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「感謝」 4年 中山 碧

日本大学 経済学部経済学科4年 中山碧


2年前このnoteにて「無駄にした一年」というタイトルで、「この一年があったからこそ今の自分が在ると胸を張って言えるように、そして大学卒業後プロサッカー選手になる。」このように宣言しました。

それから約3年が経ち、私が4年間でトップチームでプレーした期間はたったの3週間足らず。公式戦のメンバーには一度も選ばれることはありませんでした。

うれしかった事と言えば3年時のインカレで登録メンバーに一度だけ入れていただいたことくらいです。4年間でこれだけです。

何も成し遂げることが出来ず何者にもなれなかった私ですが、練習や試合で常に自分の最高のプレーを発揮するために4年間やり続けたことがあります。

・練習の前日は寝る前に1時間、体のケアをする事
・週の初めの練習の前日は必ず20〜30分のランニングをする事

この二つだけはどんな時もやり続けて来ました。全く公式戦に出られなかった1、2年生。主力としてIリーグでプレーしていた3年生の時も。そして4年生になりプロサッカー選手を諦めてからも。覚えている限り一度も怠ったことはありません。

毎日の練習に付いていくことが精一杯になっていて、怪我から復帰してはすぐにまた怪我をする。とにかく怪我が多くてみんなのように自主練習や筋トレをすることは出来なかったけど、それでも日々の練習に100%の状態で臨むということに対して全力を注いだその時間は私の誇りです。



4年間を振り返ると書きたい事は多々ありますが、それよりもみんなさんに伝えたい事があるのでここからは私のサッカー人生を振り返りながら、お世話になった方々、チームへの感謝の言葉を綴ります。


長くなりますが最後まで読んでいただけたら幸いです。

【掛川JFC89】

保育園に送迎バスが来る!両親がこの営業文句に惹かれて掛川JFCに入団し、私はサッカーと出会いました。
あっという間にサッカーの虜になり小学2年の時には「マンチェスターUのスーパースターになる」と言っていたのを覚えています。サッカーにハマってからはみるみる上達して、小学4年の時には6年生と一緒に練習をしていました。

久道コーチの指導はとにかく個を磨く方針でこの時が人生で1番上手くなったんじゃないかなと思います。体が小さくて足の遅い私に活躍する術と技術の大切さを教えてくださりありがとうございます。

高学年になってからは勝負に徹するカズコーチの下、2人で攻めてその他全員でとにかく頑張って守るというシンプル且つ斬新な縦ポンサッカーで快進撃を続け、静岡県を制覇しました。5年生ながら私は試合に出て、その他全員の方で一生懸命守って、とにかく前にボールを蹴って、少しだけ優勝に貢献することが出来ました。

この頃から地域や県のトレセンに選んでいただき、もっと上を目指したいという気持ちが芽生えて、より一層サッカーに真剣に向き合うようになりました。

練習試合でも公式戦でも関係なく、貪欲に勝利を目指すカズコーチの姿勢からはサッカーの本質を学ぶ事ができたと思います。勝つ事の喜びを教えてくださり、またより高いレベルを目指す道へ導いていただきありがとうございます。

先輩へ
右も左も分からなかった私に色々な事を1から教えてくれてありがとうございます。最初のチームが掛川JFC89で良かったと思えるのは紛れもなく先輩たちのおかげです。


【ジュビロ磐田U-15】

約300人のセレクションを潜り抜け、県内の猛者達が磐田に集う。
大きな不安と小さな期待を抱いてジュビロ磐田U15に入団しました。周りは静岡県の有名選手ばかり。3年後どうにか試合に出ていたい。そんな気持ちでいました。

正直、最初はめちゃくちゃビビっていましたが、入団後すぐに1年生の中では中心選手程の立ち位置になっていました。自分でも驚きました。自信が付いてどんどんサッカーが楽しくなり、練習の1時間以上前からグラウンドで自主練習をすることが日課になりました。

半場さんからの「自覚と責任」の話は耳にタコができるほど聞かされました。Jクラブの一員であることの自覚を持ち、責任を持って行動すること。ピッチ外の指導は日大よりも厳しく細かかったと思います。細かすぎて今でも理解ができないものが多々ありました。
しかし、何度も泣きそうになりながら怒られた厳しすぎるほどの指導は私を大人にしてくれたように感じます。

大学生になった現在、まだまだ足りない所もありますが、普段から周囲を気にして周りの人に配慮、気配りができるようになったのは間違いなく半場さんのおかげです。サッカーでも私生活でも厳しく細かい指導をしてくださりありがとうございました。

2年生になってからは1学年上の練習に参加するようになり、公式戦にも出る事が出来ました。
足の甲の痛みから人生で初めての手術をするようなこともありましたが、全国大会に出場したり、東海選抜に選ばれて関東や関西の全国トップクラスの選手達と試合をしたりと、多くの事が自分の予想以上に上手く進みました。


熱血的な指導と様々なお話でプロを意識させてくれた西野さん。高い評価をしていただき上の学年でプレーさせてくれた瀬戸さん。本気でプロを目指せる環境を作っていただきありがとうございました。

3年生になり、キャプテンに任命され監督は半場さん。全国優勝を目標に掲げ、最高にアツい1年にする予定でした。しかし、6月に膝を怪我して短期間で2回目の手術が決まった時には流石に落ち込みました。病院で診断を受けた後の涙ぐんだ母の顔は今でも忘れません。復帰したのは夏が終わった9月。クラブユースはもちろん出場する事は出来ず、ユース昇格も見送られました。復帰後も出場機会はほとんどなく、気がついたら冬になり高円宮杯。結果は全国ベスト8。チームとしてはまずまずな結果でしたが個人としては不完全燃焼に終わりました。

元チームメイトのみんなへ
このチームだったからこそ経験出来た事が数え切れないほどあります。それは全て先輩や同期、後輩たちのおかげです。怒られてばかりだったけど、みんなのキャプテンをやっていたということは私のサッカー人生の自慢の1つです。高校、大学でもみんなの活躍が刺激になり1番のモチベーションでした。ありがとう。

みっちゃんへ
小学校低学年の時からあなたの背中を見てサッカーをしてきました。正直一度も上手いと思ったことはないけれど、周りを巻き込む力、ここぞという時の得点力、度が過ぎる程の負けず嫌い。そしてサッカーへの愛情。とても尊敬していました。みっちゃんみたいなキャプテンになりたかった。


【藤枝明誠サッカー部】

ジュビロのキャプテンが明誠に入部するらしい。そんな噂をされて藤枝明誠高校の門を叩きました。まっさん(監督)から期待され、周りからも一目置かれる存在だったと思います。そんな雰囲気を私自身も感じていました。しかし入部から数ヶ月。大したことないじゃん。先輩も同期もそう思い始めていたでしょう。

実際に1年時はAチームでの出場試合数はゼロ。2年になってからも数試合の出場でした。

苦しい時間が続きましたが2人の先輩のおかげで週末の練習試合にすら出してもらえない時も、腐らずサッカーに打ち込む事が出来ました。1年時には当時背番号9番の2つ上の先輩と練習後毎日2時間、シュート練習をしました。2年時には1つ上の小さくてめっちゃうまい先輩と朝練も練習後も止める蹴るの技術を磨きました。

お二人とも、これからも応援しています。


3年になってからキャプテンになり主力として試合に出られるようになりましたが、サッカーでもそれ以外の部分でも怒られた記憶しかありません。朝、自主練のために始発で学校に向かうと朝礼までひたすら怒鳴られて、昼休みも当然呼び出され、ゆっくり弁当を食べる時間もなく、放課後は3時間怒られっぱなしで練習も無くなるということが多々ありました。帰宅後もまっさんに何度も謝罪の電話をした事があります。全てを投げ出したいと何回思った事でしょう。
本当に毎日が憂鬱で部活に行くことが嫌になった時期もありました。

でもまっさんの事は不思議と嫌いにはならなかったし今でも同じ気持ちです。それはまっさんの指導には愛があり、伝え方は乱暴だけどそこには選手を1番に考えたメッセージがあったからだと思います。感情に任せて選手に怒っているような気がした時も何度もあったけど、それも含めてまっさんの魅力かなと思います。日本一熱い監督の下でサッカーができて良かったです。


同期のみんなへ
大学でサッカーを続けて自分の実力の無さを実感し、みんなのおかげで静岡県優勝が出来たと高3の時以上に強く感じています。人生で1番、サッカーをしていて楽しいチームでした。
あともう1つ。最後まで応援席で応援してくれたみんなへ。1度もAチームで試合に出られるず、後輩にポジションを奪われる屈辱を知り、長くて苦しかった大学サッカーを通して、みんなの本当の偉大さにやっと気づく事が出来ました。一緒に熱くなってくれてありがとう。
これ以上ない、最高の青春でした。





【日本大学サッカー部】

同期のみんなへ
2年の冬。私はオーバートレーニング症候群と診断されサッカーを続けることを一度諦めました。おそらく、というか確実に、同期のみんながいなかったら、同期がみんなじゃなかったら、サッカーを辞めていたと思います。心配をして毎日部屋に来てくれて、普段全然喋らないのに何時間も部屋で熱い話をしてくれて、くだらない話をしてくれて、実家に戻った後も何度もLINEや電話をくれて、3ヶ月もチームを離れたのに今まで通りに迎え入れてくれて、本当にありがとう。みんなのおかげで4年間サッカーを続けられました。心の底から感謝しています。



【家族へ】
大学まで何不自由なくサッカーを続けさせてくれてありがとうございます。22年間、家族に支えられてきましたが、これからは自分が家族を支えられる立場になり、少しでも恩返しができたらと思っています。プロになれなくてごめんなさい。





17年間のサッカー人生。サッカーのために多くを犠牲にし、その何倍も価値のある時間と出会いをサッカーが与えてくれました。
ハッピーエンドとはならなかったけれど、私の人生にサッカーがあって良かった。
心からそう思います。




最後まで読んで頂きありがとうございました。

中山 碧(なかやま あお)

〈経歴〉
掛川JFC89→ジュビロ磐田u15→ソーニョFC掛川→藤枝明誠高校

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