「自己犠牲」 四年 東 憲也
大学最後の試合、終了の笛がなった瞬間涙が溢れ出した。
これまでの人生が一気にフラッシュバックし、たくさんの感情が頭を駆け巡った。体の力が抜け、これまでの苦労や背負っているものが涙になって流れていった。
お世話になった人、サッカーで経験したたくさんの思い出が頭の中を埋め尽くし、”ありがとう”心の中でこの一言だけがその瞬間を包み込んだ。
その裏にはたくさんの苦労がありました。
今シーズン副将を務めました。
四日市中央工業高校出身、文理学部社会福祉学科
東 憲也です。人生を書きます。
これまでのサッカー人生を遡ってほんの少し話そうかな。
人生における大きな選択。
高校は三重の名門「四中工」を選んだ。
熱く厳しい指導、終わりの見えない走り込み、怖い上下関係「これが高校サッカーか」初めてその熱量を肌で感じた。
1年時は全国選手権の空気を経験することができ、2年時も苦しみながらもトップチームでに試合に出させてもらえるほどにまで自分なりに成長していた。
更に3年時には主将に任命され最後の1年間をその立場で戦った。
チームの事はすべて主将の責任。そう教えられた。
チームメイトが寝坊してきた時も「お前の気が抜けているからチームメイトが寝坊するんだ。」そう言われる時もあった。
それも全て受け入れた。どんな理不尽でも乗り越えて見せた。それが強いリーダーだと信じていた。そんな毎日だった。
しかし、サッカー人生一番の悲劇はこの時訪れた。
主将になってほんの1ヶ月後のことだった。
これまで大きな怪我をしたことがなく、骨折もしたことがなかったがピッチの上で骨が折れたのが分かった。
長い期間痛みを我慢してやり続けてきたところがとうとう悲鳴をあげた。
そのまま救急車で運ばれ、長期離脱。
初めて体の限界を知った。痛くてもやらないといけない。弱いところを見せたくない。キャプテンが休んでどうする。強いリーダーの姿、戦う姿勢というものを自分なりに描き、そういった気持ちが体を無理矢理動かしていた。
休まなければ、プレーはできるが痛みは悪化する一方。
しかし休めば、練習もできないし試合にも出られない。
そんな二つのジレンマと葛藤する日々。
このチームにいたから、ならではの考え方だった。
それがこの結果になった。
手術には5時間、試合復帰するまでには8ヶ月かかった。
新人戦、インターハイ、選手権。3年間の集大成。大きな大会で一度もピッチに立つことができなかった。
そしてこの怪我をした時、
初めてサッカーを本気で辞めようと思った。
強いメンタル、ある程度その土台は性格上出来上がっていたし、ここで更に鍛え上げられたと思っていた。しかしそれさえもへし折られてしまうほど最悪な出来事だった。
下を向いて、ため息をついて、これまでの人生を振り返る毎日が続き、家族の顔が頭に浮かぶたびに、申し訳ない気持ちで心が締めつけられ眠れなかった。
しかし、サッカーは好きだった。
どうしても辞められなかった。
家族、仲間、応援してくれるたくさんの人の声が毎日どこからか聞こえる気がして、「待ってるぞ」「またケンヤの熱いプレーが見たい」消えかけていた心の火はいつの間にか大きな炎へと変わっていた。
1ヶ月の入院生活が終わり、久しぶりに会う仲間に「待ってたぞキャプテン」。
チームのために、仲間のためにまた戦いと確信させてくれた。
できることはたくさんやった。松葉杖をつきながら球出し、球拾い、掃除。なんか懐かしいな。
この期間どれだけの人に支えてもらったか計り知れない。
1年間欠かさず連絡を取り合った村松トレーナー。時間があれば寮まで来てリハビリをしてくれる病院の先生は当時三重高校のトレーナー。ここではチームの壁を超えてたくさんの人に助けてもらった。感謝しかない。
この怪我をきっかけにたくさんの人と巡り合い、かけがえのない経験もできた。
支えてくれる人、仲間の存在の偉大さを改めて知ることができたし、ポジティブな面をたくさん探すようになった。誰かのために頑張りたいと心から思う瞬間でもあった。
だから、今だからこそ自分の人生には必要なものだったと感じさせてくれる。
8ヶ月ぶりのリーグ戦のピッチ。一生忘れないな。
大学でもこの苦しかった経験が大きな支えになった。
膝から足首まで入ったボルトも、触ってわかる飛び出したネジの感じも、あの頃を思い出させてくれる。きつい時の一歩を踏み出させてくれる。
右も左も分からず東京に飛び込んだ新しい生活。
知らない顔ぶれを覚えるので必死だった。
周りの選手のレベルに驚かされ、この中でやっていけるのか。そう思う毎日だった。入学当初は不安が大きく、案の定一番下からのスタートだった。
日が経つごとに自分自身の実力と向き合わされ、今思えば日大のサッカーにマッチする選手ではなかったと感じる。自分より上手い選手なんてチームにはたくさんいるし、自分が出ないほうが日大らしいサッカーをできていた可能性も十分にある。それは自分が一番わかっている。
でも自分を信じ続けた。おれならやれる。おれにしかできないこと。やれる事を突き詰めた。
こんな自分をたくさんのピッチに送り出してくれたスタッフの皆様には感謝しかありません。
強いメンタリティと誰にも負けない武器。この4年間はこれだけで勝負してきた。経験と忍耐力。これがあれば人間は何事も乗り越えられる。そう教わってきた。
あっという間に来てしまった最後の年。
大きな期待、掲げた目標、突きつけられる現実、叶わなかった目標。
チームとしても個人としても一番悩まされた1年だった。
チーム内の熱量の差も、そこから生まれるギャップも、どうすれば良いか分からなかったし答えなんてなかった。
引退という二文字が急に響くようになって、週末の試合ひとつひとつがカウントダウン。あと何試合、あと何試合。一週間なんて一瞬のように過ぎ去っていく。
同期と話す時も、「まじで4年間早いな」口を揃えて言うのは本当にこれだけ。
全員が時の流れの早さをしっかり感じていた。
これが4年生の気持ちなんだ。寂しかった。
ぼーっと夕暮れを見ながら思い出に浸る時もあった。昔の写真を見て一人で笑ったりもした。
やっぱり楽しかったな4年間。
この4年生は本当にどうにもならなかった。
個性は強すぎるしプライドも高いし何を考えているのか理解できない。
いろんな選手に特徴があって、ひとつになる事はほとんどなかった。これまで3回、先輩の卒業を見てきたけど一番良くない代だったな。
でもそんな皆を嫌いになれなかったし、むしろ大好きだった。サッカーを本気で愛して、最後は自分の限界を感じチームを去る決断をした仲間もいたけど彼らのこともずっと信じてやってきた。
ひとりひとり与えられたカテゴリーで、勝ちたい、もっと上に行きたい、その思いは皆一緒だったからここまで来れたと思う。
別に綺麗事でも全然構わない。
思い返せばネガティブなことの方が遥かに多いけど、そんなものは最後の涙と一緒に流れていった。
もちろんやり残した事はない。胸を張ってこの大学でサッカーができて良かった。この仲間に出会えて皆とプレーできて良かった。心からそう思う。
この大学でこの仲間と目標に向かって4年間一緒に戦えたことが何よりも宝物になった。
サッカーをやっている以上、苦しいことの方が確実に多かったけど、上手くいかない時、自分のせいで試合に負けた時、きつい時。これらを乗り越えられたのは、すぐそこに信頼できる仲間がいたこと。たくさんの価値観と刺激が自分の糧になった。この支えが何よりも自分を奮い立たせてくれて、成長させてくれた。
自分のことを長々と書きましたが、とにかく楽しかった。後悔はない。それだけです。
感謝しなければいけない人が多すぎる。
これって本当に幸せな事だと思う。
これまで東憲也に関わってくれた全ての方々、応援してくれた方々、本当にありがとうございました。
この1年、チームの先頭に立ってアクションを起こし続けた主将ツボ。なんだかんだ頼りきってた。最後の笛がなってピッチ上でありがとうと強く抱きあった時、その力強さで苦労とチームに懸けてきた思いがわかった気がしたよ。ずっと言えなかったけどありがとう。本当にお疲れ。
ヨウ、きみといると自然と笑顔になったよ。ドライブ行こうな。やることリストまだまだ達成できてないし。
心が通じ合ってたゾロリ。
お前らとならどこへでも行ける気がする。バカなことばっかしたけど、まだ物足りないな。
小学校から一緒にやってきたショータロー。
中学まで一緒にやってまた大学で会えるなんて思ってなかったな。尾鷲FCは廃部になって、エスフォルソは8人でリーグ戦ってるらしい。地元大切にしてこうな。結局お前が一番上手いわ。
同じ道を歩んだ後輩へ
ケント
すぐ無理って言うな。簡単に否定から入るな。まず話聞け。
能力もあって技術もあるのに、メンタルは豆腐レベル。
でも一番長くプレーして一番信頼してるし期待してる。1年なんかすぐ終わるぞ。
アリ
お前の努力は知ってる。noteでも書いてた通り。
大切なのはピッチ外も細部にこだわる事。嫌になるほど聞かされたな。
気配り目配り。来年から上級生の自覚持ってね。
ハルキ
そのままの謙虚さと優しさがあれば大丈夫。
誰にも譲れない武器を磨いて、秘めてるアツいものもっと表現しろ。
最後一緒に組めて幸せやったありがとう。楽しかったな。
彼ら高校からの後輩は必ずチームに必要とされる存在になるのが分かる。1番頑張ってほしい。
最後に家族へ
これまで迷惑ばかりかけてきた。本当ごめんなさい。
最後の試合が終わって一番に連絡を入れて、父から「お父さん達も誇りに思う。苦しい事もたくさんあったけど本当によくやった。ありがとう。」感謝を伝えるのは自分なのに、父から「ありがとう」と言ってくれた。小さな田舎からこんなところまでチャレンジさせてくれて、たくさん支えてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。
「どんな時でも感謝だけは忘れないでね。」自分のせいで負けたあの日の試合の後、母が言ってくれた言葉はどこまでも刺さりました。本当にありがとう。
姉二人からもたまに来る連絡は嬉しかった。「ケンヤが頑張っとるから私も頑張れるわ。ありがとう。」家族の中で一番に好きなことさせてもらってごめんね。
家族から感謝の心と人を大切にする事を教わりました。それをこれから少しずつ返して行きます。
本当にありがとう。そしてこれからもよろしくね。
近年日本大学サッカー部は確実に成長し続けています。
関東リーグ、社会人リーグ、アイリーグと3つのカテゴリーで選手全員が一つの目標に向かって戦っています。後輩達はこれから大きなものを掴み取ってくれます。
皆様のご声援が本当に大きな力になり、選手の体を突き動かします。
この情勢が収まり1日でも早く稲城のグラウンドに足を運んでいただきたいです。
今後とも日本大学サッカーへのご支援、ご声援よろしくお願い致します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?