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いろいろ考えてたら収拾つかなくなった話(後編)
コロナ禍で外出はしないし、人と話さないしで、いろいろと考える時間があったもんで、日々モヤっとした気持ちを抱えながら過ごしていた前編。
前編に書いたことを考えていたのは4月~5月下旬あたりの話。
とある時に、このモヤッとをぶつける機会があったので、この考えたてホヤホヤのモヤッとボールを5月31日に投げてみたあとの感想。
前編の内容をそのまま伝えてみた。
モヤッとした気持ちが芽生えたこと、人を潰そうとしてかかる人間はいなくなるのかということ、自分はそういう人たちを見ぬふりをして、のうのうと生きていても良いのかということ。
正直細かくは覚えていないけど、もらった意見の中で覚えているものたちを。
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①「完全悪というものは存在しなくて、ネット上で誹謗中傷の言葉を飛ばしている人にも良い側面があるかもしれない」というような話。
いわゆる性善説。
②そして、人を潰そうとするこの人種は、この世から無くなることはないらしい。
③さらに、良い方向へ向かおうと「善」に偏り過ぎるのも良くないとのこと。宗教なんかはこれに該当することが多いようだ。
④あくまでも、中道を目指すのが良いということ。
⑤それと、私がモヤッとする理由は、私の中に確固たる価値観があるからだと思うよ、とのこと。
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なるほど、と思った。
以前に俯瞰する話でも記した通り、ポジティブネガティブに偏り過ぎるのは生き辛く、あくまでも中庸であることが生きる上で楽であることを実感した話に繋がる。
だけど、やはり意見を聞くだけというのは「ふ〜ん、なるほど」で終わる。
以前に記した通り、多分私はどれだけ頭の良い人たちが言う素晴らしい理論を見聞きしたとしても、自分の中での気付きや体験で無いと、腑に落ちないんだな。
「この人はそういう意見なんだな、ふ~ん、なるほど」止まり。
自分から聞いたくせにね。
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すると、ハッと気付く。
この通称「なるほど止まり」になる大きな要因は「自分の理想とする答えでは無かった」ということなのではないか。
これまでの話でなんとなく分かることは、私の中で恐らく理想とする答えがあるということ。
分からない、知りたい、なんだろうと言いながらも
「きっとこうだろう」
「こうあったらいいな」
という答えがあるのだと思う。
それを上手く言語化出来ないので、
正確には「答えを探している」のではなくて、「私の理想を言語化している答えを探している」んだろうな。
結局都合の良い解釈しか受け入れられないんだ。
生まれ育った環境が起因するのはもちろんそうだけど、自分が「そう思いたい」「そうあって欲しい」という思考を常に取捨選択して自分に取り入れて、それを性格や価値観として、人間は生きてるんだもんな。
そりゃ、人によって見た目も中身も思考も価値観も違って当然だ・・・
そこに善悪は無く、ただそういう事象があって、それをどう捉えて自分に取り入れているかの話。
そして、「その考えに理解者がどれだけいるか」が、いわゆる「世間一般」とかいう言葉で表されて、マジョリティーかマイノリティーかに分かれる。
この思考というやつは、自身のハッとした体験を以って180度変わることもあるから、私の考えも、何かの気付きや体験で変わるかもしれない。
繰り返しになるけども、自分の思考は自身の気付きと体験がないと、変わらない。
今のところ辿り着いたのはそういうところですかね。
タイトルにもある通り、文中に散らばっているこれってなんだろう?に対しての問いに対して拾いきれず、なんなら話の主旨が変わってきている。
タイトルがそれはそれはもう、この文章にぴったりだ・・・
もはやこの文章の目的がなんなのかすら収拾がつかなくなったこの話は、自分の気が向いている限り、派生しながら続く。多分。