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常に挑戦しなくていけないなというお話

先日辞めた会社には4年間いました。
自由で厳しい規則もなく、現場責任者のディレクターがコミュニケーション苦手主義なので、集まった少数の人たちが自分を厳しく律していれば、非常にいい雰囲気の会社でした。
ただし、私はその会社に4年間いたこと、二十代の後半から三十代の入り口、その組織に所属し続けてしまっていたことには少し後悔しています。
理由は会社の中でデザインの仕事をしていて、自分自身のキャリアを成長させたり、どこか著名な会社の外面的なデザインを手掛けることもなく、”記録”を残すような機会が与えられなかったからです。
極端な話、バナー作りを延々と行う会社みたいな方向性と同じデザイナーの雇い方をする会社で、仕事は楽だしコンフリクト(葛藤)もないものですが、仕事を続けて2年目、3年目、4年目、何か新しいデザイン言語を覚えるようなことができたとか、エンジニアリングと関与させていただいた、言語習得の必要性が生じたみたいなことがなかった…ポートフォリオに残る仕事ができなかった。これが実に、実に危うい時の過ごし方であったかと思い振り返っています。極端に厳しい言い方をすれば言えば4年間私は何もしてこなかったのです。

昭和から平成まではベルエポックと呼ぶに相応しい時代でした。
周囲と同じ苦労をすれば、勉強をすれば、良い大学にいけば、社会から外されない、淘汰されない時代でした。スマホもPCも主張をしないし光る目のないデバイスでしたから、目的のために力技を行使しても許されるきらいがありました。
偉いのは先達の年功序列が決まっていましたし、大学を出てデスクの前に座っていれば、書類で仕事が回ってきました。それでいて、そのレールのなかにいれば、何と家族を作ることができ、まさか家や車を買うことができる。老後は有料老人ホームに入ることもできる。まさにベルエポック(素晴らしき時代)でした。

ですが、今は違います。一流の大学に出て、容姿が整っていて、勉強がそこそこできて頭の作りが良くても、仕事がなくワーキングプアになるような可能性が十分に存在する時代に入りました。
今までは教育やインフラ、福祉、安全のデファクトスタンダードが高い日本にいれば全ては良く良く循環してくるものでしたが、諸外国のありようが変わり、社会主義は民草の首を絞めることで金鉱山を生み出すことが可能になり、多民族民主主義は見て見ぬふりを徹底することで、大きな歩みを進めることができたかのように見えます。
私は社会学や地政学、そうしたことに興味も関心もないので、こうしたことは一概に断言はできません。

自身に詳しいガジェットの知識の範疇でいえば、高いお金を出して日本製のバルミューダスマートホンをわざわざ買う人はそうそういません。機能もショボいし、デザインもはっきりしない、カメラも特段優れている訳でもないし、魅力的なウェアラブル機能もないです。
西ではiPhoneやApple watchを買えば間違いないし、東では華為のandroidを買えば格安で高性能なカメラやグラフィックが堪能できます。
ブランドの旗を振るか、金にモノを言わすか、西も東も様相はことなりますが、もう日本にいるから安全という時代が終わってきました。

仕事のありかたもそうですが、私たちが今後生きていくにあたって、県や市、そして地区ごとにクローズドコミュニティができあがってくるのではないでしょうか。そしてその中に入るためにどういった方向性で努力=自己研鑽をしていくか考え実行することが重要なポイントになってくると私は考えています。
例えばアメリカではもう都市は安全ではなく、ドラッグ・ホームレス・犯罪者があまりに多く存在し、政治腐敗により改善が見られないので、首都LAの中でも大金持ちたちはビバリーヒルズ、お金持ちたちはサンタモニカに住むようにしているようです。
これにはアメリカの多民族国家という特殊な背景や移民の増加、人口の増加など色々な要素が込み入っていると考えられるのですが、日本も若年層の減少、高齢者の激増、経済の衰退、それに伴う移民の大量受け入れの準備を行っているようなので、やはり各都道府県にクローズドコミュニティが生まれて、経済の中に入ること自体がとても困難で敷居の高いことになる可能性が極めて高いと私は感じています。
ある社会学者は日本の衰退の末路はイタリアとフランスが最も近しい像だと指摘していました。今のうちにこの2国の情勢を見ておくとよいかもしれません。

……何が言いたいのかというと、コンビニでアルバイトをするのにも採用面接をいくつも行わないとなかなか雇ってもらえない時代が近づいている、正規社員になるのには大きな努力に加え、個人の力を大きく示す一芸や才能が求められるハードモードな時代がやってくるのではないだろうかとひしひし感じているということです。
私たちは職業に就くときに職務経歴書を書きますが、どこそこの大会社に10年在籍していましたという肩書は以前のような威光を示さないであろうということです。

何ができるか、何が作れるか、どれだけの裁量を任せられるであろう経歴があるか、単身でどれだけのものを生み出せるか。それが全年齢の人々の課題になっていくであろうという確信があり、私は戦々恐々としています。
今日も明日も勉強を続けていく他ありません。

アートボード 2


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