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日記 2024/06/07


2024/06/07

 僕はヒップホップが好きで普段からラップミュージックを聴くのだけれど、今日、YouTubeでdodoというラッパーのMVを見ていて、少しあれこれと考えたりしていた。dodoというラッパーは少し、いやかなり特殊なラッパーだと思う。日本語ラップのシーンでdodoみたいなラップをするラッパーというのはほとんどいないと思う。詳細は面倒なので省くが、とにかく彼のようなラッパーはほとんどいない。
 ひとつ特徴を挙げるとするなら、ラップが「ヘタっぽい」というところがあると思う。ちゃんと聴いてみると、それは実際のところヘタなのではなく、一聴してヘタっぽく聴こえるそのラップの仕方が彼のスタイルなのと分かるのだが、それでもやっぱりなんとなくヘタっぽいという感じがある。
 でもそれによって、かえって彼は圧倒的なオリジナリティを獲得している。その不思議さを考えていた。
 腰を据えてこれについて書くのが面倒なので、割愛するが、彼はたぶんある程度自覚的にヘタっぽくラップをしているのだろうと思う。スキルがあるかないかが、ラッパーとしての価値を決める一個の重大な規準とされるラップミュージックで、逆にちょっとヘタっぽくラップを歌唱することによって、ーーでも実際はスキルフルなのだがーー既存のヒップホップの価値体系から少しずれたところに自分の位置を見つけることができたのではないかと思う。これが面白いと思った。
 上手にやるということはある意味では価値体系に従順であるということだ。それはたとえばより速くボールを投げられるピッチャーがより価値があるとされる野球のようなスポーツの評価の仕方に似ている。でも表現とは完成度のバトルではないと思う。むしろ既存の価値体系から、どれだけ上手くずれられるか、ではないかという気がする。そしてそれはヘタになるということで、もっと言うと、自覚的にヘタになるということだ。
 ここまで考えてみて、表現全般における創造性の生み出し方についてある程度具体性を持って考えられるような気がした。「ヘタになる方法」という記事の構想も浮かんだ。これについてもまた書いてみたいと思う。

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