「繋がりの上で」 4年 石井 開
皆様こんにちは!
東京都立東大和高等学校出身
日本大学危機管理学部危機管理学科4年
ポジションGK
石井 開と申します。
今年も残ること2ヶ月となってしまいました。毎年この時期には、4年生のノートを読み感激していたのですが、遂に自分の番が来てしまいました。
同期達の素晴らしいノートを読む度に、刺激と感動を頂いております。
このような貴重な機会を頂き、有り難く感じるとともに、自分自身も赤裸々にノートを綴ってければと思います!
長く拙く纏まりのない文章ですが、最後まで読んでいただけたら嬉しい限りです。
それでは、本章に移っていこうと思います!
「どこ出身?」
「東大和です。」
「東山ね!」
「じゃあ〇〇とか知ってる?」
「知らないです。」
「え?」
入学当初この件を5回はした記憶があります。
そんな出来事から4年が経とうとしている。4年という月日。自分はこの月日で何が出来たのか、何になれたのか、そんなことを考えています。
小学校4年生に進級すると同時に、親に勧められたことで、野球を辞めサッカーを始めた。
この分岐点がなければ学生生活を野球に捧げていた可能性が大いにある。
坊主姿の自分を想像すると非常にゾッとする。
毎週末、サッカーをする。試合をする。気付けば、サッカーが大好きになっていた。
その時からプロサッカー選手への憧れを抱いていた。
中学生になり地元のサッカークラブに2期生として入団。
特徴も武器も無かった自分は、サイドバックやフォワード、ボランチを経験させて頂いた。
これといった結果を残すこともできず、3年が過ぎる。
プロサッカー選手に憧れているなんて周りには言えず。正直、なれるとも思えなかった。
高校進学を考える頃。大学へ進学のしやすい私立高校を親に勧められた。
※私立に入学していた場合、サッカーをしていなかったと思います。(ハンドボールの体験入部にも参加した。)
高校サッカー選手権をテレビで見るのが好きだった。前橋育英対流経大柏の試合を埼スタまで見に行ったこともある。
高校サッカーに憧れを抱き、都立東大和高等学校へ入学した。当時の所属リーグは地区トップリーグ。(東京都の上から5番目に当たるリーグ)
それでも私は、選手としての技量に限界を感じていた。2年後試合に絡めない。
GKに転向する選択をした。
そこで私の人生を変える出会いをした。
GKコーチの池田さんだ。私の恩師である。
練習は、今でも意味が分からない程にキツかったが、私を0の状態から大きく成長させてくれた。
リーグ戦では、出場した試合で無敗を記録。
個人としては、GKながら2得点1アシスト。
この動画は、同期全員に見せたことでしょう…
全国大会に出場したい。まず西ヶ丘グラウンドで試合をしたい。(東京都予選準決勝の会場)。
これが私のサッカー人生の夢と言っても過言では無かった。
池田さんは日本大学サッカー部のOB。
そのおかげでセレクションに参加することができた。
日本大学サッカー部への入部が決まる。こんなに驚いたことは無い。
母「多分違うから受験勉強しなさい」
と意味の分からないことを言っていたのを覚えている。
池田さんに「お前ならプロになれる」そう言われた。
心にしまっていた気持ちが溢れ出した。
「プロサッカー選手になりたい」
ここにきて、サッカー人生で最も強い思いが芽生えた。
池田さんは、私に夢とそれを叶えるための土台を作ってくれたのだ。
選手権はベスト8。チームを救えず、西ヶ丘まで後1勝といったところで敗北。心の底から悔しく泣き崩れた。
この悔しさを胸に、また、池田さんへの、関わった人達への、恩返しのためにも大学4年間でプロになる。そう強く決意した。
このような気持ちを胸に、大学サッカーの世界に挑んだ。
大学サッカー。学生生活最後の4年間。
「思い通りに行く人間」が何人いるのだろう。
プロサッカー選手を志し、4年という期間をサッカーに費やす覚悟を持った組織の中で。
この4年間、思い通りに行くことなんて殆ど無かった。
初めての寮生活。トレーニングルームも充実しているしもちろん人工芝。ハイレベルなサッカー。
あの日見た決勝の高校出身選手達。
何もかもが新しいこの環境に胸が高鳴る。
案の定、初めからこのレベルのサッカーについていくのは難しく気圧される日々だった。
それでも、
なんかデキル気がする。
と、根拠なき自信で取り組む。
「いつか来るチャンスに向けて準備を。」
結局、公式戦に出場できたのは、Iリーグ後期での2試合のみ。
それでも、新人戦のメンバーに登録して頂いた。
結果は、全国3位。
以前までは、全国出場ですら夢のようであったのに。
圧倒されるような、でも誇りを持てるような。
「このチームで、この組織で活躍したい」
そう思える1年目だった。
大学2年時は、Iリーグ、新人戦と大変多くの試合に関わらせて頂いた。
それと同時に、最も叱られた1年間でもある。
覚えている人も少なくはないだろう。
新人戦 対法政大学。
自分のミスによってチームを敗北させてしまった試合。
あの日のことは、心の中に強く刻み込まれている。
これまでの人生でも類を見ない程に怒られた。
法政大学の敷地一面に怒号が鳴り響いたことだろう…
また、その他にも多くのミスや失敗を重ねてしまった。
次第に自信を無くしていき、自信のないプレーがまた自分を締め付ける。そんな負の連鎖に陥っていた。
「やらかすなよ」という言葉がノリの範疇でも突き刺さる。
いつからか実力と信頼感の無さを痛感しながらも、笑いながら流せるようになってしまっていた。
このシーズンは、これ程までに試合に使って頂いたにも関わらずIリーグ・新人戦と何ひとつとして結果を残すことは出来なかった。
泣くこともある程に悔しかった。心の底から不甲斐無さを感じた。
プロサッカー選手になると意気込み入学した。残すところ後2年…
次の年が勝負になるだろう。
その年は、これまでのサッカー人生において最も試合に出場できない1年間だった。
有り難いことにシーズンの初まりからトップチームに登録をして頂いた。
そして、トップチーム登録でありながらもIリーグでの出場機会を頂いた。
今年こそIリーグで結果を残し、実力と自信を付けて来年は…!
そう思っていても様々な事情が重なりIリーグでの出場は閉ざされ、
出場権があるのは関東リーグのみとなった。
トップチームの練習で苦戦する日々。また、ミスを恐れている自分を認識する。
自信を持つ重要性を理解していても、弱気な自分を取り払うことが出来ずにいた。
トップチームのGKには、絶大な信頼を得ている木村陵也(横浜Fマリノスユース/3年)。そしてチームに必要不可欠な存在であるアリ君(四日市中央工業/社会人1年目)。
正直なところ、そんな2人を前にしてこのシーズンで出場することは出来ないだろうなと思っていた自分がいる。
ミスを恐れる日々。
週末は、サポートに応援、審判派遣。
試合は無い。
週が明け、火水とハードな練習をし木金と調整に移行していく。
また、土日がやってくる。
ひたすらにこのサイクル。
これまでで1番モチベーションを保つのが難しい時期、苦しかった。
周りでは、就職活動の話がチラホラ聞こえてくる。
プロサッカー選手になるために積み上げてきた努力や経験、その武器を就職というプロとは別の方向へ向ける。
池田さんに顔を合わせられる気がしなかった。
シーズンは終わり、
20年振りのインカレ出場、社会人リーグ昇格、Iリーグ全国大会3位。
自分が試合に関われないシーズンで日本大学サッカー部は、このような記録を残した。
輝かしい記録の裏で、同じ熱量で喜べているのか分からない自分がいた。
ラストシーズン。
立てた目標はシンプルで「関東1部リーグに出場する。」
2月3月の強化期間を終えた。そして、木村凌也(横浜Fマリノスユース/3年)が怪我により離脱している。
関東リーグより前に始まる天皇杯で出場し結果を残せれば、リーグにも出れるかもしれない…
最大のチャンスが到来していた。
天皇杯1回戦目が行われる週のトレーニングでは、自分が出場する気持ちで臨む。
ここにきて遂にトップチームとして試合に出場出来るかもしれない。胸が高鳴った。
天皇杯2日前の夜、謎の病気に罹患してしまい気力だけではどうにもならない体調不良を発症。
自分の期待や想いは、儚く消えていった。
チームは無事勝利し、東京都の準決勝そして決勝戦へと駒を進めた。
復帰後、自分が立っていたかったポジションは既になく、またサポートメンバーとしてサポートと応援に力を注いでいた。
応援中、悔しさで声が出なくなる瞬間が何度も訪れた。
そして4年目になるIリーグ。またこのリーグで試合の出場機会を与えていただけることとなった。
同期はもういない。
不本意ではあった。
それでも現実を受け止めて、ポジティブに立て直す。
大学サッカーで、一度くらい結果を残したい。
目標はもちろん「全国大会優勝」
やってやろう。
個人的に、プレーの調子も良かったと思う。
シーズン中盤、悪くはない順位であった。ここから巻き上げる。
そう思っていた矢先、怪我によってチームを離脱。
完治まで1ヶ月半。ラストシーズンの私にとって、長過ぎる期間だった。
これまで、長期離脱の怪我をしたことなんて無かったのになぜ今なのだろう。
シーズンが、サッカー人生が終わってしまう。
リハビリ生活を終えてやっとの思いで復帰をしたが、試合に出れない日々が続いた。
なんで出れないんだろう。
4年間の積み上げが、信頼が、私には無いのだろう。
約2ヶ月振りにスターティングメンバーに選ばれた復帰戦。
既に自身が立てた目標は、達成出来ない状況になっていた。
それでも、
最後のシーズンで残り僅かの公式戦。全力でやり切り、少しでも良い結果を残す。
その想いで臨んだ。
復帰後2試合目。相手との接触により耳を縫う怪我をした。
自分の想いは、簡単に潰されて消えていく。
社会人リーグ最終節。多くの同期が在籍するリーグ。4年生にとって記憶に残る試合。
多くの関係者が試合に参観し、企画・運営も最大限発揮する中、見事に勝利し大きな盛り上がりを見せていた。
このような締め方を見せてくれたことに不覚にも羨ましい気持ちになってしまった。
自分はまず耳が治るのか、最終節に出場できるのか、
シーズンが始まる前、このような不安に悩まされることになるとは、想像すら出来なかった。
10月16日に耳が完治するまで、約2週間離脱をしていた。Iリーグ最終節が10月20日。
その間に起こったことがある。
10月10日。祖父が息を引き取った。
祖父は、長い間、東京消防庁に従事し何人もの人を救ってきた。
10月18日、19日に行われたお通夜と葬儀では、本当に沢山の人が訪れて弔いが行われた。退職をしても地元の催し事には顔を出し、元気でお酒が大好きで周りには沢山の人間がいた。
大勢の人に囲まれながら退いていく様を見た。
言葉にならない悲しみとともに、どこか強さを貰えるような、形容し難い思いが込み上げていた。
10月20日Iリーグ最終節。
メンバーに私の名前は無い。
心の内では、様々な感情が入り混じっていた。
それでも、
祖父の前で「強く生きる」、そう誓った。
どれだけ情け無くても、どのような結果が待っていても、枯れゆく様でも見せる。
感謝を示したい人間へ。
自己満足のわがままだと自覚していた。
それでも、スタッフに打診をして、後輩達に頭を下げスターティングメンバーとして出場させて頂いた。
中学の頃から自分のサッカーを見てもらっていなかった両親を呼び、恩師の池田さんも来てくれた。
そしてリーグ最終節。
恐らく、小学校時から継続してきたサッカーにおいての最後の公式戦となる。
これまでで、最も応援され最も自分の名前が聞こえた90分。
感謝を示したい人達の前で、
全身全霊プレーをすることが出来たと感じている。
気付けば試合前から、試合中、そして試合後も、感謝の想いが込み上げていた。
その想いを、綴らせて下さい。
※纏めるのが不得手な為に、ここまで長尺となってしまいました。申し訳ありません。
この先にも伝えたいことが山程あるのですが、長くなってしまうので可能な限り端的に書かせていただきます!
家族へ
真剣にサッカーをしたいと言う理由だけでお金のかかるクラブチームに入れてくれた中学、毎日泥んこで帰宅してもお弁当を頼んでも文句を言わないでくれた高校、寮費や部費や学費、その他諸々、沢山の費用を費やして貰っている今。そして、サッカーでもそれ以外でもひたすらに追いかけた兄の背中。振り返れば、どれだけ私が支えられてきたのか、両親の偉大さに、兄の影響力に改めて気付きました。この家族の下に生まれ落ちたことは私にとって、とてつもなく幸運なことです。父、母、兄へ最大の敬意を。今後は自分が支えていきたいと思います。
同期へ
本当は全員の名前を出して1人1人とのエピソードやドラマを書きたかったです。特に今シーズンは孤独を感じる事が多く、同期の大切さを身に染みて感じていました。同期がこのメンバーで良かったと心の底から思います。皆んなと居れる当たり前な時間も残り僅かとなってしまいました。引退までの最後の期間、全力で走り抜きましょう。
日本大学サッカー部及びスタッフへ
私をこの組織に入れて下さりありがとうございます。期待に応えられない事が殆どで申し訳ありません。この4年間、スタッフが築いてきた文化や多岐にわたる活動から、サッカーだけで無く人としての在り方を学びました。この組織、このスタッフでなければ学び得ない事だと確信しています。日本大学サッカー部に在籍出来たこの4年間は生涯私の誇りです。
小・中・高・大の友人達へ
これまでの人生を振り返っても、私は周りの人間に恵まれてきたと胸を張って言えます。今の私があるのはこれまで関わってくれたあなた方のお陰です。変則的な予定の私がドタキャンをすることがあっても、また誘ってくれて遊んでくれたことが確実に私の心の支えです。
池田さんへ
日本大学サッカー部への入部が決まった瞬間から、もう自分だけの人生では無いと思っていました。サッカー人生は池田さんとともにあると。それでもプロになることを果たせませんでした。申し訳ありません。GKになってから今日まで、数え切れない程のものを与えて頂きました。今後の人生で、様々な形で恩返しをしていこうと思っています。
書き切れない想いはありますが、そこは今後の自身の歩みの中で示していけたらと考えております。
最後のノートを書きましたが、まだ引退はしないし諦めたつもりも一切ありません!
新たな目標。
「インカレのメンバーに入る」。
大好きなサッカーをこの誇らしき日本大学で最後の最後までやり続けます。
引き続き、日本大学サッカー部の応援を宜しくお願い致します!
何かになれずとも、
思い通りに行かずとも、
繋がりがここまで導いてくれた。
繋がりが居場所と個を与えてくれる。
多くの繋がりに支えられている。
今思います。
「"繋がりの上で"私は成り立っているのだと」。