この夏、うつが再発しかけたはなし
会社を辞めて一週間程経ちますが、辞める春までは本当につらいことが続きました。そのさ中で付き合いの長いお医者様より「二回目のうつではないでしょうか」と言われました。
うつ病は、気分障害の一つです。一日中気分が落ち込んでいる、何をしても楽しめないといった精神症状とともに、眠れない、食欲がない、疲れやすいといった身体症状が現れ、日常生活に大きな支障が生じている場合、うつ病の可能性があります。気分障害には、うつ病の他に、うつ病との鑑別が必要な双極性障害(躁うつ病)などがあるようです。
こうしたメンタル関連を語ることが未だ大恥みたいな風潮がある気がありませんか。
私は過去、うつ病の診断を受けたことがあります。10年ほど前の話ですから、周囲の人たち、一定の年齢層の人からはよく言われ記憶に残っている言葉に「うつ病なんて本当はないんだ」「うつ病ってのはね、怠け病なんだよ」という言葉でした。
病気自体もつらかったのですが、自分の身内に近い人たちがこうした態度をとることで袂を分かつことになったことが多いのでそれもまたつらかった記憶があります。
残念ながらまだこうしたことは国内においては他人に言わない方がメリットの多い…いや、デメリットの少ない状態だと思います。
「うつ病はね、怠け病なんだよ」と言う人たち、PCもSNSもプライベートやパブリックに無かったがお金と仕事はあった、昭和中期から平成のベル・エポック(良き時代)の中で彼らが心のなかにフォーカスを当てなければ、こうした状態は専門の学者・研究者でもなければその当時は深く考えることはないことかもしれません。
こうした世代や人種にうつの症状をわからない人に伝えると、麻薬をやったときの”抜け”の状態がそんな感じなのではないでしょうか。
覚せい剤やコカインを摂取すると、摂取しているときがどんなに疲労状態であろうとも、足してもう48時間ぐらいは最高の状態で仕事をすることができますし、ヘロインは快楽の女王などと言われ、一人の人間が一生涯に感じる快感より遥かに多く大きな量の幸福感を刹那の間で上回ることができるといいます。
勿論、麻薬も薬ですから副作用があり、快楽の分、効能の切れた後の抜けの感覚は悲惨なものであり、強烈な不安感、孤独感、不快感、焦燥感がまざってオーケストラを奏でるようです。私はうつがひどいときはそんなたとえが適切なのではないかと思いました。
心身は全力でSLEEPモードに移行したがっているのに、最悪の感覚が幾重にも重なり、心身をONモードで維持したがるバグはいつ考えても最悪なもので、それを怠け病だとかは正直言われたくはありません。
昨今アップデートという言葉がよく使われますが、アップデートをしてほしいとまではいいませんが、若い方は老いた方が生きていくための経済を維持して、モラルや秩序を守る役目を負います。だから彼らが時の時代でもつセンシティブな問題を軽んじることはしてはいけないと思います。
私が読んだ本のなかでは田中圭一さんの名著うつヌケにあったような「うつは心の風邪じゃない、ガンなんだ」という一節が心に残ります。
厄介なことに心の病は目に見えないものです。壊れても目に見えませんから、壊れたことのない人には怠け病みたいに見えるのでしょう。
私だって統合失調症にはなったことがないし、麻薬もやったことがないから幻覚や幻聴におけるつらさは正直本質的にはわからないと思います。
五分間診療をして患者さんを素早く回してこなす繁華街のメンタルクリニックの先生方と、どこか同じ気持ちがあるのかもしれません。
日本語には慮るという繊細な表現の言葉があります。よくよく考える。図りたてる。要は、相手の気持ちになって考えてみるということです。
私自身は生きていくにあたって、普通のひとができることの多くができずに、この先生き続ける生き残り続けることに大きな不足を感じていつも焦燥感にかられます。
それゆえに自分が生きていくために、相手の気持ちをまず考える。相手の立場になったら自分はどう思ったり振舞うかを立ち止まって考えてみるようにしています。
年齢とともにそうした了見が狭くはなってきていますが、やはりなるべくは相手の心、立場、考えを想像してみてから、ものを言うようには気を付けていきたいと思っています。
考えても結果的にはいつも悪手を踏むばかりですが、考えないと本当にひどいディスリスペクトを図る気がするのでとにかく考えます。
心の負債が重なってきた経緯に、この春から私の仕事は単なるインハウスデザイナー職から、事務や経理などの雑務庶務から、大量に入社したアルバイトの中年の男性のマニュアル作りや教導まで、定時のなかで行う作業量と責務が何倍も拡大しました。
仕事の量が増えて自分のなかのキャパシティーを超えてしまったところもあったのですが、新規事業の事務処理に必要なために大量雇用したアルバイトのおじさんたちの面接もほとんどせずに入社をさせてしまったので、説明をする私の立場に苦労や重責が重なったことがあります。
会社の新規投資ビジネスの入金、データ処理作業だけを担わせたい人材の方々であったために本当に有象無象の方々が集まってしまったようで、作成したマニュアルを読むということはおろか、挨拶も会話も通じず、会社の備品や社員の私物を盗んだりしては、仕事はほとんどサボるような人が多く、自分の世代に近い部分もあるので、何とか是正を試みることができないかと悩むなかでも、まったくポジティブなフィードバックがかえってこないで、下からも上からも不満が募り、中間管理職の苦悩的なものを感じる日々が一週間前までは続いていました。
そんな中で何か仕事が続く生活の中で朝起きた時に、心身がどうしても前向きにならず、食事も睡眠の欲も消し飛び、3日物凄く体が元気なのですが、不安で涙が止まらない状態が続き、寛解したうつ病が再発したシグナルがこの初夏にまた久しく再発したのかもと思いました。
そうしたシグナルを無視して任務に向き合い続けていると、エラーが頻発するように心身が出来上がっていきます。センシティブな作業をしていると自分の注意力とは別にミスが発生しては他人からも非難されやすくなるし、そうした自分を、しょうがないものだとしてもどうしても自分自身で責めたくもなります。
そんな中で「ちょっと、〇〇さんがまた会社のガジェット持ち帰っていっちゃったよ。カメラに写っていたんだけど、僕のイヤホンパクられたみたいどうしよう」とか相談を受けていたら、物事が正常に判断できなくなっていきました。
幸い、こうした下劣なことに上司たちが向き合わない、会社はデータ入力会社になるという意向を明確にしてくれたので、私は愛社精神みたいなものが消え失せ、うつ病が心を抉り大出血を起こす前に会社を辞めることができました。
辞職が正しい選択かどうかは正直まだわかりませんが、心の健康は日々ゆっくり前向きに取り戻していけているとは思います。
しかし、体の方は無理を続けた月日の分、物凄く悪い状態までダウンしてしまったようです。
うつ病は大部分が心、脳の不調・バグによる誤作動的なもので不調をきたすのだとは思うのですが、その不調が不摂生や自堕落な日々を生み出したり、脳が必要とする体の休養の部分を無視し続けたことによる心身の信号みたいな副次的な惨状を生み出してしまいました。
こうした日々が生み出した、生活の乱れ、増えた体重や荒れた肌などの外見の醜悪化、生活の規則性の乱れ、二十代ではないのだから、命に関わることばかりです。外見の乱れ、汚れを実際的に治していくことがものすごくつらい、大変だと感じる毎日です。
お医者さん、心療内科ではなく内科の方から「この状態で健康を保てているのが奇跡的。死にたくないならこのプリントに書いてあるものは食べてはいけない」ときつく言われ、小学校のウサギ小屋の中のようなレシピが続いています。
落ち込んだら、休むのが一番良いことですが、昨今では休み方にも教養や知性が求められますね…
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