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ネタばらしは、死んでもするな


#1

 時刻は丑三つ時。
 山の奥に静かにたたずむペンションの、地下室にその祭壇はあった。
 土台部分は黒の大理石でできており、その表面は荒々しい彫刻で覆われている。無数の顔、ねじ曲がった手、獣のような装飾が複雑に絡み合い、まるで「怒り」を形容しているかのようだ。
 土台の上には、何十本もの剣が突き立てられていた。そのそれぞれは金属の鈍い輝きを放ちながらも、どこか神聖さと呪詛が入り混じったような威厳を持っている。剣の柄や鍔にも、土台と共通した意匠が施されていた。
 祭壇の周りには、たくさんの赤い蝋燭が並べられており、炎が不気味に揺れて部屋の暗影を濃くする。時間とともに血のような蝋が垂れ落ち、穢れのように床を汚した。

「ククク………」
 今、その祭壇を前にして、一人の男が立っている。
 彼の名前は加藤剛。職業は番組ディレクターである。
 彼は祭壇を全体的に見渡すと、満足そうに笑いながら呟く。
「ついに……完成した…!」

 加藤は思わず喜びに震えた。
 完璧な舞台装置。それだけではない。あらゆる関係者に根回しも行った。放送時間も最高の枠を手に入れた。出演タレントも申し分ない。ここまでやって失敗したなら、もう諦めていいと思える。

「スゥ……ハー……」
 加藤は深呼吸し、静かに目を閉じた。
 ここまで来るのに、いろんなことがあった。
 彼は今までの苦労を反芻する。そしてより一層、成功への決意を強固にした。
 次に目を開けた時、彼はこう決意する。

「コンプラだがなんだか知らねえ。
 クソな視聴者共に、俺の傑作ドッキリを見せてやるぜ」

 

#2

 ブロロロロロロ………。
 大雨の中、山道を走る1台の白バン。
 水しぶきを上げながら荒々しく道を走る。雨粒がフロントガラスに絶え間なく叩きつけられ、前方はほとんど見えない。まだ時刻は17時だが、辺りは木々に囲まれ電灯もないため、暗い道が続いていた。

 車を運転しているのはとあるテレビ局の、AD歴4年目、中田龍斗。その隣、助手席でシートにふんぞり返ってスマホを弄っているのはディレクターの加藤剛だ。
 ハンドルを握りしめながら、龍斗は不満を言っている。
「ちょっと降り過ぎでしょこれ……警報とか出てるんじゃないですか?」
「おい。さっきからうるせえぞ。出てたとしても関係ねえ。東京に帰んのか?今から」
 そう言って加藤は龍斗の腰を持っていたペンでつつく。
「い、痛っ!痛っ!」
 当然ハンドル操作が乱れ、車が一瞬大きくフラついた。「あ、危ない運転中に。やめてくださいよ!」「フン」「このまま崖から落ちて死んでもいいんですか?」「その場合、お前は殺人犯だ」「……………」

 龍斗は加藤に反論するのをやめる。また脇腹を刺されれば、今度は本当に横転してしまうかもしれないからだ。加藤ならやりかねない。彼はテレビ業界に入ってくる前はかなりの不良だったので、人を刺すことに躊躇いがないのだ。
「ほんと仕事できるだけの異常者だ……」小さい声でそう言う龍斗。
「なんか言ったか?」「いえ、何も」

 彼らは夕方まで、「ほんわか田舎旅」という関西ローカル番組の撮影をしていた。土砂降りの雨でロケは早めに切り上げ、宿へと向かっている最中だった。
 車には彼らの他に、元アイドルでタレントの名倉沙耶、同じくタレントの川中スイカ、アクション俳優の雪村はじめが乗っている。全員疲れているので会話はなく、車内はひっそりとしていた。 

「……………」
 雨音とエンジン音だけが響く車内。
 龍斗は運転に集中していた。助手席の加藤はふんぞり返りながらもスマホをいじっている。後部座席では沙耶が憂鬱そうに窓の外を見つめ、スイカは占星術の本をぼんやりと眺めている。雪村は一番後ろの席で大きないびきをかいて寝ていた。

 しばらくすると、大きな川と、そこに架かる橋が見えて来た。橋を支える石柱の半分ほどの所まで水が来ており、下手すると水しぶきが橋の上にまで飛び上がる。
「これ渡ってもいいやつか…?」
 龍斗は思わずそう呟いた。
 前が見えないほどの激しい降水。
 氾濫寸前の濁流。
 鉄骨で出来ているその橋は頼るには少し心許なかった。今はまだ大丈夫だがそのうち飲み込まれるんじゃないかと不安にさせるほどだった。「帰る頃には沈没したりして……」。

 そんなことを言いながらも、無事に橋を渡り切った龍斗。
 彼は安全重視でスピードを抑え、ノロノロと運転した。
 結果、2倍くらいの時間はかかったものの、ついに目的地へと到着した。
 降りしきる雨の中、景色の中に浮かび上がる白い建物。それが目的のペンションだった。

 ここで、龍斗は横から発せられる鋭い視線に気づく。
 それは隣に座っている加藤からだった。
 加藤は龍斗にアイコンタクトをする。
「いいか?ここからが本番だ」
 彼の目はそう言っていた。
 龍斗はもちろんそれを理解していた。彼は何も言わず、ただ黙って頷いた。

 これは一体どういうことか?
 実際のところ、彼らは「ほんわか田舎旅」のスタッフではない。むしろそんな番組は存在しない。
 彼らはドッキリバラエティ「チャンス・タイム!」の制作班なのだ。
 3人のタレントたちには、これから訪れるペンションでドッキリを受けてもらう。その内容は、『もしもロケで泊まったペンションの地下で、謎の儀式が行われていたらどうする?』というもの。
 偶然入ったペンションで、明らかに怪しい儀式が行われている。邪神を彷彿とさせるような儀式が行われていた場合、人はどんな行動をとるのか、というドッキリである。
 
 このドッキリは加藤にとって、非常に大きな仕事だった。時間帯はなんと水曜の夜10時。ペンションはこの撮影のために改修工事をして、完璧なセットを用意した。リハーサルも何度も行なって、まさに準備万全だった。
 失敗は許されない。絶対に成功させる。
 龍斗も、加藤からそんな執念を感じていた。彼がこの番組に全てを賭けていることがわかる。彼はこの番組を成功させて、バラエティ業界に復帰しようとしているのだ。過去に過激なバラエティ企画で怪我人を出してから数年間、彼は業界から干され続けていたが、それも今日で最後だろう。


 そうしてペンションに到着した一行。
 ペンションは3階建の大きな建物だった。石造りの壁が大粒の雨を絶え間なく弾いていて、まるで全体が白いベールに包まれているようだった。
 駐車エリアに車を停めると、全員一斉に走って玄関へと向かう。激しい雨が山の斜面を叩きつけるように降り注ぎ、ずぶ濡れになりながらも駆け込み寺のようにその中へ入って行く。玄関の所には『赤夢荘』と書かれた看板が置かれていた。それがこのペンションの名前だ。

 玄関に入ってとりあえずその場に荷物を下ろす一同。
 龍斗は鞄の中からタオルを取り出すと皆にそれを配り、髪や服を乾かすように言う。
「しかしひどい雨ねえ……」
 川中スイカがタオルで頭をわしゃわしゃ拭きながらそう言った。
 スイカは背が低く、坊主頭で丸メガネをした見た目は完全におじさんだが、心は乙女。お茶の間ではいわゆるオネエタレントとして認知されている。
 スイカが窓を見ると、まるで滝のように屋根から水が流れ落ちていた。
「なんでまたこんな山奥なのよー…」
「すみません…。僕が予約しました」と龍斗が言う。「選別から予約まで、全責任は僕です」。
 確かにスイカの文句は妥当だろう。普通は街のビジネスホテルが無難で、わざわざこんなところまでくる理由がない。でも真の理由『ドッキリをしたいから』なんて言えるわけがない。彼は用意していた言い訳を使う。
「でもみなさんの希望はちゃんと考えて選びましたから」
「あら、どういうことかしら?」
「このペンションの一番の秘訣は、地下温泉なんです」
「あら、それはいいじゃない!」
 すると側で聞いていた沙耶も
「え、地下温泉?やったー!」と、声をあげて喜ぶ。
「でも私はここ、結構好きだな。温泉なくてもね。自然に囲まれてて、色調とか、落ち着く感じ」
 沙耶はさりげなく龍斗のフォローをしてくれているようだ。元アイドルなだけあって、彼女がいるだけで空気が明るくなる。
 沙耶は今、赤のジャケットに黒いシャツ、そしてヴィンテージジーンズをはいていた。雨で長い黒髪が濡れていいて、色っぽさが増している。彼女の胸は豊満で、そこも少し濡れているので龍斗は思わず見るのが憚られた。
「まあそう言われればそうかしら」
 スイカも彼女に賛同した。「中は思ったより綺麗ね。えーっと、龍斗。龍斗ちゃんね。ごめんなさいね。悪いように言っちゃって」
「いえいえ、こちらこそすみません。街からは遠いですが、それ以外は大丈夫かと」

 そうして彼らがタオルで髪や服を拭いている内に、龍斗は受付で宿泊の手続きを済ませる。
 だがここでひとつ、問題が起きた。
 玄関入ってすぐのところに受付カウンターがある。そこには宿泊の台帳やペン、固定電話が置いてあり、普段ならチェックインをするのだろう。しかし今、そこには誰もいなかった。奥から人が出て来る気配もない。

 カウンターに呼び出しベルが置いてあるので、龍斗はそれを鳴らしてみる。
 チリーン!
「ごめんくださーい」
 龍斗はベルを鳴らしながら、大きな声で呼びかけた。
 チリーン!
「誰かいますかー!」
 しかし、どれほど声をかけても全く反応がなかった。「あれ…おかしいなあ……」。その後も龍斗は何度か声をかけるも、誰も出てこない。
「どうかしたのか?」
 と、ここで龍斗の後ろからやって来たのは加藤だった。龍斗は加藤にペンションのオーナーがいないことを伝える。「おかしいなあ…ちゃんと予約はしているはずだがな…」と首をかしげる加藤。他のメンバーも、そんな龍斗たちの様子を心配そうに眺めている。

 ………しめしめ、と、龍斗は心の中でほくそ笑んだ。
 どうしてオーナーが出て来ないのか?
 それは当然、オーナーなど存在しないからである。
 本当は、オーナー役を用意しようとしたが、失踪していることにした方が雰囲気が出て、ドッキリへの恐怖も増幅するだろうと考えたのだ。
 ちら、と加藤の方を見る龍斗。
 加藤は困った、というような顔をしているがなかなかの役者である。「どこいっちゃったの……?」と龍斗も自然を装いながら呟く。

「大丈夫か?」
 するとここで、龍斗の元に白道着の男がやって来る。まるで修行人のような姿の男は、雪村一だ。
 彼は長身、長髪の男で、スタントマン&アクション俳優である。筋肉質でありながらスタイリッシュな体型。というのも本当に武術を極めているというのが彼の凄いところだった。その演技は限りなく本物に近いということで国内外問わず評判の俳優だった。唯一の欠点は修行バカということ。私服がなく、いつも白道着を着ていた。どんな状況でも修行や戦闘を行えるようにしているらしい。俳優も実は二の次で、本物の武術を見せるためにやっているという。

「宿はここで合っているのか?」
「それは間違いないかと……。はい。あそこにも書いてあります。赤夢荘です」
 そう言って龍斗が指さすのは玄関上部に掲げられた看板。スケジュール表にも赤夢荘と名前が入っているため、雪村は納得する。「周りは何もなかったし、建物はここで間違いないな…」。
 携帯でオーナーに電話するという案が出たが、あいにくこのペンションは圏外だった。

 完全に雲行きが怪しくなってきた。計画通りではあるが、少し空気が悪くなる。今や、雪村だけでなく沙耶もスイカも心配そうな目で龍斗を見ていた。大丈夫か?という視線が彼にチクチク突き刺さる。
 するとここで加藤が「まあ予約はしているし、とりあえず上がらせてもらおう」と言い、全員がそれに頷いた。

 彼らはとりあえずロビーに用意されたソファに座って一息ついた。ロビーは広々としており、木製の家具や絨毯で飾られた落ち着いた空間だった。中央には大きな暖炉があるが、今は使われていない。
 龍斗と加藤が、オーナーを探して来るという名目でざっと建物を見て回る。ロケをしている間に何者かが侵入しているということもなかった。これで心置きなくドッキリを決行できる。

 2人はロビーに戻り、ペンションの間取りについてメンバーに伝えた。1階はこの広いロビーと食堂、スタッフルームがある。2階と3階は全部客室になっていて、各階に3つずつ、計6室あるようだ。

「それと、これが客室の鍵です」
 そう言って龍斗が取り出したのはアクリルタグの付いたルームキーが3つ。タグには301〜303の部屋番号が書かれていた。「フロントにあったのを持ってきました。貸切で予約しているので、どこでも好きな部屋使っていいと思います。2階はスタッフ用にしたいので、みなさんは3階を使ってください」
「いいのかしら。オーナーいないんでしょ?」
 躊躇うスイカに龍斗は言う。「僕が責任を取ります!」。
「先ほど確認しましたが、やはりここの予約は絶対に取ってます。となると、いない方がおかしい。こっちにも言い分があります」「あら、龍斗ちゃんかっこいいわ~」
 スイカはそうして龍斗をからかうと、「じゃあ遠慮なく使わせていただくわ」と302号室の鍵を取る。
 それを見て沙耶も「私はここかなー」と言って303号室の鍵を取った。「3が好きなんだ」。そして2人とも階段を登って自分たちの部屋へ向かった。

「あいつら飲み込みはえーな…」
 と、雪村はそんな彼らを見て呟いた。彼は301号室の鍵を受け取りながら言う。
「しかしオーナーは一体どこ行ったんだろな。この雨の中、外で何かしてるとも思えない」
 雪村はどうやらこの状況に違和感があるようだ。オーナーの不在についてあれやこれやと推理をしている。「この嵐の中、山で仕事をしていて、帰りに足を滑らせたとか。それが一番最悪なパターンだ」。
 龍斗と加藤はオーナーなどいないことを知っているが、雪村はそれを知らない。確かに彼の立場からすると、オーナーの身に何かがあったのではと考えるのは当然だ。

 龍斗は頭を悩ませた。オーナーはそもそも存在しないので気にしなくていいですよ、などと言えるわけもない。
 どうしようか、と考えあぐねていたところ、ここで加藤が言う。
「雪村さん、あなたも今日は疲れただろうし、とりあえず部屋で休んでくれ。オーナーについては我々にお任せを。さっきカウンターに固定電話があったから、あとでかけておくよ」
 そうして加藤の巧みな話術によって、雪村をなんとか説得することに成功した。ようやく彼も、荷物を持って自分の部屋に向かう。

 やがて、雪村が階段を登って完全に見えなくなる。
 ロビーに残されたのは加藤と龍斗の2人のみ。
 彼らは互いに顔を見合わせると、計画を進めるためにそれぞれの行動を開始した。



#3

苦津流くつる市周辺では、大雨による土砂崩れの危険性が高まっており、不要不急の外出は避けるように……」

 降り続ける雨。雨粒が絶え間なくガラスに波紋を描いている。建物周辺の木々はざわめき、自然の力を見せつけるかのように暴風雨が吹き荒れている。

 時刻は午後6時。
 全員再びロビーに集合し、これからのことを考えていた。
 ペンションに着いてから1時間ほど経過したが、雨は止むどころかさらに酷くなっている。
 ついに警報も発せられたようで、ラジオではアナウンサーが地域住民に注意を促している。

「これ、ちょっと本格的にヤバいんじゃない?」とスイカが言う。
「明日もこのままだと、ロケどころじゃないよね……」沙耶もその話に同調した。スケジュールでは、明日は山の麓の街を訪れる予定だった。嵐がこのまま衰えないならロケはおろか、帰ることもままならない。

 実際に、龍斗も不安な気持ちになっていた。
 ドッキリ撮影は今の所順調で、問題は起きていない。沙耶たちはロケについて心配しているが、それもどうでもいい。明日のロケの予定なんてないからだ。
 ただ、気がかりなのは思った以上に天候が悪いということ。近くの街では洪水警報が出されていて、たくさんの家が浸水しているらしい。実際外は数メートル先も見えないくらい、滝のような雨が降っており、山道を歩こうものなら一瞬にして足を取られ、麓まで転がり落ちるだろう。ひょっとしたら車も流されるかもしれない。風でペンションの壁が飛ばされたらどうする?撮影ストップがよぎるほどに、天候が悪すぎるのだ。

 だが、心配ばかりしていても何も起きない。
 彼らはとりあえず食堂に行って、夕食の準備をすることにした。
 すると、そうしてみんなで一つのことに取り組むことで、鬱屈した空気が消えて前向きな気持ちが生まれる。明日どうなるかは明日考えればいい。止まない雨はない。深夜にあっさりと嵐が収まるかもしれないのだ。彼らはそう考えることにした。

 彼らは和気藹々と夕食の準備をした。スイカが率先して料理を作り、その腕前を披露した。出来上がった料理は非常においしく、全員彼女に賞賛の言葉を贈った。
「これでも昔はシェフを目指していたのよ。懐かしいわ……」
「噂には聞いてましたが、やっぱりそうなんですね」と沙耶が言う。「これ友達に自慢できる。スイカさんの手料理食べたって」
「そんないいものじゃないわよ。でもありがとう」 

 食事が終わってお酒を飲みながら、話題はそういう過去の話で盛り上がる。
 沙耶もアイドル時代の過酷な日々、どうして引退を決意したのかについて、普通じゃ聞けないことを教えてくれる。
「今思うと、私はアイドルに向いていなかったんじゃないかって思う。
 でもアイドルをしていたことは私の誇り。今の私がいるのも、その時代を経ているから」
 沙耶は現在、アパレル会社を経営している。売り上げも軌道に乗り、順調に成長しているという。力強い性格、そして抜群のプロポーションである彼女は、男女問わず幅広い層から支持されている。「すべてに感謝だね」と彼女は言った。 

 雪村の番になって彼が話し始めるが、そのエピソードはとにかくおかしくて、みんな最終的には呆れてしまうほどだった。
「一回、修行シーンとして、山の中で撮影してたら仙人が降りて来たんだ。
 で、スケジュール遅らせて、仙術の修業をして、それでできたのが『怒り』だ」
 雪村主演の映画『怒り』は伝説のアクションシーンがあることで有名だった。CG・ワイヤーなど一切使っていないのに、まるで空中を歩くようなふわふわしたジャンプしながら敵を倒す。気づくと敵の両肩に乗っていたり、敵の刀の切っ先につま先立ちしていたりと、人間離れしたシーンがたくさんその映画には出てくるのだ。それらは仙人から教えてもらった、と雪村は主張している。
「嘘おっしゃい」とスイカが雪村に言うが、「俺はアクションに関しては嘘はつかない」と雪村は言い返す。真偽は誰にも分からなかった。

「そういえば加藤さんの話、久しぶりに聞きたいな」
 と、タイミングを見て言うのは龍斗だった。
 加藤は昔、地元で有名な不良でやんちゃばかりしていたらしい。この流れにぴったりの話題だった。また、龍斗は普段からの恨みもあり、みんながいる場で話題を振ることで逃げられない状況にしたのだ。
「実は加藤さんは昔、超絶の不良だったんです。西塚の狂犬と言われていました」
「何それ〜」「狂犬ってなに〜」スイカと沙耶がクスクスと笑っている。雪村は「西塚って、あの西塚だろ?それはなかなかだな」という。
 龍斗は加藤の恐ろしい視線に気づいているものの、目を合わせないようにして続けた。
「皆さん、この人にナイフ持たせちゃダメです。指全部切り落とされます」
 そうしてもう止まらなくなった龍斗は、加藤の過去について話をする。

 昔、西塚という日本で一番治安の悪い街があり、そこで見るもの全てをナイフで切りつける男がいた。そのナイフ捌きは粗雑で荒々しく、しかし躊躇いのないネジが外れたような太刀筋は、街の猛者たちをも震えさせた。
 その狂犬の名は加藤剛。
 色々あって今はテレビ会社でディレクターをやっているが、当時の面影は完全に消えていない。怒っていたり、酔っ払っていた時に真の彼の姿が見える。
「怒らせちゃまずいですよ。怒らせたら――—」
 と、饒舌に話す龍斗は何かを察し、手前にあったフランスパンを顔の前に立てる。するとそこにテーブルナイフが飛んできてダン!と突き刺さった。
「怒らせたらこうなります」と龍斗は言う。

 そうして加藤の話も大いに盛り上がり、いつの間にか食堂には賑やかな笑い声が響いた。重い空気は一掃されたようだ。

 ただ、そうして歓談を楽しんでいた時のこと。
 突然、ピンポーンと、インターホンのベルが鳴る。

 全員の動きが、同時にピタリと止まった。
 なぜインターホンのベルが鳴るのか。
 彼らは一瞬のうちに思考を繰り広げた。
 外は歩けないほどの大嵐。1メートル先も見えないくらいの激しい雨が降っている。普通に考えてペンションを訪れる人間なんていない。このベルの音は、鳴るはずのない音なのだ。だから誰しも自分の聞き間違いではないかと思った。
 しかしもう一度、その答えを否定するかのようにピンポーン、とベルが鳴る。「オーナーが帰って来たのかしら?」とスイカが言うが、全員どうなんだろう?と首をかしげる。
 ここで、「ちょっと見て来る」と言って立ち上がったのは加藤だった。彼はそそくさと食堂を出ていく。それを見た龍斗も、慌てて「僕も行きます!」と言って彼の後に続いた。

 ピンポーン。としつこく鳴り続けるインターホン。
 加藤と龍斗はついに玄関の前までやって来た。ここで彼らは顔を見合わせて、改めて警戒心を強めた。そうなのだ。彼ら2人は分かっている。この扉の向こうにいるのは、少なくともオーナーではないということ。

 じゃあこいつは一体誰なのか。
 こんな夜中に、嵐のペンションにやってくる人間がまともな人間とは思えなかった。
 加藤はポケットからフォークを取り出して後ろ手に隠し持つ。
 そして龍斗と顔を見合わせて言う。「開けるぞ」龍斗は答える代わりに、黙って頷いた。
 ガチャリ――—。

 すると、目の前にいたのは一人の青年。
 見た目は高校生くらいだろうか?服装はシンプルなTシャツにジーンズ。全身ずぶ濡れで、しかも転んだのか泥まみれだった。
 また、彼の一番の特徴は、その恐ろしいまでの美貌だろう。子供っぽい顔つきだがモデル並みの美しさがあった。髪からも水がしたたり、妖艶な雰囲気を纏っている。

「こんばんは」
 青年はまるでご近所挨拶でもするかのように、平然とした様子でそう言った。
「いやー大変な目に遭った。すみませんが、ここに泊めてもらえませんか?」
 そう言って青年は龍斗たちを見上げ、その美しい顔立ちで頼み事をする。
 あまりの美貌に即決してしまいそうになるが、加藤は冷静だった。
「ちょっと待ってろ」
 彼はそう言って青年をその場に待機させると、一度扉を閉めて龍斗と2人で相談を始める。

 ずぶ濡れの青年。年齢もまだ20歳にもなっていないのではないだろうか?こんな大嵐の中、一体何をしていたのか。どう考えても普通じゃなかった。そんな怪しい人間を中へ入れてもいいのだろうか?また、彼がもし普通だったとしても、自分たちはこれからドッキリの撮影があるのだ。部外者の人間を撮影現場に入れること自体あり得ないだろう。
「でも…放置するわけにはいかねえよな……」
 外の嵐はますます酷くなっている。
 このペンションには使われてない部屋が十分にあった。
 取るべき選択肢は決まっている。

 彼らは再び扉を開けると、青年を中へ招き入れた。「ありがとうおじさんたち。助かった……」。
 2人はとりあえず青年をロビーまで通すと、部屋から持ってきたバスタオルを渡す。体を拭いて、そして着替えは龍斗のを貸し出した。

 Tシャツと半パン姿の青年が、食堂にやって来て改めて挨拶をする。
「お騒がせしましたみなさん。僕の名前は西園寺翔。名探偵さ」
 彼はそうして軽い自己紹介をした。「警察とかと一緒に殺人事件とか解決してます」。

「えーっと、あなたは……名探偵?」
 と、ここで聞き返すのはスイカ。
「コナン君とかに憧れてるの?」
「いえ、憧れとかではなく、僕は名探偵なのです」
「何言ってるのあなた。バカバカしい。名探偵なんているわけないでしょ」
 スイカは彼のことを歓迎している様子ではなかった。
 こんな嵐の夜に、飛び込みでこのペンションにやって来るなんてそれだけで怪しい。なのに、挙句の果てに自分は名探偵であると言い始めたのだ。「コナン君の読み過ぎよあなた」

 ただ、彼は疑われるのに慣れているのか、彼女に向かってこう答える。「僕が名探偵かどうか、それはあなたたちが決めることです。名探偵は周りから与えられる称号なのだから」。
 名探偵かどうかもそうだが、そもそも彼は何者なのか。しばらく彼の身辺調査が続いた。
「お前は怪しい」 
 そうきっぱりと言うのは雪村だった。
 彼は窓の所まで歩いて行って、外の様子を見る。
 外は何も見えないくらいの大雨が降り続いていた。地面はもはや川のような状態で、麓に向かって水が流れている。
「見ろ。外は洪水でまともに歩ける状態じゃない。大型車でもない限り、ここまで来るのは不可能。じゃあお前は一体どこから来たのか?
 ズバリ、お前はもともとこのペンションにいた。もしくはこの近くで潜伏していたんだ」
 雪村は自分の推理を披露する。
「じゃあ次の問題は、どうしてそんなことをするのかだ。普通の人間は嵐の山に潜伏したりしない。
 考えられるとしたら、盗みの計画を立てていた…もしくは重大犯罪でもして逃亡中とか」
「違う!」
 すると、ここで翔は強く否定した。
「僕が犯罪者なら、どうしてインターホンを鳴らす必要がありますか?
 もし僕が盗みとか殺人犯とかで、あなたたちに危害を加えようとしているのなら、そもそも表に出て来ません。隠れながらチャンスを伺えばいいんですから」
 その鋭い指摘に雪村はむ、と口ごもる。
「先ほどあなたは僕がペンションにいた可能性がある、とおっしゃいましたが、それも同じ理由でおかしいですね。隠れていたなら出て来る必要がない。また、さっき聞きましたが加藤さんと龍斗さんがこのペンションを隅々まで調べたのでしょう?僕が元々ここにいた、というのは考えにくいと思います」
 その翔の反論には雪村も素直に認める。「……やるじゃねえか」。

 翔の話には説得力があった。
 彼はどうしてこんな時間に外にいたのかというと、事件の調査をしていたからだという。山で探し物をしていると、突如嵐に見舞われ遭難。体中が泥まみれだったのも山から来たという彼の証言を裏付けている。

 翔は今や四方八方から質問攻めをされていた。
 彼の座っている椅子の周りに全員が集まり、質疑応答している。
 先ほどの雪村のやりとりから派生して、今度はスイカが彼を問い詰める。
「なるほどね。確かにあなたは山から来たのね」「そうです」「じゃあおかしいじゃないの!」「なんで!?」「あなたの発言が本当なら、こんな山奥でなにしてたのよ!嵐の中で!」「だーかーらー、事件の調査をしてたんだって!」
 翔は必死に弁解する。
「僕の推理によるとこの山に、被害者の死体が埋まっているはずなんだ。それを探していたんだ」
「嘘おっしゃい!あなた手ぶらじゃないの!それだったら普通スコップか何か持ってるでしょ!」
「手ぶらじゃないって!嵐で全部無くしちゃったの!」
 彼が何も持っていないのは、遭難中に崖から転がり落ちたからだという。幸い怪我はなかったが、その時に全ての荷物を失い、元の場所にも戻れなくなった。
「そんなに疑わしいなら調べてほしいね。スマホあるでしょ。僕の名前は西園寺翔。探偵事務所は五反田にある」
 と翔は言うが、あいにくこのペンションは圏外となっている。
「圏外なら証明はできないな~」
 と、ここで鬼の首を取ったかのように言うのが雪村だ。
 雪村はもう翔をそこまで疑っていないようだが、彼の必死な様子が面白いのかあえてスイカに同調して煽っている。「ぐぬぬ……!」何も言い返せず、翔は歯を食いしばった。
 するとここで沙耶が言う。
「雪村さん、少し意地悪し過ぎですよ。スイカさんも疑いすぎです」
 そうして彼女は周りをたしなめた。
「私は翔君を信じるよ。かわいいし」「さや姉~~~」


 そうして彼らが翔を尋問していたその頃。
 加藤は玄関ホールのカウンターで電話をかけていた。
 このペンションは圏外だが固定電話がつながっている。彼は局のスタッフと連絡を取り、西園寺翔について調べてもらっていた。彼は現場の責任者として本当に翔が探偵で、不審人物でないことを確かめたかったのだ。
 翔についての情報は、本人が言う通りネットで検索したら簡単に出てきたようだ。

 西園寺翔。
 職業は探偵。事務所は五反田にある。
 高校卒業後すぐに開業し、最年少探偵と言われていて警察にも協力要請が来るほどの実力があるそうだ。また、そのモデルのような容姿から地元でも人気があるとか。
 ホームページの写真を見てもらい、顔の特徴も一致するか聞いてみたがこれも問題なさそうだった。「どうやら怪しい奴ではなさそうだな」。

 食堂に帰って来た加藤は、さっき手に入れた情報を全員に共有する。
 それによりスイカを含め、全員がもう彼のことを疑わなくなった。粗を探すような質問をしても全てロジカルに回答していたし、加藤の追加情報が完全に決まり手となる。
「疑って悪かった。ごめんな」と雪村が言うと、「いえいえ。確かに僕も、こんな怪しい奴がいたら問い詰めますよ。こちらこそすみません」
「とりあえず…酒はどうだ?というかお前、何歳だ?」
「22歳」
「いいぞ、飲め飲め~」
 そうして翔と雪村はワイワイ言いながら酒を飲み始めた。彼らは意外と波長が合うようで、仲良く話をしている。
 翔を仲間に迎えて、再びリラックスした雰囲気が戻ってきた。そのまま全員で楽しい夕食の時間を過ごした。



#4

 食事が終わり、片付けを済ませた後、各々部屋に帰っていった。翔は2階の客室で泊まることとなった。
 龍斗は翔の部屋の鍵を玄関カウンターから取ってきて彼に手渡す。
「部屋まで用意していただき、ありがとうございます」
 翔は鍵を受け取りながらそう言った。
「いいんだ。今日は疲れてるだろ。さっさと温泉入って寝ろよ」
「うん。でも…本当にいいの?」
 温泉は一つなので誰がどの時間に入るか時間割で決めていた。
 翔は一番最初に入ることになっている。彼が最年少ということもあり、みんなで決めたのだ。「こんな部外者が先に入っちゃって…」。
「気にするなよ。あ、でも入るならすぐ入ってね。僕たちこれから撮影あるから。9時以降、地下には絶対に来ちゃダメだよ」
「分かりました」と答えた翔は、鍵を手に2階へと向かった。タオルなどを取りに行ったのだろう。素直な時はかわいい奴だった。

 翔がいなくなり、より静けさが増すロビー。
 龍斗はそのまま待機していると、加藤が2階から降りてきた。
「ちゃんと撮影のこと言ったか?」
「言いました。9時以降ダメって」
「バッチリだ。ちゃんとした探偵だし、話のわかる奴だ。撮影の邪魔はしないだろう」

 彼らは誰も見ていないことを確認すると、忍び足でロビーから食堂へ向かった。食堂の脇には奥へと続く廊下が伸びており、そこにはトイレや清掃用具の倉庫が並んでいる。さらに、廊下の突き当たりにはもう一つ部屋があり、扉の前に『スタッフルーム』と書かれたプレートが掲げられていた。二人はできるだけ音を立てずにその部屋に入った。

 スタッフルームは6畳ほどの狭い部屋だった。壁に沿って1台のベッドが置いてあり、その反対側の壁には本棚が置いてある。本棚は少し大きめで成人男性くらいの大きさなので、ベッドと合わせて部屋を大きく占領していた。おかげでこの部屋にはなにか作業をするようなスペースなどない。寝るか本を読むことしか出来ないだろう。

 加藤は部屋に入ると、迷うことなく本棚に向かって歩いていった。
 まるでその他のものは一切見えないという風に、真っ直ぐその正面に来ると、そこにある一冊の本を手に取ろうとする。
 宮部みゆきや伊坂幸太郎、さまざまな人気作家が並ぶ中、彼が選んだのは『量子力学(I)』という本だった。
 周りがミステリや純文学の中で一つだけ明らかにジャンルが異なる専門書。
 ただ、加藤がその本に指をかけ、少し傾かせたその時だった。
 ゴト、と本棚の裏側でかんぬきの落ちる音がした。
 すると驚くべきことに、本棚は中央を支点にゆっくりと動き始めたではないか!
 本棚はゆっくりと回転し、そこには人がやっと通れるくらいの隠し入り口が現れた。加藤と龍斗は黙ってその中へと入って行った。

 隠し扉を通った先は、モニタリング室となっていた。
 細長い廊下のような空間で、壁一面にはモニターが並んでおり、青白い光を放っている。画面には地下に作った祭壇部屋の映像が、いろんな角度から映し出されていた。
 今、祭壇部屋の明かりはついていない。だから、普通ならモニターは真っ暗で何も映らないのだが、はっきりと部屋の様子が映っているのは暗視モードのおかげだ。カメラは高性能なので部屋が暗いと自動的に暗視モードに切り替えてくれる。映像はぼやけるが、それが逆に不気味な雰囲気を与えている。

「しかしいつ見ても凄いですねこの部屋…」
「全ての経費をここに使ったからな。まあ本当のことを言うと、それだけじゃ足りなかったから自腹で500万出した」
「マジですか…」
「祭壇とこの部屋だけで、金は全部尽きた。おかげで人件費もないからスタッフはお前だけ。頼むぜ、龍斗」
「加藤さん、一生付いていきます…!」

「よし。じゃあ早速だが龍斗、蝋燭を点けて来てくれ。カメラと音声の最終チェックを俺はやる」
 いよいよ真の目的であるドッキリが始まるのだ。
 加藤の言葉に、龍斗も「はい!」と勢いよく返事をすると、机の上に置かれている工具箱からチャッカマンを取り出した。それをポケットに入れて、彼は部屋の奥へと向かう。そこには床下扉があり、祭壇部屋に直通しているのだ。
「よいしょっと」 
 床のハンドルを引き上げると、そこから現れたのは暗闇へと続く穴と、折りたたまれた金属製の梯子。
 ガシャン。
 龍斗は梯子を下方へ展開し、そのままそれを伝ってゆっくりと降りていった。

 タン、タン、タン、タン、タン……。 梯子と黙々と降りていく龍斗。暗闇の中で、小気味のいい音が響く。「…………」
 この時、彼は少し恐怖を感じていた。
 実は龍斗は、あの祭壇が苦手だった。
 祭壇を作った本人だと言うのに、見るたびにその迫力に圧されて寒気が走るのだ。もはやドッキリとは思えないリアリティがあった。今にもその向こう側から悪魔のうめき声や、死霊の怨念が聞こえて来てもおかしくない。
「……気味が悪い」
 龍斗は次から次へと浮かび上がるそんな妄想を振り切りながら、慎重に梯子を下りて行った。

 梯子で降りた先は、祭壇のちょうど真後ろとなっていた。
 フローリングの床に降りてくる龍斗。そのまま彼はチャッカマンを使い、祭壇の蝋燭に火を点けた。全部で100本以上もある蝋燭全てに火を点けると、まるでキャンプファイヤーのように炎の色で染まる。
 そして今、龍斗は祭壇の正面に回って、それを改めて見返した。
 
 漆黒の台座の上に、突き立てられた何十本もの剣。台座も獣の爪や髑髏などの装飾が施されていて非常に攻撃的だ。誰がどう見ても邪悪だろう。龍斗が点火した大量の赤い蝋燭は、もちろん生贄の血をイメージさせている。
 加藤はこの祭壇を作ったコンセプトとして、「武器は怖い。怖いものを祀っているともっと怖いだろ?」と言っていた。こうして完成形を見せられると言葉の説得力が増す。変な邪神や他の宗教的なアイテムよりも、現実に存在する武器というのはよりリアルな恐怖を感じさせる。

 龍斗は祭壇に近づき、台座の上の剣に触れる。
 この祭壇は局の美術スタッフと一緒に1ヶ月かけて作り上げた。剣は全て鋼で出来ていて、下手をすれば本物の武器としても使えるだろう。
「…………」
 あまりのリアルさに言葉が出ない龍斗。製作者の自分が一番、これが作り物だと理解しているはずなのにそうとは思えない存在感。「なんなんだこのオーラは……」。

 祭壇の準備も終わった。あとはカメラを回すだけ。
 龍斗は祭壇部屋をざっと見渡し、どこにも異常がないことを確認すると、再び梯子を上ってモニタリング室へと戻った。 
「お、ご苦労さん」
 モニタリング室では加藤が最後の点検を終えて待っていた。
「見ろよ。いい感じだ」
 そう言って彼はカメラの映像を指差す。
 今や、祭壇には蝋燭の火が灯り、その禍々しい全体像を浮かび上がらせていた。モニタリング越しにも、祭壇のリアルな迫力が伝わってくる。
 龍斗は武者震いした。
 加藤はここまでのものを作り出してしまったのか。もし自分がターゲットだとして、こんなものを見せられたら嫌でも最高のリアクションを引き出されるに違いない。このドッキリは、間違いなくテレビ史に残るドッキリになる。モニターの前でふんぞりかえる加藤の背中が、これほど大きく見えたことはなかった。 
 
 しかし、そうやって龍斗が感慨深い気持ちになっていたまさにその時。
「うわ……なにこの祭壇…怖ッ……」
 気づくと隣に翔がいた。

「ドッキリにしては手が込んでるね~」
「お、お前……!ここで何をしている!」
 真っ先にそう叫んだのは加藤だった。
 彼は驚きのあまり椅子から崩れ落ちそうになる。
「どうやってここに来た!」
「どうって……普通にそこから」
 そう言って指さすのは龍斗たちの使った隠し扉だ。
「後をつけて来たのか」
「まあね。君たち、何か隠してそうだったから」
 そうやってはっきり指摘されると、こちらとしては何も言い返せなかった。
「よく仕掛け扉に気づいたな」
「いや〜あれは僕じゃなくても鋭い人なら気づくよ」
「どうして?」と龍斗。
「だって、あんな狭い部屋に、本棚があるのが変だからだよ」
 翔の話によると、あの部屋はもともとそこまで広い間取りではない。用途としてはスタッフの仮眠室のようなものだ。だが、そう考えると本棚の不自然さが際立つ。これだけが部屋の中で明らかに浮いているのだ。「怪しいと思って本棚動かそうとしてみたけどビクともしない。本棚がビクともしないなんておかしいでしょ。そんなに重い本が入っている訳でもないのに。で、仕掛け扉だなって思って、調べたらすぐにわかった。量子力学。トンネル効果とかけているのかな?」
「……正解だ」
 加藤はすぐに降参ポーズをとり、流石は名探偵、と彼の力を認めた。

 仕方なく、加藤は翔に全ての計画を打ち明ける。
 これは『ほんわか田舎旅』などという番組ではなく、ドッキリ番組である。内容は、偶然泊まったペンションの地下に怪しげな祭壇があったらどうする?というものだ。
 ドッキリの流れは以下の通り。まず、ターゲットは温泉に入るために地下へ向かう。ロビーの階段を降りると、約50メートルの廊下が伸びており、その突き当たりが温泉の部屋になっている。
 重要なのは、この廊下のちょうど中間に別の部屋へ続く扉があることだ。その扉の先が、例の祭壇部屋である。
 ターゲットが温泉から出て、自室へ戻るためにこの廊下を通る。その際、祭壇部屋の扉は半開きになっている。温泉に向かうときは閉まっていた扉が、帰りには開いているのだ。気にならないわけがない。誰だって半開きの扉があれば、覗いてみたくなるものだ。帰り道の途中なのだから、少なくとも部屋の中をチラリと見るだろう。
 そしてチラ見すれば最後。あの恐ろしい祭壇が待ち構えているのだ。ポーカーフェイスなんて絶対に出来ない。廊下にも何台も隠しカメラがセットされているので、ターゲットがどんな反応をするのか、その表情を撮りこぼすことはないだろう。
 ひとしきり驚かせた後で、龍斗がドッキリ看板とカメラを持って突撃し、ネタ晴らしをするというのが一連の流れだ。

 企画概要をざっと聞いた翔は、黙ってふむふむと頷いた。驚きはほとんどなかったことから、大方そんなことだろうと推測していたに違いない。
「しかしこの祭壇のクオリティは凄いね……」と翔もそう呟いた。映像越しに、その迫力は伝わっているようだ。また、彼は剣の素材が鋼であると知ると、「リアルすぎるな……。銃刀法とか大丈夫かこれ?」と心配し始めるほどだった。ちなみに銃刀法については、加藤によると問題ないらしい。

「よし。もう質問はないな。とにかく、そういうことだからお前、絶対に誰にも言うなよ。ただでさえ泊めてやってるんだ。邪魔にならないように今日の夜から明日までずっと部屋に引きこもってろ。こっちは遊びじゃねえ。仕事なんだ」
「分かってますよ。結果的に良かったでしょ?僕は名探偵。もしこのままドッキリを進めていたら、いろいろ嗅ぎまわって台無しにしていたところです」
 それは確かに一理あるな、と龍斗は思った。探偵のような奴は下手に隠して探らせるより、仲間に引き込んだ方がいい。

「あ、でもせっかくだし、看板やってもらいましょうよ」
 と、ここで龍斗はあることを思いついた。
 ターゲットを驚かせた後、龍斗がネタばらしをする計画だが、この時彼はドッキリ看板とカメラをどっちも持たなければならない。本当はカメラに集中したいが、なにぶん人手不足だった。加藤はモニタリング室で指示を出す必要がある。
 そこで、翔に看板役をしてもらうというのが龍斗の提案だった。看板を持ってテッテレーするだけなら誰でもできる。翔にそれをしてもらって、自分はカメラに専念する。

「お前、成長したな」 
 加藤は即決でその案を採用した。加藤もドッキリ看板とカメラを一人でこなすのは難しいと感じていたからだ。リハーサルで何回かやって、形にはなっていたが不安は残る。彼としても大いに賛成だった。

 しかし、そうして盛り上がる龍斗たちの様子とは裏腹に、翔の反応はいまいちだった。
「なんで僕がそんなことを……」
 龍斗は翔がまさかそんなことを言うとは思わなかった。
「なんでだよ」と彼は言う。「こんなこと滅多に経験できないぞ?テレビだぞ?」。普通の人はテレビには出られない。テレビ業界に携われるチャンスなんて一生にあるかないかだ、と力説する龍斗だったが、翔の反応は変わらない。

「ドッキリって、あんまり好きじゃないんですよね」と翔は言う。
「人の裏側を暴く、みたいなこと、ちょっと傲慢というか。週刊誌みたいな悪趣味な感じ」
 それを聞いた龍斗は、綺麗ごとを言う奴だ、と思った。裕福な家庭で、社会の闇も知らずに育って来たのだろう。
 ただ、そうは思っても口には出せない。翔の言うことは間違ってはいないからだ。
 するとここで加藤が言う。
「この真面目人間が。お前みたいな奴は楽しめねえよ」
 加藤はわかってねえな、という表情でこう続けた。
「お前は悪趣味と言ったが、そうだよ。テレビを見ている奴らは悪趣味なんだ。週刊誌も悪趣味だから売れる。人は人の裏側が好きなんだ。お前みたいなまともな奴は、好き勝手に言ってくるがな。こっちからするとなにを今更、という話だ。じゃあお前らの言う『クリーン』な番組を作っても、お前らはテレビ見ないだろうが」

「……………」
 その言葉に翔はしばらく沈黙した。加藤はこの手のことは言われ慣れている。龍斗はいつもそれを側で見ていた。探偵に対してここまで言い返せるのは彼の振り切った覚悟の成せる技だ。

 そうして10秒ほど黙り込んだ翔。
 そして口を開いたと思うと「失礼しました」と彼は言う。「確かにテレビは見ないです。その通りです」。
 加藤の言い分に納得したのか、翔はそう言って頭を下げた。「ドッキリ撮影……協力します」。
「頼んだぞ」と加藤が言った。



#5 

 ついに雪村の入浴時間となる。このロケの最大の目的、ドッキリの時間がやって来たのだ。
 雪村はロビーから階段を降りて、地下廊下へとやって来る。廊下には絵画や観葉植物、ソファなどが置いてあり、それらを珍しそうに眺めながら彼は歩く。そしてそのまま突き当たりまで歩き、暖簾をくぐって温泉に入った。
「ターゲット、入浴中です」「よし。各自配置につけ」「了解です」

 雪村が温泉に入っている間に、龍斗と翔はモニタリング室から梯子を使って祭壇部屋まで降りて来る。そのまま部屋から出て、扉を半開きにセットする。これで準備は完了だ。温泉から戻って来た雪村がこの廊下を通る時、部屋の存在に気が付くはずだ。

 ただここで、翔はあることに気づく。
「待ってください。あれ、どうするんですか?」
 と、彼が指差すのは先ほど使って降りて来た梯子。今、それは出しっぱなしの状態だった。
「このままだとバレちゃいますけど?」
「あっぶね。忘れてた」
 龍斗はそう言うと、すぐに祭壇裏の梯子のところまで戻った。
 そして梯子のすぐ側の壁を、点字でも読むかのように手で触れながら調べる。
 しばらくして、「あった」と言う龍斗。彼は壁のある一点を指差した。そこには小さな突起があった。壁の色でカモフラージュされた隠しボタンだった。
 龍斗がそれをポチ、と押すと、ウィーーーーーンという音とともに梯子が上に昇っていくではないか!
「もう一度押せば逆のことが出来る」
「おーー。それで昇降できるんですねー」
「その通り」
 最終的に梯子は全て収納されて、天井の穴もオートで閉じられることで、何もない状態に戻る。翔は感心しつつも、「金かかってるなー」と言った。

 梯子を収納し、再び祭壇部屋から出て来た2人。もちろん扉を半開きにセットし直す。これで準備は完了だ。彼らは雪村が来るまで待機することになる。

 廊下は全体的に高級風の内装をしていた。床一面には深紅のじゅうたんが敷かれ、柔らかな感触が足元から伝わる。
 祭壇部屋の扉から少し離れた所に、灰色のモダンなソファが置いてあった。龍斗たちはこの裏に影を潜めた。ソファは人が並んで3人ほどくつろげるどっしりとしたタイプなので2人が隠れるには十分な大きさだった。
 龍斗は撮影用のビデオカメラの準備を済ませ、翔にドッキリ看板を持たせて簡単なレクチャーをする。
「いいか?タイミングが来たら同時に部屋に駆け込むんだ。僕の後に続いて欲しい。僕がまずターゲットの表情を至近距離で撮る。
 その後、君が画角に割り込むように君が入ってきて看板をターゲットに向かって突き出すんだ。ターゲットの顔と、この看板が映れば十分だ。君はとにかくターゲットの側でこの看板を掲げていてくれ。画角とか構図とかは僕の方でなんとかする」

 そうして翔と最後の打ち合わせをしていたその時。
「おいお前ら、準備はいいか?雪村来るぞ」
 龍斗のインカムから加藤の声が流れてくる。龍斗は応答ボタンを押しながら「こちら準備OK。いつでも大丈夫です!」と答えた。
 そして加藤の言う通り、間もなく雪村が『♨』の文字が書かれたのれんをくぐり、龍斗たちの潜む廊下に出て来る。
 加藤が言う。
「よし。ドッキリ開始だ!気合い入れてけ!」

*          *          *


 雪村は今、直線の廊下を歩いていた。
 雪村はペンションで用意された浴衣を着ている。頭にタオルを巻いており、ほくほくした表情で歩いている。
「ん、なんだ…?」
 廊下をちょうど半分歩いたところで、ふと、彼の足が止まる。
 彼は気付いたのだ。
 廊下の途中にある扉が、なぜか少し開いている。
 彼は来る時にこの廊下を通っているので、扉の存在は知っていた。用事もないので入ったり覗いてみたりなんてことはしなかった。
 ただ、ここで気になるのはその時はきちんと閉じられていた扉が、今はなぜか半開きになっているということ。
 それが意味するのはひとつ。
「誰かいるのか?」

 雪村は恐る恐る扉に近づき、中の様子を見てみる。
 するとその瞬間!彼が目にするのは邪悪なオーラを放つ祭壇と、それを囲う大量の赤蝋燭である!
「うおっ!!!なんだ?!」
 驚愕の表情で、思わず声が漏れる雪村。
 いつも映画で見ているようなクールさとは全く異なり、パニックになっているようだ。「これは…何かの邪教か?」。
 誰もいない廊下で一人、右往左往している雪村。
 ただ、そうしてパニックになりながらも彼は部屋の中に入る。この部屋は一体なんなのか。彼のような人間は調べないわけにはいかなかった。
 その一部始終をモニタリング室で見ていた加藤は、モニターを見ながら高笑いして言う。「いいねえ!次の仕掛けいってみよー!」。

 雪村は部屋に入ると、周囲を警戒するように見渡した。
 そこは30畳くらいの部屋。
 まさにそこは祭壇部屋で、入って正面にある祭壇と蝋燭、それ以外には何もなかった。「なんなんだこれは……」。

 するとその時だ。
 扉が急にバタン!と閉じて鍵がかかる。 
 それはもちろん、廊下に隠れていた龍斗たちの仕業だ。
「な、なんだとおおおお!」
 慌てて部屋から出ようとした雪村だが、外から鍵がかかっているので出られない。「トラップか!」
 扉を拳で叩いてもびくともしない。部屋を出るのを諦めた雪村は、周囲を警戒しながら言う。
「誰だ……出てこい!」
 
 ………しかし、部屋は全く静かなものだった。人の気配は感じない。
 彼は再び扉を開けようとドアノブをひねるが、鍵はかかったままだった。 どうしようもない雪村は、とりあえず祭壇を調べることにする。

 黒い大理石の台座に、何本もの剣が突き刺さっている謎のオブジェ。剣は光沢のある金属で出来ていて、蝋燭の炎影を映していた。
「ペンションの地下になぜこんなものが……?」

 ただ、そうやって眺めているのもつかの間。
 彼が真剣な表情でその台座を調べていたその時、
 突如、台座の下からモクモクと黒い煙が立ち昇る!

 煙は途切れることなく台座から噴出された。天井に登った煙はそこで溜まり、部屋をじわじわと侵食していく。
「うおおおおおっ!」
 驚きのあまり大きな声を出す雪村。彼はバク転して一瞬の内に祭壇から距離を取った。「毒ガスか…!?」。
 雪村は浴衣の袖を千切って即席マスクを作り装着する。
 部屋を徐々に覆い尽くしていく黒煙。彼はここからどう生き残るかを必死になって考える。
「このままだと……死ぬ…!」

 だが、次の瞬間だった。
 まるで劇場のように、スポットライトの光が雪村に当たる。
 暗闇の中から、彼だけを丸く光が切り出した。
 そしてそのライトアップと同時にバン!と扉が開くと、部屋に飛び込んでくる2人の人影。
 それはもちろん龍斗と翔だ。
 翔が雪村の側まで行って、ドッキリの看板を見せて言う。

「テッテレー!」

 赤色を下地に、黄色い文字で『テッテレー』と書かれた看板。
 雪村は完全に思考停止状態で、真顔でその場に突っ立っている。

「…………」
 数秒後の沈黙。
 地下で見つけた異常な祭壇。テッテレー看板。自分に向けられたカメラ。
 短い時間の中で、雪村は全てを理解したようだ。彼はたまらずこう叫ぶ。「なんなんだよーーーーー!」
 そう言って彼は安堵の表情を浮かべてその場で胡坐をかいて座った。「お前ら許さん……!」。
「ドッキリでした!どうでした?」
「流石に怖すぎる。このドッキリは。やりすぎだろ!」
 雪村は悔しそうにそう言った。「妙にリアルな祭壇だし。最悪な奴らだ」。

 そうしてしばらく雪村のドッキリ後の余韻をビデオに収めた龍斗たち。
 インカムで加藤から撮影終了の合図が出る。「はいオッケー。雪村連れて戻ってこい」。
 そして龍斗たちは祭壇裏に回って、壁にカモフラージュしているボタンを押して梯子を下ろす。「はー。こんな仕掛けまであんのか。このドッキリに賭けすぎだろ」
 雪村は梯子を上っている間にも、龍斗たちにぶつぶつと文句を言っていた。
「せっかく温泉入ったのに汗かいたぜ」「お前らこんなことされてみ?」「性格の悪い奴らめ」

 モニタリング室に着くと、ご機嫌な加藤がみんなを迎えた。
「いやー雪村君いいリアクションだったよ」
「クソ……そういえば思い出した。加藤Dっていったらドッキリだ。コンプラ上等のチンピラディレクター」
「はっは。俺はそんな風に言われているのか」
「昔、共演した芸人さんから聞いたことがある。なんで思い出せなかった…」
「おお、あぶねえな。一応ターゲットには、俺のことを知らない人間を選んだ。人によっては俺がいただけでドッキリと思い込むからな」
「噂に恥じないドッキリだったぜ…」

 モニタリング室で感想戦をしながら、次のドッキリの準備をする龍斗たち。 祭壇部屋に増設された強力な空調システムによって一瞬にして部屋の空気が入れ替わる。噴出した黒煙は排出され、臭いすら残らなかった。

 そしてまたしても次のターゲットがやって来る。
 スイカは呑気に廊下を通って地下温泉へと入って行く。加藤が合図をし、各自持ち場につく。
 龍斗&翔ペアは再び祭壇部屋に降りて行った。雪村の時と同じようにドッキリのセッティングをしてから、廊下のソファに隠れる。

 1時間後。
 ついにスイカが温泉から出て来る。翔と駄弁っていた龍斗に、加藤からの通信が入った。「おい、来たぞ。お前ら準備は出来てるか?」。
 完全に気を抜いていた龍斗たちは慌てて居直り、ソファの陰から廊下の奥を覗き込む。ちょうどスイカが、温泉入り口の暖簾をくぐって出て来るところだった。
 龍斗は加藤に連絡する。
「こちら問題なし。スイカさんに一泡吹かせましょう」


「きゃああああああああああああああああああ!」
 スイカは祭壇部屋を覗くなり、絶叫して驚いた。
「なにこれえええええええええええ!」
 スイカはそのまま廊下をキョロキョロと見渡し、「だ、誰かきてええええええええええ!」と叫ぶ。
 しかし、そこは地下室。客室は2階以上なのだ。スイカの声がいくら大きくても分厚い地下の岩盤に音は完璧に吸収されてしまう。
 廊下で叫び続けるスイカ。それをモニタリング室で見ていた加藤は涎を垂らすほどに興奮していた。スイカのリアクションは彼のドッキリ人生においても稀に見る迫真さで、純粋な彼女の心がこれを引き出したのだ。
「いいぞ!叫べ!もっと叫べ!これからスイカはドッキリに引っ張りだこになる。ガハハハハハハ!」
 加藤は下品な笑い声をあげて椅子から立ち上がり、腰を振って踊り始めた。
 一方スイカは、相変わらず何かを叫びながら震えて足が動かないようだ。鼻水もたれ始めている。廊下に待機している龍斗としては部屋に入ってほしい所だが、この反応だとそれはあり得ないだろう。これだけ本気で恐怖しているのに、わざわざ祭壇に入るなんておかしい。やらせでもない限りそれは絶対に起こらない。

 加藤もモニタリング室からその状況を汲み取っていたようだ。これ以上は続けても仕方がない。走ってこの場から逃げられることの方が嫌だったので、加藤は急遽予定を変更。このまま最後まで一気に畳みかけることにする。「黒煙噴射やっちゃうよー!」。
 そう言いながら加藤はスイッチをポチ、と押した。雪村の時と同じく、祭壇の台座から邪悪な黒煙がゆらゆらと立ち昇る。

 スイカは扉を開けたところで突っ立っていた。
 彼女は黙って祭壇を眺めている。
 台座からは黒煙が上り、天井に雷雲のように溜まっていく。
 ますます禍々しさを増す暗黒祭壇。
「………………」
 今や、スイカは黙ってそれを見ていた。あれだけ叫んでいたにもかかわらず、すっかりと大人しくなってしまっている。
 加藤もモニタリング室からその様子を見て「あれ、どうかしたのか?」と疑問に思った。

 だが、次の瞬間────。
「エンッ!」
 スイカはそう一言。
 彼女は廊下の絨毯にどさりと倒れると、そのまま動かなくなった。

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
 モニタリング室で猛り狂うのはもちろん加藤だ。
 スイカは失神したのだ。失神という最大級のリアクションを引き出した加藤は、ほぼ絶頂に達した。これほどまでに自分の企画がうまく行くとは思わなかった。

「加藤さん!スイカさんが倒れちゃいました!」
 踊り狂っていた加藤の所に、龍斗からの通信が入る。
「ああ、とりあえず部屋の中に運べ。容態はどうだ?」「気を失ってるだけのようです。今、翔が診てます。外傷もなさそうです。廊下の床が絨毯だったのが幸いってところですかね……」「ヨシ!それなら全然オッケー!」
 そして興奮冷めやらぬ様子でガッツポーズをする加藤。
 それを横目に見ていた雪村がこう呟く。「何がオッケーだ。これ放送できんのか…?」。

 それから3分後、ようやくスイカが目覚めた。
 加藤の指示で、わざわざ部屋を暗く閉め切って、スポットライトで彼女のスターか何かのように照らしてから撮影した。何が起きているのか混乱する彼女に、ドッキリの看板を見せる。
「テッテレー!」
 
 彼女は目覚めてからしばらくは、呆然としていたが、ドッキリと理解してからは怒り狂うように喋った。
「このゲスども!」「地獄に落ちなさい」「最悪なドッキリ。人でなしよあんたたちは!」
 怒り狂うスイカをしっかりと映像に納め、龍斗たちは彼女を連れてモニタリング室へと戻ってくる。
 加藤はスイカを見るなり彼女の手を取って「ありがとう。最高の映像が撮れた」と恍惚した表情でそう言った。
「ふん。最低な男」と完全に機嫌を損ねるスイカ。

 順調に進むドッキリ撮影。
 ここで沙耶のドッキリが始まるまで、しばしの休憩時間となった。
 モニタリング室には雪村もいるので、沙耶以外の全員がこの部屋に集まったことになる。
「本当に何をしてるのかしらこの人は」
「スイカさん。こいつは頭のネジがイカれてるんだ」
 雪村とスイカは2人で加藤の悪口を言っている。
 加藤は最高の映像が撮れたと気持ちよくなって話を聞いていないので、龍斗が代わりに謝罪する。
「すみませんスイカさん。そこまでとは想像できず……。頭とか、打ってませんか?大丈夫ですか?」「もういいわよ!本当に怖かったわ~」「技術の無駄遣いだ」と雪村も言う。
「あはは。いや本当にすみません。でも局の技術班って凄いですね。改めて思いました。煙もそうだけど、モニタリングとかスポットライトも本格的です」
「全く。この執念は認めるが、流石にやりすぎだよ…」と雪村はチクチクと龍斗たちを批難した。スイカほどではないが、彼も相当ビックリしたのだろう。

 ただ、それでも全く反省の色がないのが加藤という男。
 過激なドッキリをして炎上?彼はもう何年も、その手の批難を受け続けていたのだ。何を今更と加藤は雪村たちに反論。ここでテレビ議論が勃発する。
「お前らは何もわかっていない。これくらいしなきゃ、今の視聴者はついてこねえ!」
「ついてこないって、それがテレビ離れの原因だ!今の時代、テレビ以外にも娯楽はたくさんある。その傲慢さが人々を遠ざけている」と雪村。「そーよそーよ!」。
「うるせえ!テレビが娯楽のトップなんだ!なにがテレビ離れだ!そんなもの、面白い番組がないだけだろ。だから俺が作るんだ。そして視聴者に見せつける!」
「それですよ加藤さん!」
 と、ここで龍斗が加藤に加勢する。
 龍斗はさっきまでやり過ぎたかなと反省していたが、加藤の情熱に当てられて罪悪感がどこかに吹き飛んでいった。いくら取り繕っていても彼は加藤の弟子である。加藤が炎上した時もスポンサーに見限られた時もいつも側にいた。それはつまり、彼自身も、今の腑抜けたテレビ業界は気に入らなかったと言うことだ。
 龍斗は言う。
「僕も最近のその風潮には飽き飽きしてました。僕らで作りましょう!娯楽のトップはテレビだ!」

「それは違う」と、ここで反論するのが翔。
 さっきまでずっと黙っていたが、雪村とスイカという仲間を得て自分の正当性を再認識したのだろう。ここでついに口を開いた。「テレビはオワコン。やらせと偏向報道しかしない」。 
 それからしばらくテレビ論争は続いた。
 加藤は熱弁する。
「影響力はテレビが一番だ。朝番組のコーナーで商品が紹介されれば、昼にはその商品は売り切れる。テレビは世の中を動かす力がある」
「今はそうかもしれないが、数年後にはそんなこともなくなる」と雪村。「うるさいバカ」「お前の方がバカ」「バーカバーカ」

 そんなことをしている内に、沙耶のドッキリの時間になる。時間潰しには十分な議論だった。
 今、沙耶は廊下を通って温泉へ入ったようだ。
 加藤は瞬時に脳を切り替えると、この場にいる全員を集めて撮影の準備を開始する。

 実は今回、沙耶は大トリというのもあり今までのドッキリをさらに発展させたものを行うことになっていた。
 内容は、途中まで同じで最後の黒煙噴射の前に、スイカと雪村に部屋に入ってもらうというものだった。
 謎の祭壇部屋を見つけて、中に入る沙耶。その時に、偶然を装って雪村たちが部屋を訪れ、あたかもこの儀式を行っているのは沙耶だと勘違いして彼女を責め立てるのだ。沙耶にとっては恐ろしい祭壇を見ただけでなく、なぜか自分がその儀式をしていたと疑われる2重ドッキリになっている。

 すると、ここで翔があることを指摘する。
「でもその場合、沙耶さんが部屋に入らないとダメじゃないですか。スイカさんみたいに部屋の外で気絶されると計画が破綻します」
 それはもちろんその通りだった。
 だが、その場合も加藤は想定済みではある。「それならもう仕方ない。潔く諦める。編集で順番を入れ替えて、沙耶→雪村→スイカの順番にする。失神ENDでも面白すぎるからな」「まーた人のことをバカにして……!」と加藤を睨みつけるスイカ。

 けれど、そんな散々な目に遭っているスイカもテレビ業界には慣れているようで、加藤の2重ドッキリには協力的だった。雪村も仕掛け人を引き受けてくれる。
「なんか八つ当たりみたいで心苦しいわね…」とスイカが言うも、雪村が慰める。「所詮ドッキリですよ。ネタ晴らしの後、みんなで飲み直しましょう」「そうね」 

 黒煙の換気も完了し、いよいよ各自持ち場につく。
 今までは龍斗と翔が祭壇前のソファで待機していたが、今回はそこに雪村とスイカが隠れる。
 龍斗たちは最後の最後まで登場しないので、地上へ上がる階段の裏に待機した。階段の裏には人が数人入れるくらいのスペースがあり、バケツやモップなどの清掃用具が置いてあるのだ。
 祭壇部屋までは遠く、当然ここからでは中の様子は見えない。しかし龍斗はインカムがあるので突撃タイミングは加藤が指示することができる。その辺の采配もバッチリ。加藤は内容はともかく、仕事の出来栄えに関しては申し分のない男だった。

 改めてドッキリのイメージトレーニングをする龍斗。
 階段の陰から顔を出し、直線の廊下を見渡す。
 こちらからだと、ソファの陰に隠れている雪村とスイカが見える。ソファの近くには祭壇部屋への扉。そしてさらに奥の突き当たりには温泉マークの描かれた暖簾がある。
 そして今、ちょうどそこから沙耶がひょっこりと顔を出した。
 同時に龍斗のインカムから加藤の声が聞こえた。 
「来たぞ!最後のドッキリだ。楽しんで行こうー!」


 沙耶が廊下を歩いている。
 彼女は今、紺色の浴衣に赤色の帯をしていた。サイズが小さいのか彼女の胸元が収まらず、谷間が見えてしまっている。カメラを意識していないがゆえに、煽情的な姿となっていた。「青少年には見せられないな…」と思わず龍斗が呟く。

 そして彼女も思惑通り、祭壇部屋の前で足を止めた。
 来る時は閉まっていたはずの扉が、半開きになっている。
 沙耶は「あれ…なんだろ」と呟くと、吸い寄せられるようにその中を覗き込んだ。

「……………」
 しかし、残念ながら彼女のリアクションは、誰もが期待していたものと異なった。彼女は部屋の中を覗き込んだまま、硬直してしまったのだ。
 雪村のように警戒することもなく、スイカのように悲鳴をあげることもなく、時が止まったかのような完璧な静止。

「そっちパターンかー!」
 モニタリング室でそれを見ていた加藤は思わずそう叫んだ。「怖すぎて声も出ないパターンね。くぅ~、もったいない!」。
 加藤の考えでは、バラエティのリアクションは大きければ大きいほどいい。特にテレビでは、小さいリアクションだと何をやっているのか分からない。それはつまらないよりも悪く、一番視聴者を冷めさせるものだった。その考えからすると、沙耶のリアクションは最悪だと言えるだろう。

 見た目もよく、バラエティにも引っ張りだこの彼女だからこそ、期待をし過ぎてしまったようだ。加藤はモニタリング室で独り、がっくりと肩を落とした。「これは……ダメだな……」。
 さっきから部屋を覗いたきり、全く動かない沙耶。
 それを見て加藤は計画変更するか考え始める。シナリオ通り雪村たちの2段階ドッキリを実行しても、この反応を見る限り面白くはならない。それだったらいっその事、最後の黒煙噴射をして恐怖の上からさらに恐怖を塗りつけるのはどうだろう。スイカのように失神すれば名作になる。ダブル失神が見られたら流石に視聴者も満足するだろう。

 しかし、そうして失望し諦めムードの加藤だったが、ここで興味深いことが起きた。
「お、マジか」
 身を乗り出してモニターを見る加藤。
 というのも、なんと沙耶が祭壇部屋へと入っていたのだ。
 咄嗟に反応できないくらい怖いものを見たのだ。普通の心理なら絶対に部屋には入らないだろう。しかし、彼女はどういうわけか恐怖の祭壇部屋に自らエントリーしたのだ。

 これには流石に加藤の情熱も再燃する。さっきまでは撮れ高なしかと思っていたが、その先にあるのかもしれない。スイカの失神を超える究極のリアクションが!
「沙耶……見せてくれ…お前の本気の反応リアクションを……!」

*          *          *


 一方その頃、階段の下にいる龍斗たちはというと――—。

「あ、入って行った」
 そう呟いたのは翔だった。
 翔は階段の陰から少し顔を出して廊下の様子を見張っていた。
 それを聞いて慌てて龍斗も顔を出し廊下の先を見遣る。
 確かにさっきまで扉の前にいた沙耶がいなくなっていた。 
 
「意外だな」と龍斗は言う。
「あの様子は相当ビビってたはず。だから絶対入らないと思った…」
「僕もですね。このままドッキリ中断で、沙耶さんがこっちに逃げて来て終わりかと」
 ただ、加藤からは何の通信も入っていない。これが意味するのは、計画はそのまま続行ということだ。
 そして今、まさにそのことを示すかのように、ソファの裏から雪村とスイカが飛び出して祭壇部屋に突入する。2段階ドッキリが始まったのだ。

 龍斗は翔に言う。
「僕たちも行こう。いつでもネタばらしできるように」 
 龍斗たちは階段下から出てくると、早足で廊下を進んだ。
 さっきまで雪村たちが隠れていたソファまで辿り着き、そこに身を隠す。 
 今、扉は閉まっているので部屋の中は見えなかった。ただ、それでも特に問題はない。加藤から一番いいタイミングで突入の合図が来るはずだからだ。

 部屋の中から聞こえてくるスイカの声。雪村も何かを捲し立てている。ドッキリは上手く進んでいるようだ。
 あとは自分たちのネタばらしさえ上手くいけば、ドッキリは大成功で終わるだろう。
「長かった……」
 龍斗はこの数ヶ月ずっと加藤と準備してきたことを思い出して少し涙腺にくる。
 だが決して油断してはいけない。終わり良ければすべて良し。逆を返せば、終わり悪けりゃ全て悪し。最後まで気を抜いてはいけない。

 龍斗は自分のビデオを再確認した。バッテリーはOK。メモリ容量もあと10時間以上ある。「よしっ」指差し確認でチェックをする。
 彼は後ろを振り返って翔の方を見た。彼の手にはしっかりと「テッテレー」の看板があった。「よしっ」。看板を指差してチェックをする。

 全てのチェックが終わった。
 泣いても笑ってもこれが最後だ。
 龍斗は翔を見る。
 翔は黙って頷く。
 いつでも準備はできている。
 加藤の合図を待つ2人。

 ――—しかし、次に龍斗の耳に入るのは、加藤からの通信ではなかった。

 ドン!

 それは明らかな銃声。
 同時にスイカの悲鳴が上がる。
「きゃああああああああああああああ!」
 しかしそのあとすぐに、2回目の銃声が起きる。
 ドン!
 人が倒れる音。
 それ以上悲鳴は聞こえず、静寂が訪れた。

 その一部始終を聞いていた龍斗。ソファの陰で、彼は考える。
 …………これは一体、どういうことだ?
 銃声?なぜ銃声が起きる?
 悲鳴は?なぜスイカは悲鳴を上げていた?
 状況が全く掴めない龍斗。
 これらは全て、台本にはない。台本にないということは、異常事態だということ。

「ア、アぁ……」
 足を震わせながら弱々しく立ち上がる龍斗。
 これはひょっとして…逆ドッキリというものか?
 加藤は自分に向けてドッキリを仕掛けているのか?
 そうであれば、確かめなければならない。祭壇部屋で何が起きているのか。逆ドッキリなら、テッテレーのオチまで導く必要がある。

 だが、そうして龍斗がソファの裏から出て行こうとしたその時だった。
 頭を背後から思いっきり掴まれ、同時に足払いされて龍斗はその場に倒れ込む。
「痛っ――—」と声を上げようとしたが一瞬にして何者かに馬乗りされて手で口を塞がれる。
 それはもちろん翔だった。
 翔は口元に人差し指を立てて「絶対に喋るな」というジェスチャーをする。自身も身を伏せてソファの裏に隠れる。

 何が何だか分からない龍斗だったが、すぐに祭壇部屋の扉がバン!と開くと、そこから出てきたのは沙耶だった。
 ソファの陰から彼女の姿を見た翔は、思わず声が出そうになった。
 なぜなら沙耶は血濡れの状態で2丁拳銃を持っていたからだ。
 彼女の浴衣はまるで花柄模様のように血飛沫がついていた。
 沙耶は部屋を出てくると、そのまま銃を構えながら廊下を走り1階へ向かった。彼女はソファ裏に隠れていた龍斗たちのことは全く気づいていない様だった。

「……行ったか」
 翔は龍斗に手を貸して立たせると、廊下を見渡して彼女がいないことを確認する。
「今のうちだ。龍斗、早く」
 彼はそう言うと、躊躇いもなく祭壇部屋へと入って行った。何が何だか分からない龍斗は、おぼつかない足取りでその後についていった。

 祭壇の前には、雪村とスイカの死体が転がっていた。
「なんで…こんなことに……」
 そう言って、思わず膝をつく龍斗。
 2人とも額のちょうど中央に1発ずつ弾丸が撃ち込まれていた。そのあまりに綺麗な穴に、素人でも死んでいるのは一目で分かった。
 翔が彼らの死体を見て呟く。
「やったのは沙耶で間違いない。でも……なぜ…?」

 するとその時だった。
 インカムに加藤から通信が入る。
 龍斗はそうだ、と思い出す。
 加藤がモニタリング室から全てを見ているのだ。ここで何が起きたのか、彼に聞けばいいのだ。
 龍斗は興奮気味に通話に出る。「加藤さん!何が起きたんですか!?2人とも死んでます!」。

 しかし、どう言うわけか加藤はしばらく何も言わなかった。
「…………ない」
 やっと何か聞こえたかと思うと、ボソボソしていて聞き取れない。
「え?何ですか?」
「………かし……だろ」
「加藤さん、通信状態が悪いです。何ですか?」
 龍斗はしつこく聞き返すも、加藤は腑抜けたように喋っているので何も伝わらない。
「加藤さん、落ち着いてください。ここで雪村さんたちが死んでます。ここで何が起きたんですか!」

 だが、加藤は龍斗のその問いに答えなかった。
 そのまましばらく沈黙が続く。 
 そして、次に彼が話し始めた時。
 彼は————、笑っていた。

「………ククク」
 加藤の低い笑い声が、インカムを通して響いた。龍斗は背筋が凍るのを感じた。
「加藤さん?」
 龍斗は声を震わせながら尋ねた。
「一体何が…」
 龍斗が何を言っても、加藤は笑い続けた。
 途中で翔が龍斗のインカムをひったくって加藤に話しかけるも全く話が通じない。

「……俺のせいだ」
 と、加藤は言った。
「ククク…面白すぎる…」
 加藤は何が面白いのかさっきからずっと笑っている。
「ククク…。こんなことあるのか」
 その後、加藤はただひたすら一人で笑った挙句、龍斗たちと一切会話することもなく通話を切った。

 祭壇部屋に、静寂と共に残される龍斗と翔。
 インカムからは、もう何も聞こえない。
 通信リクエストを送っても、加藤はもう2度と出なかった。



#6

 龍斗たちは雪村とスイカの死体をシーツで包んで、祭壇部屋の隅に安置する。最後に毛布をかけて最低限の弔いをした。
 その後、梯子を使ってモニタリング室へ戻る2人。
 そこにはもう加藤はいなかった。沙耶がペンション中を徘徊していると彼も知っているはずなのに、どういうつもりなのか。
 しかし、龍斗も翔もそれ以上は何も思わなかった。加藤はもう狂っているのだ。どこで何をしていてもおかしくないだろう。

 あの時、祭壇部屋で一体何が起きたのか。加藤は何を見たのか。
 このモニタリング室で全てわかることだ。
 龍斗は機材を操作してカメラの映像を再生する。雪村、スイカとドッキリを仕掛けている映像が流れて、最後に沙耶のドッキリが始まる。

 今、映像は沙耶が数秒ほど硬直した後、祭壇部屋に入っていく所だった。
 改めて見ると、その様子は雪村たちとは明らかに違っていた。
 恐怖や不安という感情が、まるで伝わってこない。
 むしろ当然だと言わんばかりに祭壇を認識し、そこに近づいて行っているように見える。
「……なんか変だこの人」
 龍斗は思わずそう呟いた。彼はあの祭壇を自分が作ったにも関わらず、薄気味悪さを感じていた。しかし、映像の中の沙耶は、少なくとも表面上は恐怖を感じていなかった。むしろ笑みを浮かべているようにも見えた。「何を考えているんだ……?」龍斗は思わずそんな言葉を漏らす。

 そして彼らが見守る中、沙耶が次にしたのは驚くべき行動だった。
 彼女は祭壇に対して両膝をつき、崇めるように跪いたのだ。
「あっ……!」
 龍斗は急いで機材を操作して、他のアングルから彼女の映像を探す。
 祭壇に仕掛けられた隠しカメラに、彼女の正面からの映像がばっちりと映っていた。その表情は恍惚として、まるで何かに魅入られたように祭壇を見つめていた。
「これは…やばいね」
 翔も思わずそんなことを呟く。

 その後、彼女は静かに目を閉じると両手を胸のところで合わせて何かを呟き始めた。口元がモゴモゴしているので、何を言っているのかと龍斗はミュートを解除する。その瞬間に、聞こえて来る沙耶の声。

「さるかとらむ あるかぬむ れはり す」「さるかとらむ あるかぬむ れはり す」「さるかとらむ あるかぬむ れはり す」「さるかとらむ あるかぬむ れはり す」「さるかとらむ あるかぬむ れはり す」「さるかとらむ あるかぬむ れはり す」

 龍斗は横を向き、側にいた翔と顔を見合わせた。
 翔も全く同じで、龍斗の方を見た。
 沙耶は何か呪文のようなものを熱心に詠唱しているのだ。
「これは……まるで祈りだ…」
 翔は沙耶の様子を見てそう呟いた。
 彼の言う通り、膝立ちになって熱心に呪文を唱えるその姿は聖職者のようだった。

 ただ、そうして沙耶の祈りに気が取られていたその時。彼女の後ろに2人の人間が映り込む。
 それはもちろん雪村とスイカだった。
 彼らは沙耶のすぐ側までやってくるも、自分たちに全く気付かず祈りを捧げているのを見て足を止める。映像でも彼らが困惑しているのがわかる。沙耶の背後で互いを指差しながら「あなたが行きなさいよ」「あんたが行け」と言うジェスチャーをやっている。
 当然、彼らがそんな反応をするのも無理はないだろう。
 予定では、祭壇部屋に入って怯えている女性に疑いをかけ、さらに追い詰めるという手筈だった。しかし、どういう訳か、その怯えているはずの女性は祭壇に祈りながら呪文を唱えているのだ。

 すると、ついにそんな状況に我慢ならなくなったスイカは沙耶の肩に手を伸ばした。祈りを捧げているが、とにかく一度話がしたかったのだろう。「ちょっとあなた――—」

 と、スイカの手が彼女に触れそうになったその時だった。
 ドン!
 気づくと沙耶は2丁拳銃を構えて立っていた。
 その動きはまるで暗殺者のように素早く、彼女の黒髪と浴衣の袖が風の中で舞う。

 最初に撃たれたのは雪村だった。
 額に弾丸を受けた雪村は、後ろにのけぞるようにして倒れた。頭から血を流し、そのまま動かなくなった。
 その後、悲鳴をあげるスイカも、もう片方の銃で流れるようにヘッドショットされて死亡。
 これが祭壇部屋で起きた全てだった。

「…………」
 そんな映像を見ながら、龍斗も翔も言葉が出なかった。
 沙耶は完全に頭のおかしい殺人鬼だった。
 彼女は今、どこにいるのか。
 恐ろしいことに、今も彼女はこのペンションをうろついているのだ。

「でも……ここは流石に見つからないよな」
 龍斗はそれが唯一の心の支えだった。
 なぜならこのモニタリング室の出入り口は例の隠し本棚か、祭壇部屋のスイッチで梯子降ろして来るかの2つしかない。どちらも簡単に見つからないようにカモフラージュされているため、この部屋に彼女が到達する可能性は低い。

 ただ、その意見に翔は否定的なようだ。
「君を不安にさせたいわけじゃないけど、それは少し楽観的すぎる。
 この部屋は確かに見つかりにくいけれど、それは時間の問題だと思う。
 祭壇部屋からの経路はわからなくても、スタッフルームの隠し扉は人によっては気づく」
 龍斗は「それはどうかな?」と思う一方で完全に否定することはできなかった。実際に、翔がこの部屋を見破っているからだ。しかも名探偵とは言え、一瞬の内に仕掛けを見抜いていた。
「元々この部屋はドッキリ撮影のために用意したものだろ?つまりこの部屋は撮影が終わるまでバレなければいい。本当にこの部屋を隠したいなら、本棚の本をちょっと動かしただけで開くような簡単な構造にはしない」
 翔の指摘にぐうの音もでない龍斗。
「このままずっとここにいれば、沙耶は僕らが特殊な場所に隠れていることに気づくはずだ。全部の部屋を探しても見つからないんだから。だったらこういう隠し部屋を見つけようとするだろう。そうされた時に、この部屋はいつまで持つかはわからない」
 龍斗はその言葉に何も言い返すことができなかった。「でも……じゃあどうするんだ!」つい感情的になって声を荒げる。
 さっきから翔は悲観ばかりしていて、まるで自分たちは殺されるしかないという風に聞こえる。
「落ち着いて。色々言ったけどこの部屋はすぐにはバレない。いずれバレるかもだけど時間はかかるはず」
 翔は続ける。
「だから、まずやらなければならないことは、救援を呼ぶこと。そして助けが来るのを待つ」
 それを聞いて龍斗はハッとする。このペンションは圏外だが、固定電話があった。それで警察に連絡するのだ。外は大嵐で、ここまで来てくれるのか分からない。ただ、2丁拳銃を持った女が暴れていると聞いて、何もしないわけにはいかないだろう。

「なるほど…。よし、早速そうしよう」
 龍斗は翔に対して、流石名探偵だ、と思った。
 自分も殺されかねないこんな状況で、これほど冷静になれる人間はいるだろうか?
 また、彼は思い出す。あの時廊下で沙耶が出てきた時も、翔は龍斗を押し倒して見つからないようにしてくれた。これほど頼りになる奴はいない。 
 龍斗は言う。
「行こう、一刻も早く。固定電話の場所は僕が知ってる」



#7

 そこはペンションの202号室。
 その部屋は今、入り口に向かってテーブルや椅子でバリケードができていた。その徹底ぶりはなかなかのもので、キングサイズのベッドまでもが、側面を床にした状態で、壁のようにされている。
 
 そのバリケードの裏で、一人の男があぐらをかいて座っていた。
 彼の名前は加藤剛。
 床に座る彼を中心に、放射状に並べられたのは6本の投げナイフ。
 これは彼がいつも鞄の底に隠し持っているナイフだった。
 もちろん社会人になってから一度もそれを使うどころか、取り出したことすらなかった。
「……………」
 加藤はナイフを見つめながら思い出す。
 あの時、彼はモニタリング室で見た。自分よりも若く、美しい女が突如自分の胸に手を突っ込むとそこから2丁拳銃を取り出し、雪村とスイカを射殺したのを。

「どうしてこうなった……」
 加藤は思わずそんな言葉を漏らした。
 この状況、確実に言えるのは、自分のテレビディレクターとしての生命は完全に絶たれたということ。
 この数年間、自分は何をしてきたのか。
 コンプライアンスだなんだでつまらなくなったテレビ業界。
 昔の天真爛漫なバラエティの力を取り戻したい。その想いを胸にここまでやって来た。
 しかし、自分の努力はいつも空回りだった。
 思い返せば、数年前の炎上もそうだった。大量の爆薬を使うので、専門家と一緒に安全に撮影したのに、最後の最後で、アイドルの一人が爆破後の破片を興味本位で触り、指を火傷したのだ。それがどこからかマスコミに漏れて炎上。人気アイドルを怪我させたクズディレクター。本物の爆薬を使うのは何事だ!と批判が殺到したのだ。
 その時誰も彼の味方はいなかった。西塚出身で学もなく、自分を嫌っている人間は多かったのだ。自分の過去の行いや言動も隅から隅まで取り上げられて批判された。
 全てが燃え尽きた後、最終的に信じていたプロデューサーからこう一言。「君は時代にあってないよ」
 その言葉が、頭からこびりついて離れない。


 彼は改めて、周囲に並べたナイフを眺めた。
 その一つを手に取り、質感を確かめるように刃を撫でる。
 懐かしい気分だった。西塚を思い出して気持ちが安らいだ。

 彼はナイフに映った自分を見ながら、そうだ、と思い出す。
 元々自分は大した人間じゃない。自分はテレビマンになれなかったし、なれるような素質もなかったのだ。加藤はナイフを大きく左右に振って手に馴染ませる。自分はやっぱり、こっちの方が性に合っている。

「よし、殺ろう」
 そう言うと、早速準備を始める加藤。
 彼はまず上着を脱ぎ、上半身裸になると、自分の胴体をナイフで切り付ける。
 まるでかまいたちにでも遭ったかのように全身が切り付けられ、血が吹き出す。真っ赤なTシャツを着ているかのような姿となる。
 これは西塚時代、敵地に赴く時のゲン担ぎだ。流血によるアドレナリンの分泌も促していて合理的な行動なのだ。

 次に彼は腰につけたホルダーの一つ一つの穴に、次々とナイフを差し込んでいく。その数合計6本。まるで腰にナイフを帯びた、古代の剣闘士のようだ。
 彼はその中から、お気に入りの1本を手に取ると、扉に向かって軽やかに投げてみせる。ナイフは深く突き刺さり、加藤は満足げな笑みを浮かべた。腕は鈍っていない。体が覚えているのだ。
 自分なら沙耶を必ず殺せる。
 全てを台無しにしたあの女に、必ず落とし前をつけさせる。

「ディレクターに逆らうとどうなるか、あいつは思い知ることになる」

*          *          *


 そしてついに、その瞬間は訪れた。
 ドン、という音と共に部屋の扉が勢いよく蹴破られ、現れたのは沙耶だった。
 沙耶はドッキリの時と同じく紫の着物姿だった。ただ、動きやすいように着物の裾を膝の上くらいまでで破いてミニスカートのようにしていた。
 沙耶は鋭い眼差しで室内を見渡すと、正面に築かれたバリケードを見てここに加藤がいることを確信する。

「加藤出てこいコラ!」
 だが、そう言って彼女が2丁拳銃を構えるよりも早く、彼女の真横から体当たりを仕掛ける男がいた。もちろん加藤である!
 バリケードは罠で、加藤は扉のすぐ横に待機して沙耶と接近戦を望んだのだ!
「西塚の血を舐めるな!」
 加藤はナイフを沙耶に突き立てていた。ただ、沙耶も只者ではない!
 加藤の不意打ちをギリギリで気づくと、大きく身を逸らしてナイフ攻撃を避ける!しかし流石に加藤の攻撃は素早く、沙耶の脇腹を着物ごと切り裂いた。「ぐあああっ!」。

 沙耶はそのまま仰け反りながらも銃を加藤に向けて発砲する!
 だが当然加藤もその攻撃は読めている。加藤はあえて沙耶の胸元に飛び込むことで射線を外したのだ!
 そのまま部屋の中で転がりマウントポジションを取り合う2人。
 加藤の方が力は強かった。最終的にもつれ合いながらも彼は沙耶に馬乗りになって彼女の両手を押さえつける!
「あがっ…!」
 沙耶の手から2丁拳銃が落ちた。加藤は完全に沙耶を上から抑え込んでいる。

 今や、沙耶の着物は帯も取れて完全にはだけた状態になっていた。
 着物の下は黒のブラとショーツのみだった。
 脇腹から致命傷ではないが血も出ている。
 沙耶は少し涙を溜めながら加藤をまっすぐ睨め付けていた。

「フン。ナイフを投げるまでもねえぜ」
 加藤は勝ち誇った顔でそう言った。
 沙耶は答える代わりに黙ったまま加藤を睨みつけている。
 勝負はあった。
 武器を取り落とし、敵に馬乗りされている状態の沙耶。
 彼女の頸動脈には血濡れのナイフが突きつけられていた。
「覚えときな。ディレクターに逆らうとこうなるんだぜ」

 戦いは決し、加藤の完璧な勝利のように思える。
 だが、ここで彼は大きなミスをしてしまう。
 残念ながら加藤は戦闘者としてブランクがあった。西塚出身とはいえ、全盛期から時が経ちすぎたのだ。

 加藤は今、沙耶を上から身動きできないように押さえつけている。
 当然沙耶の着物ははだけているので、黒いブラに収まりきらないほどの大きな胸が、彼の目に留まる。
「…………」

 加藤は一瞬だけ、それに気を取られてしまった。
 その間、わずか0.2秒。
 しかし、命を賭けた戦いの中で、その時間はあまりにも大きい時間だった。西塚にいた頃なら絶対にありえないミスだった。

 バン!
 次の瞬間、彼が見惚れていたまさにその黒いブラジャーが、突如火を吹いた。銃声と共に、加藤の脇腹に1円玉ほどの風穴ができる。
 実は、彼女の乳房は仕込み銃になっていたのだ。今、沙耶の右カップには丸く穴が空いていて、その先に金属の銃口が見えている。

「ガァあっ!」
 たまらず手の拘束を解いてしまう加藤。突きつけていたナイフも取り落としてしまった。
 その一瞬の隙を突き、沙耶は思いっきり上体を起こすと、そのままの勢いで加藤の顎に頭突きを繰り出した!
 バキィ!「ゴボアッ!」

 思わず仰け反りながら白目を剥く加藤。脳震盪レベルの攻撃だった。沙耶の上から転げ落ち、四つん這いの状態で痛みを堪える。必死に歯を食いしばり、なんとか意識を繋いだ。
 相手は銃使い。距離を取られるとまずい!
 彼は朦朧とする頭で周囲を見渡し、直ちに沙耶の位置を確認する。
「………どこ行った?」
 だが、さっきまで居た場所に彼女はもういなかった。

 そしてその時だった。
 トン、と彼の後頭部に冷たいものが当たる。
 後頭部の側面から2つ。押しつけられる硬い金属。

「なるほどな。舐めてたぜ……」
 加藤は背後にいる沙耶に向かってそう言った。
 加藤は膝立ち、手はホールドアップで完全に投降状態だった。
「肉体改造は卑怯だろ……。狂気の沙汰も、これほどとはな…」と加藤はニヒルに笑った。
「…………」
 一方の沙耶は何も言わない。
 ただ銃口を突きつけて加藤の最後の言葉を待っているようだ。

「殺せよ」と加藤が言う。
「俺からもう何も言うことはねえ」
 そうして加藤は目を閉じた。
 完全に死を受け入れた加藤。
 沙耶はつまらなそうな顔をすると、そのまま指先に力を込めた――—。

「バカが!この俺が素直に従うと思うなよ!」
 沙耶が引き金を引くよりも早く、加藤は動いた。
 実は、彼は右手にナイフを持っていた。マジシャンのよく行うパームというテクニックで、持っていないように見せかけていたのだ!
 彼は後ろを振り向くと同時に、隠し持っていたナイフを沙耶の太ももに突き立てる!「せめて足はもらっていくぜ!ヒャッハー!」。
 
 しかし、ここで加藤は再び間違えてしまったようだ。
 彼は最後まで、沙耶の実力を過小評価していたのだ。
 ナイフが沙耶の肌に到達するよりも早く、沙耶はスッと銃口の向きを変えて右肩の関節をぶち抜く。ドン!「あがぁっ!」ぶらりと腕の力が抜け、ナイフを地面に取り落とす加藤。
 ドン!「あガァっ!」
 沙耶は念入りにもう片方の肩もぶち抜いて使えなくした。
 
 そのまま糸が切れたように、地面にうつ伏せに倒れた加藤。
 腕は動かせず、立ち上がる気力もなかった。彼が動かせるのは口、もしくは指くらいのものだ。その他のどこにも、力を入れることが出来なかった。
「やるじゃねえか。ハァ……ハァ…。お前とは…全盛期に戦いたかった」
 そう沙耶に話しかける加藤。だが彼女は何も返さなかった。無表情で、加藤に対して何の感情も持っていないことは一目で分かった。
 だがそれでも加藤は話し続ける。彼は少しだけ時間が欲しかった。
 まだ彼にはやることがある。
 死ぬまでに彼はやらなければならないことが――—。

 だが、次に加藤が口を開いたその時だ。
 ドン!
 加藤が言葉を発するよりも前に、沙耶は彼の後頭部に2発の弾丸を撃ち込んだ。
 弾丸が頭蓋骨を貫通し、彼の頭を突き破って床に穴を開ける。
 飛び散る脳漿。
 床に倒れて動かなくなる加藤。


 
 加藤は死んだ。
 
 

#8

「嵐で橋が落ちたんだよ!川を渡るのは無理だ。流れが速すぎる!」

 玄関ホールにやって来た龍斗と翔。
 龍斗はカウンターにある固定電話を使って警察に通報をしていた。拳銃を持った殺人鬼がペンションを徘徊しているから助けに来て欲しいと。
 この緊急事態に、警察たちは当然すぐに駆けつけてくれるだろうと、そう思っていた龍斗たち。しかし、これがそうではないようだ。
 警官の山本は苦しそうに言う。
「無理だ。橋が落ちてる。そっちに着くのはどうしても時間がかかる」

 それを聞いて龍斗も思い出す。このペンションに来る時に渡った橋のことを。あの時すでに氾濫していたが、嵐の強さが増していることからもっと酷くなっていることが推測できる。
「遠回りすれば行けなくはないが、かなり時間がかかりそうだ。嵐が激しすぎて、スピードがほとんど出せない。至る所で土砂崩れも起きてる」
「……どれくらいかかりそうですか?」
「嵐の勢いにもよるが……早くて6時くらい…」
「はあ?!」
 今は夜の10時すぎ。あと8時間も沙耶から逃げ続けなければならないのか?
「落ち着くんだ。希望を捨てるんじゃない。6時とは言ったが嵐の勢いが弱まればスピードも出せる。もっと早くに着くかもしれない」
「ラジオの予報は強まるって言ってたけど…」
「予報なんて信じるな。いいか?とにかく私たちが着くまでどこかに隠れるんだ!絶対に助けに行く!」

 ――—ガチャン。
「……………」 
 そうして山本との通話を終えた龍斗。
 受話器を置いた後、彼はしばらく動くことができなかった。
 思っていたよりも警察の到着が遅い。それまで沙耶から逃げ続けることができるのか?
 いっその事ペンションの外へ逃げるというアイデアもあったが、それは翔にも止められる。「滑落、遭難、低体温症、土砂崩れ……どれでも好きなものを選ぶといい」。

 頭を抱える龍斗だったが、ここで翔はこんな提案をする。
「逆に考えよう。逃げるんじゃなくて、沙耶を止めるというのはどう?」
 突拍子もないその提案。
 しかし冷静になってみると、それは一考の余地があった。
 相手は拳銃を持った殺人鬼。
 祭壇部屋で雪村たちを殺したあの動きは素人の動きじゃなかった。彼女の視界に入った瞬間に射殺されるだろう。
 だが一方で、敵は彼女1人なのだ。
 彼女さえ無力化できれば全てが解決する。
「不意打ち、もしくは罠にはめるとか…」と龍斗。それに翔も頷いて言う。
「僕もそれしかないと思う。こっちは2人。人数では勝ってる」
 
 するとここで、龍斗がさらに追加の提案をする。
「待って。こっちには加藤さんもいる。加藤さんは正直、かなり強い」
「そうなの?」と聞き返す翔。そういえば翔には話してなかったのか、と龍斗は加藤の過去について話す。
「西塚ね…。それは確かに頼りになるかも」
「通信した時はおかしくなってたけど、水でもぶっかければ正気に戻るかもしれない」「うん。やってみる価値はある」

 そこで、まずは加藤を探すことにした2人。
 彼は今どこにいるのか。
 ただ、あまり派手に館内を探すことはできない。そんなことをしている内に沙耶に見つかれば元も子もないからだ。彼がいそうな場所をピンポイントで見ていくのがいい。
「加藤さんがいそうな所……。やっぱり自分の部屋かモニタリング室?」
「そうだね」と翔。「モニタリング室はいなかったし、部屋の方を見に行こう」「了解」

 ただ、そうして玄関ホールを去ろうとしたその時。翔がふと、あることに気づいたようだ。彼は無言のままカウンターの側でしゃがみ込むと、指で何かを拾い上げる。「これは……!」。
「どうかしたのか?」と龍斗が覗き込むと、それは一本の髪の毛だった。
 翔は眉をひそめ、指先で髪の毛をじっと見つめてこう言う。
「これは沙耶の髪の毛だ」
 男にしてはあまりに長すぎる髪の毛。このペンションの中で、ここまで長いのは彼女だけだろう。「沙耶が……この電話を使ったってこと?」と翔が呟く。「いつ、そしてなんのために…?」。

 ただそうやって考え込む彼に対して、龍斗はあまり気にするべきではないと言う。
「考えすぎだろ。ここに沙耶の髪の毛が落ちてても、別におかしくない。最初に全員でこの玄関ホールにいたんだから」
 確かにそれはその通りだった。ここは玄関で、誰しも最初にここにやって来る。髪の毛が落ちていることは、彼女がこの場にいたことを証明するだけの痕跡でしかないのだ。電話を使ったかどうかまでは分からない。
「そう言われれば、そうかも……」
 翔はあっさりと龍斗の言葉に同意する。断定できないことを考えていても仕方ないというのもある。
「こんなことをしちゃいられない。さっさと行こう」と翔。
「そっちがなんか言い出したんだろ…」と龍斗が抗議する。


 その後、2人はロビーの赤い絨毯を夢中になって駆け抜けた。
 彼らは必死になって走った。
 一刻も早く加藤と合流したい。
 加藤がいれば3対1で、生存率は大きく上がるだろう。
 しかし、彼らがそうして走っていたまさにその時!

 ドン!
 どこかで発砲音が鳴り響いた。
 ドン!ドン!

 それを聞いてすぐに状況を察する2人。
「加藤さんだ!上で沙耶と戦っているんだ!」
 音の響きからして、戦っているのは恐らく2階だ。
 彼らは急いでそこへ向かった。

*          *          *


 2階に続く階段を、彼らは止まることなく駆け上がった。
 息を切らしながら上りきると、現れたのは直線の廊下。
 廊下の左右には扉が1つずつ。そして突き当たりにもう1つあって、合計3つの部屋があった。左が龍斗、突き当たりが翔、そして右が加藤の部屋となっている。
 まずは加藤の部屋に行くのが筋だろう。龍斗は早速、右側の扉に手をかけた。鍵はかかっていなかった。

 ドアノブを握った状態で、龍斗は翔と目を合わせる。 
 まだ沙耶が中にいる可能性も十分ある。
 しかし、開けなければ何も始まらない。
「………行くぞ!」と覚悟を決める龍斗。
 そして彼はゆっくりとその扉を開けた。

 幸運にも、部屋に沙耶はいなかった。
 しかしそこにあるものを見て、龍斗は思わず驚きの声が漏れる。
「こ…これは…!」

 部屋の中央で、加藤が死んでいる。
 加藤は床にうつ伏せに倒れていて、頭を中心に血が広がっている。
 それを見た龍斗は、何も言葉が出てこなかった。
 あまりにも呆気ない死。
 龍斗は彼のアシスタントをして数年経つが、この人だけはしぶとく生きるだろうと思っていた。
「加藤さん……」
 彼は気づくと拳を強く握りしめていた。加藤はいろいろ間違ったこともするが、テレビ界を盛り上げたいという熱意は業界一だっただろう。その熱意に惚れて、自分はこの人について来たのだ。

 そうして、しばらく呆然と加藤を眺めていた龍斗。
「……ん?なんだ?」
 するとその時だった。
 龍斗は加藤の死体について、あることに気がつく。
 加藤はうつ伏せで、両手を頭の側に八の字のようにして倒れていた。
 龍斗が注目したのはその右の手のひらだった。どうやらその下に何かを隠しているようだ。

「翔、これ見て」
 と言いながら、龍斗は加藤の手を動かす。
 すると、そこには血文字で次の言葉が書かれていた。

『おっぱい』

「…………」
 龍斗も翔もそれを見て沈黙した。
 これはどう見ても加藤の残したダイイングメッセージだろう。
「これって…犯人は沙耶だって伝えようとしている?」
 今回のメンバーの中でおっぱいに該当する人は一人しかいない。
「そうだと思う…」と翔も頷く。
 ただ、彼らはすでにモニタリングの映像を見ているので、沙耶が犯人なのは分かりきっていることだった。
「まあ加藤さんは僕たちとは別行動だったからね…。にしてもおっぱいって…。最後におっぱいでも見て死んだのかな?」と、翔はなんとかこのメッセージを解釈する。

 改めて、ここで何が起きたのかを推理する2人。
 まずは部屋全体について。全ての家具は移動されて、出入り口に向かってバリケードのように並べられていた。
「なるほど…。こうして沙耶と戦おうとしたのか。相手は銃使いだからね」翔は感心しながらそう言った。
 そして次に調べたのは加藤の死体。ダイイングメッセージは置いておいて、他の所について調べる。彼は上半身裸で、腰に巻いたベルトには投げナイフが3本差し込まれている。後頭部に2箇所穴が空いており、間違いなく即死だろう。

 また、同じく部屋を調べていた龍斗も、ここであることに気づく。
「ん、これって…」
 それは死体のそばに落ちた、1本のナイフだった。
 加藤が腰につけているナイフと同じものだが、重要なのが、このナイフにはべったりと血がついているということだ。
「お、これはでかしたよ、龍斗」
 そのナイフを見て翔は言う。
「これは恐らく、沙耶の血だ」
 加藤の体に切り傷や刺し傷はなかった。顎に傷があるが、これは打撃による傷で、少なくともナイフではない。消去法で考えて、この血は沙耶のものだと断定できる。

 翔はそこから床に点々と血が落ちているのを見つける。
 血の跡は部屋を出て、廊下まで続いていた。
 探偵はそれを調べて帰ってくる。
「血は3階の階段まで続いていた。恐らく沙耶は今頃、自分の部屋で傷の手当をしてるんじゃないかな」

 ただ、彼女が負傷しているとしてもそこまで深い傷ではないことが予想される。落ちている血の量は少ない。包帯や止血をしたらすぐに殺しを再開するはずだ。
「さっさとここを出よう。沙耶が戻ってくる前に」
 そこまで考えた龍斗は、翔に向かって言う。
 実際、これ以上この部屋に残る意味もなかった。元々沙耶に抵抗するために、加藤と合流するのが目的だったからだ。

 ただ、そんな龍斗の提案をよそに、翔は部屋を出ようとしなかった。沙耶が戻ってくるかもしれないのは彼も理解している。それなのに、翔はその場に立ち尽くして何かを考え込んでいるようだ。
「どうしたんだ?翔。早くここを出ないと沙耶が来るぞ」
 そう龍斗が言うも、まるでそれより大事なことがあるとでも言うように、彼はその場を動かない。
「おい、どうしたんだよ。早くしないと殺されるぞ!」
 すると、ここで翔はこんなことを言い始める。

「そもそも、どうして沙耶はこんなことをしているんだ?」
 ペンションでいきなり殺戮を始めた沙耶。彼女の動機は一体なんなのか。何が彼女を突き動かしているのか。

 しかし、どう考えても今はそんなことを考えている場合ではない。
 いいから逃げるぞ、と苛立ちながら言う龍斗。
 だがそれに対し、翔はきっぱりと首を振った。
「ダメだ。これは今考えるべきことなんだ。僕の直感がそう告げている」
 そうして全く動こうとしない翔。
 探偵のその様子に、龍斗は思わず言葉を失った。
 沙耶が来るといっているのに、怖くないのか。殺されるかもしれないんだぞ。
 だが、一向に部屋を出ようとしない翔のその揺るぎない態度は、彼の言う『直感』に何か説得力を感じさせた。
「なんなんだよもう……!」
 と言いながら、結局根負けする龍斗。仕方なく彼もそのことについて考えてみる。

 どうして沙耶はみんなを殺して回っているのか?
 ドッキリが始まる前は、そんなことをする人だとは思わなかった。テレビで見る通りの明るいお姉さんだった。
 けれど、祭壇を見た瞬間にまるで人が変わったように、一瞬にして雪村とスイカを殺害。まるで祭壇に取り憑かれたかのようだった。
 あの祭壇に何かあるのか?
 あれは自分が加藤に言われて作った偽物の祭壇だ。
 確かに出来栄えは良かったが、人を狂わせるような魔力が込められているわけではない。普通に局の美術スタッフと一緒に1から作った。霊力が込められた素材や、お札、そんなものは一切使っていない。普通の番組の大道具と同じだ。製作者なのだから一番よく知っている。

「でもやっぱり鍵となるのはあの祭壇だ」と翔は言う。
 彼女が狂った原因が、祭壇を見たからなのは間違いないからだ。
「あの祭壇にはきっと何か秘密があるはずだ」
 そう言うと翔は視線を落とし、加藤の死体を見つめる。
「そして恐らく、その答えは加藤が知っている……」

 その言い振りから、翔は何か確信めいたものがあるようだ。
 彼はいきなり部屋を物色し始めると、まるで乱暴な空き巣のように加藤のスーツケースやショルダーバッグの中身を全てひっくり返す。
「最後の通信……。あの感じは……絶対に加藤は何かを知っていた…。沙耶がおかしくなった理由も、彼には分かっていたはず……」
 一心不乱に何かを探している翔。代わりに龍斗は部屋のドアの所まで行って、沙耶が来ないか外の様子を確認した。彼が何かを探しているのなら、自分は見張りに徹しようと思ったのだ。
 廊下や階段に人影はなく、音も何も聞こえない。沙耶はまだ来る気配はないようだ。

「……そういうことか」
 するとその時だった。
 翔はいつの間にか荷物を漁ることをやめて、見つけた資料を読み込んでいた。
「どうした?何か分かったのか?」
 龍斗も見張りをやめて、翔のところまで戻って来る。
 翔はこちらに背を向けて立っていた。彼の右手にはノートくらいの茶色い冊子と、左手にはレポート用紙の束を持っている。

「あ、それ計画書だね。番組の」
 龍斗はレポート用紙の方を指差すとそう言った。「番組の全体の構成とか、必要経費とかゲストの詳細とか、全部そこに書いてある」。
 今、翔が見ているページには地下の祭壇部屋の見取り図や、祭壇の設計図面が描かれていた。「そのページを見ながら祭壇は作ったんだ。多少違いはあるかもしれないけど、ほぼ計画書の通りに作ってる」。
 そうして龍斗は翔のために、レポートの詳細について補足を話した。
「何か他に気になるところはあるかい?」

 しかし、その質問に彼は何も言わなかった。人の話を聞いているのかいないのか、翔は一人でぶつぶつ言いながら資料を食い入るように見ている。「そうだよ…。この通りに作ってるんだ…」。

「そっちは何だ?」と、龍斗はもう一方の茶色の冊子を見る。
 レポート資料とは違って、そっちは彼には見覚えのないものだった。見た所かなり古い本で、日焼けしていて状態が良くない。
「そこには何が書いてあるんだ?」と龍斗が言うと、翔はあっさりとそれを手渡してくれる。

「古い本だな…」となんとなしにページをめくっていた龍斗。
 ただ、あるページを開いた瞬間に、彼は大きく目を見開いた。
「な…これは…!」
 そこに描かれていたのは、まさに祭壇の設計図だった。しかも計画書にある、自分が見ていたものと全く同じ。コピペでもしたような設計図がそこにあった。
 龍斗はページを閉じて、本の表紙を確認する。
『銃刃教誓典』
 模様も何もない質素な表紙の中央に、その文字だけが書かれていた。

「これは『銃刃教』と呼ばれるカルトの教本だ」
 翔は龍斗に向かってそう言った。
「この教本に載っている祭壇と、加藤の作った祭壇が、全く同じものなんだ」 




#9

 沙耶の襲撃を警戒して、一度モニタリング室に戻って来た龍斗たち。
 翔がここで事件の全貌を解説する。
「つまり君たちは、銃刃教というカルトの祭壇を丸ごとパクったんだ」

「全ての始まりは、加藤が祭壇のリアルさを出すために、本物のカルト教団の祭壇を再現したこと」
 そのカルト教団の名前が『銃刃教』。
 2人とも銃刃教について聞いたこともなかったが、加藤のメモによると警察や政府関係者からはかなり有名なカルトらしい。
「これ、読んで」
 そう言って翔が龍斗に投げて寄越すのは黒い長方形の手帳。これが加藤のメモである。ここには銃刃教の詳細な情報が残されていた。
 例えば、銃刃教が過去に関わった可能性のある事件がいくつか載っている。全部大量殺人で、その中には有名な未解決事件もあった。「メモによると、大量殺人は定期的に行っていて、殺戮によって信仰心を試すって感じだな」と翔は言う。「というかよくここの祭壇選んだな…。加藤の頭はやっぱりおかしいよ…」。
 それは本当にその通りだった。
「確かにこの祭壇は、見るだけでゾッとするようなインパクトがある。それは分かるけど、普通は危険すぎてやめるよ。彼もすでに狂っていたのかもしれないね」
「加藤さん…。それほどまでに…気づかなかった…」
 龍斗はそれ以上何も言葉が出なかった。加藤の一番近くにいたのは龍斗だ。止められたとしたらそれは自分だったはずだ。彼は自分の不甲斐なさを恥じた。


 翔は流石名探偵で、この短時間に企画書、銃刃教誓典、加藤の手帳を全て流し読みしており、かなり細かい知識をつけていた。
「銃刃教は『鋼火神』という神の復活を祈っているんだ。鋼火神が復活すれば地球が大変なことになるらしい」「大変なこと?」
「具体的に何が起こるのかは明記されていない。まあ終末論みたいなものだと思う。彼らの考える終末では、銃刃教の信者は鋼火神から力を与えられて、人類の次のステージに進むらしい」
 何だそれ…と龍斗は思うが、そんなことを言っていると話が進まないので言わない。
「鋼火神の復活のために、彼らは祈る。それが銃刃教。でも彼らはただ祈りを捧げるだけじゃない。彼らの神様を復活させるためには、あることが必要なんだ」
「あること……」ゴク、と唾を飲み込む龍斗。
 翔は言う。
「鋼火神の復活に必要なこと、それは人間の死だ」

 それを聞いて身震いする龍斗。薄々そうなんじゃないかと思っていた。ただ、言葉にされると恐ろしい響きを持つ。
 気づくと龍斗は反論していた。認めたくないあまり、思いつくままに相手の言葉を否定した。
「でも実際は、違うでしょ?そういう原典って、比喩とかじゃん。実際には代わりになるものを使ったりするじゃん!」
「沙耶を思い出せ」
 その言葉にああ、と肩を落とす龍斗。
 沙耶は平然と雪村、スイカ、加藤の3人を銃で撃ち殺しているのだ。
 銃刃教に人の死が必要なことは明確だった。
 これは比喩でもなんでもないのだ。

 翔は実際に銃刃教誓典のあるページを開いて見せる。そこには復活の儀式について、以下の文章が書かれていた。

$${\textit{聖なる石は姿を現せり。}}$$
$${\textit{選びし者らよ、運命の輪に身を捧げ、試練に応じよ。}}$$
$${\textit{残りしひとつの命をもて、久遠の眠りにつきし御方に奉げよ。}}$$
$${\textit{いずれかの血、いずれかの魂が、その目覚めを導かん。}}$$

「1行目は恐らく祭壇を表している。2行目と3行目で、現状の話に繋がる。沙耶による殺し合いが始まって、残りしひとつの命、とあるから彼女は僕ら全員を殺す気だ。そして最後の1文は、戦いによって神が復活することを意味している」
「こんなことが…」

 翔は今までのことを整理して一つの結論を導く。
「いいかい?加藤が作ったのは銃刃教の祭壇そのものなんだ。そして沙耶。彼女は銃刃教の信者で間違いない。録画でも、彼女が祭壇に祈りを捧げていただろ?彼女にとっては、ロケで訪れたペンションに、復活の祭壇があった。復活の祭壇を見たのなら、殺さなければならない。彼女が豹変し、殺人して回っているのはこれが理由なんだ」
 龍斗もその結論に、なんの反論もなかった。

「つまりこういうこと…?」と、彼も自分でこの状況を言語化してみせる。
「殺人カルトの祭壇を丸パクリしたら、本物の信者が来ちゃった?」
「まさしくその通り」

 すると、そうして2人が状況整理をしていた時のこと。
 突然、翔が口元に指を立てて「静かにっ!」と低く呼びかける。「……なんか、音が聞こえる……」。
 龍斗も黙って耳を澄ますと、確かにモニタリング室の扉の向こうからガサゴソという微かな物音が伝わってきた。二人は目を見交わし、忍び足でそこへ近づく。
 扉に耳を当てると、その向こうで誰かが部屋を物色しているような気配がした。翔は声を潜めて言う。
「沙耶だ。彼女がスタッフルームに入ってきたんだ」
 沙耶は部屋をひとしきり調べると、すぐに出て行ったようだ。スタッフルームに用はないだろうから、自分たちを探しているのは間違いない。

 これを受けて、龍斗と翔は改めて行動計画を練り直し始めた。
 沙耶はペンション内を片っ端から探しているに違いない。全ての部屋を調べても見つからなければ、隠し部屋の存在を疑い出すだろう。
「確かに沙耶がここを見つけるのも時間の問題かもしれない…」
 龍斗も今ではそう思うようになった。
 現在時刻は夜の0時を過ぎたところ。警察がここに来るのは午前6時。それまでずっとこの部屋で隠れていられる自信はない。天候次第で到着が早くなるそうだが、嵐の勢いは未だ衰える気配を見せない。
「やっぱりこのまま隠れ続けるのは得策ではないよ」と翔は言う。
「そこで、僕の考えなんだけど――—―」

 雷鳴が轟く嵐の夜。
 絶え間なく降り続ける雨は、まるで無限に水の入ったバケツをひっくり返しているかのよう。
 モニタリング室は、機器から漏れる青白い灯りに照らされて、冷たい静寂を感じさせていた。その薄暗い部屋の中、2人の男が話をしている。機械の唸りが聞こえる中で、彼らのやり取りが鋭く緊張感を漂わせた。
 突然、耳をつんざくような雷鳴が轟いた。
 近くに稲妻が落ちたのか、ズドンという大地が揺れるほどの衝撃音がペンションを襲った。建物全体がビリビリと震え、モニタリング室に一瞬の沈黙が訪れる。

 作戦は立てた。
 そして翔がポケットから静かに取り出したのは、黒光りする一本のスタンガンだった。加藤のカバンから出てきたのを拝借したらしい。光を反射するその冷たいボディが、部屋の空気をさらに張り詰めさせる。

「攻撃は最大の防御だ。こっちから沙耶を仕留める」



#10

 ついに祭壇部屋に沙耶がやって来た。彼女は浴衣ではなく、ロケの時と同じシャツとジーンズに着替えていた。
「お、来た来た。待ってたよ沙耶さん」
 翔は祭壇部屋の中央であぐらをかいて待っていた。
 部屋はドッキリの時とは違って電気がついていて明るい。祭壇も蝋燭の火が全て消えていて、あの圧倒的なオーラは弱まっている。
 沙耶は部屋に入るなり、2つの銃口を翔に向けた。
「やや、ちょっと待ってよ」と翔は慌てた様子で言う。「どうせ僕なんかすぐに殺せるんだから、少しお話ししよう。頼みがあるんだ」。

「もう一人はどこ」と沙耶が言う。
「龍斗か?知らないよ。あんな奴」
 翔はぶっきらぼうに言う。
「僕を見捨てて一人で隠れた。いい場所でも知ってるんじゃない?僕も全然見かけない」
 沙耶は翔に銃口を向けたまま、まず背後の扉を閉め、部屋全体を見渡す。
 次に彼女は祭壇裏や押入れなど、人が隠れられそうな場所も一通り調べて龍斗のいないことを確認する。

「頼みって何」
 再び翔に向けてしっかりと照準を合わせる沙耶。
「あとそこから動くな。動いたら殺す」
「何もしないよ。この通り」
 そうして両手をあげてアピールする翔。彼は沙耶の気が変わらない内に尋ねた。

「僕の頼み事は1つ。見逃してくれ。僕は名探偵なんだ。こんなところで死にたくない。というかそもそも僕は無関係だ!龍斗も加藤も知らない!」
 するとその言葉に沙耶はクスッと笑った。「そんなに直球に命乞いするとは思わなかったよ」。
「君も知っているだろ。僕は偶然ここを訪れたんだ。遭難して、辿り着いた先がここだった。本当になんの関係もないんだよ!」
 それを聞いて沙耶はなるほどね、と言う。「でもそういう訳にはいかないんだよね」。
 彼女は悲しそうに笑いながらその理由を話す。
「これ、儀式だからさ」

 翔は当然反発した。
「どうして!僕を殺してなんになる!この儀式も知らない!」
「君が知っているかどうかは関係ないんだ。君たちの血が流れることで儀式が行われるんだから」
 沙耶は平然とした口調でそう言った。まるで何を当たり前のことを?とでも言わんばかりの態度だ。
「……………」
 思わず沈黙してしまう翔。会話が全く成立しない。
「もういいね?じゃあ殺すよ」
 と、沙耶は優しい口調でそう尋ねる。

「本当に……見逃してくれないのか」
「だーかーらー。何度も言ってるけど見逃すとか、そういう話じゃないから」
「そうか。ダメか」
「もううるさい。頭向けて。一思いにやったげるから」
 と言って沙耶がトリガーを引こうとしたその時だ。
 翔は言う。
「だったら――—、逃げるしかないよなあ!」

 次の瞬間、翔は動いた。
 当然沙耶は、彼に向かってトリガーを引く。
 ドン!
 しかしその銃撃を彼は瞬時に身を伏せて躱し、飛び込み前転で追い打ちの銃撃を躱す。
 ドン!ドン!
 床に弾丸が突き刺さり木屑が舞う。
 翔はそのまま腰を低くした状態で、忍者走りで祭壇出口へと走った。

「逃げられると思うな!」
 沙耶は翔の移動位置を推測して発砲する。それに翔も気づいていてスピードに緩急をつけて弾を避ける。名探偵は運動神経もかなりあるようで、軽やかな身のこなしだった。
 もう少しで出口に辿り着く翔。
「舐めんなコラ!」
 沙耶は集中し、そしてある一点に向かって発砲する。ドン!
「ぐああっ!」
 すると弾丸は翔の肩に見事命中した。彼女の射撃の腕は侮ることができない!
 よろける翔だが、なんとか踏みとどまり、ついに部屋の出口まで到着する。

 ただ、そうして出口に辿り着かれても、沙耶は実に冷静だった。
 と言うのも、彼女はこの部屋に入って来た時に鍵を閉めていたのだ。翔がそこから出るにはまず鍵を開ける必要がある。そんな事をしている時間があれば、彼の頭を数回は撃ち抜く自信があった。「ククク…。逃すわけないじゃんね」。

 だが、次に翔がしたことは、沙耶の予想を超えるものだった。
 そもそも、翔の狙いは逃げる事ではなかった。それはただのブラフ。
 彼は出入り口までやってくると、そこから外に行こうとせず、扉の側にあるスイッチをパチン、と押したのだ。

 一瞬にして祭壇部屋は闇に飲まれた。
 翔が押したのは部屋の照明スイッチだった。
 祭壇の蝋燭も全て消えているので、部屋はなんの明かりもない真っ暗な空間となった。

 沙耶はしまった!と思い、翔のいた場所に向けてトリガーを引く。しかし、命中した手応えはない。
 彼女は耳を澄ませ、音で相手の位置を推測してその方向を狙い撃つ。
「そこだ!」
 彼女は連続で発砲するも、床や壁に穴が開くだけだった。

「クソッ…!」
 見失ってしまい、焦る沙耶。
 しかし、彼女は歴戦の戦士。ここで一度グッとこらえて冷静になって考える。
 すると彼女が気づいたのは、部屋が暗くなって見えないのは自分だけじゃない。翔も同じだということ。暗視ゴーグルでもなければ全く光の無いこの部屋で、自由に動くことはできない。そして翔がそれをつけていないことは明白だ。

 彼女は音を立てずにゆっくりと部屋を移動する。十分遠くまで移動した後、耳を澄ませて翔の居場所を探った。追い込み漁のようにすれば暗闇の中でも必ず殺せるだろう。出口の位置は覚えているので、そこには常に意識を向けておく。少しでも部屋を出ようとすれば、早撃ちで最低でも手足の1本はいただく。

 だが、彼女がそんな事を考えていたまさにその時だった。
「この部屋に入った時点で僕の勝ちだ」
 いつの間にか、翔は沙耶の真後ろに立っていた。
「な――—―」
 彼女が何か行動を起こそうとするも、それよりも早く翔は沙耶の首筋にスタンガンを突き立てる。
 悲鳴をあげて、その場に崩れ落ちる沙耶。彼女の意識は完全に途絶えた。
 翔は懐から結束バンドを取り出すと、それを使って手足をしっかりと縛る。その後、部屋の電気を点けた。

 明かりに照らされ、目の前にはあの祭壇が現れた。
 祭壇の前には、気を失って倒れている沙耶。
「ふぅ…。なんとかなったな…」
 沙耶の無力化に成功した翔は、ここでようやく一息ついた。
「龍斗も、サポートありがとう」
 と、そう呟く翔の耳には、いつの間にかインカムが付いていた。

 どうして翔は暗闇の中で沙耶の位置を正確に把握できていたのか。
 それは龍斗がモニタリング室で沙耶の位置を把握し、彼に伝えていたからだ。「何も見えないし、スイカ割りしてる気分だったよ」と緊張の緩みからそんな冗談を言う翔。
「大丈夫?怪我はない?」と、龍斗が尋ねると、そこで翔は自分の負傷を思い出す。
「怪我は…あるけど大したことない。かすり傷だ。血も止まってる」
「よかった…。ちなみにこの後どうするんだっけ?」
「もうやることないよ。沙耶を閉じ込めて終わり」

 その後、翔は用意していたロープで沙耶を祭壇にしっかりと縛り付けた。目隠しと猿轡をして、当然拳銃も取り上げる。
 そうして完全に彼女を無力化した後、モニタリング室に戻った。
 モニタリング室にはロケ用の救急キットがあったため、翔はそれで応急手当てをする。「いやー結構ハラハラしたよ。これだけで済んだのは奇跡かも」。

 時刻は午前1時。
 知恵と勇気を振り絞り、無事に平穏を取り戻した2人。
 脅威は完全に去った。
 警察が到着するまで、あと5時間。
 彼らはモニタリング室で適当に時間を潰した。


*          *          * 

 沙耶を無力化してから2時間ほど経過した。
 モニターには祭壇に縛り付けられた沙耶が映っている。まだ目覚めていないようだ。
 この間に、龍斗は銃刃教誓典を読み耽っていた。
 別に彼がその思想に感化されたという訳ではない。ただ、これを読むと、祭壇の設計思想などが理解できて面白いのだ。
 祭壇を組み立てた龍斗だからこそ分かる意匠やデザインがあり、ミステリ小説の解答編を読んでいるような気分になる。
 龍斗はそういう風に誓典を読み進め、ついに最後の章「終の儀式」まで辿り着く。

 一方その頃。
 やることのない翔は、3階の沙耶の部屋を訪れていた。彼女の持ち物を漁って銃刃教について詳細な情報がないか調べていたのだ。勝手に人の荷物を漁るのは良くないが、こっちは殺されかけている。調べる権利は十分あった。
「………なにもないな」
 ただ、彼女の荷物から気になるものは見つからなかった。銃刃教誓典でも持っているのかと思ったがそれもない。拳銃は肌身離さず持っていたようだが、信者としての証拠は出てこなかった。
 こんなものか、と家探しをやめて沙耶の部屋を後にする探偵。
 モニタリング室に戻ろうと、階段を降りて1階のロビーまでやって来る。
 
 すると、その時だった。
 リンゴーン、とインターホンのベルが鳴る。

 翔は一瞬なんだ?と思ったが、すぐにそれが警察のことだと理解する。
「おお、もう来た。今何時だ?」
 そう思い、時刻を確認する翔。
 時刻は午前3時半を過ぎたくらいだった。予定よりも2時間以上も早く到着したことになる。「日本の警察は優秀だね〜」。

 ただ、そうして翔は喜びの声を上げたが、よく考えるとかなり無駄なことをしたのでは?と思った。こんなにも来るのが早いと分かっていれば、わざわざ命をかけて沙耶と戦わなかっただろう。結果論だが、大人しくモニタリング室で隠れているのがベストだったのでは?と。
「ったく…。今日はもう疲れたよ…」
 翔は完全に緊張が解けてそんな愚痴をこぼす。早く来てくれるのは嬉しいが、ここまで早いと複雑な気持ちでもある。

 そうして、拍子抜けしたように肩を落とす翔。 
「………いや、ちょっと待て」
 だがこの時。
 彼の頭に、一つの疑問が思い浮かんだ。それは名探偵の勘というものだろうか?

「流石に早過ぎやしないか?」

 警察はここに着くのは最低でも6時以降になると言っていた。嵐が治まればもう少し早くなるとは言っていたが、それはどうだろう。なぜなら嵐は弱まるどころか激しさを増している。遅くなることはあっても、早く着くことはない。
「…………」
 彼は嫌な予感がした。
 実際、予定より何時間も早く到着することは出来なくはない。
 なぜならこのペンションは街からそこまで離れた場所ではないからだ。
 ただ、ここに来る途中に大きな川があり、そこが氾濫して渡れないのでわざわざ山の反対側から来なければならない。それがこれほどまでに到着が遅れてしまう理由だ。

 しかし、とここで翔は考える。
 もし仮に、この川を渡って来る集団がいたらどうする?
 警察は言っていた。
 氾濫状態のその川を渡ることは自殺行為であると。
 じゃあ死ぬことを厭わない集団は?
 そいつらは普通に川を渡ってここまで来るのではないか?
 犠牲を何人出しても祈りながら突き進む。
 そういう集団のことを、カルトと言うのではないか?

 また、彼は思い出す。
 警察に救助の電話をした時のことを。
 あの時、電話の側で翔が見つけたのは沙耶の髪の毛だった。
 もし彼女が固定電話を使っていたとしたら?
 沙耶がどこかに電話をかけていたとしたら……それはまさしく……!

 するとその時だった。
 ロビーの向こう、玄関の方から複数人の声が聞こえてくる。
 ドンドンと扉を蹴り飛ばす音や笑い声、興奮した雄叫びをあげているその様子は、どう考えても警察の振る舞いとは思えない。
「これは……まずい…!」

 翔はインカムですぐに龍斗に連絡する。
「龍斗!今どこにいる!」
「は?なんだ急に。……モニタリング室だけど。というかそんなことよりも警察が到着したっぽいぞ。インターホンが鳴ってた」
「バカ!それは警察じゃない!」
「は?」
「銃刃教の信者だ!いいか?絶対にそこから出るんじゃないぞ!」
 龍斗は訳がわからない様子だったが、なんとか言いくるめて部屋に待機させる。

 翔はこれからについて、必死になって考えた。
 想像以上のピンチが訪れていた。銃刃教信者の信仰心を舐めていた。
 ここに来るために平気で死ねるようなイカれ人間だとは、誰が推理できただろう。「これが狂気というものか……!」。

 そしてついに、ドガンッと玄関の扉を蹴破られる音が聞こえた。
「ヒャッハー!」「俺たちが来たぜー!」「早く殺して〜」
 狂人たちの声がペンション内部に侵入する。

 それを聞いた翔は覚悟を決める。
「もうやるしか…ない…!」
 その目には決意の炎が宿る。
 彼は名探偵・西園寺翔。
 必ず事件を解決し、悪を滅ぼす者。
 
 気づくと彼は、信者達のいる玄関へと足を運んでいた。
 玄関にはずぶ濡れの屈強な男たちが20人ほど入ってきていた。服は泥だらけで、まさにその風体は川を渡って来たと言っているようなものだった。
 先頭にいる男が、翔の存在に気づいてこう言う。
「へへへ。お前らみろよ。まだ生き残りがいるぜ」
 その男は黒髪長髪、右手に肘くらいまであるグローブをはめていた。その口調や周りの反応から、信者を束ねるリーダー的な存在だと推測される。身体も他の信者と比べて一層鍛え上げられていた。
「江口さん、みんなの仇、とりましょうよ」
 と、そう言ったのはその後ろにいるスキンヘッド男。「川で何人死んだか……。俺、悲しいっす!」。
 そう言ってボロボロと涙を流すスキンヘッド。
「わかってるよ。だから今、こいつをどうやって殺すか考えている」
 江口と呼ばれた長髪男は、そう言って翔を指差して言う。彼のその言葉に、周りの男たちもニヤついた表情を浮かべた。
「で、お前はなんだ?沙耶はどうした」
 江口は翔に向かってそう言った。
 翔は答える。
「沙耶は殺した。先にあの世でお前らを待ってる」

 その発言に、男たちの目つきが一気に変わった。
 さっきから威圧の言葉をかけているのに、翔は一切動揺を見せなかった。それどころか、まるでゴミを見る目で彼らを眺めている。
 江口は声を荒げて言った。
「は?嘘つくんじゃねーよクソガキが!あんなイカれ女が、お前みたいなガキにやられるわけねえ!」

 すると、「くくく…。そうかよ」と、ここで翔は笑う。
「何がおかしい!」と翔を睨みつける信者たち。
 しばらく翔は顔を伏せながらクスクスと笑っていた。
「全くバカな奴らだ…くくく…」
 翔は笑った。
 そして、ひとしきり笑った後、彼はゆっくりを顔を上げるとこう言った。
「じゃあ死んでくれ」

 次の瞬間だった。翔は懐から拳銃を取り出すと、何の躊躇いもなく江口に向かって発砲した。
 ドン!
「なにッ!」
 第6感を感じたのか?瞬時に身を伏せて銃撃を躱す江口!
 だが、不幸にも彼の後ろに立っていたスキンヘッド男はそれを避けることができない。弾丸が脳天を貫き、彼は即死した。
 
 ここで江口は叫ぶ!
「おい!あれ沙耶の銃だぞ!」
「マジかよこのガキが!」
「沙耶を殺ったのは……本当なのか!?」
「よくも姉さんを!」
 そうして信者たちは血相を変えて翔に襲いかかる!
 彼らは戦闘慣れしているのか、銃を構えた翔の狙いを絞らせないように右、中央、左と3方向からタックルを仕掛けてくる!
「なるほどね…」
 翔はいくら銃があるとは言え、彼らの素人ではない動きから勝ち目はないと判断する。一瞬で彼らに背を向けると、そのまま全力疾走して逃げ出した!
「待てコラ!」「タダで済むと思うな!」「殺す!」
 翔の後を追う信者たち。

 翔はロビーを通って階段を駆け上がった。相手は川を越えて来たというのもあり、疲れているようだ。あっという間に彼らを突き放し、加藤の部屋に逃げ込んで鍵を閉める。そしてそこにあるバリケードを移動させてドアを補強した。
 ドンドン!とドアを殴る音がする。「出てこいコラ!」
 ベッドも押し倒すように移動させ、かなり頑丈に入り口を塞ぐことができた。「……ふう。これでもう少し時間が稼げる」。

 翔はすぐに龍斗に通信した。
 部屋の隅で縮こまりながら、押し殺した声で彼は言う。
「龍斗、聞こえるか?」
「おい、今どこだ?」
 モニタリング室で翔が来るのをずっと待っていた龍斗。
 その間に男たちの怒声や銃声は聞こえていて、かなり混乱していたようだ。
「一体何が起きてるんだ?モニタリング室にいろって――—」

「龍斗、いいから聞け」
 と、ここで翔は会話を断ち切って言う。
「時間がないんだ。あと、これが多分最後の通信だ」
「は?ちょっと待てよ。さっきから何を言ってる?」
「とにかく、状況を伝える」
 そうして翔は今の状況を手短に説明した。
 やって来たのは警察ではなく銃刃教の信者達。やはり沙耶は電話を使っていたようで、祭壇を見つけて彼らを呼び出したのだ。
 彼らの到着が警察よりもずっと早い理由は、彼らは川を渡って来ているからだ。何人もの犠牲を出しても儀式のためにペンションを訪れる。相手はそういう狂った集団だ。
「信者は全員で21人。多分だけどこれでもかなり減った方なんだと思う。元々は100人以上はいたんじゃないか?
 分かっていると思うが、全員殺人鬼みたいなもんだ。絶対に戦おうとするな」

「警察は…警察はもう来るのか?」と龍斗は尋ねる。
「残念だけど、全く期待できない」
 翔はきっぱり否定した。
「恐らく6時までは来ない。遅くなることはあるかもだけど、この天候だし、早く着くことはないだろう」
「最悪だ……!」

 するとその時だった。
 ついにバキィッ!と木材の砕ける音が響く。
 信者の一人が手斧を使って扉に穴を開けたようだ。そしてそのまま部屋の中を覗き込んで「チッ…何だこのバリケード。このクソガキ!無駄な足掻きを!」と叫んでいる。

「おい、今すごい音が聞こえたぞ!」
 龍斗が翔を心配する。
「やばい。もう時間がない!」
 翔は急いで話を続けた。
「龍斗、聞け。僕はもう死ぬ。推理を間違えた。推理を間違えた名探偵は死ぬだけだ」
「意味わかんねえ…。急に何言ってんだ。逃げろよ!早くここに来いよ!」
「それはダメだ。2人とも死ぬ」と翔は言う。
「君は生き残るんだ。警察が到着するまで耐えるんだ。いいか?よく聞けよ。君が生き残れる方法は、一つだけある!」
 そして探偵はそこで一息つくと、龍斗に向かってこう言った。

「ネタばらしは、死んでもするな」
 
 その後、翔は詳細な説明をする。龍斗は最初は混乱と怒りで聞く耳を持たなかった。けれど、話をするうちに冷静になり、生き残るにはこれしかないと言うと大人しく受け入れた。
 翔が話をしている間にも、バリケードが崩れる音や、信者たちの怒声はますます大きくなる。
 それらもインカム越しに伝わっているのだろう。最後の方では、龍斗は何かを察したように、ただ黙って探偵の話を聞いていた。
「いいか?絶対に諦めるな。名探偵は、最後まで諦めない。君が名探偵になるんだ。そして最後まで生きて、クソカルトの息の根を止めてくれ。頼んだぞ」

 そうして、全てを話し終えた翔は直ちに通話を切る。
「…………ふぅ」
 彼はここで深呼吸した。龍斗が生き延びられるか、正直彼は難しいと思っている。敵はかなり手強い。即席なので、作戦に無茶なところもいくつかある。それらを全て乗り越えなければならない。

「頑張れ、龍斗」
 翔はそう呟くと、通信していたことがバレないようにインカムを外して窓に捨てる。
 すると、ほぼそれと同時に――—、
 ボン!と、部屋を固めていたバリケードが粉々に吹き飛んだ!
 それは拳銃の音でも手斧の音でもなかった。
 
 そのまま蜂の巣状態の扉を蹴破り、中に入ってきた男。
 それは江口だった。
 彼の右手はショットガンだった。
 ショットガンを持っているのではない。肘から先がダブルバレルショットガンになっていた。

 さらに翔は気づく。
 江口の隣にいた信者は両手が手斧、その他の信者もふくらはぎに大きな刃が埋め込まれていたり、とにかく体の一部が武器に置換されているのだ。「これが銃刃教か……イカれてるな…」。

 江口はバリケードの残骸を蹴り飛ばし、ズカズカと部屋に入って来た。
 翔は部屋の奥、窓際のところにいて、沙耶から取り上げた拳銃を彼に向けて構えていた。「止まれ。それ以上近づくと撃つ」。
 それを聞いて江口はぴたりと足を止めた。「おっと。そういえば持ってたな。それ、返してくれよ。大切な仲間のなんだ」。
 ニヤニヤと笑いながら江口はそんなことを言う。まるで銃を向けられていることなど、どうでもいいかのようだ。「お互い穏便に行こうぜ〜」。
 そんな江口に対して、ただ黙って拳銃を向ける翔。死ぬ前に一人でも多くの信者を殺したかった。
 
 すると、ここで江口が大袈裟なジェスチャーと共にこんなことを言う。
「分かった分かった。そんな怖い顔すんな」
 彼は続けて言う。
「お前には2つの選択肢がある。ここで無様に殺されるか、それとも俺たちの仲間になるかだ」
 江口はクククと笑いながら言う。
「まあ仲間になるには謝罪が必要だけどな。今すぐ銃を下ろして、全裸で土下座すれば仲間に入れてやる」
 その言葉に、周りの信者たちも下品な笑い声を上げた。「ヒッヒ。土下座のついでにチンチンもやれ」「ちゃんと謝罪の言葉を言えよ。ゲラゲラ」。

 翔は発砲した。しかし、弾丸は惜しくも江口の髪を掠めただけだった。
「っあぶね!てめえ何してんだコラ!」
 彼は素早く後ろに下がって一度部屋から出た。翔は意外と射撃が上手いので警戒したのだ。
「ふざけた真似をすると撃つ」
 翔はそう言うと、再び入り口に向けて銃を構えた。
 強い口調とは裏腹に、その手にジワリと汗が滲む。
 もちろん彼だってこの状況がいつまでも続くと思っていない。弾丸の残りは少なく、全員で来られたら止めることはできない。
「だからこそ、もう一人くらいは殺してやる……!」

「ケニー、あいつを捕まえろ」
 するとその時だった。
 江口は廊下の外で、誰かにそう命令する。
「任せてください」
 そう言って部屋に一人、入ってきたのは屈強な白人の大男だった。
 ケニーと呼ばれたその男は、髪型はショートヘアで、プロラグビー選手のように引き締まった体をしている。身長は2メートル近くあるだろう。
 彼は全身を白いローブで包んでいた。深めに被ったフードの中から覗く視線はとても鋭く、只者ではないことが分かる。

 バン、と翔は容赦無く彼に向かって発砲した。狙いは頭ではなく足。
 翔はケニーがかなり危険な人物だと本能的に理解したのだ。躊躇いなく下半身を狙い撃つ。これほど危険だと、殺そうとして失敗するよりは、確実に当てて負傷させる方がいい。

 弾丸は翔の狙い通りケニーの左太ももに命中した。
 だがこの時。
 翔は驚きのあまり目を見開いた。
 彼の撃った弾丸は、確実にケニーに命中した。ケニーの太ももを確実に撃ち抜いたと思った。

 しかし、弾丸は彼の太ももに接触した瞬間に、カキン!と弾かれどこかに飛んでいったのだ。
「バカが。俺は無敵だ」
 ケニーは表情ひとつ変えずにそう言った。

 翔は何が起きているのか全く理解できなかった。
 彼はもう一度、今度は左肩を狙い撃つ。
 けれど、またしてもカキン!と音がして弾丸が弾かれた。
「グググ…。無駄だ。このガキが」

 そうしてケニーは正面から翔に向かって近づいてくる。
 どういう訳か、彼の体は銃弾を弾くのだ。
 翔は銃を撃ちまくった。頭、胸、股間。動きは遅く、的は大きい。それらは全て命中した。でも、それらは全て弾き返されてしまう。
「なん…で…?」

 ケニーはあっという間に翔の側までやってくると、彼に前蹴りを喰らわせた。「ぐあッ…!」。その威力のあまり、翔は後ろに大きく吹き飛び壁に叩きつけられる。持っていた拳銃も取り落としてしまった。

「銃が効かないなんて、反則だよな」
 ケニーは翔の元までやってくると、首を掴んで強制的に立たせる。
「冥土の土産に教えてやる」
 そして彼は着ていたローブを脱ぎ捨てた。
「な、な…んだこれ……」

 翔は思わず目を見開いた。
 ケニーは全身が異様な輝きを放っていた。
 それは汗や比喩表現ではない。
 彼の肌はまるで蛇の鱗のように、細かく並んだ無数の透明結晶に覆われていたのだ。
 微かな光でも彼の身体全体が煌めく。頭の先から足のつま先まで、各結晶はサイズが絶妙に異なり、部分ごとに密度や形が調整されている。よく見ると顔にも大きな結晶が目の周りや額に配置され、見る人に人間離れした威圧感を与える。
 彼が動くたびに、鱗が擦れ合うかのようにシャリシャリとした音が鳴り、光が様々な方向に反射され、周囲に幻影を投げかけた。

「俺は全身にダイヤモンドを埋め込んでいる。俺に物理攻撃は効かん」
 そう言ってケニーは翔の腹を思いっきり殴りつける。
「ぐばあっ!」
 吐血しながら彼は息絶え絶えに呟く。「キ……キモすぎる…」。

 そしてケニーはそのまま翔を引きずって部屋の中央にやってきた。
 うつ伏せの状態で床に転がされる翔。
 そこにはすでに江口含め信者が全員集まっていた。
 興奮する信者たちを抑え、まず江口が言う。
「とりあえず、こうだよな」
 その瞬間、江口は翔の頭を思いっきり踏みつけた。「このクソガキが。最初から歯向かってんじゃねーぞ!」。
 そうして周りの信者たちも全員で翔を蹴り、殴り、しこたま痛めつけた。

 江口が一度全員を止め、翔のそばでしゃがみ込む。
 彼は左手で翔の頭頂部を鷲掴みにすると、顔を強制的に上げさせた。彼の顔はすでにぐちゃぐちゃになっており、目も開かない状態だった。
 江口はショットガンの右手を彼の額に添えて、優しい口調でこう囁く。
「どうだ?今からでも土下座して謝れば許してやる。俺はお前みたいなガキを謝らせるのが好きなんだ」
 その質問に、何も答えない翔。
 しかし、それは黙っているのではない。何かぶつぶつ言っているようだ。喉を蹴られて力が入らないのか、声量がほとんどなかった。
「なんだ?何を言ってる?」
 探偵の口元に耳を近づける江口。
 そして、モゴモゴ言う彼の言葉を聞き取ることができた。

「地獄に堕ちろ。クソカルト」

 ボン、と翔の頭が粉々に吹き飛んだ。
 江口はゼロ距離で彼の頭を撃ち抜いた。
 もはや原型もとどめないまでに彼の頭は四散した。
 
 名探偵はここで死ぬ。



#11

 祭壇部屋までやって来た龍斗。
 翔に言われた通り、沙耶の拘束を解いて目覚めさせる。
 当然沙耶は龍斗に襲い掛かろうとしたが、用意していた弁明すると、彼女は渋々納得する。「みんな来るまでは生かしといてやる」。

 2人はとりあえず祭壇部屋で待機した。
 そうこうしている内に、銃刃教の信者たちもこの部屋を訪れる。
 彼らは祭壇を目にして、感嘆の声を上げた。
 禍々しく装飾された黒曜石の台座に、何本もの剣や刀が突き立てられている。彼らのような戦士を讃える力強い象徴だった。ここまで来るのに多くの犠牲があった。そんな時に見るこの祭壇は、より神聖で穢れのないものとして彼らの目に映っただろう。

「お前ら、遅いぞ」
 沙耶は部屋に入ってきた信者達に向かってそう声をかけた。
「沙耶…!生きてたのか!」
 江口を筆頭に信者たちは彼女の元へ駆け寄ってきた。
「私はそう簡単には死なない」
 そうして信者たちは再会を喜んだ。

 ただ、それも束の間。すぐに江口は右手ショットガンを彼女の側の、龍斗に突きつけながら言う。
「で、こいつは誰なんだ?殺していいか?」
 すると沙耶が「やめろ江口」と言う。「一応助けられた。まあ話を聞いてやれ。敵だったとしても、いつでも殺せる」。
 そしてここでようやく龍斗も挨拶をした。
「どうも。僕の名前は中田龍斗です」
 そして彼はそのままこう続ける。
「僕は祭壇士です。この祭壇は、僕が作りました!」

「祭壇士……?」
 その言葉に信者たちは全員首を傾げた。
「そんな役職あったか?」「いや、でも祭壇を作る人はいるだろ。誰かが作らなきゃならない」「祭壇士…どうだろう…?」
 龍斗は祭壇士について軽く説明をする。神の啓示を受けて、全国に祭壇を作る。それが祭壇士であると。

 信者たちは混乱した。
「こいつ、嘘ついてないか?」「でも本当にいるのかもしれない」「俺たちを騙そうったってそうはいかないぞ」「殴っていい?こいつ」「待て。仲間だったら教義に反する」「嘘だったらミンチどころじゃねえぞ?」「クソ…。なんかややこしいやつ出てきたなおい!」
 そういった信者たちの困惑、怒り、そして殺意が龍斗に向けられた。
 龍斗は今すぐにでも失禁できるほど恐ろしかったが、ここで漏らせばそれこそ殺される。落ち着け自分。覚悟を決めろ。
「まあまあみなさん。疑うのもわかりますが、僕だって神の啓示に従っただけなんです。信じてくださいよ」
 彼は極めて余裕ぶってみせた。本当の祭壇士なら恐怖を抱くはずがない。あくまで自分は彼らの仲間であると思わせるのが、この作戦のポイントなのだ。

 龍斗はそんな演技をしながら、走馬灯のように翔の話を思い出す。
 あの時、彼は言った。
「君は祭壇士になれ」
 祭壇士なんて役職があるのかは分からない。
 ない、とはっきり断言されて殺されればそれはもう仕方ない。銃刃教に占拠された最悪の状況では、どの道危うい橋を渡らねば死は免れないのだ。
 今の所、周りの反応からすると作戦は上手くいっているようだ。
 翔の懸念していた、一人でも詳しい人がいればこの作戦は即アウト。祭壇士などいないと看破されれば、無条件に殺されるだけだ。ただ、彼が言うにはここまで辿り着いた信者たちはみんな筋肉バカか戦闘狂っぽかっため、大丈夫なのではと思ったらしい。まともな知能を持った人間ならあの川は渡れない。結果的にそれは当たっているようで龍斗は少し胸を撫で下ろす。

 このまま、なんとか殺されないように彼らを騙し続け、警察の到着を待つのだ。さっき確認した時、時刻は午前3時半だった。よってあと2時間と少し耐えられればいい。おそらくこの後ここで祈りの儀式が行われるだろう。そこでも時間稼ぎできる。勝機はあった。

 龍斗の嘘は、いい感じに信者たちを困惑させていた。
 江口は「面倒だからこいつ殺していいか?」と言うも、一部の信者がそれを止める。「仲間を殺すのはまずい」「その気になればいつでも殺せる」
 沙耶も龍斗の処遇は様子見でいいという立場だった。
「現に、ここに祭壇があるのは事実だ」
 と言って彼女は皆に、彼らの崇拝する祭壇を示す。それはどう見ても本物の祭壇だった。安っぽい作り物ではない。台座も剣も本物の素材で作られている。これを見せられると信者たちは何も言い返せなかった。 

 ただ、ここで沙耶があることに気づいたようだ。
「いや待て。この件、そもそも私たちが判断することじゃないだろ」
 そうして彼女はこんなことを言い出した。
「教祖様に聞けばいい。今日は…来られていないのか?」
 彼女は信者たちに問いかけるが、誰も何も答えない。
「教祖様なら当然、祭壇士について知っているはずだ。教祖様が知らなければ嘘をついていることになる。来られてないようだし、本部に電話しよう。さっさと聞いて、こいつが嘘つきかどうか判断してもらえばいい」

 その言葉を聞いて、龍斗は一気に血の気が引いた。彼の心臓がキュッと締め付けられ、呼吸が苦しくなった。
 最悪だ…。その手があった。
 だったらもう終わりじゃないか!
 彼は心の中でそう叫んだ。当然、祭壇士なんてない。ここの連中なら騙せたかもしれないが、教祖は無理。教祖が祭壇士の嘘を見抜けない訳がないだろう。
 龍斗は絶望のあまり吐き気を催した。鼻の奥が熱くなり、涙が出そうになる。一気に死が彼の元へやって来た。翔の馬鹿野郎!最初から作戦破綻してるじゃねーか!
 こんなことなら祭壇部屋に来る前に、固定電話を破壊しておけばよかった!

 教祖に直接聞くという沙耶の提案に、心臓をバクバクさせて焦っていた龍斗。
 ただ、ここで江口から驚くべき言葉が出てきた。
「いや、それは無理だ」
 江口は俯いて言う。
「は?どうして?」

「教祖様は…お亡くなりになられた。川に流されて…そのまま……」

 江口はこれまでの経緯を説明する。
 まず、今日の午後10時、銃刃教本部は沙耶から祭壇についての連絡を受け取った。それから数分後には、彼らはこのペンションに向かうことを決定する。決めたのはもちろん教祖だ。
 沙耶からの報告を黙って聞いていた教祖は、ポツリとこう一言。
『鋼火神が呼んでおる。全員直ちに準備せよ』
 そして30分後には総動員でペンションに向かって出発したそうだ。

 本部から数時間かけて、彼らはこの山の麓までやって来た。そして道なりに進み、まっすぐペンションに向かったのはいいものの、途中で大きな川に行く手を阻まれた。大氾濫し、橋が崩れ落ちて渡れない。
 山の反対側から回ることも出来たが、彼らはあえてそのルートを選ばなかった。

「教祖様は仰った。この嵐こそ、鋼火神の与えられし試煉だと。
 だから…俺たちは果敢に川を渡ったんだ。大氾濫の川を、これは試煉だと思って、力の限り渡った。もちろん車なんて使えない。全員で手を繋ぎ、人間橋を作った。まずは教祖様を対岸に送り届けるために」
 ここでついに江口はオイオイと泣き始める。
「だけど…橋を渡っていた教祖様は、途中で足を滑らして流されてしまった……。あっという間だった。教祖様の最後の言葉すら、我々は聞けなかった」
「そんな…!」
 話を聞いて、沙耶もツーっと涙を流していた。
 信者たちも全員声を出して泣いていた。部屋は信者たちの嗚咽や鼻を啜る音が響いた。龍斗は当然だが全く泣けなかったが、顔を伏せて悲しんでいるフリをした。

「教祖様は言った。これは試煉だと。俺たちはその後も必死になって川を渡った。気づくと仲間はほとんど流された。残ったのはわずかこれだけさ…」 
 するとその時だった。
「おい」
 江口は龍斗に向かって言う。
「俺はお前を信用しねえ」
 そう言って彼は右手のショットガンを龍斗の顔面に向ける。
「おい…!」と沙耶や他の信者がそれを止めようとするも、その前に彼は右手を挙げて銃口を天井に向ける。
「だがまだ殺さねえ」と彼は言う。 
「お前は怪しいが、少なくとも、この祭壇は本物だからだ。
 これが本物じゃなかったら、俺たちは何のためにこんなに犠牲を払ったのか、わからなくなる」
 その言葉に信者たちは大きく頷いた。
 誰かが言う。
「祈ろう」
 信者たちは顔を上げて、それに賛同した。
「祈るんだ」
「これは祈りだ。僕は祈る」
「試煉を乗り越えて次へ進むんだ!」

 そうして彼らは儀式の準備を始める。龍斗はとりあえず殺される気配はないようだ。
 というのも彼を疑っているのは江口を含め数人だけで、沙耶を筆頭にほとんどの信者は彼を疑ってはいなかった。龍斗は直前に銃刃教誓典を熟読していたので教義について何を質問しても答えられたし、何より彼の語る祭壇作成秘話は、嘘としてはあまりにもリアルだったからだ。江口が龍斗を信用しないと言うのは、もはや一度言った発言を取り消せないだけと全員から見なされている。

 そうして儀式の準備を進める信者たち。
 そんな中、沙耶は龍斗にこっそり近づいてきてこう言った。
「疑ってごめんね。君の祭壇、本当に美しいよ」
 龍斗は黙って頷いた。
 どんな反応が正解なのかもよく分からなかった。




#12

 赤い蝋燭の炎が揺れる中、静寂が場を支配する。
 鋼火神の名が低く囁かれ、信者たちの影がゆっくりと祭壇を前に取り囲む。台座に突き立てられた何本もの剣が、不気味な光を放っている。沙耶が一歩前に進み、冷たい空気を切り裂くように両手を広げた。

「鋼と火よ、我らに力を与えたまえ。今宵、魂を捧げる刻が来た」

 その声に応え、信者たちの祈りが始まった。
 一人ずつ順番に祭壇の前に進み出て、祈りを捧げる。 
 信者たちは試煉を乗り越えた思いもあり、熱心に祈りを捧げていた。
 教祖や多くの仲間を失った悲しみを、彼らは熱心に祭壇に祈ることで昇華しようとしているのだ。

 今、祭壇に祈りを捧げているのは信者の中でも若い青年。
 彼の名前は鈴木香。
 身長は低く、体も小柄で目立たない男。
 鈴木は指で銃の形を作り、鋼火神を示す印を空中に書く。この印は「火」の漢字をベースにした独特な形をしており、信者たちの間で「炎の軌跡」と呼ばれている。
 その印を書いた後、一礼して祈りは終わる。次の江口と入れ替わるように祭壇から引き下がった。

 信者たちの所まで戻って来た鈴木。
 彼の隣には龍斗が座っていた。自分のことを祭壇士であると言い、沙耶の意見もあって迎え入れられている男。
「……………」

 だが、鈴木は龍斗のことを信頼していなかった。
 理由は単純に、江口が彼を信用していないからだ。
 鈴木は江口に弟のように可愛がってもらっていた。だから江口がそういう考えなら、自分もそうしようという理由だった。
 
 鈴木はちら、と龍斗を横目で見た。真剣な表情で儀式に参加している。
 彼はそれを見てふ、とほくそ笑んだ。
 今はうまくみんなを騙しているが、それがいつまで続くかな?
 
 というのも鈴木には龍斗が偽物かどうか見分ける方法を思いついているのだ。
 それは、彼がもし偽物だったら『炎の軌跡』を書くことはできないだろう、というものだった。
 炎の軌跡はそれほど単純な図形ではないのだ。ここで見て覚えるのはかなり難しい。完全瞬間記憶能力でもない限り必ずボロが出るはずだ。

 鈴木の計画はこうだ。
 龍斗の祈りをじっくりと観察し、炎の軌跡を書けるかどうか見る。
 そして、もし間違っていたのなら、その場で指摘すると儀式の邪魔をしたと自分が粛清されるので終わってから全員の前で指摘する。
 みんなの前で、もう一度祈りを見せてみろと言ってもいいだろう。間違っていたら偽物確定。全員でリンチして、地獄を見せてから殺す。
 鈴木は龍斗を横目で見た。
 彼はじっくりと他の人の祈りを見ていた。まさに覚えようと必死なんだ。
 彼は心の中で呟く。
 所詮無駄なあがき。俺は騙されないぞ。

 そして、ついに龍斗の番がやって来た。
 龍斗は立ち上がり、祭壇の前に進み出た。
 いよいよだ、と鈴木は胸を高鳴らす。
 クク…どうやって殺してやろうか。
 自分たちを騙した罪は重い。
 鈴木は心の中で笑いが収まらなかった。
 刑罰の内容は、すぐには決められないな。江口さんの意見も聞きたいし、まずは指の骨を全部へし折って、それから考えても遅くないだろう。

 しかし、驚くべきことに、この鈴木の予想は大いに外れることになる。
 彼は龍斗の印を食い入るように見た。一回もまばたきせずに、彼の祈りを観察していた。
 だが、どういうわけか龍斗の「炎の軌跡」は完璧だった。
 まるで教科書に載っているかのように正しい軌跡を書いていたのだ。
 祈りを捧げ、龍斗が再び戻って来る。
 鈴木はあまりのショックにプルプルと震えていた。
 儀式を台無しにしないようにかろうじて正気を保っていたが、鼻水が垂れていた。
 鈴木は自分よりも正確な軌跡を描いた龍斗に恐れをなした。
 彼が本物の信者なのは認めざるを得ない。
 龍斗に対する恐怖と、そして仲間を疑ったことに対する罪悪感で彼は崩壊寸前だった。

 儀式が終わる。
 鈴木はすぐに立ち上がって祭壇室を出て行った。
 廊下を駆け抜け彼はどこまでも走り続ける。

 その後、彼を見かけた者はいない。


#13

 儀式を終え、信者たちは宴を開くと言って食堂に集まっていた。
 龍斗もその中に混ざって彼らと酒を飲みながら、適当に話を合わせている。
 
 ちら、と龍斗は壁に掛けられた時計を見た。
 ……遅い。
 儀式も終わって、今は午前6時を過ぎたところ。
 しかし待てども待てども警察が来る気配がない。
「……途中で事故とかしてないよな?」

 それから30分経っても警察は来なかった。
 龍斗は焦りと苛立ちで手汗が止まらない。
 ただ、龍斗も本当は分かっている。
 警察がまだ来ないのは、別に不思議なことじゃない。
 なぜなら彼らはここに来るのに最低でも6時を過ぎる、と言ったのだ。6時に来るとは誰も言っていない。早く来て欲しいという思いが先行して、遅れているように感じているだけなのだ。
 
 いよいよ胸が苦しくなる龍斗。
 このまま信者たちと行動するわけにはいかない。自分はなんでもない普通の人間なんだ。周りと打ち解けたように話しているが、内心ではバレるかもしれないと心臓が激しく鳴り響いていた。こんな頭のおかしい殺人集団と一緒にいるだけで狂ってしまいそうだ。彼は押し殺すように呟く。「早く来てくれ…頼む…」。

 食堂には酒を飲んで騒いでいるグループと、料理をしているグループ、席に座って教義について議論をしているグループに分かれていた。
 龍斗はボロが出るのを恐れて、どのグループにも深入りせず少しずつ顔を出した後、食堂の隅で酒を飲むふりをしていた。
 彼の精神はもうギリギリのところまで来ていた。いっそのこと発狂して楽になりたいと思うくらいに、プレッシャーを感じていた。
 さっきの祈りの儀式も銃刃教誓典を読んでいなければアウトだった。手話のように図付きの解説があったため、正しく炎の軌跡を描くことができた。
 非常に運が良かったな、と彼は思う。順番も最後で人の軌跡をたくさん見ることができたのも大きい。だからもし次に似たようなことが起きた時、うまくやれる自信はない。
 

「よう」
 するとその時だった。
 そんな龍斗の横に、ある男がやってくる。
 それは江口だった。
「飲んでるか?」
 前までと打って変わって優しい口調で彼は言う。
「あ、はい。飲んでます」と龍斗は紙コップのビールを江口に見せた。
 一体何をしに来たのか。龍斗は全身の筋肉が強張るのを感じた。
 江口は信者たちの中でも彼が偽物だと疑っていた。何か自分はやらかしたのではないかと心臓の鼓動が速くなる。

 しかし、次に江口が言い出したのは意外な言葉。
「いや、そんな警戒すんなよ。悪かったな。疑って」
 彼はそういうと、ニッと龍斗に笑って見せた。
「もうお前のことは疑ってねえ。
 さっきの儀式、悪いけど観察させてもらったぜ。偽物なら炎の軌跡は描けねえって。でもお前は完璧だった。それからはお前のことを信用することにした」
 銃刃教には仲間を疑ってはいけないという教えがある。緊急事態とはいえ、疑ってしまったことに彼は反省しているようだ。
「すまなかった」と深く頭を下げる江口。
「いえ、そんなことはないですよ。誰だって自分みたいな奴がいたら疑ってしまいます」
「許してくれ…この通り」
「いいんですよ。最初から怒ってもいません」

 そうしてなんとか江口からも疑いが晴れたようで、龍斗は少しホッとする。
 そのまま彼と話をした。怖いイメージだったが、かなり仲間思いの人物であることがわかった。江口は信者の一人がいなくなってしまったことを気にしていた。鈴木という人物で、儀式が終わった後、どこかに失踪してしまったらしい。ペンションの外へ出て行ってしまったのでは?と考えられている。
「あいつも俺と同じでお前を疑ってた。でもお前が本物とわかって、耐えられなくなったんだ。全く…馬鹿野郎が。仲間を疑うのは確かに重罪だ。でも仲間を疑わないと、仲間を守れない時だってあるんだ」
 江口は遠い目をしてそう言った。


「じゃ、また後でな」
 一通り話をすると、どこかへ行ってしまう江口。
 この会話だけだと、気のいい近所の兄ちゃんのようだ。

「………ふぅ」
 再び一人になる龍斗。
 最後の懸念だった江口もなんとかなったようだ。
 彼らの教義に仲間を大切にするというのがあって本当に良かった。信者のフリをするという翔の作戦が見事ハマった感じだ。彼がここまで想定していたかはわからないが。
 
 龍斗はこれからについて考える。
 今の時刻は6時40分。警察はもういつ着いてもおかしくない。
 ここで彼が考えたのは、このまましれっとモニタリング室に隠れるのはどうだろう?
 自分が帰って来ず、おかしいと思い始めるのに10分くらい?
 でもそこから館全体を探しても、モニタリング室に気づくには20分以上はかかるはず。普通は隠し部屋があるという発想に至らないからだ。つまり合計30分くらいは時間稼ぎできるという算段だ。それだけあれば、警察がやってきて彼らを一網打尽にしてくれるだろう。

「………よし。そうしよう」
 龍斗は決める。
 これ以上は精神がもたない。
 今すぐモニタリング室に隠れて、警察を待つ。
 流石に30分もあれば彼らは来てくれる。朝7時を回っても来ないなんてあり得ないだろ。
 また、言ってしまえばこの30分というのもかなり厳しく見積もって計算している。モニタリング室の隠し部屋を見つけるのに、20分で済むだろうか?探偵じゃないんだ。もっとかかってもおかしくない。待っていればその内必ず警察が来てくれる。

 そうと決まればさっさと逃げよう。
 もうこの場所からとにかく離れたかった。
 龍斗はできるだけ自然を装い、こっそりと食堂を出ようとする。

「どうかしたのか?」
 だが、食堂から出ようとしたまさにその時だった。
 振り向くと、そこには沙耶がいた。
「あ、ちょっとトイレにでも」
「そうか」と沙耶は言う。
 別に彼女は自分に用があるわけではないようだ。そのままあっさりと行かせてくれるようで、安心する龍斗。
「私は応援しているぞ。お前なら勝てる」
 去り際の龍斗に、沙耶はそんなことを言った。

「え?何ですか?」
 龍斗はその言葉に何か異様なものを感じた。
 彼は思わず立ち止まり、沙耶に向かって尋ねる。

「ククク…お前面白いな。変な冗談やめてくれ。私は笑わないキャラなんだ」
「いや、笑わせてなくて。え?どういうことですか?」
「クククク…。なんなんだよその反応。やめてくれあはは」
 どうやら沙耶は本気で笑っているようでお腹を押さえている。
「ククク…。トーナメント表は机の上に置いてるから。君の最初の相手は江口だよ。さっきあいつと、その話してたんじゃないのか?」

 龍斗は嫌な予感がした。
 沙耶は一体何を言っているのか。
 トーナメントとは果たしてなんなのか。
 龍斗はすぐに方向転換すると、笑い続ける沙耶を放置して中央のテーブルへと向かった。
 彼女の言う通りそこには1枚の紙が置いてあった。
 それは確かにトーナメント表で、1回戦の龍斗の相手は江口となっている。

 ………いや、そんなことはどうでもいい。と龍斗は左右に頭を振った。
 これはなんのトーナメントか。それが一番重要だ。
 龍斗はトーナメントを駆け上がるかのように視線を上げていく。
 紙の一番上のところには、こんな文字が書かれていた。

『終の儀式 殺人トーナメント表』

 龍斗はその文字を見て、驚きの余り目を見開いたまま動けなくなった。
 声を上げないことで精一杯で、それ以外に何もできず固まってしまった。「お、随分真剣な顔だね。シミュレーションしてる?やっぱり君は手強そうだ」
 と、側で言うのは沙耶だ。いつの間にか彼女はすぐ隣に立っていた。
「勝ち上がってくれよ。君と戦ってみたい」

 そんな沙耶を無視しながら、龍斗は落ち着け、と自分に言い聞かせる。
 このトーナメントはなんだ?
 タイトルからして絶対に殺し合いだ。それは間違いない。
 しかもトーナメントなんだから最後の1人になるまで殺し合うということ。なんで?


「君、自分がなんの祭壇作ったか分かってないの?」
 するとその時だった。
 その声は、今までの彼女の声とは全く別。
 まるで生気を失ったような冷たい声でそう言った。
 恐る恐る、沙耶の方を見る龍斗。
 彼女の顔は、もう笑っていなかった。
 目は合っているのに、まるでどこも見ていないような無の表情。
 彼女は続ける。「そもそも君、おかしいと思わないの?」。
「なんでこんな立派な祭壇を、教団が把握していないのさ?」

 言われてみれば、まさにその通りだった。
 死人を出してでも集まるくらいに重要な祭壇が、どうしてこんなペンションにあるんだ。それほど大事な祭壇なら、絶対に組織的に管理するべきだろ。
 そう突っ込まれると何も言えなかった。それはまさにこの作戦の穴だった。龍斗はただ黙って沙耶を見ることしかできない。

「あれー?おかしいなあ。作った本人が、目的を知らないなんて。君、信仰が足りないんじゃないの?」
 龍斗は今にも泣き出しそうだった。
 蛇に睨まれたように、恐怖で今すぐ逃げ出したいのに、体がこわばって動かない。

 沙耶は動けない龍斗の背後に回る。
 そして背後から彼の肩に手を回し、右耳に唇が触れるくらい顔を近づけるとこう囁く。
「あれは『 おわりの祭壇』だよ。誓典にも書いてある。ちゃんと最後まで読まなきゃ」
「そ、そうなんですね…。すみません。ただ指示されて作っただけで…」
 龍斗は震える声でそう返事をする。沙耶は自分が偽物であることを見抜いているのだろうか?

「ふうん、ただ指示されただけね…?」そう言いながら、沙耶はじっと龍斗を見つめた。
 龍斗は彼女が言葉を発するたびに胸がしめつけられた。一体何が狙いなんだ。嘘を見破っているのなら、はっきりと言って欲しい。これはなんの尋問なんだ?「あっ、あっ、そ、そうです。僕は指示を…」
 
「誰に指示されたの?」
 その問いに、ついに龍斗の言葉が詰まった。
 どう答えるのが正解なのか。教祖様?教団の幹部?沙耶?江口?
 間違えれば殺されるこの状況で、彼の頭は真っ白になる。
 しどろもどろになり、目も泳いで何も返答できない。もう自分が偽物の信者であることを白状しているようなものだ。

「……わかりません」
 挙げ句の果てに、龍斗はそう答えた。
 わからない訳がなかった。
 誰にも指示されずに、こんな山奥のペンションにカルトの祭壇を作る奴はいない。考えすぎるあまり、誰とも回答することができず、ついその言葉が口をついて出てしまったのだ。
 死んだ……と彼は思った。
 彼は目を閉じて俯き、歯を食いしばった。これから自分はどうなってしまうのか。全員の前で引き倒されてリンチして殺される。それを想像し、呼吸が乱れる。
 ………だが、次の瞬間だった。

「やっぱりそうなんだ…。やっぱりここは本物なんだ!初めて見た!師匠が言ってたことは、本当だったんだ!」
 と、声を上げて喜ぶ沙耶。
「いや、私も君をちょっと疑ってたんだ。さっきの儀式で、祈りがあまりに教科書的だから、偽物じゃないかって」
 今や沙耶は踊り出しそうな様子で喜んでいた。
「もう一度聞くね。君は誰に指示されてこの祭壇を作ったの?」
「え、いや…ちょっと…」
「うんそうだよね。わからないんだね。私が教えてあげよっか?君に祭壇を作れって指示したのが誰か」
「誰…ですか?」
「鋼火神様だよ」

 沙耶は言う。
 普通の祭壇は教団の本部、もしくは各信者の家にあり、それに祈りを捧げている。
 しかし、終の祭壇はどこにあるのか誓典の中でも明言されておらず、教祖様もそれはわからないと言っていたらしい。

「祭壇はどこにあるかわからない。神のみぞ知る祭壇。見つけた時が、鋼火神復活の時」
 よって龍斗の「わからない」という発言は正しい。彼らの認識していない祭壇こそ、本物の『終の祭壇』なのだから。

「誓典にはこう書かれてある」と沙耶は言う。

$${\textit{聖なる石は姿を現せり。 }}$$
$${\textit{選びし者らよ、運命の輪に身を捧げ、試練に応じよ。}}$$
$${\textit{残りしひとつの命をもて、久遠の眠りにつきし御方に奉げよ。}}$$
$${\textit{いずれかの血、いずれかの魂が、その目覚めを導かん。}}$$

 これは確か翔も調べていた一節だ。ただ、翔は解釈が甘くて2行目と3行目は沙耶の殺戮だと解釈していたが、これは間違いである。
 この部分は、終の祭壇を見つけた時に全員で殺し合いをし、生き残った者の血で鋼火神を復活させる、ということを言っている。
 沙耶の殺人はただの儀式の前準備だった。
 全てはこのためにあった。
 彼らが武器を持ち、肉体を強化しているのはこれが理由なのだ。

「狂ってる……」
 龍斗は思わず呟いた。
 幸い、沙耶には聞こえなかったようだが聞こえていたとしても構わない。
 あまりの狂気についていけない。演技をすることさえも疲れてしまったのだ。
「ちょっとトイレ……」
「トーナメントすぐ始まるよ。場所は祭壇部屋でやるから遅れないように」
 龍斗はそんな沙耶の言葉に返事もせずに背を向けた。
 そしてもちろんトイレには向かわず、スタッフルームへと向かった。

「いい加減にしろよあいつら…」
 そうしてスタッフルームまでやって来た龍斗。扉を開けて中に入る前に、もう一度廊下を振り返って誰にも見られていないことを確認する。
 これ以上は限界だった。もう少しで殺人トーナメントに参加させられるところだった。
 こうなってしまえば彼に残された道はもう、モニタリング室で引きこもって警察を待つことだけだ。推定では30分ほどは隠れられるだろうが、見つかれば終わりで逃げ場もない。最後の賭けに出るしかなかった。

 スタッフルームに入り、本棚の隠し扉を動かしてモニタリング室へ入る。
 青いディスプレイの光が龍斗を迎えた。
 彼は椅子に座り、大きく息をついた。ここに隠れていられることの安心感。まだ何も解決していないが、とりあえず一息つくことができた。
 トーナメントはいつから始まるのだろうか。
 沙耶は祭壇部屋で行うと言っていた。龍斗はモニターでその様子を確認する。そこには信者たちが集まって準備をしている様子が映っていた。

 彼らはどこから持ってきたのか綱を使って土俵のような丸いフィールドを作った。そしてそれを囲うように並ぶ。
 人数を数えると、全員で20。翔は確か、21人だと言っていたが、そこから鈴木という奴が失踪したので20で合っている。
 彼らはやはり、龍斗が来るまで待機しているようだった。祭壇に仕掛けられた隠しマイクの音を聞いても、それは間違いなかった。映像に映った沙耶の表情はかなり怒っているように見える。

 それから数分後、龍斗は再び緊張感が戻ってきた。
 会話を聞いていると、自分が失踪したことが騒ぎになっているようだ。
 こうなってしまえば、自分が偽物だということはすぐにバレるだろう。
 だが、それはもういいのだ。ここからは、自分が見つかるのが先か、警察が来るのが先かのバトルなのだ。

 時計を確認する龍斗。時刻は午前6時53分。
 ここで龍斗は少し嫌な想像をする。もし警察が来たとして、返り討ちにされるということはあるだろうか?
 確かに彼らには沙耶の存在しか伝えていない。武装した信者があと20人いると知ったらどうだろう。中にはやたら体格の大きな信者もいた。2〜3人来たところで瞬殺されて終わるだろう。
 ただ一応、銃を持っていることは伝えているので、銃撃戦には備えているはずだ。それに、彼らは戦闘のプロ。人数不利だとしても、信者たちに負けるほど甘い訓練はしていないはずだ。
 
 そんなことを考えながら、祈りながら彼らの到着を待つ龍斗。
 できるだけ物音を立てず、何もしないでじっとしている。
 龍斗は目を瞑り、ただひたすらに祈る。
「早く来てくれ…頼む…!」

 しかし、ここで龍斗はハッとして目を開けた。
 待てよ、と彼は思う。
 祭壇部屋のモニターに映っている信者は全部で20人。
 翔の言っていた21人から鈴木を引いて20人。
 ただ、彼が気になるのは、この20人の中に沙耶は含まれているのか?ということだった。
 もしそうじゃないなら、祭壇部屋の信者の数は19人。
 一人足りない。

「………江口どこ行った?」

 彼はすぐに気づいた。
 信者の中に江口がいない。
 動揺する龍斗。
 彼は今どこで何をしている?
 ただ、その答えはすぐに判明する。しかも最悪な形で。

 ふと、龍斗はある一つのモニターが目に入る。
 そこには、隣のスタッフルームの様子が映し出されていた。
 どうして彼がそのモニターが目についたのか。
 当然そこに、江口が映っているからだ。
 彼は何かを探しているように部屋を物色しては、はて?と首を傾げている。
 
 龍斗は思わず椅子から立ち上がった。
 そして隠し扉の方を向く。
「バ…バカな…」
 その向こうの部屋に、江口がいるのだ。
 
 龍斗の心臓は激しく鼓動を打ち始めた。扉の向こう側で、彼は何をしているのか、悪い予感がどんどん膨らんでいく。
 そしてその予感は的中し、彼はついに本棚について調べ始めたのだ。
「まずい…!」

 ゴト、とかんぬきの外れる音がした。
 江口は隠し扉を起動したのだ。
 本棚を調べ始めてから1分もかからなかった。一瞬にしてバレる隠し扉。
 江口は動き始める扉を見て満足そうな表情を浮かべた。

 振動と共にゆっくりと回転する扉。
 龍斗は黙ってそれを見つめていた。
 逃げる場所はどこにもなかった。
 祭壇部屋に逃げることはできるが、そこにはもっと大勢の信者が待っている。

「おおー。なんだこれ」
 そしてついに、江口がモニタリング室へ足を踏み入れた。
 彼は大量に並べられたモニターなどを見て驚きの声を上げる。
 彼は部屋の奥にいる龍斗を見つけると、ニヤリと笑ってこう言った。
「お前は最初から怪しいと思っていた。こっそり監視させてもらったぜ」
 勝ち誇った様子で、そう話す江口。つまり完全に後をつけられていたのだ。江口は龍斗を一回も信用していなかったのだ。

 龍斗の表情からたちまち血の気が失せていく。
 江口の後ろでガタン、と音がして、隠し扉が閉じられた。
 もう完全に袋小路の龍斗。
 2人の目が合い、しばらく無言の状態が続いた。
 
 最初に動いたのは江口だった。
 彼はあえて龍斗の存在には触れず、立ち尽くす彼を他所に部屋を調べて回った。もう相手が逃げられないことを知っているからだ。

「む、これは祭壇部屋だな。モニタリングしてたのか……。なんでだ?」
 江口は顎に手をやってしばらくの間考え込んだ。
 彼はまだ龍斗が何者なのかは分かっていないようだ。
「クック。面白いな。まるで探偵にでもなった気分だ」
 この部屋が一体なんなのか、彼はクイズでも楽しむかのようにニヤニヤしながら考えている。

 ただ、ここで彼は見つける。
 机の上にドッキリの台本と、そして銃刃教誓典があることを。
 台本を手に取り、ページをゆっくりと読んでいく江口。
 パラパラと眺めるのではなく、内容を把握するようにじっくりと読む。
 そうして時間をかけることで、龍斗に無言の恐怖を与えるという目的もあった。

「フン。そういうことか」
 台本を閉じた江口は、龍斗に向かってそう言った。
 彼はさっきまでのニヤついた表情はもはやなかった。
「ドッキリで俺たちの祭壇パクったら、その中に沙耶がいたってことだ」

 この時すでに、江口は怒っていた。
「つまり祭壇は偽物で、お前も嘘をついていた。俺たちをコケにしたってことだ」
 龍斗は言葉を詰まらせた。もう何も言い逃れができない。
 江口から感じられる冷たく静かな憤怒に当てられて、足の力が抜けて床にへたり込んでしまった。

 そして気づくと龍斗の頭にショットガンが突きつけられていた。
 龍斗は無様に失禁した。
「お前みたいなクズは死ね。教団を侮辱した罪は重い」

 額から感じる冷たい銃口。
 彼の脳裏に走馬灯が駆け抜けた。
 こんな死に方なのか。
 思い返せば子供の頃から今まで、いろんな人に迷惑をかけた。親にも友人にも。みんなすまなかった。こんな人間ですまない。次に生まれ変わったら、もう少しまともに生きてみたいと思った。

 彼は目を瞑り、もう何も考えない。
 考えるほど怖くなるだけだ。
「じゃあな。ゴミ野郎」と江口が言う。
 そして引き金を引いて、龍斗の頭を粉々に吹き飛ばす――—―。

 しかし、まさにその時だった。

 ゴト、とかんぬきの音と共に、モーターの低い振動音がモニタリング室に響いた。
 なんだ?と思い、後ろを振り向く江口。
 隠し扉がまさに動いていた。

「お、他の連中も来たか」
 江口はニヤつきながらそう言った。
 このペンションで、信者じゃないのは龍斗だけだ。
 だからそこから来る人間は、銃刃教徒の内の誰かでしかない。
「おーい、こっちだ。ここに龍斗がいるぞ」
 江口は扉に向かってそう声をかけた。
「一緒に殺そうぜ。こいつやっぱ裏切ってた。人間の中のクズだ」
 笑いながらそう言う江口。


「クズはお前だぜ、クソカルト」
 そう言ってモニタリング室に入ってきたのは、なんと雪村だった。


 雪村はいつもの白道着を着ていて、額には服をちぎって作った即席包帯を巻いていた。
「………誰だお前?」 
 江口は全く知らない人間の登場に、一瞬フリーズ状態になった。
「誰って、ただの俳優だが?」
 雪村はそう言うと早速戦闘態勢に入る。腰を低く落とし、両手を前にして軽く構えている。

「雪村さん…どうして……?」
 龍斗は思わずそんな言葉が溢れた。「あなた死んだはずじゃ…」
「死んでないからここにいるんだぜ」と雪村は言う。
「事情は全て理解した。俺に任せろ。翔の仇は俺が取る」

「はぁ…。なんか冷めるなあ。なんだお前。誰だよ」
 と、ここで口を挟むのは江口。
 彼にとってこの状況は非常に不愉快だった。せっかく裏切り者を粛清しようとしていたのに、急に知らない男が現れて、こちらに向けて拳を構えている。「しかも何?お前、俺とやんの?素手で?」。
 武器も持たず、ただ拳を構えている雪村。

「じゃあ死ね」
 江口の決断は早かった。いつも人を殺しているので、迷いや躊躇など彼にはない。
 彼は龍斗に向けていたショットガンをさっと雪村に向けると、そのまま彼に向かって発砲する。
 バン!と、銃声が轟き、閃光が部屋を照らした。
 一瞬にして肉塊へと変わる雪村。
 
 しかし、実際はそうはならなかった。
 気づくとそこに、雪村はいなかった。

「ど、どこ行った!」
 右手のショットガンをしっかりと構え直す江口。
 雪村の姿はどこにも見当たらない。
 ハッとして彼は後ろを振り向く。
 しかしそこにも雪村の姿はない。
 
 モニタリング室はそこまで広くない細長い部屋。
 隠れるところなどどこにもない。
「野郎……どこ行った!」
 
 するとその時だった。
「俺はここにいるぜ」
 慌てて前を向く江口。
 確かにそこに、雪村はいた。
 雪村は、江口の右手ショットガンの上に、腕組みをして立っているのだ。
「全く話にならんザコめ。先に地獄で待つがいい」

 次の瞬間、雪村はショットガンを蹴って舞い上がると同時に、江口の側頭部を思いっきり蹴飛ばした。
 頭蓋骨の破壊と同時に江口は吹き飛び、壁に叩きつけられ彼を中心にヒビができる。自慢の右手ショットガンも壁に叩きつけられた衝撃で、バラバラに砕け散った。江口は白目を剥きながら壁にめり込んで動かない。

 ゆっくりと江口のもとまで歩いて行く雪村。
 彼は江口を壁から引き剥がし、死亡していることを確認する。
 龍斗は、何が起きているのか全く理解出来なかった。
 いつの間にか江口が死んでいるのだ。
 腰を抜かして床にへたり込んでいる龍斗。
「おい龍斗、準備はできたか?」
 そう言って、彼に手を差し出す雪村。
 彼は龍斗の手をしっかり掴んで立ち上がらせると、ニッと笑ってこう言った。

「お待ちかねの、ネタばらしの時間だ」
 


#14

「来るな、来るなああ!!!」
 信者の一人が腕ミニガンを撃ちながら叫ぶ。
 しかし、雪村はどうにも止まらない。

 彼は「テッテレー」看板を持って祭壇部屋を駆けた。
 弾丸を華麗なステップで全て避けると、腕ミニガン信者を看板で思いっきり殴り倒す。「ぐばあ!」。頭をかち割られて死亡する信者。
 部屋には他にも3人の死体が転がっていた。もちろん全員雪村の仕業だ。彼は信者を殺害するたびにこう告げる。「テッテレーだぜ」。

 今、龍斗と江口が消えたために信者たちによるペンションの一斉捜索が行われていた。このペンションの全ての部屋を信者たちが手分けして調べていた。
 その隙を突いて雪村はモニタリング室から祭壇部屋へとやって来た。瞬く間に警備の信者を殺してここを制圧。こうしてまずは地下をクリアし、次は1階、その次は2階とクリアしていくことで、最終的に信者たちを一人残らず殲滅するという計画だった。
 
 ただ、ここで思わぬ人物が登場する
「貴様…!」
 そう言って祭壇部屋の入り口に現れたのは、沙耶だった。
「よう。元気か?」と雪村が言う。
「なんで貴様が生きてる…?」
 目を見開いてそう尋ねる沙耶。雪村の登場は、流石に彼女も予想できなかったようだ。
「お前は私が殺したはずだ」
「フン。人より頭が硬いんだ」
「ふざけるな!」
「それはこっちのセリフだ。いきなり撃ってくる奴がいるか、このイカれ女が」

 ただ、沙耶は雪村の登場に驚いてはいたものの、動揺は全くしていなかった。
 彼女は嬉しそうに2丁拳銃を取り出して構える。
「じゃあもう一回殺してやる。感謝しろ」
「……やってみろガキが」

 次の瞬間、沙耶は流れるように雪村に連続射撃!
 雪村はテッテレー看板でガードするも、銃弾の威力には耐えきれず一瞬にして蜂の巣と化す!
 沙耶はチャンスとばかりに容赦無く雪村に向かって撃ち続けた。
 雪村は瞬時に身を伏せて弾丸を回避した。また、彼はそのまま手を床につき、そこを軸にして足払いを繰り出す!
「舐めんな!」
 沙耶はバク転でそれを回避。
 そのまま距離をとって再び雪村に銃撃する。
 バン!バン!
 雪村は、今度はジャンプして空中に回避した。
 ただ、ここで恐るべきことに、雪村はただ避けるためにジャンプしたのではなかった。彼は沙耶に向かって飛んだのだ。彼女に向かって流れるように飛び蹴りを繰り出す!
「クッ…!」
 沙耶は空中の雪村に銃を向けるも、相手の降下速度の方が早い。
 沙耶は横に飛び込むようにして雪村の蹴りを避けた。
 そしてそれ以上近寄らせないように牽制の銃撃をする。
 バン!バン!

「チッ…。やはり銃相手はキツイな…近づけねえ」
 銃撃を気合いで回避している雪村。だが、この行動は体力消費が激しく全く割に合わなかった。
「何かないのか…?」と彼は辺りを見渡すと、目に入るのは漆黒の祭壇。
「………これだ!」
 彼の決断は早かった。彼は沙耶から逃げながらも、飛び込むように祭壇の陰に隠れた。

「貴様!卑怯だぞ!」
 沙耶は祭壇をできるだけ傷つけないために銃撃が減る。
 これは彼女の信仰心が高いからこそ効果があった。
「出てこいコラ!」
 沙耶は相手の間合いに入らないように大きく祭壇を回り込み、雪村を狙い撃ちしようとする。

 ただ、ここで沙耶の顔に笑みが浮かんだ。彼女は言う。
「フン。隠れたければ隠れればいい。その間に仲間がやってくるぞ」
 それは確かにそうだった。
 時間をかければかけるほど追い詰められるのは雪村だ。
「私はいいぞ。このまま好きなだけそこにいろ。全員で八つ裂きにしてやる」
 そうして沙耶は祭壇から距離を取り、しかし顔を出した瞬間に撃ち抜けるように構えている。

 だが、そうして余裕を見せていた次の瞬間だった。
 祭壇の方から石のようなものが物凄いスピードで飛来し、沙耶の左拳銃にヒットする。ガキン!という音と共に、彼女は思わず銃を取り落とした。
「しまった!」 

 そして再び、祭壇の方から石のようなものが物凄いスピードで飛来し、沙耶の右拳銃にヒットする。ガキン!という音と共に、彼女は思わず銃を取り落とした。
「しまった!」

 それらを拾うとした彼女だが、向こうから次々と飛んでくる石を回避するので精一杯だった。
「さっきから変な物を投げるな!」
 沙耶はたまらずそう言った。それはゴルフボールくらいのサイズだが、彼の投擲力もありかなり危険だった。必死で回避する彼女。

 ただ、そうして避けながらふと、彼女は床に落ちた石が目に入った。
 雪村が投げている石のようなもの。どこから拾っているのか。投擲数から考えると、もともと所持していたものとは思えない。
「………ちょっと待て」
 床に落ちているものを見て、彼女は頭の血が一気に湧き立つのを感じた。
 怒りと悲しみと恐怖で彼女の感情はぐちゃぐちゃになる。

 なぜならそれは、祭壇の一部だからだ。
 雪村は台座の黒曜石で出来た動物や模様などの装飾部分を引きちぎって投げているのだ。

「こ、こいつ絶対に殺す!」
 冷静さを失った沙耶は、投石を物ともせず屈んで床を這いながら拳銃を拾い上げた。身体中に石が当たるがアドレナリンで痛みは全くない。
 そして彼女は拳銃を見事拾い上げると、雪村のいる祭壇に向かって構えた。もう祭壇への誤射を考える必要はない。雪村がすでに壊しているからだ。「死ね!下等生物の分際で、よくも祭壇を!」。

 しかし、それこそが雪村の狙いだった。
 沙耶が銃を拾った時にはすでに、雪村は祭壇を登って天井近くまで跳躍していた。雪村は綺麗な放物線を描いて沙耶を飛び越え、その背後に着地した。
 それは完全に、彼女の予測を超えた動きだった。彼女は目で雪村の動きを捉えていたにも関わらず、身体が動かなかった。怒りや驚きのあまり、突然の飛びに対応することができなかった。
 雪村は着地と同時に、沙耶の首筋に見事な手刀を打つ。彼女はなすすべもなく、その場に倒れた。
「弱すぎる。どんな時も対空は意識しろ。話にならん」


 服を使って簡単に沙耶の手足を拘束する雪村。
 するとここで、「ゆ、雪村さーん!」と龍斗がモニタリング室から梯子を使ってやってくる。「モニタリング室、もうバレました。バリケードももう持ちません!」

 そうして雪村の側までやってきた龍斗は、彼の足元で縛られて動けない沙耶に気づく。沙耶はうつ伏せの状態で床に転がされていた。
「おお…。もう沙耶も倒しちゃったんですね」
「弱点を突いてやった。とりあえず気絶させたが、どうする?」
 そう聞かれた龍斗は返答に詰まる。
 殺すと楽だが、重要参考人として生かしておいた方がいい。銃刃教の情報が引き出せるかもしれないからだ。
 であれば、このまま放置するわけにはいかないだろう。他の信者たちに見つけられて助けられる可能性がある。

「どこかに閉じ込めておいた方がいいですね」と龍斗は言う。
「誰も来ない所…。とりあえずロケ車とかどうですか?」。
「うーん。抱えていくのがなあ…。まあ弾除けになるか。というか撃ってこないかもしれないしアリか?」

 ただ、そうして2人が話していた時だった。
 足元から「この下衆どもが…」と声が聞こえる。沙耶が目を覚ましたのだ。
「ほう、もう起きたのか。それなりに鍛えてはいるんだな」「お前は絶対に殺す」「反省の色はなしか」「死ね」
 
 完全に縛られ、文字通り手足も出ない状態の沙耶は、ついに大声を出して仲間を呼び始めた。
「おい!敵はここだ!早く来い!」
 うつ伏せの状態から、なんとか顔をあげて彼女は叫ぶ。
 龍斗たちにとっては、さっきから散々暴れていたので、今更叫ばれるくらい問題はない。しかし、うるさいのと噛みつき攻撃をされると危険なので、口も塞いでおくことにした。
 ビリィ!と袖を千切って即席の猿轡を作る雪村。それを沙耶につけようと彼女のそばにしゃがみ込む。

「………………」 
 だがここで、龍斗は何か頭に引っかかっていた。
 なにか、とても大切なことを忘れているような気がしたのだ。
 忘れてはいけないこと。
 彼は頭をフル回転させて、これまでの記憶をニューロンの速度で深く探った。

 そして思い出すのは加藤の死体。
 まだ解決していない謎。
 ダイイングメッセージ。

「………おっぱいだ」

 龍斗は思い出した。
 加藤が残した、あのダイイングメッセージを。
 あれは決して沙耶のことを表していたのではない。犯人が沙耶なんて、誰でも分かることだからだ。
 では彼が残した「おっぱい」という言葉は何を意味するのか。
 答えは一つしかない。
 龍斗は叫ぶ!
「雪村さん!おっぱいに気をつけろ!!!!」

 そして次の瞬間だった。
 見ると、沙耶が一瞬にして仰向けになり、乳を雪村に突き出していた。彼女の乳は仕込み銃になっていたのだ。
 避ける時間はない。
 沙耶は叫ぶ。「死ね!雪村ああああ!」
 パァン!
 銃声が祭壇部屋に響いた。
「ゆ、雪村さん!!!!」
 龍斗は思わず目を閉じた。完全に終わったと思った。

 だが、彼が次に目を開けた時、なんと雪村は生きていた。
 彼の隣には、乳が爆発して死んでいる沙耶がいた。彼女の黄色い脂肪と赤い肉片が周囲に飛び散っている。

「なんて恐ろしい女だ……」と額の汗を拭う雪村。
 彼は龍斗が叫んだ瞬間に、本能的に彼女の乳房を横から思いっきり殴りつけたのだ。それで内部機構が破壊されて爆発し、彼女は死亡したのだ。
「助かった。ありがとう。もう1回死ぬとこだったぜ」
「いえいえ。こっちも助けられてばかりじゃいられませんから」と龍斗は言った。「それに…」と彼は続ける。
「僕も翔を殺されて悔しいんです。あいつらは絶対に許せない」
「そうだな」と雪村。「あいつら全員やっつけようぜ」
「はい」


 それからは雪村の無双だった。
 次から次へと襲いかかる信者たちを次々と薙ぎ倒していった。
 右足が斧になっている信者がいたが、左足をへし折って戦闘不能。
 全指先から銃弾を撃つ信者がいたが、他の信者を肉盾にして近づき、全指をへし折ってショック死。
 
 また、ここでついに風向きが変わる。
 そうして雪村が地下から出てきてロビーで戦っているところに、ようやく警察が到着したのだ。
「大丈夫ですか!」
 ペンションに突入して来たのは電話で話した山本を含む警察官が3名と、完全フル装備の特殊部隊が10名。想像以上に万全な編成で駆けつけてくれた。龍斗は直ちに彼らと接触し、状況を説明する。「気をつけてください!敵は約20人。全員人体改造しているので危険です!」。

 信者たちは「なんで警察が!」「ふざけんじゃねえぞ!」「おい!先にこいつらを殺せ!」と言って彼らに襲いかかるが、特殊部隊は流石に強い。洗練されたフォーメーションで向かってくるものを次々と射殺。雪村もようやく体を休めることができた。「ふぅ…。なんとかなったか」。

 一瞬にしてロビーを制圧した兵士たち。
 流石に銃刃教の信者でも日本の精鋭部隊を相手にすると分が悪いようだ。
 あっという間に信者たちによる襲撃はなくなる。
 特殊部隊の隊長が言う。
「気を抜くな。今度はこっちから攻める。残りの信者をしらみ潰しだ」
 そう言うとまずは1階を完全制圧するために、食堂方面へ向かった。

 玄関ロビー付近で、3人の警官に保護されている龍斗と雪村。
 向こうの方から怒声と共に、銃声が鳴り響く。恐らく食堂やスタッフルームに潜んでいた敵を見つけたのだろう。
 龍斗はあっという間に信者が一掃されていく様子を見て、ようやく安堵することができた。長かった。悪夢のような一夜がついに終わるのだ。
 彼は翔に感謝した。命の恩人だ。彼は涙を流しながら言う。
「翔、お前のおかげでなんとか生き残れたよ…」

 だが、そうして完全に安心していた彼らだったが、次の瞬間!
 ガシャン!とロビーに大きな音が鳴り響く。
 食堂の通路から、何かが飛んできたのだ。
 大きなボストンバックのようなものが物凄い勢いで飛んできて、それはテーブルやソファを薙ぎ倒し、最終的にロビーの中央あたりに落下する。
 
 龍斗たちは顔を見合わせると、全員でそこまで駆けつけた。
 そしてその飛んできたものを見て、彼らは驚愕の声を上げた。
「こ…これは…!」
 通路から飛んできたものは、特殊部隊の隊長だった。
 隊長は死んでいた。
 死因は明らかで、首が180度回転しているのだ。
 死体を見ながら雪村が言う。
「……どうやら奥にやばいのがいるようだな」

 通路から聞こえてきた激しい怒声と銃声が、いつの間にか悲鳴に変わっていた。
 次から次へと廊下から隊員が吹き飛ばされて来て、ロビーに死体が散乱した。全員首がへし折られて死んでいる。
「な、何が起きているんだ!」
 警官たちが銃を取り出し、震えながらも廊下に向かって構えた。
 龍斗も雪村も、隊員たちが飛んできた廊下の奥を見つめる。

 するとその時だった。
 ドス、ドス、と地面を鳴らして現れたのが、2メートルほどある大男。
 そう。彼はケニーだ。
 羽織っている白いローブは銃撃によって穴だらけになっていた。
 ケニーはローブを引きちぎるように脱ぐと、そこから現れたのはバッファローのように強靭な肉体。

「おい…なんだありゃ…?」
 ただここで、雪村が思わずそう呟いた。
 雪村だけではない。そこにいる全員がそのケニーの身体を見て寒気がした。
「………ダイヤモンドか?」
 ケニーの身体はまるで鱗のように六角形の透明な鉱物で煌めいていた。
 まさに傷ひとつない美しい身体。
「そりゃ銃が効かねえわけだ」と雪村は言う。

 ケニーは、ロビーに散らばった仲間の死体を見て咆哮を上げる。銃刃教は仲間を大切にする。今や、彼の目は怒りの炎に燃えていた。
「お前ら全員縊り殺す」
 ケニーはそう言うのと同時に、こっちに向かって走ってくる!
「く、来るな!」と言って警官の一人が彼に向かって発砲する。
「やめろ!無駄だ!」と雪村が言うも彼はパニックになって固定砲台のように銃を撃ち続ける。
 だが雪村の言う通り、弾丸はケニーに全弾命中するも全く足を止める気配がない。暴走特急のようにタックルを仕掛けるケニー!
「おい逃げろ!」といって雪村は警官に飛び蹴りし、自身もその勢いで反対側に跳躍。ちょうど彼らがいたところにケニーが突っ込んできた。
 ケニーのタックルを回避した雪村たち。
 ケニーはあまりの勢いに直ぐに止まれなかった。ペンションの壁にぶつかって停止した。

「おい」
 壁から出て来たケニーは、そう声をかけられる。
「お前の相手は俺だ」
 目の前に立っているのは白道着の男、雪村だった。
 彼は武器を何も持たず、ケニーに向かって拳を構えて挑発する。
「かかって来い。試してやる」
「なんだお前…?」

 ケニーは思わず懐かしい気持ちになった。こうして自分に喧嘩を売る奴は、ダイヤモンド改造手術以降で初めて会った。
 銃刃教の中で一番強いと彼は自負していた。沙耶や江口は尊敬しているが、本気で戦えば絶対に勝てると思っていた。
「俺は誰にも負けない」とケニーは言う。「お前は胴体から引きちぎって殺す」。
 
 最初に動いたのは雪村だった。
 雪村はタックルを見た瞬間に、ケニーの弱点を見抜いていた。
 それはスピード。
 あの大柄、そして身体中に埋め込んだダイヤモンドのおかげで動きが固く、俊敏さがない。
 雪村はスッとケニーの懐に潜り込むと、彼の脇腹に正拳突きを喰らわせる。ダイヤの皮膚と拳がかち合い、火花が散る。

 だが…手応えなし。
 ケニーは虫でもついているのかというような表情で雪村を見た。
「邪魔だ」と大きく腕を振り上げて、雪村の頭に振り下ろすケニー。
 雪村はバックステップで距離を取り、一度仕切り直す。「チッ…分かってはいたが固すぎるな…」。

 ただダメージは与えられなかったものの、殴った時の感触で雪村はケニーの身体構造をなんとなく理解した。
 ケニーの体内に埋め込まれたダイヤモンドは、恐らくかなりの量だろう。
 ダイヤがなかったら実はかなり痩せた人物ではないか?
 大量のダイヤを肉と脂肪で接合し、甲冑のように纏っている、というのがケニーの強靭さの理由だ。細胞レベルでくっついているので、絶対に剥がれない最強の鎧。それがケニーだ。
 雪村は呆れた口調で呟く。
「やっぱ狂人の考えることはすごいぜ」

 次はケニーから仕掛ける番だ。
 ケニーはその辺にあったテーブルを掴むと、それを思いっきり雪村に投げつけた。
「危ねえ!」
 ギリギリで躱す雪村。
 1辺2メートルほどもある大きな机を、いとも簡単に投げつけてくる。ダイヤ筋肉によって人間をはるかに超えたパワーを生み出しているのだ。下手をすればプロ野球のストレートよりも速い。家具が出していい球速ではなかった。

 ケニーは目についたテーブルや椅子を手当たり次第に投げてきた。
 体積の大きなものが超スピードで飛んでくる。避けるのに通常の3倍以上の動きが要求された。
「まずいな……」
 それらを必死に回避していた雪村。
 彼は考える。このままじゃ絶対にケニーには勝てない。避けるのに体力がいるし、1発当たれば死ぬ。あまりにも不利な状況だ。近づいて攻撃に転じたいが、一方であのダイヤ装甲が硬すぎる。
「あれをやるしかねえ…!」
 
 雪村は決意する。
 彼には古の武術の知恵を持っていた。
 彼は飛んでくる椅子を半身になってギリギリで躱わすと、一瞬でケニーと間を詰めた。ケニーはそのあまりの速さに反応できない!
 そして雪村は、今までの勢いを乗せて彼の鳩尾に掌底する。

 それから数秒間、無音の時間が続いた。
「…………ごふッ!」
 突然、ケニーの口から血が溢れた。
 ケニーは何が起きたのか理解できなかった。
 これはなんだ?
 この自分が、ダメージを受けている?

「打撃にも種類はある。お前みたいな奴には、波動を通すのがいいんだ」
 ケニーがたじろいだのを見て、雪村はもう一気に戦いを終わらせようと思った。彼は持ち前のスピードを生かして、360度ありとあらゆる角度から掌底を繰り出す!
 これは打撃ではない。敵を打った時に波動を送り込むことで、内側から人体を破壊する。波動空手というものだった。
 装甲を貫通するので当然ケニーにもダメージが入る。
「ごばあァ!」

 しかし、雪村は少し甘かった。
 ダイヤ強化人間の頑丈さは彼の想像を超えていたようだ。
「黙れよ…この劣等種族が!」
 ケニーは全身のダイヤ筋肉に力を送り込む。
 すると凝集した筋肉によって、幸村の波動が彼の内臓に到達するのを数秒遅らせることができた。波動が届くまでは彼は全くノーダメージ。ケニーはその間に腰の入った見事なダイヤモンドパンチを繰り出した!

 勢いのまま掌底を浴びせ続け、ケニーを沈めようとしていた雪村にとって、これは予想外のことだった。彼はケニーの大ぶりの拳を避けることはできない。
「ぐばあああッ!」
 雪村はくの字になって吹き飛んだ。
 地面と水平に、弾丸のようになって彼は飛行し、そのまま50メートル以上飛んで反対側のペンションの壁に激突し砂煙を上げた。

「雪村さん!」
 その様子を見守っていた龍斗は、思わずそんな声を上げた。
 龍斗は気づくと走り出していた。
「き、君、危ないから行ってはダメだ!」
 一人の警官がそう言うも、彼は聞かなかった。

「大丈夫ですか!」
 雪村のいる壁のところまでやってきた龍斗。
 壁には等身大の窪みができて、大きくひび割れている。
 砂煙の舞う中、そこには雪村が壁に背をつけて座っていた。
「……くそッ。流石に甘かったか」
 雪村は口から血反吐を吐きながら、よろよろと立ち上がった。
「手応えはあった。ただ耐久力がバケモンすぎる」
「やっぱりなにか武器がいりますか?」と龍斗。「もっと強力な兵器、誰か持って来てませんかね?」。
 だが、それに対して雪村はこう言う。
「いや、そんなものはあいつは効かない。物理攻撃は全く意味がないだろう。さっきのように、波動を流し込む方がいい」

 ケニーは今、こちらの様子を見ているだけで攻撃を仕掛けようとしていない。彼も掌底の恐ろしさを感じているのだ。
 雪村は確信する。ケニーの倒し方はこれしかないと。
 ただし、問題は波動を流している間にインターラプトされてしまうことだ。
「どうにか2秒。2秒相手の動きを止められれば、今度こそ心臓に波動を到達させて、殺すことができる」
「2秒間の足止め…。ロープとかで縛るってことですか?」
「そうだな」
「引きちぎられて終わりますよ」
「そうなんだよな…」

 ケニーがそろそろ動き出したようだ。まだまだ余裕はありそうに見えた。
 雪村の攻撃は人体に波動を流し込み、内部で共振させて威力が倍増する。
 数発の波動では、彼に致命傷は与えられない。
 龍斗は絶望のあまり呟く。
「もう立ち上がってきた。強すぎる…。勝てる気がしない…」
 ただ、とここで龍斗は思い出す。
 それは翔が龍斗に最後に言った、あの言葉。

『名探偵は、最後まで諦めない』

 そうだ。ここまで来て諦める奴がいるかよ。
 彼は考えた。
 相手はダイヤモンド強化人間。
 まともな人間じゃない。
 するとここで彼の頭の中に、一つのアイデアが浮かんだ。
「まともな人間じゃない……。そうか。そうだよ。こいつはまともな人間じゃないんだ!」

 そして龍斗は立ち上がる。
「おい、どうした?」と雪村。
「2秒間、あいつを止めればいいんですね?」
「いけんのか?」
「祭壇部屋に誘い込んでください。2秒、もしくはそれ以上止めれるかも」
 龍斗はそのまま手短に作戦を説明する。
「確かに……。それはやってみる価値がありそうだ」

 彼らは早速行動を開始した。
 まず龍斗は警察たちを引き連れてモニタリング室へ移動。
 ケニーが彼らを追おうとするが、それを雪村が阻止。
 雪村は祭壇部屋に彼を引き込むために、さらにケニーを挑発した。
「お前、実はそんなに強くねえだろ」
「なんだと…?」
「鱗みてえなダイヤ。透明で、綺麗だ。でもお前自身の肉体はどうだ?」
 雪村はいう。
「そのダイヤ取っちまえば、ひょろひょろなんじゃねえかって」
「お前、よほど死にたいらしいな」
 雪村がどこまで見抜いていたかは分からない。しかし、確かにケニーは過去の自分にコンプレックスがあった。体が弱く、戦闘もあまり強くない。
 全身ダイヤモンド手術で最強になった彼は、裏を返せばそれしかないということ。「お前はタダでは殺さん…!」。

 ケニーは見事挑発に乗り、雪村にタックルを仕掛けた。
 雪村は立ち位置を調整して、見事地下の階段に転がり落ちるように回避!
「待てコラ!」
 ケニーはすぐに雪村を追って階段を駆け降りる。
 しかしすでに彼は廊下を走り出していた。彼はケニーを誘導するためにギリギリ追いつけないくらいのスピードで廊下を走り、そして祭壇部屋に飛び込んだ!

 祭壇部屋はさっき沙耶と戦った時のままの状態で、電気はついているので明るく、祭壇には火が灯されていた。
 祭壇部屋で、罠に嵌めるべくケニーが来るのを待ち構えていた雪村。

 だがここで、想定外の事態が起きる。
「………入ってこねえぞ?」
 ケニーは祭壇部屋の前で立ち止まり、入ろうとしないのだ。
 挑発しても、廊下に立ち尽くしたままで、全く誘いに乗ってこない。
「流石に警戒してんのか…?」

 その雪村の推測は正しかった。
 祭壇部屋の外。廊下でケニーはこう呟く。 
「……この馬鹿どもが」
 実は、彼は沙耶から話を聞いていたのだ。
 沙耶は一度、なんの戦闘力もない名探偵に負けている。
 銃刃教の中でもトップクラスの実力を持つ彼女が、どうして名探偵に遅れを取ったのか。
 沙耶が言うには、相手はこの祭壇部屋で、突然電気を消すという卑怯な戦法を使ったらしい。こんなところにわざわざ連れてくるのは、もうそれしかないだろう。「俺はその手には引っかからないぞ…!」。

 次の瞬間だった。
 ケニーは部屋のドアを思いっきり蹴り飛ばした。ドゴン!と扉は吹き飛び、中にいる雪村目掛けて飛んでいく。「危ねえ!」なんとか飛び込みで回避!
 しかしそれだけではない。ケニーはそのままドアの穴を広げるように、左右に壁を破壊し始めたのだ。
「あ、あいつ何やってんだ!」
 雪村が叫ぶも、ケニーは止まらない。
 彼はダイヤモンドタックルやパンチで部屋の壁を破壊!
 そしてついに壁は徹底的に壊され、祭壇部屋は境界がなくなり、外の廊下と一体化してしまう。

「これで部屋を暗くするのは無駄だぜ。毒ガスの類もな」
 そう言うと、ケニーはようやく祭壇部屋に足を踏み入れた。
「ククク…。俺を馬鹿にするなよ?」
 ケニーの警戒は完璧だった。これで翔の用いた暗闇からの不意打ちも出来ない。黒煙で視界を奪うことも、ほとんど効果がなくなった。
 ふくみ笑いしながら雪村に近づくケニー。
 雪村も、ここで覚悟を決めたのだろう。拳を構えて相手をまっすぐに見据える。

 再び対峙する2人。
 ケニーが「お前は強い」と雪村に向かって言う。
「だが俺には勝てない」
 彼はそれを言い切る自信があった。雪村の掌底は確かに恐ろしいが、それで自分に致命打を与えるには手数を重ねなければならない。そんなことをしている内に、こっちが1発殴って終わりだ。
 次は全ての力を使って、完全に仕留めるつもりだ。

 ただここで、雪村は言った。
「龍斗、今だ」
 それはもはや、ケニーに対しての言葉ではなかった。

 すると次の瞬間だった。
 ネタばらし用の、隠しスポットライトが点灯!他にも隠しライトが次々と点灯し、それは全てケニーに向かって1点集中する。
「な、なんだこれは!」
 凄まじい光量がケニーの身体に吸収される。
 それは彼のダイヤモンドの体を通過し、体内で乱反射した。
 四方八方から照射される大光量は、彼のダイヤで増幅され、やがて限界を超えて体を貫き、目や鼻、口、ありとあらゆる穴からまるでフラッシュライトのように光が放射する。
「うあああああああああああああああああああ」
 今やケニーは一つの光源となっていた。
 誰も彼を見ることはできない。凄まじい光のエネルギーがそこに存在していた。
 ケニーのダイヤの体は光を乱反射させ、全身が白く光り輝いている!
 祭壇部屋に出現するそれはまさに太陽!

「今です!やっちゃってください!」
 インカムから龍斗の指示が聞こえ、雪村は目を開ける。
 ライトはもう消えていた。
 ライトが照射されたのはわずか3秒にも満たない。
 しかし、ケニーは大量の光によって全身の感覚器が破壊され何も見ることができないし、何も感じなくなっていた。彼は未だ光の満ちる真っ白な世界に取り残されているのだ。
「うあああああああああああああああああ!み、見えないいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」 

 頭を抱え、手探りで暴れるケニーに、雪村はゆっくりと近づいた。
「く、くるな!お、俺が一番強いんだ!」
 相手のリーチの手前で雪村は足を止める。
 暴れ狂うケニーとは対照的に、雪村は目を閉じて深呼吸する。
 そして、円を描くように手を動かして波動空手の型を構えた。

「瞬掌千撃…!」

 雪村がそう言った次の瞬間だった。
 ケニーは上下左右、360度ありとあらゆる方位から掌底を受けた。
 まるで千手観音にでも殴られているかのような異次元のスピードで、彼はただ相手の攻撃を受けることしか出来ない。
 ダイヤ筋肉に力を入れてみても、もはや関係なかった。
 数発の掌底なら耐えられたが、1000発の掌底は耐えられない。
 実際、彼はその途中で絶命していた。
 しかしあまりの速度の攻撃に、彼は倒れることもできずサンドバッグのように打たれ続けることしかできなかった。
 
 そして雪村が最後の掌打を当てたその時。
 ケニーは爆発四散した。
 血と肉片の間に煌めくダイヤモンドの欠片。
 虹のように光り輝いて、部屋中に降り注いだ。
 それは全てが終わったことへの祝福のようだった。




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