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りんごのホットケーキ
今年もあの甘酸っぱい香りをかぎたくなった。
スーパーに行くと林檎の紅い色が真っ先に目に飛び込んでくる。でも値段を見ると毎年より高くてびっくりだ。ちょっと手が出なかった。
そんな折、親戚から段ボールが一箱が送られてきた。中身は、赤くて丸くて香り高いそれがぎっしり。
(うーんパラダイス!)
早速毎年恒例の、コンポートを煮ることにした。生で食べるより先に煮てしまうのは、頂いた方に申し訳ない気もしたけれど、雪平鍋に12当分した林檎と適当な量の砂糖とレモン汁を入れて、ことことことこと煮ながら本を読む。至福の時間だ。
ここで昔の話になる。
私が小学生の頃なので1970年代のこと。母が初めてお菓子を作ってくれた。日頃から料理が不得手なのを自任していた母が、確か『今日の料理』という雑誌を買ってきて挑んでくれたのが《林檎のホットケーキ》だった。まだ我が家にはオーブンがなく、作れるお菓子が唯一これだったのかもしれない。
まず甘酸っぱいいい匂いが私のところにやってきた。たぶん私は台所にかけていったと思う。台所脇の小さな机には、ボールやら泡立て器やら粉やらが所狭しと並んでいた。
『いいにおい!』と言うと、母は笑った。その事がとても嬉しかった。なぜなら私の母はすぐに自分を人と比べて卑下する癖のある人だったので、日頃から笑った顔をあまり見なかったのだ。
ホットケーキの上に林檎の煮たのをのせて焼いただけのシンプルな物だったけれど、それは本当に美味しくて、「おいしい」「おいしい」を繰り返して、母をたくさんたくさん笑わせた。
あれから50年近く、私は時折あの日の事を思い出す。例えばどこかの家の軒先から、同じように林檎を煮た時の何とも言えない良い香りを嗅いだ時。
自分の子ども達が小さかった時によく一緒にクッキーを作ったのどけれど、粉を振るうあのカシャカシャという音を聞いた時。(昔はホットケーキミックスなんて便利な物は無かったのだ)
自分も母と同じように、他の誰かと比べて心がぺしゃんとなってしまった時…。
林檎のホットケーキが無性に食べたくなる。いや、正確に言うとあの林檎を煮る時の匂いを嗅ぎたくなる。
母が恋しい、というのとはちょっと違う。むしろ私は母の事を、大人になるにつれ疎ましく思っていった。
もしかしたら今で言うところの発達障害、だったのかもしれないが、近所の人とのトラブルが絶えなかったり、絶対言うべきではないことを他人にさらっと言ってしまったり。またその後二次障害なのか鬱になったり。家族も酷く当たられて、父はよく辛抱して耐えてくれたなと今思えば感謝しかない。
そんな母との嬉しかった思い出で一番色濃く鮮やかに残っているのがあの日のことなのかもしれない。
甘酸っぱい香りは私の心の奥の襞をくすぐる。そしてやさしく撫でる。落ち着かせる。
自分という生き物に愛想をつきそうになった時は助けてくれる。
今年もやっと、あの若い日の母に会える季節がやってきた。