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ウィル・スミスの行動について

 ウィル・スミス事件については賛否両論だが、大前提を間違った状態から議論を開始しているため、水掛け論が多数。なのでまずはそこを正してから、あの事件について思うところを述べようと思う。

 なお、最初に断っておくとどっちが悪いという話はしない。私の大きなため息を文書化したものだと思ってほしい。


■大前提:2つの罪は相殺しない

 冷静に考えたらみんな分かっているはずなのに、何故か引き算してどちらが大きいかという議論に終始しているように思う。

 例え殺人鬼や婦女暴行犯の顔を殴っても、その罪は相殺されない。傷害罪として訴えられたら負ける。一般人が人を殴るのが合法とされるのは、格闘技など事前の合意の元であるか、生命や貞操に危機を感じた際の正当防衛だけなのである。日本や多くの欧米の先進国の法においては。


■個人的大前提:心はウィル・スミスと共に

 このあとウィル・スミスの罪を語るにあたり「んだよ、クリス擁護派うぜぇ」と思われないよう先に語っておくと、私はあの映像を見て「なんて平手なんだよ」と思った。個人的感情とは切り離して事件の問題点などを分析しているのである。


■ウィル・スミスの行動について

 殴ったので傷害罪である。以上。陪審員の強いアメリカなので情状酌量で刑罰は軽減されるかも知れないが、傷害罪で告訴されうる立場であった事実は変わらない。クリス・ロックがどれだけ悪い奴かは関係ない。
 では彼の行動をどう評価すべきか。その場でスッキリしたのは間違い無い。本人も見た人も。しかし長期的には後悔しか残らないだろう。本人にとってもファンにとっても。

 アカデミー賞受賞の場という非現実的舞台のせいで、みんなの目が曇っているように思う。身近な舞台に置き換えると評価の基準が変わるはずだ。

 会社で新年会があった。司会はお調子者で口の悪い同僚だ。彼は開会式にて、台本なのか本人のセリフなのかは不明だが、妻の容姿をネタに会場の笑いを取った。怒り狂った旦那は司会者を殴り、冗談だよと弁解する司会者に暴言を連発。
 彼は、その場で警察に電話され、告訴された。会社からは懲戒免職を言い渡され、もちろん退職金はない。残る住宅ローン。暴力で懲戒免職になった経歴からの再就職に悩む日々。最初は感激していた妻も、貧窮を理由に離婚。今では別の家庭を持っている。

 さて、友人である貴方は、彼から相談があったら何と言うだろうか。「気持ちはわかるよ。でもその場は我慢しておいて、後であいつの発言は問題だと、会社に抗議すればよかったじゃん」と言うのではないだろうか。
 もちろん後から抗議したからと言って、解決するとは思えないし、謝罪されても怒りは消えないだろう。だが、それが普通なのだ。我々が彼の行動に快感を覚えたのは、それが「合理的に考えれば選択できない、スッキリする行動」だったからであり、合理的でない以上、不利益はついて回るのである。

 あの映像を見た際に迸った我々の興奮は「さすがディオ!俺たちにできないことを平然とやってのける。それにシビれる!あこがれるッ!」という類のものだったのである。


■クリス・ロックの行動について

 容姿を弄るジョークが不快だと後日訴えられれば、名誉毀損等の罪に問われる可能性があった。ただ、現実的にはあまり大きな罪となる可能性は低いだろう。

 ここから先は不確かなニューズソースからの伝聞が多いので話半分に聞いて欲しい。

 まず、あの台詞は放送作家が書いていた可能性がある。それから、クリス自体はウィル・スミスの妻ジェイダの髪型が病気をきっかけとする事実を知らなかったらしいという話も出ている(言い訳かも知れない)。
 また、ジェイダ自身が最近では自分のヘアスタイルをネタに笑いを取ることがあったと言う話もある。本人もネタにしている事を知った上で、貶すのではなく「GIジェーンの続編期待してるよ」に留めており、それは長髪の男性に「ソーの最新作、期待してるぜ」と言うのに近い発言ではある。
 女性の短髪は男性の長髪とは意味が違う!という意見は同意だが、フェミリズム論に発散するのでここではその議論は省く。

 誤解しないで欲しいのだが、だからクリスのジョークがOKだと言っているわけではない。ただ、訴えられるようなラインに引っかからないか、クリスや放送作家が上記のような計算をして作成した台詞である可能性があるという意味だ。

 ジョークの是非はさておき、事件後彼は殴り返すことなく、場の空気を維持すべく冷静に対処し、ウィル・スミスを拘束しようと意思確認した警察官に対して、告訴はしないから拘束も不要だと回答している。
 ウィル・スミスに殴られちゃったよという台詞は、殴るところまで仕込みだったと思わせようとしていたかにも見えた。その点は充分に「アメリカ文化における普通の対応」に従い、うまく立ち回ったと、言える。


■アメリカ文化を鑑みた映画界への影響について

 アメリカにおいて黒人差別問題は残念ながら過去のものではなく、今も根深い。ドラマ「ファルコン&ウィンター・ソルジャー」を見た方なら分かると思うが、あの演説をしないとファルコンが一歩前に踏み出せなかったように、未だに黒人が何かを代表することに対する風当たりは強い。歯に衣着せず言うと、一部の白人至上主義者は、黒人は知的でなく暴力的だと考えている。そしてこの一部の割合は日本人が想像しているより遥かに高い。

 そんな中、今回のアカデミー賞授賞式は、司会を始めとした主要スタッフを黒人ばかりとした、かなり画期的な場だった。ほんの十数年前までアカデミー賞の審査員は白人ばかりで、受賞者も白人ばかりだったのだ。

 本年度は、殆どの賞をDUNEが独占という状況にもかかわらず、主演男優賞は黒人のウィル・スミスという、感動的な歴史的場面を迎えるはずだった。

 しかし結果は「失礼なことがあってもその場は笑って済ませる」のが美徳とされるアメリカにおいて、「笑って済ませられないどころか、壇上に上がって暴力を振るう黒人」の姿を見せることにより、白人至上主義達に「ほら、やっぱり黒人は粗暴だよね」と付け入る隙を与えてしまったのだ。これは非常に残念な状況だ。
 陰謀論者が「クリスは暴力をふるわせるためにわざとあの台詞を」とか、「ウィル・スミスは白人至上主義団体から金をもらってあんな行動に」とか言い出しそうなぐらい、あまりにも良くできた悲劇的結末である。
 唯一の救いはクリス・ロックが笑って済ませる対応をし、警官の動きを制した点だろう。万が一、殴り返してでもいようものなら、歴史が10年巻き戻っていたはずだ。 

 クリス・ロックは不謹慎な言動で笑いを取るタイプの芸人である。なので芸人としては毒舌を期待される。しかし彼が白人相手に容姿を弄るような冗談を言うと、上述の理由によって干される。一方で期待された毒舌に翳りがあっても干されるだろう。そこで同じ黒人を弄ることにしたのだろうが、その選択がスミス夫妻を不機嫌にさせ、アメリカにおける黒人の地位にマイナスとなる事件となったのは不幸すぎる結末である。

 クリス・ロックの冗談の妥当性について、ここでは深く語らない。相手を不快にさせたなら不適切だったという結果論にとどめる。それ以上のことは人間の笑いの起源まで遡らないと語れないからだ。


■平手打ちという行為について

 「腹が立ったら殴る」を正当化してはいけない。

 マーベルや時代劇の勧善懲悪に喝采する我らには、暴力による制裁を肯定する動物的本能が備わっているのは間違いない。なので、個の感想として肯定するのは仕方がないが、社会に対する公式コメントとしては否定するしかないのだ。

 この事件のコメントをいくつか見る中で、筋肉弁護士で有名な小林航太氏のツイートの知的さに感心した。

 「配偶者が侮辱された際にすぐさま怒りを表明できるのは素晴らしいことだけど、平手打ち程度とはいえ、公衆の面前でとっさに暴力を振るうことは、普段から暴力が行動の選択肢に入ってないと結構難しいように思う。」

 そうなのである。「やるならグーだろ!」と思った自分が、同じ状況で同じ対応をするかというと、できない。せいぜいが番組が終わってから個人的に怒りを伝えるぐらいだろう。しかし彼は即座の暴力を選んだ。彼の日常には暴力という選択肢が入っているのではないか。

 また、殴ったあと妻の前で涙する姿を見て、DV男を思い出してゾッとしたというコメントも多数見掛けた。言葉の暴力もいけないが、当たり前のように暴力による暴力も駄目だし、暴力も言葉と同様にトラウマを生むのである。

 白人至上主義でない人たちの目にも、ウィル・スミスは殴る人なんだ、そのイメージがついてしまったことは否めないだろう。


■最後に

 ウィル・スミスは私の大好きな俳優の一人だ。アイ・アム・レジェンド、アイ・ロボットは最高の作品である。ひょっとするともう、表舞台で彼を見ることがなくなってしまうのではないかと思うと、大いなる不安に駆られる。願わくば彼が復帰できる道が残っていることを期待したい。

 なお、ここまでのリスクを払ってその名誉を守った妻のジェイダだが、お互いに浮気OKの自由婚の条件でウィル・スミスと結婚している。仮にウィル・スミスが今回の事件で失脚したとして、彼女がちゃんと彼の近くに寄り添ってくれるのか。老婆心が過ぎるとは思うか、二重に心配でならないのだ。

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