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「置き土産」 4年 長濵 北斗

2021年3月13日。
「見返す」と誓って反骨心を抱き、青森から大都会東京に上京して、私の大学サッカーがスタートした。

気が付けば、2024年11月22日。
「12・12いきます。よーい、スタート。」
火曜日の全体練習で、グラウンドに鳴り響くこの言葉もあと何回聞けるだろう。
聞けなくなっていく寂しさが次第に増していく。まだ、大学サッカーが終わってほしくない。これが、私の本心だ。


ご挨拶遅れました。こんにちは。
今回、noteを務めさせていただきます青森山田高等学校出身、4年 長濵北斗です。
サムネのようにサッカーでも私生活でも大切なものは手放しません。
また、バンデリアン稲城の寮長を務め、毎朝4時40分に起床して、寮の番人をしています。
しかし、引退が近づいてきてこの生活がもう少しで終わってしまうと考えると寂しいですね。来年は、早起きをしてエニタイムでトレーニングをするようにします。笑

金子 達海(4年)から始まったnoteもいよいよ私の番に回ってきました。私の大好きなスターバックスで、ドリップコーヒーを片手に真面目に考えました。これまで約4年間、大学サッカーを通して、経験したことを後輩、noteを読んで下さった方々にお伝えできればいいなと思っています。
拙い文章になりますが、最後まで読んで頂けると幸いです。

この大学サッカーを通して、伝えたいことは2つあります。

1つ目は、「反骨心」です。

私がなぜ「反骨心」を挙げたかと言うと、大学2年生の時に綴ったnoteにも書いておりますが、私は167cmの低身長ゴールキーパーです。青森山田サッカー時代に、身長があれば余裕で取れるボールもファンブル、失点をしてミスを重ねる日々があり、たくさんチームに迷惑をかけてきました。
その都度チームメイトから言われることが、

「チビだからしょうがないよ」「もうちょい身長が高ければな」と笑われて馬鹿にされてきました。

また、高校3年生の時の大学進路決める時に「日本大学でサッカーをチャレンジしたい」と当時のスタッフに言いました。

しかし、返ってきた言葉は、

「170cmもない奴がレベルの高い関東大学サッカーで勝負できるのか?もう一度考え直してみ」でした。

この言葉を告げられた時は、私にはチャレンジする土俵にも立てないだと思い、自然に悔し涙が溢れ出てきました。それと同時にこころの内に秘めていた「見返す」と言う感情がメラメラと青い炎のように込み上げてきたのを今でも思い出します。

見返すことができたかは正直、何が正解なのかわかりません。でも、結果として大学3年生の時は、東京都社会人リーグから関東サッカーリーグ2部に昇格することができ、大学4年生の時は、関東サッカーリーグ2部全試合フル出場、最少失点2位で終えることができました。これが正解かは分かりませんが、目に見える結果として出たことは、素直に嬉しかったです。


2つ目は、「感謝の心」です。

「なぜ、ここまで当たり前のようにサッカーができているのか?」


これを考えた時、背景に思い浮かぶのは、母、父の存在が大きいです。


サッカースパイク、キーパーグローブなどサッカーができる環境を当たり前のように整えてくれました。中学生の時には、高い学費を払ってくれて地元の中学校ではなく青森山田中学校というレベルの高い環境でサッカーをさせてくれました。片道1時間半の移動で、中学校に通っていましたが、夜10時前に毎日家に着いていたにも関わらず美味しいご飯を作って待っていてくれました。そして、高校、大学では、寮生活、上京というところでまたお金をたくさんかけてしまいました。


しかし、私にもこんな当たり前にサッカーが出来ていたのを無駄にしてしまいそうな経験がありました。

それは、大学1、2年生の時です。私は、この2年間で公式戦2試合しか出ていません。その他、同期の石井 開(4年)が試合に出ていました。開は、運動神経がよく反射スピードがすごいGKです。開がスタメンで、私がベンチにいるサイクルが毎週のように続いていました。チームとして大量失点して負ける試合もたくさんありましたが、なかなかメンバーは、変わることがありませんでした。

これには、納得ができませんでした。チャンスも貰えず、大好きなサッカーが大嫌いなサッカーに変わりかけていました。
正直、辞めたかったです。


でも、心の中には母、父の存在が常にありました。大好きなサッカーをやらせてくれるために日本大学に入学させてくれました。こんな一度しかない経験を無駄にすることはできなかったです。
だから、現実を受け止めて、当たり前に行なっていた毎日のトレーニングも初心に戻って「感謝の心」を噛み締めながらトレーニングを行うことができました。


「ありがとうございます。」


母、父には、この一言に尽きます。


この経験を通して、みなさんに伝えたいことは、2つあります。
1つ目は、どんな辛い状況や困難に立ち止まった時に、不貞腐れて何も行動を起こさないのではなく、「見返す」という反骨心を持って諦めないで立ち向かってほしいです。結果が遠回りして出てもいいと思います。不貞腐れて何も行動を起こさないで無駄にすることは絶対にやめてほしいです。

2つ目は、どんなことでもいいです。出逢い、環境、物、家族など当たり前のことに「感謝の心」を忘れないで過ごしてほしいです。感謝の心があったら、苦しい時に絶対にもう一踏ん張りできるはずです。道を踏み外しそうな時は、常に初心に帰ってもう一度見直し返してほしいです。

最後にもう少しだけお付き合い下さい。
「感謝の心」ということで、私の出逢いに感謝を述べさせてください。

この大学生活を通して、たくさんの出逢いに感謝しなければなりません。

「プロ」という形で常に私達の学年を背中で引っ張って来てくれた双子、
自らキャプテンに志願し、支持率が低いと周りから言われながらも社会人カテゴリーの先頭に立ってくれ、最高の結果を残してくれた梅、
常に練習からチームを盛り上げてくれて、熱い熱量でチームを支えてくれた晴暉、
「ドリップまだ?」と毎日言い続け、一緒にコーヒーを飲みながら相談相手になってくれた陽、
オンとオフのメリハリがしっかりでき、サッカーや私生活のことにアドバイスをくれた爽太、
私の前に立ちはだかってゴールを守ってくれた向陽、
隠れてこそこそ頑張っていた酒井、
誰かと言い合いになり話し相手になってくれた猪野毛など20人の同期。(書ききれませんでした。省略してすいません。笑)

世界基準を日本大学ゴールキーパーに示してくれ、高い基準でトレーニングをさせてくれた木村、
入学当時から熱く、やるベースを変えずにやり続ける大切さを教えてくれた亜鶴など後輩GK達。

サッカーに取り組む姿勢、継続力を背中で見せてくれたアリくん、
私に違った視点からアドバイスをくれ、違う世界を見せてくれた鳳馬くんなどたくさんの先輩方。

日本大学サッカー部スタッフの方々。また、日本大学サッカー部に携わってくれた方々。

青森山田時代の同期、仲間。
(プロで活躍している選手。大学を卒業してプロになる選手。オフの日に会って、一緒にご飯を食べて時間を過ごした仲間。みんなの活躍を聞いて、本当に刺激的で私を奮い立たせてくれました。)

そして、
75億分の1人の人に出逢えたこと。


私がここまで成長できたのは、たくさんの出逢いがあったからです。
とても感謝しています。ありがとうございました。

最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
このnoteに綴った「反骨心」「感謝の心」が、大学サッカーを通して、私が残せる置き土産です。みなさんの今後の生活に、少しでもプラスになっていただけたら嬉しいです。
また、日本大学サッカー部は、インカレ出場を達成し、まだまだ熱い試合が続きます。引き続きご声援の方よろしくお願いいたします!

長濵 北斗(ながはま ほくと)

〈経歴〉
木ノ下アルビローハSSS→レオニーノ木崎野FC→青森山田中学校→青森山田高等学校

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