「高校サッカー」 一年 西山 蓮平
初めまして、今回noteを書かせて頂く事になりました、
前橋育英高校出身、日本大学経済学部金融公共経済学科、1年西山蓮平です。
このnoteでは自分の高校サッカーのこと、日本大学でどのようになりたいか、を書かせて頂きます。
「高校サッカー」
私は高校サッカー最後の笛をベンチで聞いた。「ピッチ内」ではなく「ピッチ外」だ。
目標であった日本一なるという夢は呆気なく終わった。
私が高校一年の時、前橋育英は全国高校サッカー選手権大会で悲願の初優勝を成し遂げた。
スタンドで応援をしていたが、全国優勝の瞬間を「ピッチ外」で味わった。なんとも言えないくらいの嬉しさ、めちゃくちゃ興奮した。「これが日本一か」と思った。
ピッチ外でこれだけの経験ができた。 試合に出ていたら…と思うと。
あと2年ある「もう一度この景色をピッチ内で見たい」と強く思えた1日だった。
でも、現実は甘くなかった。高校2年になり試合に出るどころかメンバーにも入れず1年間ずっとセカンドチームであった。
そして、あっという間に高校3年になり最後の年がスタートした、あの景色を見る最後のチャンス。でもなかなか上手くいかず、リーグ戦も常にベンチであった。チャンスは何度もあったにも関わらず、掴む事ができなかった。
そうしているうちに、選手権予選が始まった。初戦は途中から出してもらったものの、満足いかない。そして県予選決勝。間違いなく厳しい試合になる。ベンチの選手はいつでも出れる準備をしておけ。と言われ、まずはチームのことを第一優先に考え、出た時には一発やってやろうと思っていた。
そして自分の名前が試合ラスト10分くらいに呼ばれた。チャンスが回ってきた。
でも、そのときは1対0。役割は大好きな攻撃ではなく守備。角にボールを蹴って時間を稼ぐ。いざピッチに立つと、右側から仲間の応援。左側は大勢の観戦者。鳥肌が立った。
そしてすぐに10分が経ち試合は終了した。
チャンスを掴んだかどうかはわからなかったけど県予選優勝をピッチ内で喜ぶ事ができた。と同時にあの景色をもう一度みれるチャンスを掴んだ。
でも、それからというもののやはりベンチには変わりなかった。
そして全国大会、初戦が始まった。両チームともに接戦でPK戦まで行った。
一人目、二人目と蹴っていくなかで私はベンチで肩を組んでいた。試合終了の笛と同時に、相手チームは抱き合って喜んでいた。仲間は倒れ込んでいた。私たちの夢である全国優勝は呆気なく終わった。不完全燃焼で高校サッカーが終わった。
でも、3年間仲間と切磋琢磨して積み上げてきたものは宝物であり、素晴らしい経験であった。前橋育英に来て良かったと思う。
不完全燃焼で終わった高校サッカーであるが、不完全燃焼でよかったのかもしれない。
今年、日本大学サッカー部に入学して今に至ります。
日本大学は日本の中でもトップクラスくらいの施設が整っていて、サッカーに本気で打ち込める環境が整っています。
高校サッカーで悔しい思いをした分、大学サッカーにぶつけたいと思っています。
そして、全カテゴリーが昇格という目標に向けて、昇格の瞬間を「ピッチ内」で味わえるように日々精進していきたいと思います。
長々とまとまらない文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございます。
今後とも日本大学サッカー部の応援の程宜しくお願いします!!
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