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僕が死のうと思ったのは

27歳の時に子供が産まれた。
大好きな人との間に出来た子供だったからそれはそれは愛おしかった。
日々大きくなっていく我が子の成長を見守る暇もないほど毎日が慌ただしく過ぎていき、そのうち育休の期間も明けて復職が見えてきた。
子供ができるまでの私はアパレルのお店の店長として働いていた。やりがいも感じていたし毎日楽しかった。

でも子供が産まれるとそうも言っていられず、
復職後は時短社員として勤務することを余儀なくされると、パートのような扱いで頑張っても評価されない日々を重ねていくことになる。キャリアを積み重ねていって本社で働きたいという夢ももう叶わないと思うとこれまで感じていたやりがいを完全に見失った。
いわゆるマミートラックだ。

それと同じ時期に夫が転職をし横浜に移ることとなり、
私もそれを機に転職をすることとなった。
今思えばこの時にもっとよく転職を考えろと夫に言うべきだったのかもしれない。

何はともあれ時短社員でキャリアアドバイザーとして求職者の転職支援を始めた。
勤めたのがベンチャー企業だったからなのか、
時短社員とて一般社員と同等の対応や仕事ぶりを求められ、ノルマが課せられる環境。
新入社員が続々と入ってくる中でベンチャー独特の嫌な意識の高さのある上司からの「期待をしている」からこそのパワハラ。
怒鳴り声が毎日響くオフィスなのに怒鳴られて涙する新人社員を慰める人は誰もいなかった。
みんな見えていないみたいにモニターから目を逸さなかった。
異常だ。誰が見ても異常だ。

やるせなくなって泣いている社員をランチに誘った。
その子は私にむかって「優しい。」と泣いていたけれど
声をかけない状況こそが異常だと思う。
その子だけではなくて新人社員の中で気に入らない人は強くあたられ泣いていて
当然のように誰もケアをしないので私がフォローに入る。毎日この繰り返しだった。
そんなこともあり採用は進むが同じくらいの人数が辞めていき私の入社時から人数はほとんど変わりない。
私はというと時短社員で採用してもらえるだけありがたいとそんな職場に、興味のない仕事にしがみついていた。

子育てとの両立などできたものではなくて
コロナ禍であったこともありほとんどリモートワークと言われて採用されたものの、情勢が落ち着いてきてからは週5で出社になった。片道2時間の通勤。
朝も早くて毎朝目が覚めるのも憂鬱だった。
子供も同じ時間まで保育園に預けているので私の見ている時間はずっと機嫌が悪く可哀想でならなかった。

時短社員という選択肢しかなく、今住むマンションも夫が勝手に決めてしまった都心まで2時間の立地の田舎。
子供がまだ小さいということで転職エージェントにも転職はおすすめしないと言われた。
八方塞がりである。

世の中のママ達は転職せずに生きているというのだろうか。

このnoteは八方塞がり限界ワーママの私の備忘録。

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