今が一番つらい時期だから日記を書く。
隣に住んでいる好々爺が孤独死をしました。
心臓を悪くし、私が気付きました。
私の棲む町は落ち人が多く住む場所、街です。
友誼を図った人々の訃報を毎週のように聞きます。
凄惨な死の光景だと察します。
独りで死ぬのですから。
私は幼いころから極度の崩壊した家庭で残飯の滓を食らっていきてきたの
で、苦手な食べ物が熱いものです。甘いもの以外の味覚がわかりません。
友と会うたび、金の重み、与えられたものの違いに驚きを感じます。
最近はお前が死ねばいいのにという夢ばかり見ます。
私が思うに…
あたりまえという概念は子どもの頃であれば金で買えます。
普通人というオーラ・品格・徳性も子どもの頃であれば金で買えます。
そうやって集団のなかで群れになっていくのです。
このあたりまえと普通を親に金で買ってもらえないと、外はどこも苦界に映ります。きっと上記に綴った人々もあたりまえが買えなかった者たちなのではないでしょうか。
私の故郷はもう無く、帰る場所がないのですが最近ずっと「ふるさとにかえりたい」と毎日思います。
精魂疲れ果てたのですが、現実は時間の許しがなく、私は今一番頑張らないといけません。
今が人生で一番つらい時期というお話です。
卑賤な人は卑屈にしか生きられない陰ひなたでしか咲けないという当たり前ですがシビアな現実と決別したいという思いで今生きています。
でもこのような絶望をもっともっと感じるべきなのではないでしょうかとも思います。
栄枯盛衰、高らかなる者もいずれ朽ちるように、逆もまた然り。
私の人生も歩みを止めない限り上限もまた見る可能性があります。
私の人生が4割でも満たされたとき、私は現状のくだらないことに対して憂いを想うかもしれません。誰彼がむかつくとか社会のなにが気に入らないとか、思う通りにいかないとか余人が持つ悩みの多く。
今は正直今までで一番死にたいほどつらいです。
ここが正念場だと思います。
ドアノブで首を括るのはまだもう少し早い気がします。
ここ一年でも新しい友が幸福な世界を垣間見せてくれました。
落ちはありませんが、死にたいと思ったら、前に進むべきです。
久しぶりに調子がよくなったので最近のことを綴らせていただきました。
毎日死を想いますが、私は学びましたから、その分学びましたから、死は最期までとっておくべきであり、私は普通とあたりまえの日常を獲得できるならばあと10年、いや5年のうちに死んでもいいです。
この世の中で一番貴いのが笑顔になれる場所があることです。
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