弱かったら、何してもいいの?
こんにちは。大学生です。
今回のお話は賛否両論あるのかもしれません。ただ、「弱さ」を理由に責任から免れ続けようとするのは大人としてどうなんだろうと思うただの一個人の話です。
初めに、大学生は大人なのか?
大学生は大人でしょうか、子どもでしょうか。自分の中ではまだ子供だと感じていても、年齢的に見れば19歳は大人なのかもしれません。もう成人しているし、歴史小説を読んでいると大人の年齢とされているときもあるしね。
「大学生はもう大人ですから、ちゃんと期日を守りましょう。」
「大学生なんてまだ子供なんだから、いろんな経験をすべきです。」
「大学生はまだ社会的地位も不安定なんだから。」
大学の先生とか親はこう言いますが、多分みんな大学生が大人か子どもかなんて分かっていないのだと思います。それがモラトリアム。
でも個人的には一応「子どもではない」ので大人に求められている全ての責務を全うすることはできなくても、ある程度は自分に責任を持たなければならないと思うのです。
だって、もう大学生なんだから。
弱さを免罪符のように感じてしまう
さて本題です。
先日グループワークで、5人ほどのグループでプレゼンを行うという課題が出されました。当初は上手く役割分担もできたのでスムーズに進んだのですがそこで事件は起こります。
なんとメンバーの1人が全く活動に参加しないのです。理由を聞くと、「元々病院に通っていて、時間が取れない」とのこと。
それは仕方ないということは分かりますよ。でもその子は自らプレゼン資料を作ると言いだして、そのように役割分担を振り分け済みなのです。しかも急に体調が悪くなったとか、コロナにかかってしまってとかではなく、元々その週に病院に行かなければならないと分かっていたのに、私たちに何も言わず急に「プレゼンまだ作ってないんだ」です。
みんなは「仕方ないね~」なんて流していましたが、私だけ「だったら『そうなるかもしれない』ぐらい言ってくれれば資料づくりをする人数を増やすとかできたのに、どうして何も言わなかったの?」と心の中で思ってしまったのは変なことでしょうか。
結局資料はみんなで作ったので単位に影響したわけではないのでいいですが。
昔いじめられたときもそうでした。いじめっ子の家庭は元々シングルマザーで再婚したらしかったのですが、それを「〇〇ちゃんのおうちは大変なのにお前が気に障ること言ったからだ!」でいじめの原因にされたり。「いやいいや私も傷ついてるんですけど」なんて言ったら刺されたかもしれません。
弱かったら何してもいいんでしょうか。不幸だったら幸せな人間を傷つけてもいいのでしょうか。弱ったら自分の発現と行動に責任を持たなくてもいいの? 恵まれた人間が後ろ指を指されれば満足?
そんな風に考えるのがモテない原因かもしれない
書いていて、そんな風に考えるのがモテない原因なのかもなあって考えてしまっています。
私は特に顔が良いわけでもないのできっと性格が良ければ、彼氏彼女の1人ぐらいはできたのかもしれません。ですが私はあいにくみんなが入院している子のために千羽鶴を折っている中一人だけ授業のノートをひたすら書き写すような人間です。みんな何だかんだ言いつつ、合理性を重視する冷たい人間よりも感情を表に出すようなかわいげのある子が好きなんですよ。
そういえば中学校の時、クラスで総スカンをくらった出来事を思い出しました。「ペットボトルキャップを集めてポリオワクチンに!」みたいなあるじゃないですか。あれについて道徳の授業で話し合ったときに事件が起こりました。
実はポリオワクチンって1回分20円程度なんですね。でもその20円のために必要なペットボトルキャップは500個です。全校生徒500人の学校で1人1個持ってきたとしてもたった1人分。しかもそのために120円ぐらいのペットボトル飲料を購入しなければいけません。
その状況を知ってもなお、全校生徒にノルマを課しペットボトルキャップ持ってこないと注意喚起をしようとする生徒会に「だったら私は水筒使って200円寄付した方がいっぱい人を助けられると思います。」って言ったら次の日からフル無視をくらいました。
きっとキャップ集めは「キャップをリサイクルする」という目的のために始まったんだと思います。でも全校生徒にノルマを課すのは私の母校の悪習です。
私は運動部できょうだいもいたのでキャップは割とたくさん出たため非国民認定はされませんでしたが、そういう訳にもいかない後輩も沢山いたので私がキャップ集め当番の時はノルマ超えた分は私のキャップからカウントしたりしてました。まるで戦時中です。ただそのおかげか、今でも当時の後輩には慕われているような気がします。なんか話ずれましたね。
苦労自慢も不幸自慢も
先述したグループワークのあの子。私はシカトできるほどの人間ではないのでたまに会話しますが、やはり少し疲れます。
「昨日大変だったんだよね」なんて言おうものなら、「でも私はもっとひどかった」のオンパレードなので最近は20分ぐらい頷いてれば解放されることを学びました。
世の中上手く生きていくためには聞き流すことも重要ですね。
ただ、それで本当に苦しい人が我慢している世の中は個人的にクソだなあと思うので、大きな声よりも小さな声を拾える大人になりたいです。
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