『CROSS ROAD〜悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ〜』に描かれた時代とは~悪魔ブームとパガニーニ~
はじめに
『CROSS ROAD〜悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ〜』の再演の幕が閉じてからあっという間に2か月近くが経ちましたね。
初演の時に「こうじゃないか」「ああじゃないか」と色々と考察していましたが、再演で新曲が追加され、しかも演出の変更やシーンの追加もあり、よりアムドゥスキアスの心情に掘り下げがあっただけではなく大千穐楽のカーテンコールでは中川晃教さんの口からも直接「堕天使」と言及され…もうこれは再度noteに纏めるしかないなと思った次第であります。
もちろん作中ですべてが語られているわけではありませんし、作中に登場する実在の人物も物語の登場人物として独自のアレンジがかなり加えられています。
独自のアレンジが効いているからこそ実際はどういう人物だったのか?悪魔とはいったいどういう存在なのか?を調べたくなるのが歴史オタク&オカルトファンというもの…。と言ってもクラシックファンの素人が調べたことなので「そんなこともあったのか」と軽くお読みいただければ幸いです。
なお、ベルリオーズ君については別の記事に纏めましたので、こちらも拝読いただければ幸いです。
ただし、パガニーニ自体が多くの伝説に彩られた人物であり、まだまだ研究が進んでいない人物でありますので、「史実はこう」という訳ではなく、そんな話も残っているのか…くらいにお読みいただければと思います。
パガニーニが生きた時代とは?~不世出のヴァイオリニスト パガニーニ~
1782年、パガニーニはジェノヴァで生まれました。『CROSS ROAD』でジェノヴァは港町だとアルマンドが語りますが、実際のニコロ・パガニーニの父親は港湾労働者、母親も裕福な家庭ではなかったようです。しかしながら母のテレーザは音楽的な才能に恵まれていたようで、父親がギターを弾き、母が歌うという流しのようなことを酒場でしていたという話も。『CROSS ROAD』のエピソードはこの辺りから創作したと思われます。
さて、少年時代から音楽に親しみ、とりわけヴァイオリンの才能が顕著だったパガニーニですが、どうやら9歳頃から演奏会に立ち始めたようで、演奏者としては早熟だったようです。パガニーニが14歳の頃の演奏を聴いたクロイツェル(ヴァイオリンの名手でありパリ音楽院の教授も務めた音楽家)は「悪魔の幻影を見ているかのようだった」と語った逸話もあります。
18歳から演奏家として本格的に活動し、だいたいこの頃(1799年頃)に「イル・カンノーネ」と出会ったようです。「博打に負けて楽器(一説にはアマーティ)を取られた」という有名なエピソードと一緒に語られるこのヴァイオリンは、亡くなるまでパガニーニの相棒となります。
数年間の空白期間をおいて演奏家としての活動を再開しましたが、どうやらこの空白の数年間はヨーロッパの研究家も首をひねっていたようで、一説によると裕福な女性の農園管理人になっていたとか…。このあたりはやまみちゆか先生がパガニーニの伝記マンガで詳しく描かれていますが、この時期についてはパガニーニ本人も詳しく手記などを残していないので、今でも謎が多いとされています。
1804年に奏者として活動を再開したパガニーニは1805年にルッカおよびピオンビーノ公国の宮廷楽団におけるヴァイオリン奏者となります。ナポレオンは1804年に皇帝となりますが、兄弟姉妹にそれぞれ領地をあてがって統治させました。そしてルッカを与えられたエリザが目を付けたのが、若手ヴァイオリニストのパガニーニでした。バチョッキ夫妻はともに地方貴族出身でしたが、エリザは芸術に興味があり、夫のフェリーチェはヴァイオリンの愛好者でした。宮廷に仕えつつ、フェリーチェにヴァイオリンのレッスンを行うことになるのですが、エリザの愛人になったとか、エリザの妹のポーリーヌと関係があったとか、姉妹でパガニーニを取り合ったとか…様々な逸話が生まれるのがこの時代です。なお、あくまで推測や噂の域を出ない話が多いのですが、パガニーニ自身が当時のことを特に書き残していないらしいのも、謎が謎を呼んでいる気がします。
『CROSS ROAD』で描かれるパガニーニと出会う前の「男もとっかえひっかえ」なエリザはナポレオンに最も愛された妹と言われ、多くの男性と浮名を流した美女、ポーリーヌの要素を合わせているような印象を受けます。
1808年に宮廷を辞し、再びソリストとして活動するパガニーニですが、健康状態の問題もあり、イタリア半島を主に活動する時代が続きます。しかしながら、精力的に活動を続け、1810年に行われた演奏会の後には、300もの人がパガニーニの後を彼が宿泊しているホテルまでついてきたという話が残っています。
1825年に息子のアキーレを授かりますが、愛人であったビアンキとは結婚せずに、自分の手元で子供を育てています。著名人が私生児を持つことは珍しいことではありませんでしたが(椿姫で有名なデュマも父から認知された私生児でした。)42歳のパガニーニにとって最初で最後の子供でした。
1828年にはついにウィーンで演奏会を開きますが、当時のパガニーニはすでにベテラン演奏家の46歳でした。満を持しての海外公演といった状態であったため、より一層熱狂的に受け入れられたのでは、とも言われています。これ以降は海外での公演も多く行い、その演奏はシューベルトやショパン、リスト、シューマンなど数多くの音楽家達に影響を与えました。
世界的な音楽家としての地位を不動のものとする一方で、絶えず問題であったのが体調不良でした。1834年に行われたロンドン公演を最後に演奏家としてはほぼ引退し、パルマ郊外に購入した土地に邸宅を建てました。今風で言えば終活をするがごとく、息子のアキーレを嫡出子として相続人の地位を確定させたり、意気消沈するベルリオーズを激賞するなど、裏方的な活動を行います。様々な病気を若いころから患っていたといわれるパガニーニですが、当時のヨーロッパの医学水準では彼の健康を保つことは不可能でした。
晩年は大規模な詐欺事件に巻き込まれ心労のせいか声すら失い、筆談や息子のアキーレを通しての意思疎通が不可欠であったパガニーニは1840年5月27日にニースで亡くなりました。
彼の遺書には「いかなる音楽家にもレクイエムを演奏してもらいたくない」と記されていたそうです。
死の床にあって司祭の訪問を拒み、教会との確執により埋葬場所が決まらなかった…というのは有名な話ですが、その決定について厳しすぎると声を上げた人もいたようです。埋葬許可の嘆願書が提出されたものの、埋葬許可がおりず、遺体が安置された場所では「夜中に音楽が聞こえた」「悪魔を見た」と言われる始末、なんとか一時的な埋葬許可がおりたのは亡くなってから5年が経過していました。
あくまで一時的な埋葬許可だったため、引き続き遺族側は埋葬許可を求めていましたが、当時のパルマ女公であったマリー・ルイーズのおかげでパルマでの埋葬許可が下りたと思いきや教会側が承知せず、パガニーニの埋葬許可は完全に宙に浮いた状態となり、一時的な埋葬場所であったジェノヴァの墓地にとどめ置かれました。
1876年に正式な埋葬許可がおり、パルマの墓地に埋葬されましたが、1896年に新設された墓地に改葬され、現在もそこに眠っているとのことです。
さて、残された莫大な遺産、楽器のコレクションですが、息子のアキーレが相続し、そのうちストラディヴァリウスのカルテット(ヴァイオリン2挺、ヴィオラ、チェロで構成された4挺)は『パガニーニ』の愛称で呼ばれており、紆余曲折を経て現在は日本音楽財団が保有しています。
弦楽四重奏楽団であるゴルトムント・クァルテットに貸与されていますので、パガニーニが聴いたかもしれない楽器の音色を聴いてみてはいかがでしょうか?
『Goldmund Quartet Playing Haydn: String Quartet No.67 in D major, Op. 64-5, “The Lark”』
悪魔ブームとパガニーニ~天使の歌声を奏でる悪魔のヴァイオリニスト~
タルティーニ(1692年~1770年)というヴァイオリニストが残した曲に『悪魔のトリル』という曲があります。
タルティーニが語ったところによれば、ある日、彼の夢の中に悪魔が出てきて、意気投合します。夢の中の悪魔はとても美しい音色と素晴らしい技巧でヴァイオリンを奏でたので、なんとかしてそれを残したいとタルティーニは考え、夢から覚めた後にその曲にインスピレーションを受けて作ったのが『悪魔のトリル』であると。
なお、演奏家としてのパガニーニについて当時の音楽評論家は「タルティーニが夢の中で見た悪魔は確かにパガニーニだった」と評しています。
この曲は現在でも演奏される機会が多いですが、当時のヨーロッパでは悪魔とは恐ろしいだけではなく、優れた才能を持つもの、驚異的なものというイメージがあったことが伺えます。
また、最も文学において影響力を持っていたと言われていたのはゲーテの『ファウスト』ではないかと言われるくらい、ファウストとメフィストフェレスの物語は広く愛読されていました。
そして、リストやベルリオーズなど、数々の音楽家達もファウスト伝説をもとにした曲を作っています。
そのような時代において、悪魔人気と悪魔を信じる人々をうまく熱狂させ、趣向を凝らした演奏技術で超絶技巧を披露したパガニーニはとても自己プロデュース力に長けていたのではと言われています。
奇抜に見える演奏も、調弦や楽器に用いる駒や弦に拘り、ある意味ではとても堅実的とすら思える節があります。ヴァイオリニストの小林暢氏は自身の論文にて「『パガニーニ・センセーションは『悪魔』の存在抜きでは考えられないのではないか」と評しています。
なお、『CROSS ROAD』にも『ファウスト』を思わせるような描写が多く登場しており、やはりパガニーニとファウスト伝説は切っても切れない存在のように思われます。
例えば初期のファウスト伝説ではファウストが悪魔を呼び出した場所は森の中の十字路ですし(森は人間の生活圏と比べれば異界であり、十字路は古来より悪魔を呼び出すことができる場所とされています。)、悪魔が提示した3つの条件によって契約します。また、ゲーテの『ファウスト』ではファウストの魂はメフィストフェレスのものにはならず、ファウストの恋人であったグレートヒェンの祈りによって天国へと昇ります。
再演の『CROSS ROAD』ではアムドゥスキアスが別れを告げるように歌い、母テレーザが聖女のように登場するのはメフィストフェレスとグレートヒェンを思わせるような気がします。
さて、多くの人々を熱狂させた逸話を持ち、自己プロデュース力に長けたと言われる「悪魔のヴァイオリニスト」パガニーニですが、実際にその演奏を聴いた音楽家がどのような感想を抱いたかというと、ヴァイオリニストのヴュータンは「気品にあふれた演奏スタイル」と評し、シューベルトは「天使が歌うのを聴いた」と評したと伝わっています。
『CROSS ROAD』の劇中でニコロの演奏を聴いたテレーザが「あれは天使の歌声」と歌いますが、もしかしたらこのようなエピソードが元になっているのかもしれません。
なお、シューベルトが「天使の歌声」と評したのはパガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第2楽章(第3楽章が有名なラ・カンパネッラ)とのことですので、機会があれば天使の歌声を聴いてみるのはいかがでしょうか?
英雄ナポレオンとその家族~コルシカの田舎娘とは~
ナポレオンは1769年にコルシカ島に生まれました。コルシカ島は元々はジェノヴァ共和国の一部でしたが、1768年にジェノヴァからフランスに割譲され、フランスの一部となりました。
ナポレオン自体は下級貴族の出身で、イタリア系であったことから、ジョゼフィーヌと結婚する頃まではイタリア系の名乗りである「ブオーナパルテ」と名乗っていたと言われています。
幼少期に勉学のためコルシカ島からフランス本土に移り、優秀な成績で軍人となります。当時は生まれにより身分が決まる時代から、能力によって抜擢される時代の過渡期であり、無位無官の地方貴族の子息であったナポレオンは、あっという間に軍人として出世し、20代で将軍にまで抜擢されます。1804年にナポレオン1世として戴冠したときは、まだ35歳でした。
しかしながら皇帝の座はたった10年ほどの出来事であり、1814年に退位、1815年に幽閉地のエルバ島から脱出しワーテルローの戦いに挑むものの敗戦。同年にセントヘレナ島へと移されます。その後、1821年にセントヘレナ島で亡くなり、同地に埋葬された遺体は1840年に改葬され、パリへと戻りました。
一方でエリザ・ボナパルトは1777年にコルシカ島で生まれました。エリザは本名ではなく、兄のリュシアンがつけた愛称であり、「マリア・アンナ」という本名は幼少期に亡くなった3人の姉たちと同じ名前でした。
芸術や文化に興味がある女性で、女性の教育についても熱心であったと言われています。また、頭の良い女性であったとナポレオンが語っていたという話もあり、ナポレオンの失脚直前は不仲になるものの、一時期はとても信頼されていたようです。
1797年に同じくコルシカ島出身の貴族であるフェリーチェ・バチョッキと結婚。1804年に兄が皇帝に即位した際は皇女となり、1805年にルッカおよびピオンビーノ公国の女公となります。また、1809年にはトスカーナ大公国の大公に封じられました。
『CROSS ROAD』で描かれるエピソードはこの頃を元に創作していると思われますが、「大公妃」と呼ばれているものの夫や子供(夭折した子を含めてバチョッキ夫妻には4人の子供がいました)が登場しないため、『CROSS ROAD』のエリザは「ナポレオンの妹」という要素を抽出したかなりオリジナル要素が高いキャラクターと言えます。
なお、実際のエリザは兄の失脚後に逮捕されたもののの1814年にローマに亡命し、1820年に亡くなりました。亡命地でも考古学の発掘調査に資金を提供するなど、活動的であったとのことです。
西洋における悪魔~地獄の公爵アムドゥスキアスとは何者か~
人間の敵、人間を堕落させるもの、反キリスト的なもの、あらゆる種類の魔人の総称…など、宗教や地域によって様々な意味があるのが悪魔です。
一説には悪魔は堕天使であると言われていますし、また一説には異国の神が悪魔伝説に取り込まれて悪魔とされたという話もあるくらい、本によっても様々な記述がされています。
さて、アムドゥスキアス(Amduscias、アムドゥシアスとも)と呼ばれる悪魔は何者なのでしょうか。
アムドゥスキアスはソロモン72柱のうちのひとつと言われています。
地獄の公爵であると同時に29の軍団の長であり、堕天使であり、一角獣の姿をした悪魔とされています。求めれれば人間の姿になるとも、降霊術で呼び寄せた時に人間の姿で現れるとも言われています。
木を倒す力を与えたり優れた使い魔を与えるとされる一方で、注文によって音楽会を開催する、アムドゥスキアスの声に合わせて周りの木々がお辞儀する、人間の姿を取る時に目に見えない楽器の音が聞こえてくるといった変わった記述も確認できます。
音楽の悪魔と呼ばれるのは物語としての創作であることが多いのですが、『地獄の辞典』という書籍の挿絵には「地獄の音楽家アムドゥシアス」とありますので、音楽と結び付けられやすい悪魔ではあると感じます。
『CROSS ROAD』では堕天使であると語られている他、作中では音楽の才能を与える悪魔としての姿、また、初演の第2幕で存在した指揮者としての姿(初演の2幕冒頭にはパーティーの場面に切り替わる前、アムドゥスキアスがオーケストラに対して指揮をするインスト曲がありました。初演は舞台上にオーケストラピットがあったのでできたシーンと思われます。)などは、これらの設定を取ったものと考えられます。
なお、ソロモン72柱とは『ゴエティア』という魔術書に記載されている「ソロモン王によって真鍮の容器に閉じ込められた悪魔」のことです。
ソロモン王とは紀元前10世紀に存在したとされる伝説のイスラエル王で、知恵者としての伝説がある一方で、多くの悪魔や悪霊を使役していたという伝説があります。
アムドゥスキアスが堕天使と言われていますが、堕天使とは神からの恩寵を失って天からの追放刑を受けた存在であり、階級や、堕天した理由が様々にあるとされています。
一説によれば堕天使には4つの区分があり、神より己が優れていると考え、また人間に嫉妬したサタン、落胆して沈黙しているもの、サタンに従った背教の天使、地下にとらわれる刑を受けた天使であるとされます。
『CROSS ROAD』の作中では「海が熱く煮えたぎる日」「我らが勝利」などハルマゲドンを思わせる歌詞がアムドゥスキアスのソロ曲にはありますので、神に背くものという意味合いが強いのかもしれません。
また、再演のプログラムでのクリエイター鼎談にてアムドゥスキアスの衣装はベルゼブブをベースにとの記載がありますが、ベルゼブブとはアムドゥスキアスとはまた別の悪魔です。
ベルゼビュート、ベールゼビュートとも言われ、魔神の君主とも地獄の王子ともされる悪魔ですが、元々はカナン(現在のパレスチナ地方)やフェニキア(地中海東岸の地域)の神話に登場する神の「バアル(バアルゼブブ)」が悪魔として聖書に取り込まれたものと言われています。なお、ベルゼブブは蠅の王と呼ばれており巨大な蠅の姿や、複数の動物の要素を併せ持つ巨大な怪物として描かれていることが多く、特に黒いマント姿というわけではありません。昔から悪魔とは人間に化けるときに地位のある存在として見せるため、上流階級のような恰好をすると言われていますので、劇中のアムドゥスキアスもあのような華麗な衣装になったのかもしれません。
余談でありますがキリスト教では赤をキリストが流した血、神への愛、炎、青は天を指す色、聖母マリアの色となりますが、『CROSS ROAD』では赤色の照明、青色の照明が多用されていますので、この色はどういう意味だろうかと考えながら観るのもおすすめです。
キリスト教モチーフといえば『カインの末裔』という歌詞が登場しますが、聖書によればカインの子孫のユバルという人物が琴や笛を扱うものの祖(つまり音楽家・芸術家の祖)と言われていますので、もしかしたらこのことを指しているのかもしれません。
弟を殺した後に神から追放されたカインではありましたが、その子孫からは牧畜の祖、鍛冶の祖、芸能(音楽)の祖が生まれました。
劇中では堕天使であり『音楽は悪魔が産み落とした』と語るアムドゥスキアスですが、神から追放されたカインの末裔の庇護者を自称するあたりもしかしたら堕天しつつもユバルを見守っていたのかもしれませんね。
地獄に落ちていこうか~地獄に存在する不思議な宮廷~
地獄と聞いて日本人が思い浮かべるのは、やはり閻魔大王に裁かれた魂が行くつく場所でしょうか。もしくは文学に詳しい方が思い浮かべるダンテの『神曲』に描かれる「この門をくぐるものは一切の希望を捨てよ」のイメージでしょうか。
西洋における地獄も教義によって様々な解釈をされていますが、罪人が堕ちる責め苦に満ちた場所というイメージは概ね一致しています。
天国の反対、魔王の支配する場所、贖罪の見込みがないものが永劫の罰を受ける場所と解されることが多いようです。しかしながら、神は公正であるから地獄の存在はあり得ないと解されることも。
ただし、神の愛を受け入れず、自分の意思で神から離れることで地獄へ落ちると解釈することもあるそうなので、もしニコロが地獄に落ちるとするならば、残酷な神よりも悪魔の手を取ったことによる代償ということになるのでしょうか。
さて、1863年にフランスで出版された『地獄の辞典』では地獄の宮廷についての不思議な記載があります。曰く地獄にも宮廷があり、皇帝、王、公爵、侯爵、伯爵、総帥、そして騎士たちが存在すると。それぞれが軍団を持ち、合計して地獄には6,666の軍団、4,463万5,566の兵士が存在すると。
アムドゥスキアスが劇中で「29の軍団の長」と名乗るのも「低俗な悪魔と一緒にするな」と怒るのも、23柱存在すると言われている地獄の公爵のうちの1柱だからと思われます。6,666分の29…と考えると多いのか少ないのかよくわかりませんが、ソロモン72柱と呼ばれる悪魔は君主であっても26の軍団の長であったり、公爵であっても60の軍団の長であったり受け持つ軍団の数はばらつきがあります。
『CROSS ROAD』のアムドゥスキアスが受け持つ『29の軍団』が一体どういうものなのか気になるところではありますね。
おわりに
いかがだったでしょうか。
いろいろな音楽家に影響を与えている割に日本ではまだまだ認知度が高くないパガニーニ(と言ってもショパンやリストと比べてですが。)
やっぱりクラシックファンとしてはこれをきっかけにミュージカルファンにも知名度が上がればなと思ってしまいました。
ミュージカルは意外と狭い時代を扱うのでナポレオンの百日天下(ワーテルローの戦い→流刑)について改めて調べてたら脳内がただ一つの未来になって困りました。来年はもしかしてフランケン関連のnoteを書いているかもしれません。
なお、文字数があまりにも長くなってしまうため簡単に纏めてしまいましたが、悪魔や天使についても様々な説がありますので、このミュージカルがきっかけで興味が湧いたという方の知識欲を満たす一助になれればと思います。
それでは、またどこかの十字路でお会いできますことを…
参考文献
『悪魔と呼ばれたヴァイオリニスト パガニーニ伝(浦久俊彦著)』
『物語 フランス革命(安達正勝著)』
『王たちの最後の日々 下(パトリス・ゲニフェイ編、神田順子訳)』
『悪魔のすむ音楽(若林暢著、久野理恵子訳)』
『地獄の辞典(コラン・ド・プランシー著、床鍋剛彦訳)』
『悪魔と悪魔学の事典(ローズマリ・エレン グィリー著、金井美子訳)』
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