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大人になって会社を辞めたはなし

こんばんは。
勉強用にノートPCを買ったので、スタバでNoteを書こうと思いました。
ちゃんと再開しなおすための備忘録、Twitterでは書ききれないことの補足的な日記のようなもので、いつもいいねを押してくれる人の目にでも届いていただけたら嬉しいなと思っています。

私は4年ほど前にみなとみらいにできた小さなITコンサルタントのベンチャー企業に、最初のアシスタントとして入社しました。
当時はワンフロアの社内にディレクターと私の二人しかいませんでした。
むき出しの真っ白い会社を新進気鋭たる会社にするために、空間デザインやインテリアデザインから単身取り掛かり、会社を0から豪奢にしていきました。
その時の数々のオフィスデザインが上役に気に入られ、お抱えのインハウスデザイナーとなり今日まで生活することができました。

会社が軌道に乗り、またコロナで人々の間にも壁ができるようになってから、社内の仕事からはデザインの仕事が徐々になくなってきました。Btob、Btocの自社サイトのデザインも終わってしまったので、デザイナーの仕事自体が絶対的に減ってしまい、社内のデザイナーは今年に至っては私一人だけになってしまいました。
職がある幸せとありがたさを鑑みて、それに不満を持つのは烏滸がましいと思うようにして自分のなかにある?マークと向き合っていなかった気がします。令和の時代にデザイナーの居場所、許された席数は極めて少なくなったなとも思いました。

今思えばデザインの仕事に執着せずに、大人しく開発班に移っていればよかったのかもしれませんが、私はデザインの仕事が好きであったし、会社もデザイナーとして雇い入れたので、仕事が生まれるものだと思っていたのですが、そんなことなく、必然的に閑職に追いやられるようになりました。
4年間、仕事にNOと言わず、休日や祝日も要請に応え、陰ひなたに会社の力となってきたつもりなのですが、会社はこの春から怪しい金融投資ビジネスを本業の主軸にシフトしたようです。

それだけならば会社の社会的な事情として向き合おうものですが、私が辞職に至る動機となったことに、会社のなかで行われる膨大な国内外の投資サービスの顧客情報の処理、これをアルバイトの人にやらせようということになり、履歴書も碌に見ずに次々と、~40代の経歴の怪しい人たちを雇い入れました。彼らは何の秤にもかけられずにどんどんと雇い入れられ、その実、挨拶はおろか、最低限のコミュニケーションも図れないよう方々でした。

春からそうした人たちを一斉に雇い入れてからは変わりました。
会社内にゴミが溢れ、仕事は各々が誰が何をどこまでやっているかわからないことが多くなり、末端の新人が3日で消えたり、その次の新人が数千万の入金作業をミスしたりして会社はどんどん混沌の雰囲気が漂ってきました。
人数が増える時点でPM(プロダクトマネージャー)を設けなければ、組織はどこかしら綻びが生まれるものだと思いました。
私の友人であり、コアメンバーの方の私物のオーディオ機器が新人のアルバイトのおじさんに盗まれたことが発覚することがありました。
「この素晴らしい会社にいれば将来は安泰だろう」…というマインドセットが解けた機会になった事件になりました。
本来ならば、監視カメラに犯行が映ってしまっている時点で犯人を処断すべきなのですが、現場にいないオーナーの意向、投資ビジネスの入金作業を止めたくなく、結果的に被害者の彼は泣き寝入りでもみ消しがなされました。

仕事自体の方向性に悩んでいたことは慢性的にありましたし、新人の方々のマニュアル作りや指導を単独で担うプレッシャー、サボる方々を注意しなくてはいけない苦役など、つらかったことを上げれば枚挙がありませんが、最終的には、従業員を慮ることを欠いた会社上部への失望や、将来性の無さが背中を押した気がします。
制作も開発もウィザード級、完全無欠だと思っていた直属の上司の威光がその実、虚なもので、自分程度の人間の物差しで推し量ることができたこと、この窃盗事件を処断することができない組織に対するリテラシー、今後このレベルの人たちが無数に増えていき、データ入力会社になると聞くことができて、8月末が辞める時期であると定める大きな契機になりました。
会社がいかに規模を拡大していっても福利厚生が厚くなっていっても、一部上場企業になろうとも、その内部で私はデータソフトに顧客がいくら入金したと数字を入力して8時間、それが今後10年続いていく…預金残高以外に何が残るというのでしょうか。スキルも経験もなく、新しい文化圏の人々と交渉も協調もできない。安心の麻酔で時代がさらにひっぱくした時にはアルバイトの座にも就けないと思います。

私はゲームが趣味なのですが、RPGゲームの中には時折、モラルというゲージが存在することがあります。
私は社会人として人々が仕事をするなかで、このモラルというものを重んじます。
モラルとはどういう意味でしょうか。『倫理。道徳。習俗。また、生き方に対する真剣な反省』という意味があります。人や生き物に対する思いやりを持った言動や、良心に従った善良な行動を起こすために守るべき基準を意味する言葉です。
私の知るゲームのなかでこのモラルゲージが下がると、味方のパーティに「魔法を使って!必殺技で攻撃して!逃走しないで!」と命令をすることができなくなり、操作が不可能になってしまい、挙句の果てに味方が逃げてしまいます。
モラルは公園の砂場から家庭、会社や公共の施設にいたるまで、自発的に率先して守り高め維持していくべきであろうものだと私は捉えています。
私がこうしてどこかのスターバックスでセンティメンタルな気分になりNoteを書いていても、後ろから見知らぬ人から銃で突然殴られてPCやオーディオを強盗されない、いちゃもんをつけられない、当たり前な時間も、ひとえに先人から今の人まで皆がモラルを定めて、それを合意し守ってきてくれたからではないでしょうか。だからこそ私はモラルを重んじたいと常日頃から考えています。

自分自身がどうあるべきかもやもやしている中で窃盗の被害の仔細を相談され、とてもショックでした。また、会社の業務の時間の中で懇親会を開き、コアメンバーと新人のおじさんの方々が仲良くできればと思ったのですが、自分より年上の方がお酒の飲み方もわからない、夜の社交場で初対面のホステスの女性に乱暴を働く姿を見て、何かこう諦めの念が湧きました。
窃盗の事件の被害のあった彼は私が大人になってからできた貴重な友人、会社で私に次ぐ古参の一人で製作班のエースエンジニア、今も友誼を図る仲です。
彼とはガジェット好きで心が通じ合ったようなところがあります。お互いの私物、私のAndroidガジェット、彼のAppleガジェット、深く敬意を払いあっています。
お互い、それを買い求めるときは5万円から数十万円、時計からPCまで値段の関係無しに、その時の友だちや恋人とともにその時のわくわくとした思い出をシェアしながら、ブランドのレガシーとともに買ったものです。
値段の問題ではありません。盗まれた物はAirPodsProで、4万円程する高価なものでしたから困る話ではありますが…

会社内の監視カメラの下にアルバイトのおじさんがはっきり映っているので、シンプルに事情を問い詰めても、知らぬ存ぜぬで「ふが…ふが…」と何か言葉にならないような声を発するだけで話は一向に進みません。
結局私と窃盗の被害にあった彼が、モラルの低下の改善が見られないことに悲憤を覚え、それぞれの納期物を提出して、二人、会社から離れることになりました。

私も窃盗の被害に遭ってしまった彼も感情的になりすぎてしまったと反省しているのですが、そうなってしまった背景に、私と彼は二人とも隣り合わせのデスクなのですが、お互いにADHDと診断を受けてもいるというバックグラウンドもあります。
仕事や作業をするときに決まったところに物を置き、決まった時間に決まったものを食べたり飲んだりして、私も彼も作業中はノイズキャンセリングオーディオを装着していないと多動・不注意の症状が出たりするので、お互いにオーディオに関しては弱者の杖のような極めて大切なものとして扱っているところがありました。
正直、ブランド物のネックレスが盗まれて、盗んだ同僚のバックパックの中から私の付けている香水の匂いがする…とかいうことであれば、「おいおいなにやってんだよ」で済むものですが、肌に付けるもの、自分を普通人たらしめてくれるものに手を出すことは度し難いことです。
二十代の頃、福祉の仕事をしていた経験があるので、介護をする高齢者の方や子どもたちが補聴器やサングラスを着けたり、歩行杖で出かけるお手伝いをしていたこともあるので、補助具にあたる物を盗む怒りは大きなものでした。物の中でも尊いと考える物、余計に許せないところがあったのだと思います。
私たちADHDの人間には侵しがたい不可侵の領域があり、そこは自他ともに踏み入ることを許せないようなことがいくつかあり、そこを侵された以上は梃子でも動かないくらいに強い重力が働く部分があると思います。
それを慮ることを忙しさにかまけて怠ったことは、長年会社にいたので非常に上司の方たちへは失意を覚えました。
今後どんなに栄達の道を歩んでいっても組織の中でモラルを軽視すればいつかはSNSの目などに見つかり手痛い目にあうことかと思われます。

結局、”会社に将来性を感じなくなった”、”会社内のモラルの低下”を理由に、春から悩み、先月末に辞めて五日が経ちますが、心の落ち込みはいまだ消えずに、ぼうっと過ごしている日々が多いです。
落ち込み切った体調を戻すのに苦労している毎日で、いま私が何ができるかできないかよりも、まず自分自身がこの世の中から消えないことを絶対的な条件として生きる指針を変えました。

ここからはモラトリアムがありません。何かを成すのに年齢や貴賤は関係ありません。
しかし、社会のなかで知名や勇名を持たずにそれを行いたいのであれば、社会が示す、デファクトスタンダードと向き合うべきで、30代の前半のうちに、少なくとも今後生きていくための職業に関する技術と、それを奪われないような自分自身のブランドをつくることに、真剣に取り組まねばなりません。
令和の今の時代においては、どこの大会社に何年いたことがあるとか、偉大な誰彼と知り合いだとかそうしたことではなく、自分自身がどれくらいの技術言語を操ることができ、それによってどれくらいの裁量を任せられるかという現実的なスペックの実装と向き合うときが来たということです。
英気を養いつつ、ひたすらの勉学の日々の始まりです。

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