【観る前に】ミュージカル『刀剣乱舞』 ―東京心覚―を堪能するための予備知識まとめ【登場人物紹介】
平将門(たいらのまさかど)
903年生まれ。武芸と戦術に長けた、平安時代の豪族。
将門の祖父が新天地を求めて関東に移住。千葉茨城あたりを開墾。将門の父が亡くなると、伯父・叔父たちがこの地を占領したため親族と敵対関係になる。が、敵対関係にある叔父(良兼)の娘は将門の恋人である。
さらに義理人情の厚さゆえに逃亡中の罪人を匿ったことから国家の反逆者とみなされた。
茨城に新政府を置いて新皇を自称し新しい国を作ろうとした。この頃すでに良兼の娘は無事将門の妻になっている。
数で劣る敵に突撃して勝ちまくっていて、遠い京都でも恐れられ、七人の影武者を呪術で作って操っているという逸話が生まれた。
わかば的考察
良兼は将門と結婚した娘を実家に連れ戻したことがあるが、娘は実家から逃げ出して将門のところに帰ってきている。良兼は毒親だったのだろう。
将門が父親の領地を取られた時、そのまま恋人と結婚しておとなしく叔父の義理の息子になっていればそれなりに普通の生活はできたかもしれない。そうしなかったのは恋人を毒親から救い出すためだったのかもしれない。歴史にこの娘の名前は残っていないが、彼女への想いが将門を動かし歴史を作ったのは事実である。
太田道灌(おおたどうかん)
1432年生まれ。幼少期から天才児として世に知られていた。
戦術や交渉術などのマネジメント能力に長けていたため、ほとんど独力で主家の危機を救っていた。
現在の皇居である江戸城を築城した。
にわか雨に遭った道灌が蓑を借りようと近くの農家を訪ねたとき、その農家の娘が蓑ではなく山吹の花を差し出したという出来事があった。意味が分からず腹を立てた道灌が後でこの話を家臣にしたところ、それは『後拾遺和歌集』の「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」の兼明親王の歌に掛けて、山間(やまあい)の茅葺き(かやぶき)の家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後、道灌は歌道に励み、歌人としても名高くなったという。(一部Wikipediaから抜粋)
活躍を妬んだ身内によって暗殺された。最期に「当方滅亡(私がいなくなったら主家は滅びる)」と言い残し、槍による致命傷で死んだ。
わかば的考察
八重咲きの山吹は実がならない。実は成らないが横に茎を延ばしてたくさん咲く。兼明親王の歌にある「七重八重」は重なり連なって群生する花の様子とヤエヤマブキの名前をかけている。あとには何も残らないし、たくさんあって個々の区別はつかないけど、それぞれが確かに美しく咲いている花の歌。複数の解釈ができる歌である。
道灌に花と歌で回答した女性は歴史に名前は残っていないが、道灌の心を動かしひとつの歴史を作ったのは事実である。
天海(南光坊天海)(なんこうぼうてんかい)
1536年生まれ?
出自不明。弟子にも本名は忘れたといって出自について絶対に語らなかった。享年は推定108歳だがもっと長寿という説もある。
正体は落ち延びた明智光秀なのではないかとも言われている。
徳川家康から家光まで三代にわたって徳川将軍家の参謀をつとめた。戦国時代最後の戦である大阪夏の陣、冬の陣から戊辰戦争までの約300年の泰平の世の礎を築いた。
陰陽道の知識が豊富。四神相応の考えに基づき、徳川家康に江戸を首都にするよう進言し、都市設計も担った。
江戸を穢れから守るため4箇所(寛永寺、増上寺、浅草寺、日枝神社)に呪術で結界を貼ったと言われている。天海が結界を貼った4箇所を地図上で結んだ中心点に江戸城がある。
江戸城から見て鬼門(邪気や悪いものがはいってくる)の方向に将門の首塚を作って祀った。天海はこの首塚の近くに正面玄関(大手門)を作り、そのほかにも要所要所に将門の神社や塚を置いて江戸を将門の怨霊に護らせている。
わかば的考察
天海は劇中で「咲き誇れ分陀利華(白蓮華のこと)」と歌う。白蓮華は泥沼に咲く花である。「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という諺のとおり、煩悩や苦悩のなかにあってそれを受け入れながら清く生きる人を指す。
道灌の山吹同様、様々な思いを持って強く生きてきた名も無き人々へ思いを寄せていることが分かる。
勝海舟(かつかいしゅう)
1823年生まれ。
江戸時代以前の人々が国内の各領地を守ろうと日本人同士で争ってきたのに対し、勝海舟は世界に目を向け、議会政治で協力しあって海外諸国と渡り合おうと考えた。旧幕府側にあってはこの思想はあまり受けいれられず、保守派から疎まれるなど孤立していた。
戊辰戦争の際、旧幕府側の勝海舟が新政府側の西郷隆盛と交渉したことにより、予定されていた江戸総攻撃を回避し、戦うことなく江戸城を新政府に明け渡した。いわゆる江戸城無血開城により大政奉還を成し遂げた人物。
登場する刀剣
【三池派】
大典太光世
病人の枕元に置くと病が治癒し、離れると病が再発するという不思議な霊力をもっている。秀吉からの形見分けで前田利家の所有となった後は、ずっと蔵の中にある。
ソハヤノツルギ
徳川家康の愛刀のひとつ。家康の遺言で久能山東照宮に納められている。
【新々刀】
水心子正秀
刀工水心子正秀が打った刀の総称。勝海舟も水心子正秀を帯刀していた。争いごとを話し合いで解決する主義のため、勝海舟の愛刀は1度も抜かれたことがない。
源清麿
刀工源清麿が打った刀の総称。水心子正秀、大慶直胤と並び「江戸三作」と称された名工。
【江(ごう)】
郷義弘の刀は当初皆無銘だったが、後に鑑定士や持ち主の武将などによって物語と名前が与えられた。
五月雨江
黒田長政→徳川秀忠を経て尾張徳川家へ渡り、今も徳川美術館にある。
「お犬様」と揶揄され生類憐みの令で有名な徳川綱吉に仕えた徳川光友が所持していた。
村雲江
徳川綱吉が所持していたが、使用人の家に移る。明治の始めに他の刀と一緒にまとめて売りに出され、以後個人所有。まとめ売りのうちの一振が村雲江と分かると、250円で別の人が買い取った。その人が亡くなると遺族が処分した。その後貰い受けた人からさらに7人の所有者の元を転々としている。
豊前江
豊前国小倉藩小笠原家に伝来。郷義弘の作刀のなかで最も華やか。現在は所在不明。
桑名江
農家の神棚に飾られているのを桑名城主の本多忠政が見初め、譲りうけた。
刀剣男士の設定
五月雨江
ゲーム内の各台詞から、自分の名前が俳句の季語であることにアイデンティティを見出していることが分かる。
ゲーム内での遠征に行く時の「北へ行きたい」という台詞から、東北地方を巡りながら詠んだ俳句集『奥の細道』で有名な松尾芭蕉を慕っているらしいと推察できる。これは本作で「同じ時代を生きたあのかた」と歌っているためほぼ間違いない。(徳川綱吉と松尾芭蕉は2歳差の同世代)
松尾芭蕉は、奥の細道の旅2400kmを、途中1箇所に2週間滞在することもあった中で150日で歩き切るという身体能力の高さを持っており、忍の里として有名な伊賀の生まれであることから、現役時代は忍だったのではないかと噂されている。刀剣男士の五月雨江は、この「俳句を詠む忍」のキャラクターになっている。
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