「大東京での感謝」4年 萬谷裕太
こんにちは。
日本大学4年サッカー部 萬谷裕太と申します。
今回は、大学4年間で考えた事のほんの一部だけnoteに書き記すことにしました。
両親へ、なんとか大学サッカーも集大成を迎えることが出来まして。
時々思い出す訳です。サッカーを始めたときの感覚。悔しくて泣いた感覚。嬉しくて泣いた感覚。とても泣き虫だったことを覚えています。今も変わらないです。
ずっと曖昧にしてきましたが、、大学4年間、1度も輝いた一瞬の報告は出来ませんでしたよね。東京に行ってくると意気込んだのが最後の決意表明だったかもしれません。
親元を離れ4年間。大切なものに気付けるまで4年がかかり、今やっと親の有難みというものを心から感じています。息子が大学生になり、自らの挑戦に羽を伸ばす父。今もなお息子を想い続けパートをし続ける母。大きな家を買い、やっとの余暇を過ごそうと準備している2人を見ると、今まで息子への教育と莫大な資金調達がいかに壮大だったかがはっきりと分かります。
振り返ってみると大学4年間うまく行かないことだらけでした。
他のことで連絡をくれているのに、「サッカーはどうなん?」の質問には明らかに顔を曇らす私の表情を電話越しに読み取ったのか、それ以上は追求してこない母。
彼女の話となると、どちらもテンションが高いはずなのですが。
とにかく、この集大成のnoteに両親への感謝を綴ることに決めたのは、
“選手権で全国大会に出る”、“東京に行ってくる”
以来の決意表明をしようと想いまして、、
“必ず恩返しします”ということで。
大きな家で余暇を楽しんでいるかと思われますが、まだまだやり残したことがあるでしょう。最近実家に帰ったわけですが4年前に家を飛び出した18歳のガキンチョより、少々成長を遂げているのではないでしょうか。きっと「まだまだ」だと言ってくれはずですが、自分なりに4年間悩みもがき苦しみだした答えです。
もちろん自分の人生は必ず謳歌させます。
両親のために生きようとは思っておりません。
ただ、ここまでして来て頂いた沢山の時間、お金、労力、愛は必ず返さなかればいけないものだと感じております。新しいご近所さんに自慢できる息子になった時、胸を張って新居の実家に帰らせて頂きます。
仲間へ、仲間と一概にまとめても4年間で沢山の仲間が出来ました。
サッカーの同期には、サッカーでは絶対に敵わんなと初めて感じた千葉、人として絶対に敵わんなと初めて感じた青木、約7年間連れ添った涼太、考え方が真反対で色んな事を教えてくれる二上、誰よりもサッカーに熱いたかや、
毎日が刺激で毎日が楽しかったです。
一歩バンデリアンを抜ければ、学校の友達や就活の仲間などなど。
大阪にも東京に沢山の仲間が増えた訳です。
刺激をくれる友達。オフの日は大学生に戻してくれる友達。新しい世界を魅せてくれる友達。
沢山の友達に囲まれ、沢山の友達を傷つけました。
全員からは好かれることが出来ないことも知れました。
些細な一言や行動が人を傷つけ、信頼を失うことも知れました。
決して良いことばかりじゃなかったけれど、悪いことばかりじゃなかったです。
仲間のおかげで毎日が幸せです。
これからも何卒よろしくお願い致します。
長くなりすぎると、少しクドイので、この辺で。
ほんの一部の感謝を綴ってみたわけですが、他にも感謝を伝えるべき人間が数え切れない程います。きっと書けよと思っている人もいるでしょうが。
もちろんのことあなたにも感謝しています。
最後まで読んでくださった方に、
最後にはなりましたが、現在私は日本大学サッカー部という組織に所属しております。
是非ともこの素晴らしい組織の応援をよろしくお願い致します。
4年生トップバッターのnoteは感謝の一部を綴らせていただきましたが、
これより熱い記事を綴る者や、サッカーへの想い、4年間の集大成を綴る魅力のある記事が沢山更新されます。
是非そちらもチェックして頂けたら幸いです。
そしてよければ、恩返しという人生をかけた夢に挑戦していく
萬谷裕太の応援もどうぞよろしくお願いいたします。
以上