最近の日々思うこと
ただ生きるだけということがどれほど難しいか毎日実感しています。
子どもの頃は何もかもが色彩豊かに映り、日々は音楽のようでした。
そこから不幸が重なり、大切な人やものが一つ一つなくなっていき、人生という小説の前章はつらいことばかりで何度か海に飛び込もうとしました。
ですがどれほど失っても、どれほど傷ついても私たちは必ず眠ります。
眠ったら回復します。心の傷も時が癒していきます。
私は矜持とか、こだわりとか、権威には興味がなく、美しい時間、気持ちがいいときを何より愛する享楽主義なところがあるので、ずっと一人でも泥の中にも食べ物や宝石が混ざっていることを知りえています。
最近強く思うことは、人生のなかで堕落する時間、落ちぶれる時間、艱難辛苦に苛まれて臥せる時間があってもいい、いや、あった方がいいと思うことです。最近私は休みというものを見直してみて、時間は上質に流すことができるとわかりました。適量のお酒を飲んだり、少し無理をしても遠出して
友に会いに行くとか色々。本音か阿りかは気にせずに、言いたいことを言うようにする。…少しずつ人間らしさを得ていき、闇雲に不安に圧し潰されそうになることは少なくなりました。
万物は須らく変わりゆきます。でも、生きてきて感じてきた苦しみや悲しみや失敗の経験は、人に闇をもたらしますが、闇の分、差し込む光明の筋の数も増やしてくれます。お酒のように熟成され、深みを増すのは、薄っぺらい出来事よりも冷汗や涙で少しづつ燻されていった魂こそが、自分が世に、人に何かをもたらせるファクターだと思います。
きっとこれからも失い続けるのかもしれません。
いえ、失い続ける。得る以上に失い続けていくと思います。
内向的な世界にずっと閉じこもり、人との交わりを避けてきたので、普通の方と関りになってもいつもタイマーが彼我の合間にあることを感じます。
それでも生きていく限りはどんなに愚鈍な歩みでも進化し続けます。
大丈夫、耐えられる、受け入れられることが増えていきます。
だから生きていくことを諦めることはなるべくしまいと最近は思えます。
これからの私は苦難の道を歩むことが決まっています。
自身の人生を猫でも迎え入れて一人で心地よいリズムで歩んでいくという方針から、感じたことはないけれど愛の素晴らしさに心惹かれ、また友の助力により、幸せな時間を送りたいと思うようになり、誰かを一途に愛して静かに生きたいという方針に変わりつつあります。
だから、今までのような働き方やお給料の貰い方では不足するものが多くなり、自身の身の丈より少し高い地位に就くために毎日勉強の日々を送っています。
時は人を老いさせるのではなく、人を磨き上げるのではないか。
何が言いたいのかわからない一文でした。
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