見出し画像

「おう俺は梶谷。諦めの悪い男」4年 梶谷涼人

私には忘れらない出来事がある。










それは‥‥










高校3年の時の選手権だ。










結果から言うと、桐光学園に2-3で負けた。
2点先制したのにも関わらず3点を取られて逆転負けをしてしまった。










1点目の失点は、自分のハンドだ。
当時、桐光学園の10番の西川潤のシュートが自分の手に当たりPKを取られてしまった。
(このハンドが後にゴットハンドと言われるようになる)











そこから、相手に流れを掴まれてしまった。










私たちの高校サッカーは終わった。










自分が終わらせてしまった。










私は、この試合を忘れることはありません。











高校を卒業してから、同期の人と会う度に、
あの時のハンドがなかったらどうなってたのかな?
と話題になる。










私もあそこで勝ててれば、チームは勢いを持って全国で結果を出せたと思う。










高校生活の全てをサッカーにかけた私の人生でしたが結果を出すことは出来なかった。












試合が終わった瞬間、
グランドに倒れ込んだ。
これだけやってもダメなのか、
悔しい気持ちだけがグランドに残った。





こんにちは。梶谷涼人です。
最後のnoteの番が回ってきました。
四年生を送るミニゲーム大会が終わり、本当に引退なのか実感がないままこのnoteを書いてる。





何を書くか決めてない。
ありのまま4年間感じたことを書こうと思う。
よろしくお願いします🤲










私が大学でサッカーをやる理由は、

あの日の悔しさが忘れられないからだ。

高校サッカーで結果を出せなかった。

だから、

必ず、大学で結果を出す。

そう心に決めた。










高校サッカーが終わり、大学までの時間がかなり空いた。

大学サッカーは、出だしが大事だと思い、

引退したのにも関わらず高校の練習に出て大学の合流まで準備をした。

合流した時、大学サッカーのレベルは高校に比べて高いと思った。

高校のスピード感、フィジカルでは戦えない、そう思った。










しかし、その一方で何か「違和感」を感じた。










サッカーに対しての熱量が低い。










入部当時のサッカー部は、

二日酔いで練習に参加してる人、

タバコを吸ってる人、

全く練習に対してやる気がない人、

仮病で練習を休む人など、

一部の人間だがいたのだ。

高校では、ありえないような光景があった。

これが大学サッカーなのかとがっかりした部分があった。

高校サッカーでは、

全員が同じ目標に向かって全力で取り組む。

これが、観ている人を感動させる。

それに対して、大学サッカーはどうだろうか?

一部の人は、サッカーに対して本気で取り組んでいたが、

全員で同じ目標に向かうことはできていない。

だからこの文化を変えていきたい。

そう強く思い、この4年間取り組んだ。










多くの先輩方がもっと日大を良くするために行動してきた。

その過程を、自分の目でじっくりと見てきた。

チームのために学年関係なく求め合う姿。

コロナ期間で、もう一度サッカー以外でチームのマネージメントを見つめ直そうと、毎日zoomで話し合う姿。

ミーティングで、涙を流しながら本音をぶつける姿など。

たくさんの先輩の姿を見てきた。

チームはみんなが見えてないところで成長している。

そう感じた。

去年の先輩達のnoteにも日大は少しずつ変わってきてる。

そんな言葉が多く出てきた。

確かに、チームは変わってきてる。

でも、結果が出ていない。

だから今年こそは、いや自分の代で











「チームの歴史を変える」










そう強く心に誓った。











そして、最終学年になった。











キャプテンとしての重圧は大きかった。

キャプテンが決まった当時は、やっていける自信はなかった。

私自身は、三年の時に数試合公式戦に出たことがあるくらいで、周りにはもっと試合に出ている同期もいた。

だから、試合に出ていない私がチームをまとめることができるのだろうかと不安に思った。

そこで、ミーティングを開いた。

本当に、俺がキャプテンでいいのか。


「梶がいい」



「梶しかいないだろ」


自分の不安は吹き飛んだ。 

このチームのために、全てを捧げる。

そう思うことができた。





チームは前期の5試合が終わり、2勝2分1敗と中々勝ちきれない試合が続いたが、勝ち点を少しずつ積み重ねていた。





一方で私はどうだろうか。

私自身は、ベンチを温めていた。


「キャプテンなのに、試合に出れない」


この悔しさは、忘れることができない。

自分の能力のなさが、ダイレクトに自分の心に響いた。

正直、本当に苦しかった。

味方が点を取っても、本気で喜ぶことが出来なかった。

試合後の喜びの輪にすら入ることができなかった。

キャプテン失格だなと思った。

もう終わりだな。

そう考えてしまった。

しかし、その考えを変えてもらったのはベンチのある一人の行動だ。

そいつは自分が試合に出れなくても常にベンチで声を出していた。

チームのために、盛り上げる声、仕事を率先していた。

丸山ってやつだ。

試合に出れなくても、やれることはある。

口で言うのは簡単だ。

でも、悔しい気持ちをおしこられてチームのために行動することは難しいことだ。

でもやるしかない。

もう一度チームのためにやりたいと思った。











そこで、一つ目の転機が訪れた。

次の日の練習試合でスタッフに



「気分転換で、FWやってみろ」



最初は何を言っているのかわからなかった。

4年の前期の途中で、今までずっとやっていたセンターバックからポジションを変えられたからだ。

隣にいた選手達も、驚きでスパイクを左右反対に履いていた。

そんくらい、驚きだった。

でも、心の奥底でチャンスが来たと

真っ暗闇から少し光が見えた気がした。


その試合はキックオフと同時に事件が起きる。

相手のボールでキックオフが始まり、後ろに下げたボールに反応して、ボールを奪ったのだ。

そして、そのままドリブルで突破して、キーパーと一対一になった。



「えっまじ」と周りからの声が聞こえた。



ここはループシュートだなと考える余裕があった。

しかし、自分の放ったループシュートは、

ゴールの枠を遥かに超えてどっか飛んでいってしまった。

このシュートが私の全てを物語ってるし、これからの伏線になることになる。

そこからFWとして、その試合をきっかけに少しずつスタメンに絡めるようになってきた。





チームとしては前期は勝ち点17で暫定6位でリーグ戦を折り返すことになった。

前期の反省点としては、勝たなければいけない試合で追いつかれてしまったりとにかく、引き分けが多かった。

だからこそ、後期は勝負にこだわる。

泥臭くてもいい。

とにかく、勝つサッカーをしようと全員で意思疎通した。










後期が始まる前に二つ目の転機が訪れた。

「10番」

後期つける番号だ。

送られてきた写真を何回も見回した。

「うん?」
何かの間違えではないか?

今まで、前のポジションはやったことがあったが、10番はつけさせてもらったことはなかった。

だからこそ、びっくりした。

隣で見ていた選手は、帽子と間違えてパンツを被ってしまった。

そんくらい驚きだった。

10番がsnsで発表された時、友達から連絡がめちゃくちゃ届いた。

なんで?って笑笑

でも10番をつけることで、

やるしかない。

チームのために、勝利に貢献する。

そう覚悟することができた。

(もともと、10番をつけていたタケルとは少し気まずくなってしまった笑笑)

引退をしたのであの時なんで、10番をつけたのかスタッフに聞きたいです。
教えてください笑笑





後期が始まってから日大の快進撃が続いた。






勝てる要因となったのは、アミノバイタルカップの国士舘戦だと思う。

結果としては、PK戦の末負けた。

結果だけ見れば、よく戦ったように見れるかもしれない。

でも、内容は完敗だった。

これが、1部の強度なのか。

2部と1部では、明らかに差があった。

でも、目指す場所がはっきりした。


今までは、関東1部昇格という目標を掲げていたが、それと同時に


「1部でも通用するチームを作る」



そうチーム中で共有することが出来た。

次の日から明らかにチームの雰囲気は変わり、これが快進撃のキッカケとなった。











その調子で月日は進み、
チームは7連勝、迎えた第14節の立正大戦。

0-4

3ヶ月ぶりに負けた。

今まで、いい流れに乗っていたがこの試合は自分たちのゲームをすることが出来なかった。

久しぶりの負けに、私自身は落ち込んだ。

このままズルズルいってしまうのではないか。

正直、怖くなった。

みんなは、切り替えだと言っていたがどこか切り替えるのが難しかった。

スタッフからは、次の日オフが伝えられた。

でも、近藤の一言で、

やっぱり明日全員で集まって話そう。

そう決まった。

この瞬間


「このチームは1部に上がるな」

そう確信した。

チームとして、

勝ち続けていたことで少し調子に乗っていた部分、

順位を気にしすぎて受け身のサッカーになっていたなど、

チームの弱みを全て出し、

もう一回引き締めていこうといい話し合いができた。










そこから再びチームを立て直し、後期8勝2敗でついに最終節を迎えることになる。

勝てば、自力で1部昇格。

18年ぶりに、関東1部昇格が手に届くところまで来た。

四年生にとっては、最後の試合。

負けれないという緊張感とこれで最後なのかという色々な感情が試合前にめぐった。

余談だが試合前のミーティングで、部員からのメッセージで泣きそうになっていた。

もうここまできたからやるしかないし、俺たちならできると自信しかなかった。

試合が始まった。


結果は、4-0

18年ぶりに、関東1部昇格を決めた。

正直、これまでの試合は勝っても次の試合があるから一喜一憂することができなかった。

だからこそ、最終節が終わった瞬間心の奥底から喜びが溢れて出てきた。

今までやってきたことが、ようやく報われたような気がした。

このチームで、サッカーできて本当に良かった。
ありがとうございました。










誰よりも下手くそな選手が、最後10番をつけてキャプテンを務めるところまで成長した。

そして、18年ぶりに関東一部昇格という大仕事をやり遂げた。

今まで、一緒にやってきた先輩たちはなんで梶谷がここまで来れたのかと疑問に思ってると思う。

でも、これだけは自信をもって言える。

誰よりも悔しい思いをした。

だから、その分誰よりも努力したし、自分ならできると信じ続けた。

早稲田に練習試合に行ったのに、1分も出させてもらえずに帰った記憶は今でも覚えてる。

試合に出れないと分かり有留と一緒にアップスペースで、スプリントをしていた。

あれほど、悔しかったことはないだろう。

他にも、色々な悔しい経験をしてきた。

だからこそ、

負けたくないと、

俺が必ず結果を残すんだ、

反骨精神を持ってやってこれたと思う。

これまで、一回も自分自身に満足したことがない。

まだまだ成長できると、

この考えが自分を強くしたのではないかと思う。

最初は、誰よりも下手くそだった。

でも、


「最後に俺は勝つと」


雑草魂を持ってやった結果が最後の結果に繋がったと思います。











サッカーというスポーツを通じて、全員で同じ目標に向かってそれを達成するという経験を味わうことができた。

一瞬の喜びのために、それ以外の時間の全てをサッカーに賭ける。

でも、どれだけ頑張っても結果が出ないことがほとんどだ。

苦しくて辛い、思い通りにいかないことがほとんどだ。

それでも、あの瞬間のために努力することはとても素晴らしいことだと学んだ。



「諦めずに最後までやり続けること」



誰もが言いそうな言葉かもしれない。

でも、これが1番大事だと改めて感じた。

やったやつにしか見えない景色がある。

諦めたらそこまでの景色しか見れない。

1番上の景色を見るためにもこれからも努力していきます。












同期へ
俺1人では、このチームをまとめることはできなかった。

四年生が、与えられた環境でチームの役割を全うしてくれたからここまでのチームを作れた。

話し合いの中で、意見が合わなくて言い合ったこともある。

でも、陰でぐちぐち言うのではなく、

直接腹割って話すことでお互いを信頼できた思う。

最初は、最弱の代と言われてたかもしれない。

でも、最後は結果を出した。

歴代で1番一体感のあるチームだった。

最後までついてきてくれてありがと。











後輩へ
日大がここまで成長して変わってきているのは、

今まで歴代の先輩たちが作り上げてくれた土台があるからだ。

だからこそ、日大でサッカーをする事に責任を持ってほしい。

これから、関東一部の舞台で戦う中で

去年以上に難しいゲームが待ってる。

チーム内で、厳しい闘いが求められる。


「一年目から一部で優勝する」


そんくらいの熱い気持ちで闘ってほしい。





青木
高校の時から同じで、大学も一緒にできて嬉しかった。

高校からポジションが同じで、ライバルだと思っていた。

俺がFWになって一緒に試合に出れるようになって本当に楽しかった。

練習で青木から背後のボールに反応して、決めたスーパーゴールは痺れた。息が合うと思っちゃた。

(試合ではなかったけど笑笑)

桐光戦の悔しさを一緒に味わっているからこそ、最後関東一部昇格を決めて、喜びを味わえてよかった。

めっちゃ嬉しかった。

これからも頑張れよ。


キャプテンの形には、正解はないし、自分なりに見つけて欲しい。

でも自分の軸は、ぶらさないで持ち続けてチームをまとめて欲しい。

今まで、先輩達が作り上げてきたものは吸収しつつ自分達の代の色を混ぜて新しいチームを作って欲しい。

あとは、任せた。









スタッフへ
10番でフォワードで、0得点とある意味偉業を達成してしまった自分を最後まで使ってくれてありがとございます。

毎日のように怒られた。

駒沢戦では、前半20分で代えられた。

(あれは健人のせいだが)

それでも、信じて使ってくれた。

自信を持ってグランドに送り込んでくれた。

だからこそ、思いきっりプレーすることができました。

これからもっときつい練習で後輩たちを指導してください。

よろしくお願いします。











そして家族へ


本当に大学までサッカーを続けることができるということは当たり前ではなく、

家族の力がなければこのような経験をすることは出来なかった。

本当にありがとう。

自分が歳をとるにつれ、もちろん家族も歳をとる。

だからこそ、今この瞬間を大切にして家族を大切にこれからも生きていきたいです。

家族の喜んでいる姿を見るのが、

自分の1番の幸せなのでこれからも頑張って活躍している姿を見せていきます。

これからもよろしく。


















私には忘れられない出来事ができた。










18年ぶりに歴史を塗り替えたあの瞬間だ。











試合終了のホイッスルがなった。











大学サッカーの終わりを告げるともに、











新しいスタートの合図にも聞こえた。




梶谷 涼人(かじたに すずと)
〈経歴〉
大豆戸fc→SCH→日本大学藤沢高等学校→日本大学 

いいなと思ったら応援しよう!