忘れ難いお客様①

そのお客様はおばあちゃん。
証券営業デビュー後の1ヶ月間限定エリアにありました個人住宅にお住まいの方でした。
住宅はとても大きいというわけではないものの、お庭や柱、調度品などそれぞれが歴史を感じる素敵なお宅でした。
おばあちゃんからみたら私は孫か曾孫の様な年齢です。
名刺1枚だけで得体のしれない若者は相手にされなくて当然なのですが、私の突然の訪問にも関わらず、在宅されていらっしゃる時には必ず玄関を開けて招き入れて下さいました。
喫茶店に行ってサボることはすまい、と行動を切り替えてからの私は、タダでお茶を頂いて、うまくいけばお客様になってくれるかもしれない、と見込みのお客様への訪問を喫茶店代わりと捉えていた図々しい考えを持っておりました。
飛込訪問で断りの連続や辛辣な断り文句、怒鳴られたり、叱責されたり、で打ち拉がれている時など、おばあちゃんに会いたい気持ちでお訪ねさせて頂いておりました。
何度目かで、私はもうトシ(高齢)だから株みたいなことはやれないし、僅かなお金しかないけど何かあなたの成績になる様なものはないの、と仰って下さいました。
その様におばあちゃんに言われてしまいますと逆に何もお勧め出来なくなってしまい、貯金の様なほとんどリスクの無い商品を最低額ご入金頂きました。
そして、その後、おばあちゃんはそのお金をお引き出しになられることはなく、私から別の商品やご入金の追加をお勧めすることもありませんでした。
次第に忙しくなる仕事や増えて来るノルマを抱えながらも、おばあちゃんに会いたくて毎週の様に訪問させて頂きました。
お昼ご飯を一緒に食べましょうね、とお寿司の出前をとってくれたり、和菓子を用意してくれたり。
段々とお互いの身の上話をしたり、仕事の悩みを聞いて頂いたり、と。
一人暮らしと思っていたおばあちゃんにはお2人のご子息とお1人のご令嬢がいらっしゃって、その時にはご令嬢と同居されていて、お子様は皆様優秀な医師でいらっしゃること、そしてご自宅は文化財であること、などなど、由緒正しき資産家でいらっしゃいました。
中でも、一番驚いたことは、ある訪問の際に居間に額装されて掲げられていた書簡。
極めて著名な作家による、おばあちゃんに宛てて差し出された和紙に筆書きの長い手紙で、当時の日本の政治家や事件を面白可笑しく風刺した文面です。
おばあちゃんによりますと、作家仲間だと。
なんと、おばあちゃんご自身が著名な作家でいらっしゃったのです。
おばあちゃんはご自身からは自慢らしいことを何も仰らない素敵なご人格の方なのです。
私の転勤後、数年振りに訪問させて頂きましたが、その時にはおばあちゃんの遺影に手土産をお供えすることとなりました。
今でもおばあちゃんの優しく素敵な笑顔を思い出して、ありがたかったなあと心が温まります。

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