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思い出したこと

英文を読んでいたら、「euphoria」という単語が出てきた。「幸福感」という意味。
忙しなく文構造と単語の意味を書きとめていた私のペンは止まった。忘れていた思い出がゆっくりとよみがえってきた。

数年前、私は閉鎖病棟に入院していた。
人生を終えようとしていたところを家族に見つかって、急遽決まった医療保護入院だった。
そのとき、私のなかはがらんどうだった。目を開けてもぼやけていて、話し声はくぐもっていて、息をしているのかしていないのか分からなかった。鉄格子のある閉め切られた病棟で、植物のように生かされていた。全てが私にとって無意味だった。

看護師たちは皆、信じられないくらい優しかった。恐ろしくなるほど近づいてくるわけでもなく、遠巻きに同情するでもなく。それぞれの看護師が細心の注意をもって、二歩くらいの少しの距離を空けて、目線の高さを合わせて、私と話した。誰かに自分を理解してもらおうとも全く思わなかった私には、それは丁度良かった。
私はそのとき高一だったけれど、入院したのは中学生以下の子どもがいる病棟だったので、他の患者はみな年下だった。興味がなかったので話す機会があれば適当ににこやかに話し、優しいお姉さんという印象を受けられた。子どもたちもそれぞれ問題を抱えた子だろうから、深入りはしない。はじめは、そう思っていた。

人と話すとき、いつもにこっとしている子がいた。目が細くて背が低くて、大人しそうな子だった。目立たない子だった。よく喋る別の子がその子を紹介して、時々話すようになった。口調も優しく丸くて、やはりいつもにこっとしていた。良い子だと思った。少し仲良くなった。猫が好きだと言うので猫の絵を描いてあげた。かわいいーと言ってくれた。その子の描く猫の絵も可愛かった。でも絵を描くその子の手や腕は、傷だらけだった。

隔離室から監視のない病室に移動することが決まったとき、私が命に関わる危険な行動をしないかまだ心配だということで、2人部屋に入ることになった。私はそのとき、同室患者に、猫を好きなあの子を希望した。希望は通って、私は猫を好きないつもにこっとしている、あの子と同じ部屋で生活することになった。

同じ部屋のなかで、私たちは、他愛のない話をした。風呂はどっちから入ろうかとか、仕切りのカーテンはいつ閉めようかとか、看護師さんのあの人はおもしろい、優しいとか。誰にでも当たり障りのない私たちは、配慮の仕方も似ていて、同じ部屋で過ごしていて苦痛はなかった。徐々に徐々に、私たちはお互いのほんの少し大切なところを、知っていった。日がたつほどに、部屋のなかの空気は、色がついて特別になっていった。

がらんどうだった私のなかにはいつの間にか、その子に踏み込みたいという気持ちがうまれていた。いつもにこっとしているそれは仮面だと気づいたとき、その仮面の下を知りたいと思った。傷だらけの手と腕は、何がそうしているのか知りたいと思った。優しくできたら、と。きっと、あなたの中も深淵に包まれたがらんどうだから。

看護師からの心配も薄れてきた、2人きりの夜、その子は秘密をうちあけてくれた。いじめ、家庭内暴力、ネグレクト、病院の人にも児相の職員にも伝えていない、真っ黒な話。死にたい。消灯後の窓際のベッドで、私の慎重な質問にぽつぽつと答えるその子は、ひとりぼっちだった。
死にたいという言葉はあまりにも当然で、その言葉のひややかな現実さに、私はただ傍観することしかできなかった。
私は知っていた。死にたいという意思に、優しさなどいらない。どんなかける言葉も無意味だ。死にたい自分以外の、誰にも分からないのだから。
暗闇の中で、私はただその子の頭を撫でるしかなかった。抱きしめたかった。でも抱きしめられなかった。重たい苦しみを纏ったその子に、簡単には近づけなかった。頭を撫でるとその子は静かに泣いた。私も泣いていた。
何もかもが不幸だった。その子は普通に育てば、ただの猫が好きなにこっと笑う大人しげな子だった。その子に降り注いだ全ての悪意や八つ当たりや身勝手が、その子を削って、笑顔を仮面にし、体を傷つけることを覚えさせ、ひとりぼっちにした。10数年しか生きていない私は、その子の体に、この世の不幸が全て詰まっているように見えて、悲しくて痛くて果てた心地がした。

その子にはどうしようもなくて、私もどうしようもなかった。2人でなにか同じ哀しさをもって泣いた。部屋の暗闇は深くて、救いようもなく濃密だった。ひとりぼっちが、ふたりぼっちになってくれないか、と、たえだえな願いを込めて頭を撫でた。その子は小さな音をたてて泣くだけだった。

秘密を共有してから、私たちは特別な2人になった。いつも一緒にいて、よく2人で笑った。他の患者の子とは少し違う態度をお互いにとるようになった。患者をよく見つめる看護師たちはすぐに気がついて、特別な2人という認識で話すようになった。私はその子のことが大切になって、その子は私を心のよりどころにしてくれたようだった。私たちは2人とも孤独であることを知ったことで、孤独でないような気がした。私の心は、いつもその子にしてあげられることがないか考えていた。

しばらくたってある日、病棟内で、オリジナルのトートバッグをつくるイベントがあった。薄っぺらい無地のトートバッグに、好きな絵を描くという簡単なものだった。私は普段つかっているスケッチブックを開いて、描いていた絵のなかで気に入ったものを、そのまま写してかいた。隣で作業していた私の特別な子は、かわいいーと言った。羨ましそうにしていた。その子がもうすぐ、施設に行くために退院してしまうことを知っていた私は、このトートバッグをプレゼントしようと思った。そう思うとなにかまだイラストだけでは物足りなくて、ロゴのように言葉を書き足そう、と思った。うさぎの耳のキャラクターの右上に、「You are my euphoria」と書いた。文法的には少し間違っているけど、スペースが少なかったのでそう書いた。この言葉はエゴだ。その子は多分英語は読めないので、きっと伝わらない。伝わらなくていい。

病棟内で物の貸し借りや、プレゼントは禁止されていたので、一応、看護師長に確認をした。
師長はあたたかい人で、強くて愛情深い人だった。忙しそうななかでときどき私たちと話しに来ていた。患者のなかには怖がる子もいたけど、私たちは師長のことが好きだった。
私がトートバッグを師長に見せると、師長は褒めてくれた。これをあの子にプレゼントしたいですと言ったら、少し悩んでいた。規則上はダメだけど、…と。暗黙で良いと言われた。
「右上の英語はなんて書いていてあるの?」と聞かれた。「『あなたは私の幸福』です」と答えた。答えた途端、師長は私を抱きしめた。私は抱きしめられた。師長はなにか言っていたけど、あまり覚えていない。あたたかい人なのだ、師長は。愛される、というコップが空っぽのあの子を、少しでも満たせないかと書いた私の言葉は、一滴の水にもならない。広い広い孤独と苦しみの前では、どんなに気持ちを込めた言葉も無力だ。だからこれはエゴだ、と私は分かっている。師長は、私の冷めきった小さなエゴを、本当は本当はどうにか少しでもあの子の空洞を埋めたいと思った私の無力な気持ちを、抱きしめてくれた。私が抱きしめられたってあの子は幸せにはなれはしないけど、それも分かっている師長が、その瞬間、欠落した私たちをまとめて愛してくれている気がして、うれしかった。

あんなに濃い時間だったけれど、忘れていた。でも、たった一単語でめくるめく回想した。あれから私はあの子より先に退院して、高校を卒業して、大学受験の勉強をしている。あの子には1度も会っていない。会う手段も持っていない。師長はきっとまだあの病院にいるだろう。大学が決まったら、師長を含めた病院の人達に会いに行こうと思っている。絶望しかない私に、いちばん近くで優しくしてくれた人たちだから。
私は今あの子のために勉強している。将来の目標も、大学で勉強するのも、あの子のためだ。あの子に出会ったあとの私の人生は、全部があの子に起因する。そうすると決めた。無力な私が彼女に贈れるものは、「君が生まれてくれたから、私が生きていける」と伝えることくらいしか無いから。それが君にとってどのくらい心の足しになるのかは分からないけど。


英文を読みながらノートに書きとめた単語の列の続きに、「euphoria」は書かなかった。
私はもう知っているから。

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