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大学を辞めて、自分を好きでいる選択をしたお話

なんとも落ち着かない夏を過ごして、とても
1シーズンとは思えないほど色んな思い出を抱えさせてもらった。

当然、思い出の整理も感情の整理も追いつかない。
頭の中を整理整頓しようにもどこから手をつければいいのか分からない。
立ち止まって“今”を整理しようも、なかなかやり方がわからない。

そんなこんなで手一杯になったからとりあえず大学を辞めた。


私は今、大学5年目、4年生の9月を生きていて、“勿体無い”って言葉が深い霧のように私の視界を奪っていた。

ここまで4年?5年?ずっと心理師を目指していた。だから、なんとなく居心地は悪かったが、大学というものに耐えて耐えて、身体を壊した後も通う選択をし続けてきた。

だけど、心理師を目指すことをやめた今、通おうにも耐えることができなくなっていた。

大学を辞める理由を問われても、表面化された取り繕ったものばかり出てくる。
でも一番単純に、何も隠さず、取り繕わず、ただありのままを伝えるのならば、“もう居たくなかった”。それだけのこと。

この夏、沢山悩んで考えて、最終的に“大学に通う”選択をした。履修登録もした。卒論もなんだかんだ言いながらちゃんと進めていた。

だけど、どうしても、大学に通う選択をした自分を好きになれなかった。

私に『私は本当はどうしたいの?』って問いかければ、答えはいつだって『辞めたい』だったのに。いざ、『どうする?』と問われれば、答えは必ず『大学に通う』だった。

怖かった。

大卒なんてなくていいと思う私と、ほんとに大丈夫?っていう私と。

好きなように選んだらいいよって言ってくれる人たちと、好きなように選んでも側にいてくれる?って聞けない私と。

結局人に嫌われたくなくて、変わらなければ今のまま好きでいてくれるだろう、の思考から抜け出せなかった。

だから耐えよう。そう思った。

人に嫌われる嫌われない以前に私が、私自身が納得していないのに、それを言語化しないまま気付かぬふりをしていたんだと思う。

授業開始日が近づくにつれて、自分の中の不一致に、漠然とした気持ち悪さが日に日に膨らみ続けた。

動かない体を無理やり動かして学校に行こうとした時、やっと『あぁこの自分が一番嫌いだわ』って出てきた。そう思って初めて、自分が大切にすると決めてきたものを見失ってることに気付いた。


大切な人が沢山できた2023年春夏だった。失うには早すぎるし、存在が大きくなりすぎた。

急に大きな存在がいくつも現れて、失いたくなくて。今の私にはまだ信じる勇気を持ちきれないほどに大きくて。

数年前、生死の狭間を生きて、沢山苦しんで、やっと辿り着いた、大切なもの、大切にすると決めたものたち。

“私が笑顔でいられること”
“そのために生きること”

もう一度自分を蔑ろにしたまま人にばかり縋るところだった。

私は幸せのためには努力も苦労も惜しまない。でも、幸せにつながっていない努力、幸せを感じられずに努力している状態は、私を不幸せにする。それは、私の周りの大切な人の笑顔も奪う。だからしない。

そう決めたのにね。

大切な人に嫌われたくないからと無理をして、私が身体を壊したとき、大切な人は私の隣で笑っていられますか?

だとしたら、それはなんのための努力ですか?

大切な人を本当にまるっと大切にしたいなら、自分を大切にしないといけない。

幸せはきっと循環しているもの。

大切な人の幸せは私の幸せで。
私の幸せがその人の幸せの一部になって。

でも大事なのは、人のために自分を幸せにするのではなくて、それぞれが勝手に幸せであること。

お互いに「幸せだね」「ね、幸せだね」って半年振りの電話で言えるくらい勝手に幸せしてるくらいがちょうどいい。

あまりに当たり前の幸せを本当にただの当たり前だと感じられるようになって、感じることすら忘れて、欲張りになっていた。

私はもう大丈夫だと、自分を殺して自分にとって無意味に生きる狂った価値観にまた飲み込まれるところだった。

“人のため”を、“人のせい”にしないほど私は出来た人間ではないから。
いずれそんな出来た人間になりたいけれど、自分を蔑ろにして人を幸せにするとかあんまり格好良くないじゃんね。
超ハッピーに笑って人も幸せにしてる方が、裏がなさそうで多分格好良い。


小さい頃、父に怒られるとき、兄弟みんな大概同じことを言われていたことをふと思い出した。

「物事には順序があるんだよ」
「やることやってからやりたいことやりなさい」

当時怒られてたのは、宿題やってないとかゲームずっとやってるとかそんなことだったと思うけど、父が怒る時は大体この理由の時と嘘をついた時だけだったように思う。

今になって宿題とかそんな単純なことのためだけにお説教されていた訳じゃないんだなと気付かされる。

“自分を幸せにできるようになってから、人を幸せにしなさい。”

それからもう一つ父がよく言う言葉。

「何事も良いことと悪いことは半分半分」

“物事にはなんでも表と裏があって、良いことの裏には悪いこともあって。でも悪いことの裏にも必ず良いことがあるんだよ。”

きっと私は手放した半年と大卒という肩書きをいつか後悔するのかもしれない。選びたくても選べない大きな選択肢が現れるかもしれない。
それは悲しいことだけど、私は確実に“今”の私を助けることができた。“私”を嫌いになる前に“私”を大切にする今を選んだ。

未来の私のことは未来の私に任せて、今の私を大切にできる私をこの先もずっと守っていきたい。

good-by my student’s life

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