができるようになった。
「サッカーというツールを使って人として成長をする」
大学4年間を過ごし強く感じられた部分だった。
ただもう少し、いや結構、サッカーも頑張りたかった(笑)
これまで所属したチームの後輩たちにプロになることや試合で活躍をしている姿を見せることはできなかった。
「4年間やり続けること」
「無名のチームからでも上手い選手ばかりの大学サッカーで勝負することができること」
「サッカーは人を成長させてくれること」
少しは何か伝えられていれば嬉しいです。
【②光と影の存在】
何事にも「注目を浴びる部分」と「注目を浴びない部分」がある。
高校時代、一年生の時からスタメンで出場し、試合に出れないことはないし、応援もほとんどしたことがなかった。
全国大会では大応援団で満員のスタジアムの中でサッカーをし、注目を浴びた。
そんな自分が大学に入り、出場機会が一機に消え注目を浴びなくなった。
練習で先輩からプレーに対して文句を言われ、自分に自信がなくなる日々。
いつの日かミスをしないように、先輩から文句を言われないように、サッカーをしていた。当然のことながら、そんなサッカーは面白くないしスタッフから評価もされない。
大学サッカーに慣れ始め、自分のプレーが出せるようになった大学二年時、有難いことにIリーグで出場機会をいただき、Iリーグ一部昇格も経験をした。
今思えばあの時は、サッカーに対して前向きに取り組み、必死に努力もしていた。
少々かもしれないが自分の中では輝いていたと思っている。
しかし、
3年で出場をした社会人リーグVS三菱UFJでキャッチミスをしてから再び出場機会をなくした。
一つのプレーで、一瞬にして周囲からの信頼をなくしてしまうことを痛感した。
更に、そこから自分の立ち位置を変えることができなかったのは上手くいっていない時の過ごし方、努力量が足りなかった。当然の結果である。
試合に出場できない期間を長く経験し、何もしていない自分に不甲斐なさを感じていた。
そこでみんなから「影の部分」で何をするかが大切だということを学んだ。
このチームの中には「影」であっても輝いている人がたくさんいる。
試合に出場できなくても毎日筋トレや自主練を継続している人や、試合がある日には駐車場の案内をしたり、試合会場を盛り上げるための企画をしたり、カッコいい写真を撮ってくれたり、自分たちの活動をSNSに発信をしてくれる人たちがいる。
挙げ出したら限がない。
先輩、後輩関係なく「影ながら」何ができるのか考えさせられた。
これまでのサッカー人生を通じて「光」と「影」をどちらも経験した。
残りの期間チームのために「影ながら」でも貢献したいと思う。
また、これからの人生はどちらの立場であっても輝く存在でありたい。
「③みんなへの感謝」
まずは同期のみんなには本当に感謝しています。
自分は一人だけ通いの中でみんなと過ごす時間は短いけど仲良く絡んでくれて本当にありがとう。ここまで辞めていないのもみんなの頑張っている姿や笑いがあったからです。
いろんな考え方の人がいて、笑いには厳しくて、冗談きついけど!
ありがとう。
そして両親。
22年間何不自由なくサッカーをやらせてくれて本当にありがとう。
4人兄弟全員を高校から私立に行かせ大学にも進学させてもらったこと、その有難みを今になってとても感じています。中々試合を見せることはできなかったけど、これから時間をかけて恩返しします。
本当に感謝しています。
大学でサッカーをやるきっかけを与えてくれ今でも連絡をくれる後藤先生や、沢山のことを教えてくれる先輩、沢山奢らせてくる後輩、いつもサッカーの予定に合わせて遊んでくれる友達、学校に行けば別の視点で刺激を与えてくれる友達、挙げだしたら限がありません。また個人で感謝を伝えさせてください。これまで関わってくれた全ての人に感謝しています。ありがとうございます。
最後に
これまで苦しいことの方が多かった大学サッカー。
想像を超える経験をすることができていると思います。
二年前に書かせていただいたnoteと比べ書ききれていないことがあるぐらい書くことが増え、濃い時間だったと改めて感じています。
引退後みたいな文章書きましたが、まだ終わりではありません。
こんな上手くて熱い仲間と過ごせる残りの期間、これまで関わってくれた人たちへの感謝を忘れずに頑張りたいと思います。
長く拙い文章となりましたが最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今後とも日本大学サッカー部の応援よろしくお願いいたします。