勇人#1 「MBAからのハリウッド進出」
皆さん、こんにちは。ロサンゼルス在住の勇人です!毎週水曜日投稿の担当となりますので、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします!
さて、私の方ではMBAからのハリウッド進出、そしてクリエイティブ・プロデューサーへの道のりをリアルにお伝えできればと思うのですが、TakeshiとKoheiがエンタメの世界に入るきっかけとなった出来事を最初の投稿としているので、私もその流れに乗ってって事で!
まずは学生時代の話から。学生時代は剣道サークルが中心ではありましたが、通訳にも興味があり、コミュニケーターズという通訳養成専門学校に通ってました。カリスマ創業者の故斎藤美津子先生は同時通訳の先駆者でICU(国際基督教大学)の名誉教授でもありました。夫は元衆議院議員の福永一臣氏、父は元東京銀行監査役斎藤保義氏、弟は元毎日新聞社会長斎藤明氏で、先生は常に半端ないオーラを醸し出してました。私は先生が教えていたクラスを取ってましたが、なぜか斎藤先生に可愛がっていただき、授業料を無料にしてもらう代わりにハガキ整理などの雑用や、先生の鞄持ちのバイトをさせてもらうことに。いまだになぜそこまで可愛がっていただいたのかはわかりませんが、非常にありがたかったです。就職の時も、確かCNNだったかどこかの外国メディアの映像同時通訳者としての面接を受けたのですが(もちろん斎藤先生のコネ)、当時、同時通訳のレベルがまだそこまでたどり着いておらず、落選。でもその面接をしてくれた方(といっても多分、一番偉い方)が、「まだまだ若いのでこれから十分に可能性があり、羨ましい」みたいな事を言って励ましてくれました。なので、通訳業は今でもとてもパッションのある仕事です。
斎藤美津子先生
自分の人生プランの中でアメリカのMBAを取る、ということは学生時代からあったので、MBAを取るためにどういうところに就職するのが良いか、を逆算して考えてました。まず、外資系か、日本企業か、を考えたときに、いずれアメリカのMBAをとって、アメリカで就職をするのであれば、外資より日本の会社に就職し、日本企業の考え方や意思決定プロセスを知っていた方が、アメリカ企業の役に立って採用してくれるんじゃないかと思い、日本企業に就職することに決めました。特に自分の場合はカナダで生まれ育ち、ニューヨークの高校に行き、大学から日本だったので、そこでまた外資企業に就職するのもあまり意味がないかなと思ったのもあります。
さて、就職先に関してはエンタメ業界の事は全く考えておらず、友達と一緒に芸能プロダクションにタレントとして所属する?という話で盛り上がり一瞬本気で考えた事以外は、ビジネスマンとして会社に就職することを決めてました。まぁ、そのアイディアがあったこと自体、エンタメの華やかな世界に興味があったということでしょうけど。ちなみにその友達は今、金融業界でバリバリ働いてます笑。
卒業論文を環境ビジネスについて書いていたこともあり、どうせお金を稼ぐなら世の中に良い事をして稼ごう!と当時は社会正義に燃えていたので、環境ビジネスに強い会社に就職しようと決めてました。あと、MBA受験の事を考えたときに、コンサルや金融出身の受験者が多いでしょうから、環境ビジネス出身であれば差別化できるかも、というのもありました。あとは、会社があまり大き過ぎない方が色々と面白い事ができるんじゃないかと思い、最終的に松田産業という会社のお世話になる事に。この会社は携帯電話やパソコン等の電化製品に入っている金等の貴金属をリサイクル・精錬し、インゴットに変えて貴金属市場に出したり、貴金属を使った産業製品を製造したり、写真を現像する際に出る現像液の中に含まれる銀を取り除いて精錬し、現像液は無害化処理する技術を持ったりと、とても環境にやさしく、ビジネスとしても成り立っている魅力的な会社でした。入社した際には店頭公開したばかりでしたが、そのあと東証2部上場、1部上場、売り上げも一千億超えてと、どんどん伸びていきました。また、非常に人情味のある良い会社でした。
で、この松田産業に対して私は数々の失態をおかして大変迷惑をかけてしまったのですが、その迷惑行為は欠席してしまった入社式の前から既にはじまってました。卒業旅行でサークル仲間とインドに三週間行ってきたのですが、なんと、腸チフスとコレラの合併症にかかってしまい、帰国後隔離病棟に入れられ、生死をさまよい、担当医が両親に「今夜が山場です。意識が戻っても元に戻るとは限りません。脳に障害が残る可能性が。」とまで言われる始末。多分、未だに元に戻ってない笑。
死にかけたインド旅行にて
腸チフスの菌は二週間潜伏するらしく、おそらく旅行中に感染し、帰国日に発症。風邪だと思っていたのですが、ずっと調子が悪く、結局大学の卒業式にも参加できず。そのあと意識なくして部屋で倒れていたところを、英会話講師バイト時に出会って大変お世話になった方が、私が電話に出ない事を心配し、保健所に連絡してくれ、当時部屋の鍵をいつもかけてなかったのが幸いして、保健所の人がそのまま部屋に入ったら私が倒れていたという状況。彼女は命の恩人!頭があがりません!
ちなみにバイトしてた英会話学校は「ハウディハウディ」という渋谷にある学校でめっちゃ楽しいところで、あまりにも楽しかったので就職後もこっそり週末働き、バイト中に生徒でもある会社の社長秘書にばったり会ってしまい、バイトしていることを会社に秘密にしてもらったりとか笑。 最終的に英会話学校の社長が夜逃げして「ハウディハウディ被害者の会」まで発足することに。この話は機会があればまた別途。
さて、話を腸チフスに戻すと、隔離病棟での入院中、夢をみるのですが、起きてもその夢が現実なのか夢だったのかの区別がつかないような状況でした。常に、入社式に出ないと!研修に行かないと!というのが頭にあったので、夢の中でインド旅行と会社研修がごっちゃになり、インドで研修をしている夢まで見る羽目に。しかも白衣を来てフックにぶら下がっている牛の研修をしているという訳のわからない状況。
ある日、人事課長から病院の部屋に電話があり、
「三石、大丈夫か?」
と心配してくれ、
「大丈夫です」
と答えたのですが、会話の最後に私の方から
「一つ、質問してもよろしいですか?」
と訪ね、
「良いよ」
と答えてくれたので、
「研修ってインドでやってないですよね?」
と聞いてしまった。
そう、実際に聞いてしまったのだ。
とても気になってたので。あれが夢だったのか、現実だったのか。それに答えられるのは人事課長のみ。という論理で聞いてしまった。
「やってないよ。。。!」
と答えた課長は、この時、本当に私の状態がやばいんだと確信したそうな。
ということで入院中のため入社式にも出れず、大変迷惑をかけてしまった松田産業ですが、入社後も色々と失態をおかすことに。
(Vol 2へ続く)