俺はゲイの性競争から降りた 

俺はゲイの性競争から降りた。性競争を頑張ってる人たちはもう勝手にしてくれ。モテたい、ヤリたい、チヤホヤされたい、性カースト上位でありたい、可愛い人から認められ求められたいという性欲と承認欲求の入り混じった地獄でもがくのはもう嫌だ。幸い年齢を重ねシコれば治まる程度に性欲も承認欲求も落ち着いてきた。思えばSNSやリアルや飲み会で必死に交友関係を広げようとしていたのも、他人の交友関係の広さやモテを妬んだのも、大嫌いなゲイバーに通って雑な扱いをされて傷付いて帰ってきたのも、珍しくお呼ばれした宅飲みで人間として扱われなくても我慢してたのも、性格が大嫌いな顔の可愛いゲイに気に入られようと必死に媚を売っていたのも、全部性欲と承認欲求のせいだ。俺は去年はゲイに2回ほどしか会わなかった。これは異常な数字だ。なぜならゲイと月4以上遊び、2ヶ月に1回は6人以上の飲み会かホムパか旅行かその他海などのイベントに呼ばれてないゲイは「可哀想なやつ」であり「生きてて何が楽しいんすか?w」と罵って良いゴミという扱いを受ける。実際彼らはゲイと遊ぶことが史上の幸せであり、そうでない人生を選択したものは「ゲイの友達が作れなかった可哀想な負け組」だと心の底から信じている。ノンケからしたら信じられない話だと思うがマジなんだからしょうがない。ともかく俺は仲の良い友達数人以外とは会わなかった。幸い俺は性格の悪いブスなので自分から会わなければ連絡も誘いも来ないので自然と手を引けた。そしてノンケの友達と遊ぶようになった。あまり社交的な方ではないが幸い趣味は多い方なので実際友達を作ろうと思えば作れないことはなかった。そして久しぶりにゲイから解放されて少しだけ気が楽になった気がした。常に性的に相手を測り合う関係から解放された。そして全然好きじゃないゲイの世界観からも解放された。ゲイの世界ではホゲてるやつが「飾らなくて気さくな人」であり、俺はそういうやつを見るたびに生理的嫌悪感だか恐怖だか怒りだか何だか分からない鳥肌を毎回立てていた。髭面でクネクネしながら大きな声でキャーキャー騒ぎ、あたしという一人称を使い、ステレオタイプなオカマキャラを演じるという不文律をお互いに課し合い、そうすることで群れの一員として認め、そうでないやつにはゲイの世界に馴染めてないつまらなくてイケてないやつのレッテルを貼り、気さくでノリの良い明るいゲイを演じながらその実はマジで女の腐ったような性格で、女の残酷で強かな協調性と男の暴力的な性欲を持ち、そういうホゲてるゲイが俺は大嫌いだった。恥ずかしくて一緒にいたくなかった。オカマ丸出しのやつと一緒にいると周りの目が痛いというのもあるが、俺がこいつらを肯定していると思われるのが嫌だった。俺はもう可愛い人に受容されることもないし、可愛いとチヤホヤされることもない。そんなバカでも分かることを受け入れ、性市場から逃げたら本当に全てがくだらなく思えた。君たちはこれからもタンクトップの髭デブがプリプリクネクネして可愛い子ぶるのは気持ち悪いことだという一般的な感覚を持ちながら、しかしそれがカーストの上位であるという正反対のゲイの価値観も持ち、それを器用に切り替えて生きてくれ。仕事だけに生きるのはつまらないと言いながら、ゲイの友達の数だけが人生を楽しんでる指標だという狭量な価値観を信じて金曜日のゲイバーで鏡月を雑に飲み、翌日はボドゲ会にでもリアルにでも飲み会にでも海にでも旅行にでも何でも行けば良い。ゲイの性競争から逃げ、ゲイではないコミュニティで生きていくことにした俺を憐れだと見下せば良い。俺はゲイの性競争で負け続けた負け犬のゴミだが、もうそれでいい。


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