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心のままに進んだら失業→就職→パワハラ→失業→今ココ①

数年前、かつて派遣社員として働いていた会社の経営者から「準社員として戻ってこないか」というお誘いを頂いたことがあった。

その会社での仕事はひとりで黙々とこなす作業が多く、私にはとても合っていた。
仕事のやり方や成果を評価してもらえる場面もしばしばあり、人間関係も穏やかで居心地が良く、会社に行きたくないと思った日はたぶん一日もなかった。

ただ、お給料はかなり低かった。
毎月の手取り額の平均は13万~14万円ほど。
年末年始やGW、お盆休みがある月は10万をやっと超えるくらいにしかならなかった。
この金額が生活保護の支給額とほぼ同じだと気づいたのは、会社を辞める少し前だった。
当時の家賃が53000円だったので赤字を出さないのが精いっぱいだったのだが、低収入によるストレスを感じたことはあまりなかった。
どうしても食べてみたいもの、行ってみたいところ、やってみたいことには我慢せずに投資した。
ネットで見つけたとあるお店の塩大福を買うために電車とバスを片道3時間以上乗り継いで行ったこともあれば、大好きなコミックエッセイに描かれていた四国のグルメを食べてみたくて土日に飛行機で単独弾丸ツアーを決行したこともある。
臨床心理士を本気で目指そうとして専門の予備校に通い、勉強のために少なくとも60万円以上を費やしたことも。
収入が少なかった分、本当に欲しいものややりたいことが自然と絞られていき、良くも悪くもムダがなかったと思う。

自分のことだけを考えるなら、このような生活のままでも良かったかもしれない。
離婚した元主人が急に亡くなり、彼が育ててくれていた子供たちを引き取る可能性が浮上したとき、私は迷わず転職を決めた。
そこからが大変だった。

正社員を目指して転職活動を始め、興味を持ったのは保険のカウンターセールスの仕事だった。
転職活動を始める半年ほど前にたまたま保険の相談に訪れたお店で、とても魅力的なセールスレディに出会ったことがきっかけだった。
その人は自分の仕事もプライベートもとても楽しんでいると話し、生き生きと輝いていた。
自分もこんなふうになれたらいいな。そんな思いを抱いたことが半年後の転職につながるとは思ってもみなかった。

とある保険会社で無事に採用されたものの、そこには想像もしていなかった世界があった。
これまで出会ったことがない種類の人たち、価値観。
一口に言ってしまえば「成果第一主義」。
約一か月の研修で叩き込まれたことは全て「親身になってお客様のことを考える」=「『安心・安全』という名の契約を買ってもらう」というギラギラしたポリシーで貫かれていた。
買ってもらわなければ会社も社員の生活も成り立たないのだから、当たり前のことである。
分かってはいたけれど、周りの先輩方が振りまくそのギラギラにも、お客様に対応するときにかぶる「営業仮面」の息苦しさにも耐えられず、わずか半年で辞めた。

間をおかずに働かなければという気持ちで辞める一か月前から求職活動を始めたが、登録した求人サイトからのメールが毎日数十通も届く状況を自分で作ってしまい、それらを全て見ることにうんざりしてしまった。
当時はまだサイトの使い方がよく分からず、無駄な情報もたくさん受け取ってしまっていたのだ。
求人情報は山のようにあるのに、希望の条件に合う募集は一向に見つからない。
いったんメール受信を止めよう。そう決めて、全ての受信設定を変更した。
途端に携帯が静かになった。

その二日後くらいだったと思う。
来ないはずの求人メールが一通、ぽんと入ってきた。
そこには、私の希望をほぼ完ぺきに満たしている求人があった。
駅のロータリーでバスを待っていた私は、その場で求人元の派遣会社に電話した。

無事に採用されたその職場での3年間は常に笑いにあふれていた。
大変なこともなくはなかったけれど、優しい人たちに囲まれ、自分のペースで楽しんで働ける環境があった。
もしかしたら、正規雇用のチャンスがあるかもしれない。
そう期待しながら過ごしている間に、冒頭の「お誘い」を受けたのだった。

以前の職場の経営者から提示された雇用条件は決して悪いものではなかったが、私の中で引っかかっていることがいくつかあった。
当時の退職理由は第一には家庭の事情だったが、当時の直属の上司だった男性とうまくいっておらず、同部署で同じ仕事をしていた女性にもわだかまりを感じることが増えていたというのもあった。
加えて、楽しいと感じていた仕事に「退屈」を感じ始めてもいた。
元主人が亡くなる前に求人情報を横目で眺めていた時期があったのは事実で、主人の件は単に退職の後押しをしただけだったと言ってもいいのかもしれない。
卒業の時期がすでに近づいていたのだ。

家庭の事情については当時から経営者に全て話していたので、すべてを理解した上で誘ってくれているということは本当にありがたかった。
けれど、諸々のわだかまりについてはもちろん伝えていない。
このまま申し出を受ければ直接雇用され、基本的には定年までいられることになる。
今の職場で正規雇用されればいちばんいいのだが、それが叶わなければまた辛い求職活動をしなければならない。
迷った末、私は今の職場に残れる可能性に賭けることにした。
条件がどうあれ、すでに「卒業」してしまっていた自分の心が「もう戻りたくない」と言っていた。

そして、約1年後。
結果は、期間満了退職だった。

通知を受けたのは期間満了の3か月前で、職場の上司の理解もあり、退職までの求職活動のために休みを取ったり勤務中に抜けたりしても構わないと言ってくれた。
私も十分な時間が与えられていると思っていたのだが、応募しても応募しても全く引っかからない。
特別な資格やスキルもなく、おそらく年齢のハンデもあったと思うが、そもそも「できない」タイプを自覚していたので、退職まであと一か月を切った頃「もしかしてこのまま仕事が見つからないのでは・・・」と思い始めた。
応募件数は50社くらいまでは数えたが、途中からどこに応募したかも分からなくなってきて数えるのもやめた。

その後も次の仕事は見つからず、そのまま退職の日を迎えた。
この時がいちばん苦しかったかもしれない。

その後数日間はどうやって過ごしていたか覚えていないのだが、しばらくして所属していた派遣会社から仕事の紹介を受けて飛びつくように就業を決めてしまった。
それが例のパワハラ会社だった。※過去記事参照

その会社も半年で辞めることになり、8か月の無職期間を経て、ここにいる私は今、新しい職場に仕事を得ることができている。
冒頭の「お誘い」を受けたのは2年半ほど前のこと。
それ以来、お誘いを断ったことは間違いだったかもしれないと思ったことが何度もあった。
けれど、お誘いを受けた私が楽しく働いているという想像がどうしてもできなかった。
お誘いを断った後の自分が辛い状況にあることは事実だったが、前職に戻ることが正解だったとはどうしても思えなかった。

そうして約2年半の間にいくつもの出来事を経験し、チャレンジをしてみて、自分はどんなことが好きで得意で、どんなことが嫌いで苦手なのか、どんな状態がいちばん満たされるのか、ひたすら観察してきた。
チャレンジの中で自分の気力・体力の限界についても知ることができ、「ここまではできるけどこれ以上は無理」というラインも見えるようになってきた。
何よりたくさんの新しい出会いを得て、過去の自分が持っていなかった選択肢の中から「今の自分にとっての正解」を見つけることができた。
それが「週5日は派遣社員として働き、空いた時間に好きな仕事(家事代行)をする」というものだった。

派遣の仕事がなかなか見つからなかった時、家事代行の仕事をメインにするという働き方を考えたこともあった。
けれど、「個人事業主」という形で自ら営業をかけて仕事を取ってくるという要素がどうしても必要になること、そしてそれは少なくとも今の自分には無理だということが分かった。
それも、家事代行を実際にやってみて分かったことだ。

器用ではない私は、フルタイムの仕事も自分に合った職場が見つかるまではそれなりに苦労するのも仕方がないと悟った。
例のパワハラ会社の経験のおかげ(?)で、「あの時よりひどい目にあうことはそうそうないだろう」と腹を括れるようになった。
その覚悟のせいもあるが、今度の職場では「普通に挨拶をしてもらえて普通に質問ができて、時々気遣いの言葉を頂ける」という「普通」のありがたさが身に染みている。

続く。

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