「勝負の世界」 三年 橋本 壯大
こんにちは。今回のnoteを担当させていただきます、鹿児島実業高等学校出身、経済学部3年の橋本壯大です。
「勝負の世界」
それは全て結果がついてくる。
結果を出した人間が何を言おうと勝者
結果を出していない人間が何を言おうと敗者
この世の中は結果が全てだと感じる。
どんな手段であろうと最後に結果を残した人間は勝者となる。そして勝者は笑う事ができる。
努力したから、誰よりも頑張ったから、必ず報われるわけでもない。
逆に頑張らなくても勝者になる事もある。
だが、結果を残した残してないに囚われず、その頑張りや努力次第で成長というものは必ず付いてくる。
人によって、環境によって、成長スピード等が違うと思うが少なからず成長はする。
人によって頑張り方も違うのも確かだが、僕は高校時代、誰よりも濃い3年間を過ごした自信がある。
ここでは書くことが出来ない上下関係や理不尽
真夏の鹿児島
山奥のど田舎の雑草のグラウンド
約1週間ほどの合宿で走った距離は100キロを余裕で超える。
それにプラスでボールトレーニングの1日3部練
県外での公式戦に負けてしまい、帰って来てそのまま紅白戦をした。恐らく夜中の2時位だったと思う。次の日は普通に学校だった。
普段の平日の練習や紅白戦では、殴り合いが起きる。
球際では削られて投げられて、吹っ飛ぶ。削ってそいつが怪我したら自分が試合に出れる。削られる奴が悪い、やられる前にやれ。
みんな鹿実の代表として試合に出たいからだ
もっときつい事も事件も沢山あった。
これが365日、3年間ずっと続いた。
だが、僕の3年間は良い成長だけで終わった。結果を出すことができなかったからだ。ここで言う結果は選手権の日本一、その為だけの3年間であった。終わってみればその3年間は今後の人生に置いてものすごく大切なものになった。それも終わってみればの話で、プロに行きたい、良い大学に行きたい、個人の目標は確かにあった。チームで結果を出せばおのずとついてくるものだと信じてやっていた。全てはチームの為にやっていた
僕は3年次、選手権の県大会の準決勝で負けた。鹿児島で1番の晴れ舞台、鴨池競技場、憧れの舞台で憧れの全校応援だった。スタンドは満員で座れず立って観ている人も居たりと、めちゃくちゃワクワクした。その試合で背負ったものはもの凄かった。「鹿実」の重さはとんでもないと感じた。チームメイト、指導者、親、保護者、学校の仲間、関わるすべての人、ずっと全国に出れてない現状、亡くなられた名将の松澤さん、期待された代、あげるとキリが無いが背負ったものはもの凄かった。
高校に入学してすぐの時にIと言う奴と話した。(選手権の決勝のピッチで履くって約束して親にスパイクを買ってもらったんだ!)と言って高くてかっこいいスパイクを見せてもらった。そのIの親は2年後の僕らが2年生の時に他界した。Iは準決勝のピッチに立っていない。ずっとベンチに座っていた。そのスパイクでピッチに立つ事はできなかった。決して忘れる事はない。
話が少しずれたが、僕たちはその試合で負けてしまった。結果で恩返しする事が出来なかった。そのIにだけでなく、全ての人に申し訳なかった。そして、この3年間は今でも思い出すと熱くなるものがある。一生、忘れる事はないだろう。
3年間を通して、もの凄く成長は出来たと思う。そして今後の人生に置いても大切な物を身につけた。
しかし、1番大切な「結果」を出す事が出来なかった。「勝負の世界」はそんなに甘くない。
どんなに辛くてキツいことをしても敗者
成長する事も大切なのは分かっている。
だが、結果を求めてやっている以上、それ以上も以下のものも無い。
どんな道のりだろうと、どんな扱いを受けても、勘違いされても、どうだっていい、勝者になれるのであれば。
結果が全てだ
ここで書いているものも全て敗者の発言なのだと感じる。いまの自分、これまでの自分はほとんどが敗者だった。敗者は発言する資格すらないと思っている。だが、その敗者の発言、書いてみて気付いた。これはいまの自分に1番大切な物なんじゃないか、大学に入って今までずっと見失っていた、そしてずっと迷子になっていた、ここに書いている物が全てでは無いが、ずっと欠けていた物、凄く大切な物。いまの自分に大切なものは、過去の自分にあった。
自分の大学サッカー人生
あと1年半。
敗者は勝者になる事が出来る。