「期待と信頼」 4年 新井爽太
『 高校サッカー日本一』
『 日本高校選抜』
こんなインパクトの強い肩書きを持っている人は同年代でも数えるほどだろう。
コロナ禍で無観客の選手権決勝がだいぶ昔のことのようで懐かしい。
日本大学は今でこそ明治大学と筑波大学に互角の勝負ができるようになったが、その当時は関東2部で降格争いをしていた。
そんなチームに『 日本一』が来る。
スタッフ、先輩、同期からかなりの期待をされていたと思う。
全体練習をしても、1つシュートを打っただけで『 えぐい』『 バケモン』と先輩からいじられていた。プロの練習にも呼ばれた。
そんな自分が今では社会人チームの32番を背負って関東2部リーグでサッカーをしている。
4年間の振り返りと僕にしか伝えられないことをここに書き残したい。
ご挨拶遅れました。
日本大学4年危機管理学部の新井爽太です。
拙い文章ですが読んでいただけたら幸いです。
大学1年生
コロナ真っ只中で外出禁止とオンラインの授業で、大学生活がスタートした。
一限の必修科目が1週間に3回、朝練を7時に早退する日々。
高校の時より明らかにサッカーをする時間が減っていた。
最初の頃はトップチームに絡めていたが夏前には登録はIリーグになった。
1年間の半分以上をBチームで過ごした。
そこで感じたことは『大学サッカーはこんなもんか 』
高校時代はみんなが同じ方向を向いて高い熱量を持って練習をしていたが日本大学のBチームは自分が想像した以上に酷いものだった。
ミスをしても平気で笑っていたり、サッカー辞めたいと簡単に言ったり、モチベーションを失い、ただ練習をこなしているような選手がゴロゴロいた。
トップチームで試合に出て活躍したい
そう思いギラギラしている選手からしたら苦しい環境だったと思う。
1年生だった自分は厳しいことを言うことが出来ず、ただ流されるだけで受け身の状態だった。
秋から冬にかけて1.2年生チームで試合が行われる新人戦があった。
『必ず結果を残したい 』
そう思って望んだ。
結果は全国3位
個人的にも複数得点に絡みチームの勝利に貢献できたと思う。
少しでも気を抜いたらやられてしまう緊張感が楽しく充実した期間を過ごせた。
大学2年生
新シーズンが始まってからずっとAチームで練習をしていた。
関東リーグにも出場し、慶應義塾大学戦ではアシストすることが出来た。
プロのチームの練習にも参加した。
自分が通用しない高いレベルでサッカーができてすごくワクワクした。
『 このレベルでサッカーがしたい』
と強く思えた。
この頃パーソナルトレーニングにも通い始め、自分の課題と向き合った。1人でのトレーニングは寂しかったので津田向陽(4年/久御山高校)と一緒にトレーニングした。お互いに体が変わるのを実感し、サッカーでも球際では負けないようになり、成長を感じられた。
そんな中、総理大臣杯で途中出場の機会を貰えた。
試合はPK戦までもつれ、自分はキッカーに立候補した。
しかし、外してしまった。
初めてチームの負けに直接関わってしまった。
すごく悔しい気持ちと申し訳ない気持ちだった。
でも、後悔はなかった。やらずに後悔するより、やって後悔した方が納得出来るからだ。
しかし、自分が決めていれば。
何回も思ったがそれが今の実力なんだなと現実を受止めた。
ここらへんから試合に出られない期間が続いた。
チームが負けていても力になれない悔しさ。
チームが勝っても本気で喜べないもどかしさ。
複雑な気持ちで試合を見ることが多かった。
中の選手や応援の選手からはお前が出た方がいいと数え切れないほど言われた。
それでも出られない現実。
このままで大丈夫なのかと不安と苦しさが襲ってきた。
来年こそはと強く思っていた。
大学3年生
新チームのキャンプはトップチーム。
今年こそはと思っていた。
しかし、登録は社会人チーム。
この辺りから『 悔しい』という気持ちが無くなってしまった。
まーそうだよなとそんなに甘くないよなと。
でも、どのカテゴリーであっても自分が出る試合は負けたくないし結果で示したいと思っていた。
迎えた社会人リーグ第1節スタメンで出場した。
『 必ず結果を出す』
強く思っていた。
前半相手の後ろからのスライディングを避けることが出来ず怪我をしてしまった。
完全に心が折れてしまった。
Bチーム落ち、全治3ヶ月の怪我。
メンタルを保つのが難しかった。
仲間の頑張っている姿をみても、何も感じない。
初めての感覚だった。
怪我が続いたのでパーソナルトレーニングも辞めてしまい、自分でもなにがしたいのか分からない思いで過ごしていた。
『 このまま終わってしまうのか』
と思うようになった。
復帰してから出場機会はあったが正直相手のレベルはそこまで高くなく、なんとなくこなせば勝てる環境だった。
ただこなすサッカーで心から楽しめていなかった。
緊迫した試合がしたいけどできる環境では無い。
それが現実。
リーグは2位で関東リーグ昇格戦に進むことが出来た。関東リーグ昇格を目標に準備をした。
結果は優勝
個人的にも2アシストすることができ3年目のいい締めくくりができた。
大学4年生
勝負の年
今まで以上に気合いが入っていた。
悔いの残らないようにやりきろう。
そう思っていた。
関東リーグ登録でベンチ入りをするがでれない試合が続いた。
そんな中、4月22日ひろとさん(社会人リーグの監督)から電話があった。
『 このままでいいのか?』
『 お前はどうしたい?』
と
関東リーグに残り、ベンチで見つめるか
社会人リーグにきて、試合に出るか
ふたつの選択肢を与えられた。
すごく悩んだ。
正直社会人リーグに行ったらプロは諦めろといっているようなもの。
でもその時の自分には関東リーグに出られる自信がなかった。
『 来週からお願いします』
社会人リーグに落ちる決断をした。
4年目の大きな決断だった。
苦しみながらもプロを諦めずに頑張るか、
試合に出続けてサッカーを楽しむか、
親にも相談をした。
親の回答は
爽太の考えを尊重する。
だった。
自分で決めた以上頑張るしかない。
やるからには結果を出したい。
消えかかっていたサッカー熱が再び燃えた。
なにより、同期の存在がでかかった。
本気でみんなが1部昇格を目指そうと志した。
試合にもコンスタントに出られるようになり白熱した試合を毎週末繰り返す、充実した日々を過ごすことが出来た。
結果はリーグ2位
目標達成できた。
トップのコーチには
『 負けて欲しい』
『 応援したくない』
と厳しいことを言われたこともあったがBチームとして素直に受け止め改善することができた。
負けが続き、チームがばらばらになりかけたこともあったが、その度に話し合ってぶつかり合いいい方向に進むことが出来た。
・1年間ゴールを守り続けた小さな巨人
・彼女が来るといつも以上に気合いが入るナルシスト
・普段冷静だけどチーム一熱い八ツ橋
・守備軽いドリブル大好きイケメン
・全然走らないポテンシャルオバケ
・怪我多いけどサポート頑張るお茶
・鹿児島生まれのフィッシュ
・やらかすけど的を得てる新成人おじさん
・フィジカルお化け宇宙人
・エセ関西人お祭り男
この個性的なメンバーを
あさひ曰く支持率低い(俺は全く思ってない)キャプテンが中心となってまとめあげてくれた。
それぞれが主体的にチームのことを考えて、役割を果たす。
本当にいいチームだったと思う。
読んでくれた人へ
自分が大学サッカーを4年間やってみて伝えたいことが2つある。
1つ目は
『 環境は与えられるものではなく掴むもの』
『 Iリーグ1部昇格』
『 新人戦全国3位』
『 関東社会人リーグ2部昇格』
『 関東社会人リーグ2部2位』
これは自分が与えられた環境で残した結果です。
環境のせいにしては行けないと分かっていても、
・スタッフと合わない
・サッカーが合わない
など理由を見つけて環境のせいにしたくなるのが人間。
しかし、そこで他責にしていてはいつまで経っても成長することは出来ないし、現状は変えられない。
努力が認められないのであれば結果が出るまでやり続け、サッカー選手である以上結果で示す。
それが目指したいところにいける近道だと。
ときには、怪我をしてメンタルが折れたり、上手くいかないこともあると思う。
普段ふざけてにこにこしている自分でも心が弱るタイミングはある。
そんな自分が弱っている時は仲間の頑張りを見てひと踏ん張りしてみてほしい。
努力は必ず自分に返ってくるし、決して無駄にはならない。
・これから大学サッカーに挑戦しようとしている人
・大学サッカー真っ只中の人
・サッカーを引退し、社会に出る人
それぞれの立場でこの言葉を心にしまってひと踏ん張りして欲しいと思います。
自分もどんな人生になるか分からないけど頑張ります。
2つ目は行動すること。
高校の部活動からから大学サッカーへ変わると自由な時間が増えます。
自由な時間が増えると部屋で昼寝をしたり、映画を見たりと、だらだら過ごしてしまいがちです。
でもそこでひと踏ん張りして自主練をするもいいし、筋トレに行くもいいし、なにかの勉強をするもいいし、誰かに会いにいくでもいいと思います。そういった少しの積み重ねが4年間で大きな差になります。少しの努力を積み重ねて頑張ってください!
これは少しばかり先輩の自分からの偉そうなアドバイスです。
最後に
この4年間で出会ってくれた人全ての人に感謝を伝えたいです。
自主練に付き合ってくれた人
無理な誘いなのに付いてきてくれた人
色んな場所に連れ回してくれた人
一緒に勉強をしてくれた人
寮で夜な夜な遊んでくれた人
サッカーもプライベートも全力で色んな経験をすることが出来ました。その一つ一つの経験のお陰で今の自分があると思っています。
本当に感謝します。
そして、これからもよろしくお願いします。
長くなりましたが
最後に両親へ
今まで22年間自分がやりたいと言ったことは全て叶えてくれて、高校から家を出る決断をした時も意思を尊重してくれて、好きなことを全力でやることが出来ました。本当に感謝です。
きょうだいへ
まず妹は勉強頑張って夢叶えてください。
あまり話す機会ないけどお兄ちゃんとしてこれからもサポートします!
弟へ
自分が欲しくて生まれてきてくれた弟。小さい時から成長を見てきて大きくなってくれて嬉しいです!かっこいいお兄ちゃんでい続けるために頑張るのでいつでも頼ってね💪
普段口数が少ないお父さん
たまにくれるアドバイスが的確ですごく愛情を感じ、嬉しかったです。
心配性なお母さん
大変な時期もあったと思うけど不自由ないようにサポートしてくれてありがとう。
いつも帰ったら美味しいご飯を作ってくれるおばあちゃん
たぶん社会人リーグ最終節が爽太のサッカーを初めて見る機会だったのかな?
来れないと思っていたから試合中にスタンドにいたのにはビックリしました。
いつも美味しいご飯を作ってくれて暖かく迎えてくれてありがとう。ゴールで恩返し出来て良かったです。
シャイなおじいちゃん
昔からよく遊んでくれるおじいちゃん大好きが大好きでした。長男として頼もしい男になります!
最後まで読んで頂きありがとうございました。
まとまらない文章でしたが読んでくれた誰かにいい影響を与えられたら幸いです。
これからも日本大学の応援をよろしくお願いします!