愛犬の難病罹患
不定期ながらも、ブログをUPしていこうと思っていたのですが、なかなか上手くいきません。
仕事とでのトラブル、家事など雑用に追われる日々に高齢の両親からの難題サポートと、何かと多忙な毎日を送っていました。
いろいろなことに興味を持ち、知りたい、探求したいと持っている私にとっては、それがなかなか進まない感じがあり、不全感というか、モヤモヤ、イライラしながら、日々を過ごしていた中、あることが起きました。
私と妻と愛犬は、同じ寝室で寝ています。
愛犬は、トイプードルで、名前を「クレール」といいます。フランス語で「明るい」を意味し、息子が名付けました。今4歳8ヶ月になります。
約3週間ぐらい前の明け方のことです。
突然ケージに入って寝ていたはずのクレールが、「出して、出して」とせがんだので、出してあげると、しばらくして咳き込むように、「おぇ」と食べた物を何度か吐き出し始めました。
妻と私は、飛び起きて、汚れたところを拭いたり、何とか片付け、再び床に就き、朝を迎えました。
その日は、たまたま仕事が休みだったことも有り、地元の獣医科医院に見てもらい、吐き気止めの注射をして、胃腸薬を貰って帰宅しましたが、一向に回復の兆しが見られません。
しばらく様子を見ていましたが、一日に何回か吐き出すことを繰り返していたので、数日後再び獣医へ。
エコー検査などで、胃や腸の様子を確認しましたが、当初は胃腸炎を疑っていた獣医も、胃腸の様子に誤飲があったのではないか、と疑い始めたので、4歳7ヶ月を過ぎたトイプードルがそんなことをするかなぁ、と思いつつも、「もしかしたらあれか?おもちゃのぬいぐるみから出てきてしまった『綿』でも飲み込んだか?」などと疑いながら、獣医と相談の上、地元の動物救急病院ERを予約してもらい、翌日その病院へ私と妻、クレールは向かい、精密検査を受けることになりました。
動物救急病院ERの獣医師は、詳しい説明の後、エコー検査、レントゲン検査を行い、最初に診てもらった獣医と同様に「誤飲」で綿か何かが固まって詰まっていると思われるということだったので、私たち夫婦もそれでは、それを取って終わりと思い、安心して、内視鏡検査をお願いし、待ち続けました。ε-(´∀`*)ホッ
獣医師に呼ばれて、内視鏡の画像を獣医師と3人で確認しましたが、異物はありません。しかし、胃壁に異常が見られました。
胃壁と十二指腸の粘膜に水疱のような「丸いもの」が無数にできているではないですか!!Σ(・ω・ノ)ノ!
獣医師も、驚いた様子で、「粘膜の細胞がボロボロで、内視鏡のカメラが当たっただけで、出血してしまう状態です」とのことでした。
診断名は、「IBD 炎症性腸疾患」でした。
インターネットで調べたところ、人間で例えると「潰瘍性大腸炎」又は「クーロン病」に当たるようです。
潰瘍性大腸炎といえば、難病指定されている病です。芸能人の方でも罹患を公表されて、治療しながら現場復帰をし、日々奮闘されていることを耳にしますし、故安倍晋三氏も潰瘍性大腸炎で総理大臣の職を辞任されたことで、知られている病気です。
クレールは、トイプードルの中では、食が細く、3kgと小さい方で、たまに吐いてもいたので、小型犬はそういうものだと思っていました。
しかし、今思うと、ドックフードの種類が悪かったのか、ストレスを与え過ぎてしまったのか、と思いが過ります。
ERでは、9ヶ所サンプルを採取し、病理検査へ回し、ステロイド剤の投与を処置して、帰宅となりました。
食事は、ロイヤルカナンの低分子プロテイン1缶が1日の食事。
症状が出てから、結果が出るまでの間、食事をしても戻してしまうため、3.14kgあった体重は、2.86kgまで減りました。
子犬で280g体重が減ったということは、52kgの私に換算すると、約5㎏が約5日間で減ったことになり、すっかり痩せてしまいました。
検査結果により、「IBD 炎症性腸疾患」と診断が出てから、約2週間。
ステロイド剤の効果もあり、何とか嘔吐は少なくなり、少々の吐き気も見られますが、食べているフードは吸収されているようです。
まだ胃腸の回復が十分ではないようで、積極的にフード食べに行く姿勢が見られませんが、一生ステロイド剤の投与が避けられない愛犬を、看病して、少しでも以前の散歩好きで、散歩で出会った他の飼い主さんに愛嬌を振りまく、元気を取り戻してもらいたいと思っています。
クレールは、コロナウィルスが蔓延して、緊急事態宣言により、家族3人で家にこもることでストレスフルな状況下で、ペットショップから迎え、家族を和ませてくれたアイドル的な存在であり、呼んだら側に寄ってくる、言っていることがわかる、頭のいい忠犬であります。
家族に一員として、どんな辛いことがあっても、一緒に乗り越えて、幸せになってほしいと思いますし、その努力はこれからも続いていきます。
私が、興味関心を持つこと、探求していること、これも優先して続けていきたいですが、それだけに没頭することはできないようです。
現実的な探求で、実際に活用されることが求められているため、より多くのことを経験させられているように思われるのです。
なぜなら、私が知りたいのは、「なぜ、生きているのか」、「どうして、この世はあるのか」という、本質的、根源的な問いについて、答えを知りたいのであります。