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幸術師(こうじゅつし)【掌編小説】
※本編字数:2,153字。
ネットを見ていたら、不思議な広告を見つけた。
【幸せになりたい人限定! 笑いかた一つで人生変わります】
最初は何かの勧誘かと思ったが、そうでは無かった。単純に講座の生徒募集だった。しかも新規開講と強調するように書かれていた。
実績はまだ全く無いわけで、幸福が訪れるなんぞ単なる誇張に過ぎないのではないか。
仕事を辞めて、私生活では離婚したばかりだった僕は興味を抱いた。
気がつけば問合せ番号に電話をしていた。
「こちら、笑いかた講座準備室です」
50歳代ぐらいの年配とおぼしき男性は、名をロウクと名乗った。
「あのう、インターネット広告で講座を見たのですが・・・」電話の奥からは蝉が激しく鳴いていた。
「この度は、お電話を頂き有難うございます。早速ではありますが、開講前特別授業というキャンペーンがあります」
先のロウクと言う男はグイグイと攻めてきた。
「幸福=笑い」というぐらい断定的に謳っているのだから無料サービスなんか要らないのではないか。
怪しく思いながらも、頭の片隅では「笑いかたで人生変わります」というキャッチコピーが離れらなくなっていた。そもそも、笑い方講座とは一体何なのか?
「じゃあ、まずはお試しで」
無料とは恐ろしい。
気がつけば、後日説明会に参加することまで約束していた。
電車で向かう途中、僕の胸中は期待と不安が入り混じっていた。「笑いかたで人生変えてやるぞ!」と思えば、逆に「笑いかたで変わるのか?」と自問自答をしていた。でも最後は「幸せになるんだ!」と胸を張って会場に入った。
説明会は貸会議室の一室で行われた。少し肌寒いほどにエアコンが効いていた。
先日の電話先のロウクという男は受付にいたかと思うと、足早に説明会の講師として登壇をした。まだ立ち上げたばかりの会社だから人手も足りないのだろうか。
「皆さま、本日は暑い中、笑いかた講座説明会へのご参加を賜り誠に有難う御座います」
80名ぐらいの参加者はパラパラとまばらな拍手をした。みな先の男を一斉に見つめていた。彼は一体何者なのか。
「笑いかたで人生が変わる! ことをテーマにこれまで数多くのセミナーを開催して参りました」
そう言うと、ロウクさんはその大きな瞳をより一層見開いた。ちょうど中列の真ん中席に座っていた僕は目が合った。
「そこのあなた、幸せになりたいですか?」
「はい! 幸せになりたいです」こう即答した。幸せになりたいから、僕はココにいるのだ。
周りの参加者にも大声が伝わったのか、貸会議室にまるで一本の線がピンと張り詰めたように緊張感が漂い始めていた。
ロウクさんは「皆さま、正面のスクリーンをご覧ください」と言うなり電気を消した。真っ暗になった一室の正面だけが突然明るくなり、【ロウクの記録】と題した彼のこれまでの半生がスクリーンに映し出された。
幼い頃に両親共に縊死(いし)したこと、その後養護施設で育てられたこと、中学卒業後のアルバイト生活から18歳で小さな会社を立ち上げたが社員に金を持ち逃げされ破産したこと、同時期に妻が浮気をし即離婚をしたこと、その後一度はカタギの世界に足を踏み入れたこと、足を洗ってからは仏門に入ったことetc。稀に見るその数奇たる人生に参加者全員が釘づけになった。
中には、感動のあまり涙を流して席から立ち上がっている者もいた。ロウクさんは話が上手く、絵に書いたような苦労人そのものだった。
ただ者では無かったことが理解出来た。会社設立時には、資金協力者がいたらしいが納得だ。それも、彼の人徳たるゆえんか。
貸会議室に再び電気が灯った。
ロウクさんはその後感情を表すことなく、淡々と自らの人生を述べていた。幸せになりたい周りの参加者達は食い入るように見つめていた。
そして、ロウクさんは最後を締めるように参加者全員をジロリと少し睨むように見渡した。まるで、人殺しのような目だった。
「私は、いつどんな時も『笑うこと』が必要だと思うのです」
その激動の人生経験からは説得力のある言葉だった。拍手喝采が起こり、ロウクさんは深々と一礼をし、降壇した。
彼は風のように爽やかに去った。幾多の人生経験ではどんな時も『笑う』ということ。具体的にはどうやって幸せになるかは分からなかったが、彼のように一生懸命生きていれば周りも助けてくれるということだろうか。
少し黒ずんだロウクさんの笑顔は素敵だった。僕は今25歳で就職して3年目だから、55歳のロウクさんからするとヒョッコなんだろうか。
何か、背中を優しく押されたような気がした。具体的にどうアクションを起こせば良いのかは分からなかったが。
電車から見える夕日を眺めてフト思った。
『笑いかた』とは、どんな苦しいことも前向きに考えることで見つけられるものではないか。
一週間後、笑いかた講座準備室スタッフと名乗る若い声の女性から一本の電話があった。電話の内容は入会を前提とした半ば強引なものだった。そこには、先日感じた人間臭さのかけらも無かった。
実は、無料キャンペーンなどデタラメで高額の入会金がかかるとのことだった。
失望した僕は講座への入会を速攻で拒否した。
ロウクさんの人間味溢れる笑顔が浮かんでは消えて浮かんでは消えて、の繰り返しをしていた。
【了】