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「完結 ~教育機関の最終章~」 4年 熊倉 弘貴
日頃より日本大学サッカー部への多大なるご支援、ご声援誠にありがとうございます。
また活動にあたってご尽力いただいた大学関係者の皆様、関東大学リーグや関東社会人リーグの大会関係者の皆様、学生連盟の皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。
喜怒哀楽を表現するだけだったサッカー。いつしか自分の欲求だけを満たすものではなく、誰かのためにプレーし、原動力が「自分以外」にあった。自分でも気が付かなかった変化を整理していく。
4年間という長いようで短い時間に人生をかけ、人生における教育機関の最終地点を日本大学サッカー部に決めた。門をたたいた、あの日から変わらず自分の核として心にあるもの。それは「人間性」。当たり前のことを当たり前にやり、その基準を上げ続ける。この4年間、そこに対する妥協は1ミリもなかった。
最後のnoteを担当します。
主将を務めました、熊倉弘貴です。
最高の同期が良いことや、面白いことを書いていて自分も書けるか不安を感じていましたが、とうとう私の番が来ました。
本気で向き合った4年間。そして覚悟を持って闘った4年間。この4年間が自分に与えてくれた影響を飾らず、リアルに文字にしたいとおもいます。
拙い文章ですが最後まで読んでもらえると嬉しいです。
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「やっている」のか、「やっているつもり」なのか。
この違いを考えることが何度かあった。
「やっているようでやっていないのでは?」
「できているようでできていないのでは?」
常に疑うこと。
「やっている人」も隣に「もっとやっている人」がいたら、「サボっている」ように見える。
「できる」ことも、意識してできるのと、無意識にできるのは違う。ステージが変わっても同じようにできるのか。
頑張ればOK。
やり切ればOK。
そんなあまい世界じゃない。
頑張って、やりきって、限界値を少しずつ伸ばして、それでもって結果を出す。
何を基準にするのか。
己を基準にせず、結果が出るまで継続する。
他責にならず、評価されるまで。
「プロになる」
夢が明確な目標へと変わって、大学に入学。この4年間、やりきれるかどうかでこの先の人生が大きく変わる気がし、死に物狂いでサッカーに取り組んだ。やってくる一瞬一瞬の選択にこだわりをもち、正しい熱量を注ぐ。絶対この4年間を無駄にしたくなかったし、課題だらけだった自分には余裕もなかった。高校で人間性の重要さを学ぶことができ、大学では「考える」という作業に意味を持たせ、サッカー以外のところでアンテナをはる毎日。今年はキャプテンとしてチームと向き合った。
門をたたいたあの日から4年。
今のチームの立ち位置を誰が想像できただろうか。
チームとして温度差があった1年生時。
関東2部リーグに所属し、最終節まで残留争い。なかなか勝てない日々がストレスになり、「一体感」とは程遠い状況にあった。やる人はやるが、やらない人は本当にやらない。それどころかチームに迷惑をかける人がいる。
これが大学サッカーかと、強く思わされた。
そんな現状と誰よりも向き合っていた坪谷直樹。
間違いなく坪くんの存在、行動が日本大学サッカーの文化を変えた。「当たり前」の基準に目を向けられた1年間だった。
2年生の時にはチームの立ち位置を大きく変える成果が出た。
それは「関東1部昇格」
昨年まで残留争いをしていたチームが関東2部リーグを準優勝し、1部昇格を果たしたのだ。
主将の梶谷涼人。自分の信念を貫き、サポートしたいと強く思わせてくれる存在だった。
この時から少しずつ変化があった。
「チームのために」この言葉を意識する部員が増えはじめた。
向かえた18年ぶりの関東1部挑戦の3年生時。
期待と不安が入りまじってのスタートだったが、気がつけば4位でフィニッシュし、20年ぶりのインカレ出場も果たした。社会人チームは関東リーグに昇格し、新人戦・Iリーグともに好成績を残した。
この代の主将、阿部夏己。自分ではなくチームを第一に考える。どんな状況でもブレずに向き合う。そんな姿勢が一人の部員としての在り方を考えさせる時間になった。
そんな偉大な主将を引き継いだ自分。
壮大なプレッシャーがあった。成長と成果を出さなければならない。
本当の自分は強くない。
未熟な自分にできるだろうか?
いや、やるしかない!
不安と根拠のない自信を抱きながらのスタート。
リーグ戦で勝利を求め続けるが、なかなか勝ち点がとれない。
天皇杯予選では東京都代表の権利を目の前にして敗退。
連戦という厳しい日程の中、戦ったアミノバイタルでは優勝を目指すも準優勝。
手が届きそうなところまできたが、現実は甘くなかった。
そんな中、サッカー以外のところに目を向けると成長していないという現実。
日本大学サッカー部が一番大事にしているところが疎かになっていたのだ。
全部員が「チームのため」に頭を働かせ、行動にうつす。そんな理想とは裏腹に、向上させたいという気持ちよりも、目の前の現象をこなすだけ。
チームとしての成長と結果、両立してみることができていなかった。
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全てをチームに捧げた今シーズン。
辛かった。
この一言に尽きる。やりたいことより、やらなければいけないことを選択し続ける。
チーム内で温度差がある。自分勝手な人がいる。意識し続けることができない。
「当たり前」の基準が異なるのだ。
芯をもち、時には厳しい言葉をかけなければいけない。自分が未熟であると理解しながらも要求をする。
人に言うからにはそれなりの責任が伴う。多少なりとも恐怖はあった。反発や批判があるかもしれない。
だからこそ、誰よりも自分を律する。
「自分」がどう思われたいかではなく、「チーム」をどうしたいか。自分軸からチーム軸へと変化させ、チームの成長にコミットする。なにを言うべきなのか。どう伝えるべきなのか。発する一言に気を遣い、「日常」の変化を促す。
自分一人ではチームを変えることはできないからだ。
組織に属する以上、チームのために行動するのは当たり前だ。
今、自分がやろうとしている選択はチームのためになっているのか。
弘貴という存在はチームが必要としているのか。それが存在意義につながる。
少なくとも、欠かせない存在になれるように努力した。
自分のコンディションや、その日の気持ちの上がり下がり、サッカーの上手い下手は関係ない。
キツくても、辛くても、下手でも、「それでもやる」
キャプテンとして、なにが出来るのか。一人の部員としてなにが出来るのか。模範になれるように行動し、グレーゾーンを作らないように意識した。
チームが負ければキャプテンの責任、チームが停滞・後退すればキャプテンの責任。どんな行動・発言をすればチームがいい方向に向くのか。
色々考えるがハッキリとした答えが出ない。だが、部員の前では自信をもち行動し続ける。
「チームのために」この言葉を体現してくれる先輩や、常に成長しようと努力する後輩。
どんな時もブレずにやり続ける同期。
逆にチームにとってマイナスの選択をする人や、言動が一致しない人など多くの人と関わる中で価値観の幅を広げることができた。また、良くも悪くも「人はなかなか変われない」ということを知ることができた。
約80人の部員がいれば考え方も異なる。
努力して結果が出た者は努力が全てと考え、努力しても結果が出なかった人は運や才能だという。
あくまでも主観でしかないため、脱中心化できない人が多く、そこへのアクションも悩んだ1つである。
自分が正しいと思っていることは、相手の目にはどう映るのか。俯瞰し、客観視することの重要さを身にしみて痛感した。
正しいことを言うことだけが正しい方向に導けるわけではない。心や考え方は見えるものではないため、その人の表情や態度、背景から汲み取ることが必要である。
視野を広げようとすると見たくないものまで見え、狭いと大事なことに気が付かない。
多くの困難もあった。それは今までの常識が通用しない時。変わるチャンスである。だがなかなか人は変われない。変わるためには意識し続けるしかないがそれが出来ないという矛盾。目標に対しての温度差が違和感を生み、ズレとして現れてくる。
チーム、組織が「1つに」動いていくという難しさを突きつけられた。
しかし、時間の経過ともに、なにかを残したいという4年生が増え、少しずつ変化が起きた。
ホームゲームでの運営や立ち振る舞いなどから変わり、チームも勝ち点を積み上げていくようになった。
どのカテゴリーの勝利もみんなが心から喜べる集団。
自分の立ち位置を本気で変えようと努力し続けるチーム。
複雑な思いはあるが、自分を押し殺して声を枯らして応援してくれる仲間がいて、
チームを代表してピッチに立ち、勝利を勝ち取ろうとする選手たちがいる。
なりたいチーム像に近づいていくのを実感していった。
インカレの岐阜ステージでの応援。
初戦を落とし、後がなかったことから、今までに感じたことがないプレッシャーがあった。
「このまま終わってしまうかもしれない」
2戦目、アップ前に仲間の姿が見え、声を聞いた瞬間に、
「やるしかない」
「絶対に勝つ」
チーム、仲間のためという気持ちが強かった。
最高の応援で背中を押してくれる仲間に、最高の結果で応える。
チームの成長を感じることができた時間だ。
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次は弘貴という1人のプレイヤーに焦点をあてる。
「俺にとってのサッカーとはなんなのか」
「サッカーにこだわる理由はなんなのか」
キャプテンとして人前に出てる自分とは裏腹に本当に自分が考えていること、思っていることが分からなくなる。
「こうした方がプラスだから動く」
「誰かに見られてるかもしれないからいい方を選択する」
いい人物像に自分を当てはめているようだった。
目の前の現実を感じたままに行動した時の自分、つまり本能的な自分と、
その現実を頭で整理してから行動した時の自分、つまり理性のある自分が合致しない。
結局、後者を選択し続けるため「しっかり者」という印象があるのかもしれない。
本能的な衝動を理性というフィルターに通すと変わる。「ありのまま」の姿ではなかったのだ。
だがこの日本大学サッカー部に所属し、人間性を大事にするスタッフ、チームに対してものすごい熱量を持ち続ける先輩と接し、変化があった。
理性だけで対応してきた自分が、いつの間にか本能で同じ対応をしていたのだ。「ありのまま」の姿に変化が起きていた。
自分の視点ではなく、「組織からの視点」に変換する。その視点を持つことが大事であった。それは間違いなく意志力、責任、覚悟からくるものだ。本能という瞬発的なエネルギーと、理性というコントローラーをかけあわせる。コントローラーを正常に保つために自分を理解するようにチームを理解し、約80人からなる1つの生き物に対して愛情をもつ。自然とやらなければいけないことがハッキリとしてきた。
1年生の頃は合流からトップチームでプレーすることができたが、公式戦に出場できたのはわずか数試合。当時の日大の立ち位置を考えると4年生から試合に絡むようではプロになれないのは明確だった。注目を浴びるためにも2年生、3年生の段階でチームで中心的な立ち位置を確立しなければならない。だが力不足。いてもいなくてもチームの結果を左右するような選手ではなかったのだ。このままでは「プロになれない」。危機感しかなかった。
2年生に上がるタイミングで転機があり、サッカーを始めてからボランチしかしてこなかった自分が主戦場をサイドバックへと移した。2年生の時はほとんどの公式戦に出場させていただき、選抜などにも選出されるようになった。しかし、選抜に行くといつものプレーができない。日常の基準がぬるかったのだ。
3年生になると高校の同期がプロの内定を発表し、それぞれの大学で主力として活躍しだす中、自分はというと、長所を活かすことができず、出場機会を減らしていく。「プロサッカー選手」という言葉がかけ離れていく実感とともに、不安や焦りが襲う。いろんな思いはあったが、「諦める」という選択肢はなかった。十数年追っかけてきた夢であり、そこにプライドがあり、なにより応援してくれる人がいたからだ。
そして勝負の年、4年生。結果を求めながらも過程にこだわり続けた1年間。プロの話など何もなかった自分は毎週末にくる公式戦全てが就職活動。ブレずにやりきり、ありがたいことにプロの方からオファーをいただくことができ小さいころからの夢を叶えることができた。
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4月7日にリーグが開幕し、天皇杯予選、アミノバイタル、総理大臣杯、インカレと多くの大会があったが、思うような結果を出すことができなかった。
間違いなく自分の責任だ。
成長への執着が甘かった。
主将に必要な要素が足りなかった。
チームとして前進できたこともあったが、上手くいかない時期の方が長く、タイトルを取ることの難しさを認識させられた。ここ数年右肩上がりで来ているからこそ、チームとしてのさらなる進化が問われている。日本大学がタイトルを獲得するために全部員が主体性、当事者意識をもち、目標にベクトルを向け続けることが必要だと感じる。
多くの人の支え、応援で今の自分がある。心の底で思うこと・感謝を伝えたい。
同期
最高の4年間をありがとう。真面目な人が多い学年だったと思う。それぞれ立場は異なり、気持ちよくサッカーしている人、複雑な思いを持ちながらサッカーしている人など様々だったと思うが、チームのために全うしてくれてありがとう。
何ひとつ文句を言わず、ついてきてくれて本当にありがとう。
なんでもない練習終わりの会話や、学年会で馬鹿する感じもめちゃくちゃ楽しかった。それぞれ異なる進路に向かうけど、ここで過ごした時間や経験が役に立つと思うから、何年かした時にまた思い出話しよ。このメンバーと4年間本気になれた時間はかけがえのないものになった。
後輩
3年間、2年間、1年間と重なる時間は異なるが、2024シーズンを本気で一緒に戦えたことは本当に貴重だった。残りの時間はあっという間。この4年間で目標を達成できる人、別の目標に変更する人という2つに分かれる。どちらが正解というのはないと思うが、自分が望んでる方に事が進むよう悔いの残らない時間の使い方をしてほしい。最後に、日本大学サッカー部という組織に愛情を持ってほしい。サッカーをしている時間はもちろんだが、班活動や学年によってそれぞれ役割がある。1人1人チームの一員であり、役割を全うすることで組織がいい方向に動くということを認識して行動してほしい。
坪くん、梶くん、夏くん
「日本大学サッカー部」が目指すべき姿を見せ続けてくれた歴代の主将。目標を明確にし、その目標に部員を巻き込み導く力。辛い姿をみせず、ひたむきにチームと向き合う姿勢。「自分」を押し殺し、「チーム」に全神経を注ぐ。言葉にするのは簡単だが行動し続ける難しさ。学ぶことが多く、一緒に過ごせた時間は財産です。
また、ご飯に連れてってください!
家族の存在。まずサッカーを始めるきっかけを与えてくれた兄たち。そのきっかけのおかげで年長から始めたサッカーに熱中し、小・中・高・大で夢をもち続け、時間と熱を注ぐことができました。1人の人間として成長させてくれ、人と人を繋いでくれたサッカーに出会わせてくれてありがとうございます。
インカレの岐阜ステージ、栃木ステージに来てくれた忠幸お兄ちゃん。西が丘でのリーグ戦、ホーム最終節に来てくれた大地。
応援が本当に力になりました。また来てください。
そして誰よりも感謝しないといけないのは両親。何不自由なくサッカーができ、夢・目標に向き合い続ける環境を与えてくれた。小さい頃は常にレベルの高い要求をしてくれて、怒られながらもやっていたが、今思えば、それが全てだった。父は練習も最初から最後まで見てくれて、アドバイスをくれる。家に戻れば、母が美味しいご飯を作っている。両親共に忙しいし、疲れてるはずなのに、そんな素振りは一切見せなかった。高校に上がるタイミングで群馬に出してくれて、「プロサッカー選手になる」という夢を叶えることができず、選手権も全国に出場することが出来なかった。そんな状況でかけられた言葉は厳しい言葉ではなく優しさだった。誰よりも「プロサッカー選手」の夢を応援してくれた。
大学に進学する時には、プロサッカー選手になるという「夢」が、明確な「目標」に変わっていた。試合後の電話や応援の時も的確なアドバイスをくれて、自己認知につながっていた。先に弘達がプロサッカー選手が決まり、
「弘貴なら大丈夫」
「いつも通りやればプロから声がかかるよ」
そんな言葉に助けてもらう日々と、弘達がなっているのに俺はなっていないという焦りや悔しさ、不甲斐なさなどの気持ちとの葛藤があった。期待を裏切る訳にはいかない。チームのことを考える時間が多かった中で、自分を見つめる時間が増えた。なれない原因があるだろうし、そこにアプローチしなければ変わらない。そのような日々を過ごしてきたが結果、プロサッカー選手という1つの目標を達成することができた。次はピッチで輝く姿を見せたいと思う。
「人生の夏休み」と言われるこの大学4年間。
私の4年間は
世間一般的に想像される大学生活とはかけ離れているものだった。
上手くいかないことの方が多かった。
悩みが解決したら、次の悩みが生まれた。
辛い時間の方が長かったが、その中で熟考した時間が、充実していて自分を成長させてくれた。
引退をした今、胸を張って言える。
「日本大学サッカー部を選択して良かった」と。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これからも日本大学サッカー部の成長は止まりません。
引き続き、日本大学サッカー部への温かいご支援ご声援よろしくお願いいたします。
熊倉 弘貴(くまくら こうき)
〈経歴〉
FCステラ U-12→FCステラ U-15→前橋育英高校