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「反省」 4年 瀧本 貫平
親からのラブコールをもらったため、noteを書かせていただくことになりました。
経済学部 産業経営学科 残り単位数30単位 卒業崖っぷち
1、2年生の時もうちょっと頑張ればよかった
4年の瀧本貫平です。
まずは、菊くん、ご卒業おめでとうございます。
本題入ります。
思い起こせば、恥ずかしきことの数々、
今はただ、後悔と反省の日々を過ごしております。
そんな私の大学生活には、甘酸っぱい恋愛やTOPチームでの輝かしい活躍はありませんでした。
それでも、限られた時間の中で、部活動に没頭した大学4年間を今、改めて振り返っていきたいと思います。
高校時代は何も成し遂げることができず、何者にもなれなかった自分は、海老沼先生(佐野日大監督)の強めの押しのおかげで日大サッカー部に入部することができた。
この頃は、大学のより高いレベルでサッカーができること、そしてプロサッカー選手という夢を掴むチャンスがあることにとてもワクワクしていた。
そして、ついに日大の門を叩いた。
練習初日、弘貴、弘達(ともに前橋育英)の技量に圧倒され、その夢はあっけなく終止符を打った。
そんな感じで始まった大学1年は簡単なものではなかった。
まずは、コミュニケーションの壁。
奥手で、繊細な性格の自分は、同期と打ち解けるまでに時間がかかり、相当苦労した。
そのため、高校が一緒のとも(佐野日大)と陰キャラスターターの響世(鹿児島実業)が仲良くしてくれたのは唯一の救いだった。
響世は訛りすぎて、ほぼ聞き取れてなかったけど、仲良くしてる感じは出せてたのでそれは好プレーだった。
そして、入学して約2ヶ月をかけ、酒井(ヴェルディY)以外のみんなと打ち解けることができた。
酒井は根暗でちょっと怖かったので、みんなよりもちょっと時間がかかった。
しかし、この問題を乗り越えても、サッカー面でハードな日々を過ごした。
入部当初は、関東リーグに米粒ほどの時間出場することができ、比較的いいスタートを切ることができたが、その後はずっとBチームで活動で、日を重ねていくうちにIリーグでの出場機会も減っていった。
自分がトップから落ちた当時の風の噂によると、某スタッフは「ちょっと違ったわ」と苦笑いしていたようである。
全くもってその通りである。
むしろ優しい言い方。
この当時を振り返ると、出場機会が減少した1番の原因は「萎縮」していたことだと思う。
当時私が1年生の時の4年生は、少し気性が荒く、練習中には文句が飛び交っていた。
時には、
「ギャップしめろ!殺すぞ!」
と少々よろしくないお言葉を頂戴することもあった。
だから殺されないように必死に練習に取り組んでいた。
このような環境の中で自分は、自然とミスをしないような安牌なプレーや、積極的なプレーを抑えることが増えてしまっていた。
こんな感じで1年目が終了する。
そして2年目。
私は、上級生主体の社会人チームN.(現日大N.)に入った。
ここでも自分のプレーは変わらなかった。
というよりも変わろうとしていなかった。
上昇志向がなく、「こんくらいでいいや」と練習をこなす日々。
寮生活においても、寝坊や寮飯の欠食を繰り返し、学年の足を引っ張る。
当然社会人のリーグ戦にはほとんど出場することはできず、同期のみんなはそれぞれトップやIリーグ、社会人で活躍していった。
気付けば自分は日大落ちこぼれFCの一員だった。
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そして3年、
気持ちを切り替え、死ぬほどきつい5週間の強化期間に取り組んだ。
3年時の所属チームは、2年時同様社会人チームN.。
当時の4年生はほとんどみんな自分より上手く、自分が出場できる隙はどこにもなかった。
それが幸運なことに、自分のポジションであるFWの選手らの怪我により、開幕前のN.には、FWが自分しかいなくなっていた。
啓人さん(※ 前にロングボールを蹴った選手に「まず、前!」と叱るほど前への意識が高い日大の名将)
も俺しか出す選手がいなかったため、スタッフルームで、頭を抱えていたことでしょう。
しかし、「この状況は必ずものにしなければいけない」
そう思った。
同期からも
「わんちゃん開幕スタメンじゃん」
と期待半分、揶揄半分の言葉をちらほらもらう。
そして迎えたリーグ開幕戦、全然カスいプレーをかますも、ゴールを決めることができた。
そこからも続けて得点を重ねることができ、試合にもシーズン通して使ってもらうことができた。
最終的には、関東リーグ昇格という目標を達成し、宮坂(ジェフY)に得点ランキングで負けたのには心底納得がいってないが、比較的充実したシーズンを送ることができた。
この3年生時のシーズンを通して、気持ちの持ちようでパフォーマンスが180度変わることを実感した。
この経験は、会社に入社した際にもぜひ活かしたいと考えております。
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そして4年目。
同じく所属はN.だった。
まぁトップではないと分かっていたので、凛くん、橋本さん(ともに2024卒のダメな先輩方)を反面教師として、3年時同様やる気十分で望んだ。
そして始まったリーグ戦。
リーグ戦では、初戦はスタメンから外れるも徐々に出場機会を増やした。
チームとしては、開幕戦から徐々に勝ち点を積み上げ、リーグ順位を2位で折り返した。
後期戦では、アヴェントゥーラ川口戦にて、自分のミスパスからリーグ3連敗の火種をつけたり、coedo川越戦で外しまくり勝ち点を逃したり、とチームに迷惑をかけたものの、最終節の爽太(山梨学院)の劇的PKにより、気持ちのいいリーグ戦フィニッシュができた。
結果も2位、関東1部昇格と後輩にいいバトンを繋ぐことができた。
来年は、中村一の活躍に期待したいところ。
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そして、1番熱かったのが、市原カップ。
正直、市原カップ前のN.の4年生はリーグ戦が終了し、気持ちが切れかけていた。
しかし、両親が観にくる自分は少し張り切っていた。
そんな矢先、朝練で達海(めっちゃバカ)からデススラを喰らう。
初戦は欠場となった。
ただ、自分のいない市原カップ初戦は白熱し、関東1部のエリースに互角以上の戦いをしていた。
試合後、陽(日大山形)から
「カンペーいない方が強いわ!」
と叱咤激励をもらった。
ありがとう!!
そして自分は第2戦の南葛戦から出場した。
しかし、チームは惜しくも引き分け。
グループリーグ突破には、第3戦目で大量得点での勝利が条件となった。
バンデリアン稲城には、社会人引退のムードが敷地内いっぱいに漂う。
TOPの人も、岡本亜鶴くらい熱い人間じゃないと信じることはできなかっただろう。
そして第3戦目 tonan戦
保護者の方々やTOPの熱すぎる応援もあり、
後半ラストで怒涛の得点劇
見事、5-1で勝利することができ、グループリーグを突破することができた。
間違いなくこの試合は、私の大学サッカー生活の中で、1番熱い試合だった。
N.のみんなありがとね。
その後の決勝トーナメントは、山王戦後のごとく、初戦で敗退した次第であります。
雄平!切り替え!
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最後に
幼少期からサッカーの楽しさを教えてくれた瓜連SSS、コンプラがばがばのご指導で泣くまで精神力を鍛え抜いてくれたマルバ、理不尽ながらも愛のある指導をしてくれたノルテ、礼儀に厳しすぎる佐日、サッカー以外の活動もこだわる日大
そしてこれまで携わってくれたすべての方々、本当にありがとうございました。
そして家族
家族には、まだまだお世話になるつもりなので、あんまり言うことはありません。
ただ、
会社で忙しい中、小学校から中学校までほぼ毎日送り迎えしてくれた父
全てにおいて鬱陶しいほど愛情を注いでくれる母
幼少期から今まで、来れる試合はほぼ全部観に来てくれた両親
帰省するたびに、部活のことを気にかけてくれる兄
家を離れた自分に心配ばっかりしてくれるばぁ2人
会うたびに成長したと褒めてくれたじぃ
正直、こんなにも愛情を注いでくれる人達はいないので、感謝しても、感謝しきれません。
これまで支えてくれてありがとう。
そして同期のみんな、ありがとう!
後輩のみんなも仲良くしてくれてありがとう!
サッカー頑張れ!
人によっては就活もがんばれ!
来年もどうぞよろしくお願いします!
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瀧本貫平(たきもとかんぺい)
〈経歴〉
瓜連sss→鹿島アントラーズノルテ→佐野日本大学高等学校