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黄磁ゞ

 草原の上で、レモン(人)は、友人の磁ゞを待っている。草原のすぐ隣の海からやってくるはずの海風が、レモンが磁ゞを待つ時に限って、静かにしている。レモンは、先ほど設営した、簡単なキャンプ用のテーブルと椅子に座りながら、ぼうっと海を眺めている。額についた汗を黄褐色のハンカチーフで拭っては、頭の中で、遅れてきた磁ゞにかける小言を考えていると、そもそも何故自分が磁ゞとお茶をすることになったのかを思い出し、ハッとする。「そういえば、僕が相談にのって欲しいと誘ったんだった。」
小言などという陰湿なことを考えている場合ではなかった。テーブルに肘において、手のひらであごを支え、最近ではずっと悩んでいること、今日磁ゞに相談しようと思っていることを、なるべくわかりやすく磁ゞに伝えられるように、もう一度整理し直す。

 今から7年前の夏、ちょうどレモンが中学校に入学しようとする頃、昔から仲が良い大学生の蒼と、家から近い喫茶店で話をした。
「今、なにか好きなこととかあるの?ゲームとか、お出かけとか。」
レモンが質問すると、蒼は答える。
「そりゃあ、鉱物学だね。だって大学で学んでいるから。いやでも興味は湧く。レモンは?」
レモンは数秒悩んだあと、歪んだ硝子の窓の外を見ながら、自分が好きかもと思えるものを外の景色の中から探すが何も浮かばない。
「そう言われると意外に出てこないものだね。でも、今起こっていることに興味は湧くかな。例えば、目の前に見える道路脇の木の影の色とか。今は、少しくらい紺色くらいに見えるけど、晴れてる日は、はっきりと青々とした影に見えるんだ。不思議だよ。影なんて、全部黒かと思ってたから。」
レモンが答えると、蒼は、深いオリーブ色の髪の毛をレモンに見せながら、質問する。
「この髪は、君から見ると何色?」
蒼は、レモンが言う木々の影の青は、彼から見た世界の色であることに気づいたので、自分の自慢の髪の色を、彼がどのように表現するのかを知りたくなったのだ。
「どんな表現でもいいよ。景色とか、飲み物の色とか。」
蒼は付け加える。
レモンは答える。
「深みがある緑だよね。蒼の家にあった蛍石とかサファイアの原石の色に見える。あとは、、暗い森林の中の中にいるような感じ。橙色の照明に当たった感じが、すごく木漏れ日っぽい。」
蒼は、微笑みつつ、今の表現に対する礼を言う。
「言われたことない表現だね。ありがとう。暗い森林というのは、私の心の深さのことかな?」
レモンは、軽く頷き、次の話題に移る。
「鉱物学っていうけど、何を勉強するの?」
「レモンは、私の家の鉱物をたくさん見てきただろう?水晶とか磁鉄鉱とか。ちなみに私は、重晶石が好きなんだけど。
そうゆう鉱物達が、どのようにできたか、私達の前に姿を現したのか。それを温度とか、鉱物があったところの成分だとかから考えるって感じ。私も学び始めたばっかりだから、少し間違いがあるかもだけど。
あとは、鉱物自体を調べることも勿論する。どういう結晶の形をしてるかとか、鉱物の成分はなんなのかとか。」
蒼に簡単に説明を受けると、レモンは鉱物に興味を持った。そこから、なんとなく、鉱物を大学で勉強したいな、という考えをもった。

 その時から今に至るまで、レモンは、鉱物の本を買ったり、鉱物を買いに行ったりして、さらに鉱物に興味を持っていった。そして、高校に入学し、それと同時に、とある不安に襲われる。
「自分は、もう何かをするには遅いのではないか?
 すでに、今後鉱物学を学ぶような意志のある人間は、自分より何倍も努力していて、すでに自分と圧倒的な差があるのではないか?」
レモンは、自分が怠け者であることを自覚していた。
そして、怠け者は、努力しないから、望むことはできないと決めつけていた。
レモンは、いつしか、鉱物に対する純粋な好奇心より、鉱物を学ぶ者、というアカデミックな存在に対して、強い憧れを示し始めていた。
そして、その憧れにたどり着くことに対するレモンの意志は、枯葉のように脆く、少しの負担で諦め、もう一度挑戦し、諦め——。
何十回もその挑戦を諦めた頃には、自分が何をしたいのかわからなくなった。

レモンの興味は、移り変わり始める。
絵に興味を持ち、JAZZに興味を持ち、本に興味を持ち、何度も興味を持つ度に、自身が作り出す架空の天才達に自身の才能や興味を踏みにじられ、ついには、何もしたくなくなった。
そこから、夢や憧れを捨て、幸せに生きたいと願うようになった。
日常の小さなことに、感動し、一日を優雅に生きる。
それも、勿論良い生き方だが、それで自分は納得できるのか——

レモンは小さく言う。
「何したいんだろ。」

「それを相談する為に、私は君に呼ばれたんだろ。」

レモンが前を向くと、磁ゞが椅子に座っている。その目は、少し褐色で、真っ直ぐこちらを向き、全て見透かされている気がした。





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