過去にしばられてはいけないというお話
強い薬の処方が必要となり、産みの親と会う機会がありました。
私は仕事を辞めてから保険や貯蓄を切り詰めて暮らす貧乏な身であり、MEGAドンキで128円のバナナが打っていても、業務用スーパーで50円のお勤めバナナがあればそこまで迷わず駆けつけていきます。
異性からはドン引きされてしまいそうですが、一人で過ごす日にはかなりの節約家だと思います。
しかし、今日ははっきりと強い意志で銀行からお金をおろし、「一言も喋らずこの書類にサインをしたらここにある札を好きなだけ取っていい」と告げました。沈黙の代金10万円は安く安く感じられました。
私は幼少期から大人になるまで親的な存在に悩まされてきました。
あらゆる反面教師の極地がそれであり、男性が堕落した凶暴性、女性が堕落した不潔性という放射能を存分すぎるほどに浴びて育ってきました。
貧乏な家庭で育った子供が、虐待を受けた子供がなぜ貧困や暴力を継承するのか。それは親の影響もありますが、教育の欠如によるモラルやリテラシーがないからです。
頭の中で「子育て つらい」と検索してもサジェストワードに「児童相談所 母子生活支援施設 相互コミュニティ」などと浮かび上がってこないもの。
私が親を承認する行為、記憶に留めて置く行為を行えば、私もまた同じ連鎖を繰り返す可能性もあります。
私の親は何の職能もないし、平成の元号にすらアップデートができなかったので、親の影響を受け続ければ、家訓などを重んじては今現在の私の生涯年収にも大きな影響があります。
日本には「弑する」という特殊な言葉があります。いずれの国でも禁忌とされる人間の行為。主君や父など、目上の者を殺す。親を殺すという意味です。
過去の呪縛で今に不満を吐くくらいならば、これを何らかの形で実行に移すことを強くおすすめします。もちろん、現実的に殺人を犯して親を亡き者にせよという愚かな行為ではありません。精神的な弑逆を行うという行為を実行に移すのです。
私はこの行為を『精神的親殺し』と呼んでいるのですが、許可を取らず、報告もせず、実家を出ていき、引っ越し先の住居を知らせず、携帯電話からSNS、可能ならば姓名まで変えて、以後親族のあらゆる者とも関わらずに生きて、血族に連なることは一切感傷的に考えないということです。早い話絶交するということです。お金の無心をしに、介護の無心をしに、接触を試みてきて、戸籍謄本を調べられたり、興信所を使われたら不意に接触されることがありますが、不正政治家と押し寄せるマスコミの関係性のように目も合わさず無視して警察を呼ぶような行為を実行に移します。
「せっかく産んでくれた親に対して失礼な」とよく言われますが、親のミームを継承することで、実生活の価値観まで浸食されて、何をするのも後ろめたい、不必要に相手に冷たくしてしまったり、遠ざけてしまうようなことをするくらいならば、影響を血以外は消してしまった方がいいのではないでしょうか。私の知人に幼いころに娯楽目的で殴られたり、熱湯をかけられたりした方がいて、極めて猜疑心が強かったり、義侠を重んじすぎるところがあったりする部分があるのですが、マイナスの成分が強すぎるものは、体外に分離できるものは分離した方がいいのにと思います。
あるいは私がドライ過ぎるだけなのかもしれませんが…
安全な国で、周囲の子供たちがきれいな服を着て両親と小学校の入園式に行くのを襤褸雑巾のような服を着て汚い家の窓から幼い目で眺める惨めさを、1年で少なくとも20万5千人の子供たちが感じています。
私の考えなのですが、子どもの役目の究極は育ち自立していくことだと思っています。わざわざ親鳥のもとへ帰り親鳥の末期の世話をする必要は必ずしもありません。
もちろん私たち人間は鳥ではないので、温室で蝶よ花よと育ててもらったのであれば、そこを故郷にして、里帰りをすることはこれ以上にない安らぎになることです。
しかし、育つ過程に親が巣立ちの枷になり、大人になって地に堕ちてしまうくらいならば、その親を無かったことにすることも、親という存在にとっては本望であると思います。
今ここにいることは孤独で先行きの見えない孤独な勉学の日々ですが、真の孤独というのは、誰も訪れるものがいない、誰にも思われることのない晩年だと私は思います。
強い薬の処方が必要となり、産みの親と会う機会がありました。
しかし、今後は私がミスをしない限りその機会は二度とありません。
暗い気持ちでこんなことを言っているのではなく、「天井桟敷は実は最も安値の席らしいよ」程度の気持ちでそう思っています。
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