日記 2024/06/11
2024/06/11
*
朝、早くに目を覚ます。ぼんやりとした頭のなかで「先行きが見えない」という言葉が浮かび上がる。でも先行きとはなんなのだろう。見えなくてなんだというのだろう。目的地のない散歩。展開の読めないドラマ。スポーツの試合の決着。先行きが見えなくても楽しいことは沢山ある。
*
昔馴染みの友人と会った。昔馴染みの友人と会うと、いつも同じ過去のことを話してしまう気がする。お互いにその話がどういうものかすっかり知っているのに、オチで笑う。それで安心しているのかもしれない。ある過去を共有しているということ。あるいは単にある出来事を記憶を共有しているということ。それを何度も何度ももてあそびながら友情が強固になってゆくのか。
*
短さについて。短歌や俳句はその文字数の制限によってなかば工夫を強いられることによって想像力の発露を促す。想像の力学は、それを一切制限しない途方もなさか、あるいは制限そのものに掛かっているという気がする。表現することに制限はつきまとう。制限の良し悪し、それを脱構築すること。どこまでも広がる平野の真ん中に、矩形に領域を区切る柵があるのを想像する。想像力のひろがりとその制限はアンビバレンスなものではなく、もっと同時的なのではないか。
*
知らない土地の名前を聞くと、なんとなく驚きがある。わたしが歩いたことも見たこともない路地が、入ったことのないコンビニが、通ったことのない小学校がそこにはある。そしてそこでは、それぞれ固有の歴史がしずかにひしめいている。誰かにとってかつての記憶を一瞬にして蘇らせてしまう臭いが漂っている。会ったこともない人が長い人生の終止符を、わたしが知りもしない病院の部屋の中で打とうとしている。彼は病院のベッドから窓の外を眺める。その道をわたしがいま歩いていて、彼の目に留まったとしても、彼の記憶はやがて失われてしまう。
*
とても盛り上がったのに、別れた後に思い返すと内容をちっとも思い出せないというような種類の会話がある。そこで自分は何を聞き、何を話したのだろう、と思う。言葉や出来事を交換したはずがすべて喫茶店の机に置き忘れてしまった。でも失ったという感じもしない。ひょっとすると交換したのは笑顔や親しみ、またお互いという存在の発する熱、だったのかもしれない。
ここから先は
¥ 300
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?