「自信と過信」2年 芥川 蘭丸
こんにちは。
今回noteを担当させていただきます、宮崎日本大学高等学校出身、文理学部心理学科2年芥川蘭丸です。
前回の小川雄平(2年/前橋育英高校出身)のnoteがあまりにも良かったため私のnoteの内容が薄いんじゃないかと。note公開前日にも関わらず必死に書き直しているところであります。かっこいいことは書けませんが、自分のありのままの想いを書いているので読んでくれると嬉しいです。
まず自分の経歴を少し話すと、、
兄の影響もあり、小学1年から地元の少年団、中体連でサッカーをした。高校は宮崎日大高校に入り、計13年間サッカーを続けてきた。
振り返ってみると正直、挫折することの方が多いサッカー人生だった。
ずっと夢に見ていた選手権。
ありがたいことに高校2年で10番をつけさせてもらい、全国大会に出場した。
地元には横断幕もありいろんな方が注目してくれて、いろんな人が私のために応援してくれた。
結果は、
1回戦vs富山第一 1-0
2回戦vs静岡学園 0ー8の大敗
何もすることができず、ただただ、悔しかったし、情けなかった。私を応援してくれていた人たちはどんなことを思っただろう。考えると申し訳ない気持ちが大きかった。
私はこの負けを経験してから大切にしてきた言葉がある。
「自信と過信は紙一重」
誰しも一度は聞いたことがあるだろう。
自信は持っていいが、過信してはいけない。自分が上手く行ってる時こそ、謙虚に慎重にならないといけないという言葉である。
2年で10番として全国大会に出場することが出来て、私は当時の自分に満足し、過信していたのかもしれない。
学年も変わり、最高学年の3年生となった。2年の時の自分に満足せず、練習では手を抜いたことはなかったし、自主練にも人一倍取り組んだ。2年の時に比べ自信の方が大きかった。選手権に向けてチームの雰囲気も上がっていた。
選手権予選が1ヶ月後に控えたある日の練習だった。
私は膝に違和感を覚えた。
病院に行き、医師から告げられたのは
「前十字靭帯断裂」
全治8ヶ月の大怪我。涙が溢れた。
今までやってきたことが全部崩れた気がした。
何も結果を残すことができない悔しさが残り、応援してくれる人たちへの恩返しができないまま高校サッカーが終了した。
立ち直るのにも時間がかかったし、サッカーを続けるか本気で悩んだ。
不安しかなかったが諦めることなく、リハビリを頑張った。
復帰までの道のりは長かったが、絶対強くなってやるという気持ちの方が大きかった。
大学で活躍してプロになりたい。いつの間にかそのことだけを考えていた。
私は、日本大学に入学した。
スタートは遅れたが長いリハビリに耐え、ようやくサッカーを再スタートすることができた。復帰して1ヶ月が経ち、Iリーグの試合にも何試合か出させてもらった。
大学1年目、強度、スピードが高校とは全然違かった。だが、やれる。やってやる。という気持ちが強かった。
プロになりたい。トップの試合に出たい。その気持ちは上がっていくばかりだった。
日本大学に入ってから1年が経ち、2年生となった。私はトップチームにいるが、何も結果を残すことができていない。ライバルと比べて何が足りないのか、そこを修正しないと試合にも出れない。私は貪欲に謙虚に頑張りたいと思っている。
最後に1つ。
ピッチ外もピッチ内も、選手から、地域から、みんなから応援されるチームに。これは常に言われ続けている。
トップ、社会人、Iリーグ、カテゴリー関係なく、どの試合でも全員が日大の勝利のために一丸となって最後の最後まで応援する。
これがチームなんだなって。サッカーって最高だなって。
サッカーができることに感謝してこれからも頑張っていこうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。今後も応援の程よろしくお願いします。