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「知らせない」というカードを切っている人は、責任を負う覚悟があるのか?~福島の東日本大震災・原子力災害伝承館で思ったこと~

先月東北地方を巡った際に、浪江町立請戸小学校と福島の東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れた。
 
津波被害を受けた請戸小学校は、日頃の避難訓練と、教員たちが的確な行動をとったにより、生徒全員が無事に避難をすることが出来た。この小学校の2階には、津波からの避難後、長きにわたり原子力発電所の事故の影響を受け、翻弄された人々の暮らしの様子が展示されていた。
 
本当に恥ずかしい話であるが、私はあのとき福島に起こったことを十分に知らないまま訪れていた。そのため、帰宅後に朝日新聞のプロメテウスの罠を読んで初めて、請戸小学校のパネルに記載された記事の内容を理解することが出来た。SPEEDIによる放射性物質の拡散予測結果がきちんと伝えられず、正しい情報が住民にきちんと伝わらなかった結果、避難すべきタイミングが遅れ、住民に無用な被爆と健康不安をもたらした。もう一度きちんと考えたいと思い、先週両親とともに再度、この二箇所を訪れた。
※SPEEDI:緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム
 
話はずれるが、今回は自宅からの日帰りであったため、かなり強行スケジュールとなった。
本当は常磐道の常磐双葉ICで下車する予定であったが、事故車両で通行止めとなったため手前の広野ICで高速道路を降りて、そのまま下道で現地までいった。
その結果、大熊町、双葉町を通り、福島第一原子力発電所近くまで行くこととなった。
除染がすすみ、帰宅できることになっている道路の反対側(海側)はまだ立ち入り禁止となっている場所もたくさんあった。
車窓から見ただけであるが、店も閉じているところが多かった。
子供が言った「人が住むから町ができるのか、建物を作れば人は戻るのか」という言葉が心に深くつきささる。
安心して人が住めるようになり、人が増えれば町は活性化するのであろうが、そこに産業があるのか、人口減少社会の日本では厳しい現実がある。
 
冤罪事件をテーマにしたドラマ「エルピス」で長澤まさみ演じる浅川恵那が、
終盤、政治家の犯した罪を告発するかしないかを論じる際に、
『「知らせる」というカードを切ったときの責任は私個人に負いきれるものではないかもしれない
「知らせない」というカードを切っている人は、その人はその責任を負えるつもりで切っているんでしょうか』と話すシーンがある。
請戸小学校を再度訪れて思い出したのはこのシーンだった。
 
確かに、あのとき知らせるというカードをきることで、浪江町含む多くの国民がパニックになったのかもしれない。
しかし、「知らせない」と決めた人たちは、その後の住民の人生にまで責任を負う覚悟はあったのだろうか。
伝承館にはSPEEDIの情報を住民に伝えなかったことが記載されていなかったのではないかと思っていたが、思ったよりきちんと経緯が記載されていた。
そこにも記載されていたが、新しい原子力災害指針では、SPEEDIは役に立たないものとして活用を削除されたという。
しかし、私がいくつかの資料を見る限り、その数値は十分に参考にできるものであり、それを活用するべく方法を考えなかったことに問題があるようにしか思えない。
誰も責任を負わないために、そのように結論づけたのではないであろうか?
 
原子力災害に限らず、なにかあった際に国は「知らせない」というカードを切るのかもしれない。そして、その情報を持っている人は安全な高みから私達を見ているのかもしれない。

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