無題さっきあったこと
水の底から水面へゆっくりと浮かび上がるように暗闇から抜け出た。一件の着信とメッセージは旧友からのものだった。携帯のバイブレーションで引き揚げられた私の意識は細かい泡を立てて全身の水圧を押しながら動いた。不在着信の下に、バイト終わりにかけたと一言のメッセージを読んだ瞬間、大きな鉛の塊のような重さが、彼女と私の生活の違いにのしかかった。彼女は充実した大学生活を送っているらしい。充実した生活を送っているらしい。充実した生活を送っているらしい。きっとそんな充実した生活をふと誰かに聞いて欲しくなったのだ。私はこんなに充実していて楽しいと。すぐさま携帯を伏せて暗闇の中に滑り込ませた。「不適合」という烙印を当てはめ沈み込んでいたさっきまでの自分が熾烈に喉奥を焼いて、目尻に溜まっていた涙を乾かした。無力さはメッセージを読んだ瞬間にするりと体を通り抜けて足の下へ降りていって、急激にその他大勢と似た空虚な苛立ちが沸いてきた。そのエネルギーでボコボコと四肢を動かして水中を暴れた。くだらないんだ彼女は。杉の木みたいに根が短くて薄っぺらな板材にしかならない人間なんだ。自分の生活が楽しい時だけ、臆面も無く歯を剥き出しに、脳をべろべろに酔わせて、人にそれを喧伝して嵐のように立ち去る。正反対の生活をする私に何を思わせたいのか考えているうちに、私は古いテレビのような音が頭中に響き出す。脳のケーブルを引きちぎってやろうかと猛烈に苛立ち、でも同時に全ての感情を手放して人形になろうかとも思う、いつもそんな電話しか寄越さないのだから、きっと今回もそうだ。私は、彼女や彼女たちの荒々しくて薄汚い生き方に「愚か」のラベルを貼って、私の生活を「不適合」から「アイデンティティ」に引き戻した。